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女も子供も家督不可? 追放先の自治領を立て直したら、いつの間にか天下を取っていました  作者:


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第46話:偽造徴発令

 日の出前。


 まだ闇が残る領主館の寝室に、蝋燭(ろうそく)が一本だけ揺れていた。


「リオ」


 毛布の中から伸びた小さな手が、ひらひらと振られる。


 私――ミチカは、寝台に沈んだまま口を開いた。寝衣が汗で肌に張り付いている。昨夜から熱が引かない。食事も昨日の昼から喉を通っていなかった。


「最終確認。フリードリヒへの提示条件、三つ」


「はいはい、朝の四時から商談ブリーフィングですか。うちの領主様は働き方改革って言葉を知らないのかな」


 リオが軽い調子で返す。だけど私のステータスオープンには、彼の内面がくっきり映っていた。


 ――リオ・ハイネマン。緊張値:八十九。


 過去最高。


 これまでの最大値が御用商会との対決時の七十二だったから、それを大幅に上回っている。つまりリオ自身がわかっているのだ。今回の交渉が、どれだけ危ない橋かということを。


「一つ目。上納金滞納の件は、こちらからは絶対に触れないで」


「了解。脅迫カードは切らない」


「二つ目。代替物流網への優先加盟権を提示。相場公開と紛争仲裁の条項付き。フリードリヒの領にとって年間どれだけの利益になるか、数字で見せて」


「試算表は三パターン用意済み。悲観・中立・楽観、全部持ってる」


「三つ目」


 私は息を吸った。肺が重い。呼吸のたびに胸の奥で何かが(きし)む音がする。指先が小刻みに震えていて、毛布の下で拳を握って誤魔化した。


「ベッカーの身柄が取れなかった場合――偽造文書の内容だけでも特定して。何を書かされているのか。それがわかれば、こっちで反証を準備できる」


 リオの表情が、一瞬だけ真剣になった。


「……最悪のシナリオまで想定済みってわけか」


「実務です」


 私の口癖が出る。リオは肩をすくめて、でも目は笑っていなかった。


「行ってくるよ、領主様。お土産は隣領の焼き菓子でいい?」


「情報を持って帰って。焼き菓子は次の機会に」


「次の機会があるといいね」


 軽口。でもその声にはわずかな震えがあった。


 私はステータスオープンの数値を見た。リオがまだ扉の前に立っている――その背中に浮かぶ数字。


 緊張値、九十一。


 ……リオ。


「ある。絶対にある。だから行きなさい。命令」


 リオは一瞬目を見開いて、それから――笑った。今度は本物の笑みだった。


「了解。商人リオ・ハイネマン、行ってまいります」


 扉が閉まった。


 (ひづめ)の音が遠ざかっていく。もうステータスは見えない。見えなくていい。あの笑顔が本物だったことは、数値がなくてもわかる。


 私は天井を見上げた。視界の端が(にじ)んでいる。熱のせいで、蝋燭の炎が二重に見えた。ステータスを自分に向ける勇気が、今はなかった。


―――


 隣領、フリードリヒ・フォン・ヴァイスの居城。


 リオが到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 門前で待たされること三十分。これは想定内だ。隣領領主が商人風情をすぐに通すわけがない。だが外交文書を携えた使者として来ている以上、無視はできない。


 案内された応接間は、質素だった。


 壁の装飾は最低限。暖炉の薪も細い。上納金三期滞納の領が、見栄を張る余裕などないのだ。


「――で、ミチカ殿の使者とやらが、私に何の用かな」


 フリードリヒは五十過ぎの痩せた男だった。目の下に深い(くま)がある。


 リオは商人の目でその全身を読んだ。出発前にミチカが言っていた。『ステータスは見せられないけど、あなたの目があれば十分。数字より表情を読んで』と。


 疲弊。焦燥。そして――わずかな期待。


 わざわざ会ったということは、まだ何かに(すが)りたいのだ。


「率直に申し上げます、フリードリヒ(きょう)我々(われわれ)はベッカーという人物の身柄確保に協力いただきたい。そしてその対価として――これを」


 リオは試算表を広げた。中立シナリオの数字を指で示す。


「代替物流網への優先加盟権。御領の穀物・木材を、うちの物流ルートに乗せます。仲介手数料は既存の御用商会ルートの六割。年間で――この数字です」


 フリードリヒの目が動いた。


 数字は(うそ)をつかない。上納金の滞納を解消できるだけの利益が、そこには書かれていた。


「……脅しではないのか。我が領の滞納を盾に――」


 リオは一拍、間を置いた。ここだ。ミチカの鉄則を、自分の言葉に変換する。軽口の商人から、交渉者へ。声のトーンを意識して半音落とす。


「――触れません。それは卿ご自身の問題であって、我々が交渉材料にするものではありませんので」


 にっこり笑った。商人の笑み。だがその裏には、ミチカから(たた)き込まれた原則がある。


 ――脅迫で得た協力は、脅迫が消えた瞬間に崩れる。利益で結んだ関係だけが残る。


 フリードリヒは長い沈黙の後、ゆっくりと(うなず)いた。


「……悪くない。ベッカーの引渡しについて、前向きに――」


 その言葉が終わる前だった。


 応接間の扉が開き、執事が蒼白(そうはく)な顔で入ってきた。


「閣下。――申し上げにくいのですが」


「何だ」


「昨夜遅くに、王都からの使者が到着しておりました。第二宰相派の紋章を掲げた方です。ベッカー殿は――既に別の屋敷に移されております」


 空気が凍った。


 リオの脳内で、ミチカの声が再生される。


『ベッカーの身柄が取れなかった場合――偽造文書の内容だけでも特定して』


 最悪のシナリオ。もう来てた。


 だが――リオはフリードリヒの顔から目を離さなかった。


 驚いている。本気で驚いている。


 事前に知らされていなかったのだ。第二宰相派は、フリードリヒの領を経由地として使いながら、当の領主には何も伝えていなかった。


 使い捨てだ。


 リオはその一瞬を逃さなかった。


「フリードリヒ卿」


 声色を完全に切り替えた。軽快な商人の仮面を外し、低く、静かに。


「ベッカーの身柄は諦めます。代わりに一つだけ教えていただきたい」


「……何を」


「ベッカーが書かされていた偽造文書。その内容をご存じですか」


 フリードリヒの目が泳いだ。知っている。この反応は――知っている人間のそれだ。


「……なぜ私が、それを教えねばならん」


「卿。率直に申し上げます」


 リオは試算表の横に、もう一枚の紙を置いた。何も書かれていない白紙。だがその意味は明確だった。


「第二宰相派は、卿の領を通過拠点にしながら、ベッカーの移送を事前に通告しなかった。卿の滞納を知りながら一銭の援助もしていない。そして今――卿が我々と会談していることも、おそらく把握していないでしょう」


 フリードリヒの顔が強張った。


「把握していないのではない。把握する必要がないと思われているんです。――卿は、あちらにとって味方ではない。利用価値のある通過点です」


 暖炉の薪がぱちりと爆ぜた。


 フリードリヒの手が、肘掛けの上で白くなるほど握り締められていた。


「……あの連中は」


 声が震えていた。怒りだ。三期分の滞納を抱えて、それでも義理立てしていた相手に、道具のように扱われていた――その屈辱が、今はっきりと顔に出ていた。


「我々の物流網に加盟すれば、卿は第二宰相派に依存する理由がなくなります。滞納は自力で解消できる。そしてこの情報を教えていただければ――卿が切り捨てられる前に、卿自身の手で関係を断ち切ったことになる」


 沈黙が落ちた。


 長い、長い沈黙だった。


「――徴発令だ」


 フリードリヒが、絞り出すように言った。目は伏せられていた。


「ミチカ殿の名で、領民への強制徴発を命じた文書。穀物と労役の両方を、領主権限で強制的に収奪したという――命令書の体裁を取っている」


 リオの背筋に冷たいものが走った。


 徴発令。


 横領の冤罪(えんざい)告発状だけじゃない。領民への強制徴発。それはつまり――ミチカが民から奪った、という構図を作るということだ。


 冤罪告発状が「ミチカは金を盗んだ」なら、偽造徴発令は「ミチカは民を苦しめた」。


 二段構え。


「その文書は、もう完成しているんですか」


「昨夜、完成したと聞いた。第二宰相派の使者が持ち去る手筈(てはず)になっている」


「いつ」


「明日の朝だ」


 間に合わない。文書の奪取は不可能。


 だが――内容がわかった。


「フリードリヒ卿。この密約、受けていただけますね」


 リオは加盟権の契約書を差し出した。代替物流網の優先加盟と、今後ベッカーが再び領内に現れた場合の拘束協力、および第二宰相派の動向に関する情報共有。


 フリードリヒは――署名した。


「……商人というのは、恐ろしいな」


「いえ。恐ろしいのは、うちの領主様です」


―――


 一方、領内。


 ユリウスは執務室で、三日目の徹夜に突入していた。


「監査応対書式、第七版……いや、第八版か。もう何版目かわからんな」


 羽根ペンを置き、目を擦る。


 監査団が来る。第二宰相派が送り込んだ正式な監査団。エルヴィンが随員として同行している。そして――冤罪告発状を携えている。


 ユリウスが準備しているのは、その全てに対応するための書式だった。


「ミチカ不在でも機能する監査応対。……まさか本当にこれが必要になるとはね」


 皮肉を言う相手もいない深夜の執務室で、ユリウスは独り言を続けた。


 提出書類の整合性チェック。領民への聞き取り調査への対応手順。公開の場での質疑応答プロトコル。全てを書式に落とし込み、誰が対応しても同じ品質の回答ができるようにする。


 ――属人的な統治は、属人的にしか守れない。制度的な統治は、制度で守る。


 ミチカが常々(つねづね)言っていた言葉だ。


「……まったく。十二歳の子供に教えられるとは、法学士の面目丸潰れだ」


 だが、口元は笑っていた。


―――


 同じ頃。


 レオンは治安隊の詰所で、巡回ルートの再編計画と格闘していた。


 ディーターを後方配置に回した。情報漏洩(ろうえい)のリスクは最小化した。だが、それで前線の人員が一名減っている。監査当日の警備体制に穴が開く。


「……巡回ルートを組み直す。三箇所の配置を二箇所に統合して、機動班を一つ作る」


 地図に線を引きながら、レオンの頭には別の問題が渦巻いていた。


 監査団が到着すれば、領民の中に動揺が走る。それだけなら対処できる。だが――もし第二宰相派が外部から煽動(せんどう)者を送り込んでいたら。領民の不満を(あお)り、監査団の前で直訴させるような工作があったら。


 治安の問題は、治安だけでは終わらない。監査の場で領民が「ミチカに不満がある」と声を上げれば、それだけで告発状の信憑(しんぴょう)性が跳ね上がる。


 レオンは地図の上に、市場周辺と宿場町の二箇所を赤く囲んだ。外部から人が入りやすい場所。監査前日までに、不審な流入者がいないか重点的に巡回する必要がある。


 手が止まった。


 ディーターの顔が浮かんだ。


 半年前の夜警。酔った行商人が刃物を振り回した時、真っ先に前に出たのはディーターだった。レオンの左腕を(かば)って、自分の肩に浅い傷を負った。詰所に戻ってから、ディーターは笑って言った。『隊長が怪我したら、誰が巡回表を作るんですか』と。


 あの男が――情報を流していた。


 信じていたから、裏切りが深い。だがミチカは言った。感情ではなく制度で裁く、と。


 ディーターを罰したいのではない。ディーターが裏切らざるを得なかった構造を、二度と作らないことが本当の仕事だ。


「……わかっています」


 レオンは一度目を閉じ、それから地図に向き直った。


「わかって、います」


 赤い線を引き直す。機動班の配置を、市場周辺に寄せた。監査当日、何が起きても――領民を守れる布陣を。


―――


 翌日の夕刻。


 早馬が領主館に到着した。


 リオからの書簡。


 ノアが受け取り、封を切り、内容を確認した。そしてミチカの寝室に向かった。


「ミチカ様」


「……読んで」


 ミチカの声は、かすれていた。寝台に横たわったまま、額に浮いた汗が蝋燭の光を反射している。朝から水を数口飲んだだけで、(かゆ)には手をつけていない。


 ノアは淡々(たんたん)と読み上げた。


「リオより報告。ベッカーの身柄確保は失敗。第二宰相派の使者が先着しており、ベッカーは別の屋敷に移されていた。ただし偽造文書の内容を特定。――ミチカ様名義の、領民への強制徴発命令書」


 沈黙。


「……徴発令」


 ミチカが(つぶや)いた。唇が乾いて、声が割れた。


「民から奪った、って言いたいわけね」


 冤罪告発状は「横領」。偽造徴発令は「圧政」。


 二つ(そろ)えば――ミチカは民の敵だ、という物語が完成する。


 領民の信頼。それはステータスの数値で見える。あの数字が崩れたら――自治領の正当性そのものが消える。


「続きがあります。


 リオはフリードリヒ卿との間で非公式合意を締結。


 代替物流網への優先加盟権と引き換えに、今後ベッカーが再び領内に現れた場合の拘束協力、および第二宰相派の動向に関する情報共有を取り付けた、と。


 ――リオ本人は明後日までに帰還予定とのことです」


「……リオ、よくやった」


 身柄は取れなかった。でも情報は取れた。そして隣領との密約も。最悪の中の最善。


「ノア」


「はい」


「私の、今の体力値は」


 ノアが一瞬、黙った。


 その沈黙が、答えだった。


「……十五です」


 十五。


 前日は十七だった。さらに落ちている。


 監査まで残り四日。この下降速度なら――当日、立てない可能性が高い。


「代行体制を、発動する前提で準備を進めて」


「……了解しました」


 ノアの声は平静だった。でもその手が、報告書の端を強く握っているのを、ミチカは見逃さなかった。


「ノア」


「はい」


「大丈夫。仕組みで守る。私一人が立てなくても、制度が立つ。――そのために、全部準備してきたんだから」


 ノアは深く頭を下げた。


 扉の外で、小さな足音がした。遠慮がちなノックが二つ。


「……ミチカ様、起きていらっしゃいますか」


 ミナの声だった。


 ノアが目で問う。ミチカは小さく頷いた。


 扉が開いて、ミナが盆を持って入ってきた。湯気の立つ杯が一つ。蜂蜜を溶いた白湯だった。


「お食事が進まないと聞いて……せめて、これだけでも」


 ミナは盆を寝台の脇に置くと、そっとミチカの額に手を当てた。小さな手のひらが、熱い肌に触れる。


「……まだ、お熱が」


「大丈夫。これくらい」


「大丈夫じゃないです」


 ミナの声が、少しだけ強くなった。目が潤んでいる。でも泣かなかった。


「――でも、ミチカ様が大丈夫って言うなら、私はそれを信じます。だから、お願いですから、これだけは飲んでください」


 ミチカは――少しだけ、笑った。


「……ありがとう、ミナ」


 白湯を一口、含んだ。蜂蜜の甘さが、乾いた喉に()みた。


 ミナが寝室を出た後、ミチカは天井を見上げた。視界がまた滲む。熱のせいか、別の理由か――わからなかった。


―――


 偽造徴発令。


 民の信頼を根底から崩す冤罪。


 それを監査の場で即座に反証するには――領主本人が立って、公開の場で否定しなければならない。


 だがミチカの体力値は十五。


 監査まで残り四日。


 立てるのか。


 立てなかったら――誰が、どうやって、この冤罪を崩すのか。


 体力値十五の領主に、残された時間は四日。


 立てるかどうかではない。立つしかないのだ。

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