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女も子供も家督不可? 追放先の自治領を立て直したら、いつの間にか天下を取っていました  作者:


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第45話:隣領の弱み

 熱がある。


 体力値十八。ストレス値九十一。


 数字で見ると絶望的だけど、頭だけは妙に()えている。前世で読んだ本に「高熱時は脳が過覚醒状態になることがある」と書いてあった気がする。火事場の馬鹿力の脳味噌(みそ)版。医学的に正しいかは知らない。


 天井の石組みを数える。領主館の私室は本来もっと広い部屋を使うものらしいが、私が選んだのは北棟の小部屋だった。執務机と本棚を置いたら残りは寝台ひとつ分。質素と言えば聞こえはいいけど、要は体力のない人間が最短動線で仕事をするための設計だ。


 石壁の隙間から、薬草を煮詰めた匂いが漂ってくる。隣の部屋でノアが調合しているのだろう。苦くて、少しだけ甘い。この世界の薬草は前世のものと似ているようで微妙に違う。効能をステータスで確認できるのがせめてもの救いだ。


 窓の外、中庭の方角から小鳥の声が聞こえる。朝だ。


「ミチカ様、リオさんが戻りました」


 ミナの声が枕元に降ってくる。薄いカーテン越しの朝の光が、ミナの輪郭をぼんやり光らせている。――熱のせいだ。こういうとき、頭の中で馬鹿なことを考えると少し楽になる。天使か? いや天使じゃなくてミナだ。ミナは天使より偉い。


「通して」


「はい。……あの、お水、もう一杯いかがですか? 朝からまだ何も召し上がってないので」


「ありがとう」


 ミナが差し出してくれた白湯を受け取る。陶器の(わん)がひんやりと指に触れて、それだけで少し楽になる。手が震える。情けない。でも今は情けなくていい。頭さえ動けば、手足は五人が代わってくれる。


 それが制度というものだ。


―――


「おはようございます、領主様。寝顔が可愛かったので起こすの忍びなかったんですが」


「起きてます。報告」


 リオが椅子を引き寄せて座る。商人の顔だ。つまり、収穫ありの顔。


「隣領領主フリードリヒ・フォン・ヴァイス。上納金の滞納、三期分です」


 三期。一年半分。


 頭の中で、制度の歯車が()み合う音がする。


「情報源は?」


「カイの王都筋と、俺の商人仲間の二系統で裏が取れてます。隣領の穀物相場が不自然に高騰してるのも傍証になりますね。金がないから流通に投資できない、投資できないから物価が上がる。悪循環の典型です」


 リオの声は軽いけど、分析は鋭い。


「上納金三期滞納――領主資格の剥奪事由になりうるか?」


「王国法上はなりますね。実際に発動された例は少ないですけど、規定としては生きてる。つまり――」


「彼は王都に対して巨大な弱みを抱えている」


「ご明察。で、ベッカーの身柄は隣領にある。俺たちには領外への強制力がない。普通なら手詰まり。でも――」


「相手に弱みがあるなら、話は別」


 リオが笑う。こういうとき、この商人との会話は早い。


「リオ。フリードリヒの性格は?」


「小心者で見栄っ張り。領民からの評判は『悪くはないが頼りない』。自分から動くタイプじゃないですが、追い詰められると取引には応じる。商人としては一番やりやすい相手ですよ」


 完璧。


「ユリウスを呼んで。法的な枠組みを詰めます」


「了解。呼びに行きますね」


 リオが部屋を出る。廊下を歩く足音が石壁に反響して、すぐに遠ざかっていく。


 待つ間、天井の石組みをもう一度数えた。十三列目まで数えたところで意識が揺らぐ。駄目だ、寝るな。ステータスを開いて数字を(にら)む。体力値十八。この数字が一桁に落ちたら、本当に動けなくなる。


 廊下から二つ分の足音。リオが戻ってきた。その後ろに、書類の束を抱えたユリウス。


―――


「自由都市連盟規約の身柄引渡し条項、第十四条。結論から言う――直接適用は不可能だ」


 ユリウスが部屋に入るなり、書類の束をベッドの端に置いた。


「隣領は連盟未加盟。条約の当事者じゃない以上、引渡し義務は発生しない。当たり前の話だ」


「想定内です」


「……ああ、そうだろうな。君が『想定外』と言ったのを聞いたことがない」


 皮肉だけど、目は笑ってない。真剣だ。


「代替策は?」


「二つある」


 ユリウスが指を二本立てる。


「一つ目。王国法に基づく正式な身柄引渡し請求。ただしこれは王都の裁判所を経由する必要があり、最短でも二十日。監査まで五日の状況では論外」


「二つ目」


「任意の協力要請。法的拘束力はない。だが――」


 ユリウスの目が光る。合法ざまぁの刃が研がれる瞬間の顔だ。


「――拘束力がないからこそ、相手が『自発的に協力した』という形式が成立する。そしてフリードリヒには、自発的に協力したくなる理由がある」


「上納金三期滞納」


「そうだ。我々(われわれ)がこの情報を王都に報告すれば、フリードリヒは領主資格審査にかけられる。逆に、我々が沈黙を守れば――」


「恩を売れる」


「正確には、恩ではなく『協力関係の構築』だ。脅迫になってはいけない。あくまで『我々は貴殿の事情に理解を示す用意がある。ついてはベッカーなる人物の身柄について協力を願いたい』――この文面なら、形式上は対等な外交文書として成立する」


 パズルだ。法律というパズル。脅すんじゃない。制度の隙間に、互いの利害を()め込む。互いに裏切るより協力した方が得になる構造を、文書の形で作る。


「起草して。今日中に」


「協力要請書の雛形(ひながた)なら昨夜のうちに組んである。隣領との外交案件が浮上した時点で、汎用の骨子は用意しておくものだ。――上納金の件を踏まえた具体的な文面に仕上げるのに、一刻もらう」


 ……だから好きなんだよ、この皮肉屋。先を読んで動く。


 あ、好きっていうのは実務的な意味です。念のため。


「リオ、馬の手配は?」


「これからです。ただ、昼までには押さえます。西街道沿いの中継馬を使えば片道一日半、交渉に半日、帰りも一日半。計算上は三日半です」


「残り五日。一日半の余裕がある――ように見えるけど」


「ええ。あくまで計算上は、ですけどね。計算通りにいかないのが外交です」


「だから俺が行くんでしょ? 計算外を計算に入れるのが商人の仕事ですよ」


 リオが笑う。頼もしい。


 でも――単身で隣領に乗り込むリオの安全は、制度では保証できない。


 その不安を、私は飲み込んだ。


―――


 午後。


 空気が変わった。


 最初に入ってきたのはノアだった。何も言わず寝台の横に膝をつき、私の手首を取って脈を数える。指先が冷たい。薬草の匂いが、さっきより近い。


「……会議は半刻まで。それ以上は身体が保ちません」


 静かだが、有無を言わせない声。ノアが時間制限を切るときは本気だ。


「わかりました」


 ノアが(うなず)いて壁際に下がる。その目は半ば閉じているように見えて、実際には部屋の全員を観察している。


 そこへ、レオンとカイが同時に入ってきた。


 二人の間に、目に見えない壁がある。レオンは入口の右、カイは左。互いに一歩分以上の距離を空けて立ち、視線すら交わさない。


 ミナが寝台の脇で小さく息を()んだ。「……空気が、重い」と唇だけで(つぶや)く。


「報告があります」


 レオンの声が硬い。いつもの硬さとは質が違う。喉の奥で何かを押し殺しているような、低く(きし)んだ響き。


「治安隊の情報漏洩(ろうえい)元について、絞り込みが完了しました」


 来た。あの夜、カイが報告した内通者の影――今、それが形になろうとしている。


「東区廃倉庫の捜索情報を知り得たのは、当日の巡回担当四名。うち二名は捜索開始後も持ち場にいたことが複数の証言で確認済み。残る二名のうち一名は――」


 レオンが言葉を切った。


 カイが代わりに口を開く。


「ディーター。東区担当。旧御用商会の荷運び人夫と同じ酒場に出入り。捜索前日の夜、南門付近で不審な人物と接触」


 それだけ言って、口を閉じた。


 沈黙が落ちる。窓の外で鳴いていた鳥の声が、いつの間にか止んでいた。


 レオンの拳が白くなるほど握り締められていた。そして――椅子の背を(つか)んでいた手が、不意に離れた。椅子が石床に倒れて甲高い音を立てる。ミナが小さく肩を跳ねさせ、咄嗟(とっさ)にミチカの寝台の傍に身を寄せた。


「……カイ。お前はいつからそれを知っていた」


 声が低い。怒りではない。もっと深い――裏切られた人間の声だ。


「三日前」


「なぜすぐに報告しなかった」


「証拠が足りない。状況証拠だけだ」


 カイは一歩も動かない。表情も変えない。レオンの視線を、黒い目で真正面から受け止めている。


「……規則だ。お前の」


 短い一言。


 レオンの足が止まった――が、止まりきれなかった。倒れた椅子の横で、拳を震わせたまま立ち尽くしている。口が何かを言いかけて、閉じる。また開きかけて、閉じる。


 レオンが作った治安隊の規則――容疑者の処分には物的証拠または複数の独立した証言が必要。感情や疑惑だけでは人を裁かない。治安隊を私刑集団にしないための、レオン自身が定めた原則。


 そしてその制度が、今、レオン自身を縛っている。


 長い沈黙だった。壁際のノアが微かに身じろぎしたのが、この部屋で唯一の動きだった。


「……ディーターは、俺が訓練をつけた隊員です」


 レオンの声が、ようやく絞り出された。かすれていた。倒れた椅子を起こす手が震えている。


「毎朝一緒に走り、剣の持ち方を教え、巡回の意味を説きました。仲間です。――仲間を、状況証拠だけで裁くことは」


 言葉が途切れた。椅子の背を握り直す。指の関節が白い。


 ミナが小さく「レオンさん……」と呟いた。声は届かなかったかもしれない。でも、その呟きが部屋の空気をほんの少しだけ和らげた。


「できない。だからこそ制度がある」


 私は言った。


 身を起こそうとして、腕が折れそうになる。ミナが背中に手を添えてくれる。寝台に寄りかかったまま、それでも二人の顔を見据える。横たわったままでも、言葉は届く。


「レオン。あなたが苦しいのはわかります。でも、ここで感情で動いたら、治安隊は『レオン個人の正義』で動く私兵に戻る」


「……」


「制度で裁く。それが、あなたが守りたかったものでしょう」


 レオンが顔を上げた。目が赤い。唇を一度、強く噛んだ。それから――頷いた。


「命令を」


「ディーターを巡回任務から外し、情報接触のない後方業務に配置転換。監視はカイが担当。物的証拠が(そろ)い次第、治安隊規則に基づく正式な審問を行います」


「了解しました」


 レオンの声は、もう震えていなかった。背筋を伸ばし、敬礼して部屋を出る。その足音は、来たときより重い。重いけれど、迷いはない。


 カイが小さく頷く。この二人、相性は最悪だけど、制度という共通言語がある限り、一緒に動ける。


 それでいい。制度とは、相性の悪い人間同士でも協働できる仕組みのことだ。


 壁際でノアが静かに口を開いた。


「半刻です」


「……もう?」


「もう、です。薬湯を持ってきます。飲んでから休んでください」


 有無を言わせない。ノアの「お願い」は命令と同義だ。


 ミナが寝台の横で毛布の端を整えながら、小声で言った。


「……ミチカ様、少しだけ顔色が戻りました。さっきよりは」


 気休めかもしれない。でも、ミナの気休めは不思議と効く。


―――


 夕刻。


 西の窓から差し込む(だいだい)色の光が、石壁を暖かく染めている。中庭の井戸で誰かが水を()む音がする。日常の音だ。この領地の日常を、私たちは守ろうとしている。


 リオが出立の準備を終え、最後の確認に来た。


 ユリウスの起草した協力要請書は完成している。文面は完璧だ。脅迫でも懇願でもない、対等な外交文書。フリードリヒの上納金問題には一言も触れていないが、行間に「我々は知っている」という圧が(にじ)む。


 芸術的だ、と言ったらユリウスは「実務だ」と返した。私の口癖を盗むな。


「じゃ、行ってきますよ、領主様。明朝の馬も押さえてあります」


「リオ。一つだけ」


「はい?」


「フリードリヒが協力を拒んだ場合の撤退ラインは、交渉三回目の拒否。それ以上は粘らないで」


「わかってますよ。商人は引き際が命です」


 リオが(かかと)を返しかけた、そのとき。


 廊下の向こうから、走る足音。石壁に反響して近づいてくる。


 カイだ。


 息が荒い。カイが息を乱すのは、初めて見た。手が泥で汚れている。爪の間にまで黒い土が詰まっている。


「――新情報」


 カイが一枚の紙片を差し出す。


「午後、南門に伝令。リオの商人仲間筋。裏取りのため東区廃倉庫跡を掘った。隠し文書。内容が一致」


 だから手が汚れているのか。伝令の到着から廃倉庫跡の掘削、そして裏取りの確認まで――午後の会議が終わってからの数刻を、カイは全力で走り回っていた。


「ベッカー。隣領で拘束されているのではない」


「……どういうこと?」


「保護と引き換えの強制。偽造文書。内容不明。ただし――」


 カイの目が、珍しく感情を映していた。


「――隠し文書に期限の記載だけあった。完成期限。監査前日」


 部屋の空気が凍った。


 期限だけが記されていた。完成すべき文書の中身は記されていない。指示系統を秘匿するために、内容と期限を別々(べつべつ)に管理している――そういうやり方だ。


 冤罪(えんざい)告発状だけじゃない。第二宰相派は、監査当日に追加の偽造証拠を投入するつもりだ。ベッカーはその道具として使われている。


 拘束じゃなく、強制労働。


 保護という名の、鎖。


「情報源の信頼度は」


「七割」


 七割。カイが七割と言うなら、実質八割以上だ。


 リオが振り返った。顔から軽さが消えている。


「文書の完成が監査前日だとすると――俺が着くのも最速で監査前日の朝。交渉してる時間がない」


「移動中に交渉を済ませる方法がある」


 ユリウスが腕を組んだ。


「協力要請書を先行して早馬で送れ。リオが着く前にフリードリヒに読ませておく。リオの到着が交渉ではなく『回答の受け取り』になれば、半日分の時間を圧縮できる」


「それでも、ベッカーの身柄確保と帰還で――」


「一日の余裕もない」


 計算上の一日半の余裕は、カイの新情報で消えた。文書が完成する前にベッカーを確保しなければ、監査当日に何が飛んでくるかわからない。


「偽造文書の内容が不明なのが最悪だ。何を書かされているかわからない以上、防御の組みようがない」


 ユリウスの声に、珍しく焦りが滲む。


「だから確保するんです」


 私は言った。寝台に横たわったまま、天井の石組みを見上げて。


「ベッカーを取り戻す。文書が完成する前に。それが最善で、おそらく唯一の策です」


 リオが、ふっと笑った。商人の笑みじゃない。覚悟を決めた人間の笑みだ。


「了解。計画を変更します。明朝、日の出と同時に発ちます。早馬の手配もついでにやりますよ。――昼発ちじゃ間に合わない」


 当初の計画では昼までに馬を押さえて出発するはずだった。カイの新情報が、その半日の猶予を奪った。


「リオ」


「はい?」


「……無事に帰ってきてください。それは命令です」


「はは、無茶な命令だなぁ」


 軽く言って、リオは部屋を出た。


 その足音が遠ざかるのを、私はずっと聞いていた。石壁に反響する音が消えるまで。


 ミナが窓辺に立って、リオが中庭を横切っていく姿を見送っていた。


「……リオさん、笑ってました。でも、目が笑ってなかった」


 小さな声だった。でも、この部屋にいる全員の思いを、その一言が(すく)い上げていた。


―――


 夜。


 ノアが薬湯を持ってきた。苦い。顔をしかめたら、ノアが無言で蜂蜜を一(さじ)足してくれた。少しだけ飲みやすくなる。


「……ありがとう、ノア」


「仕事です」


 それだけ言って、ノアは薬湯の椀を下げ、寝台の横に畳んだ替えの毛布を置いた。夜は冷える。石造りの部屋は昼の熱を()めない。ノアはそういうことを、言われる前にやる。


 ミナが毛布をかけ直してくれる。その手が温かい。


「ミチカ様。明日のお薬、枕元に置いておきますね。……朝、ちゃんと飲んでくださいね?」


「飲みます。命令だと思って」


「ふふ、それはミチカ様の台詞です」


 ステータスを開く。体力値十七。朝より一つ下がっている。ストレス値は――九十二。


 ……上がってる。


 でも、頭は回る。回るうちは、戦える。


 明日、リオが単身で隣領に向かう。一日の余裕もない行程を。


 レオンは内通者ディーターの処分判断を抱えたまま、治安隊を指揮し続けなければならない。


 ユリウスは監査対応の最終準備。


 カイは監視と情報収集。


 ノアは衛生管理と私の体調管理。半刻の制限を私に課しながら、自分は夜通し薬を調合している。


 そしてミナは――全員の間を(つな)ぐ、見えない制度の潤滑油。誰も言葉にしない不安を、小さな呟きで掬い上げる。


 一人じゃ何もできない体になった。でも、一人じゃないから何とかなる。


 それが、私が作りたかった統治の形だ。


 窓の外は暗い。月も出ていない。石壁の向こうで、夜番の治安隊員が巡回する足音だけが規則正しく響いている。あの中に、ディーターはもういない。後方に配置転換された彼は、今何を思っているのだろう。


 石壁の向こうで、夜番の足音が遠ざかっていく。


 残り五日。


 時計の針は、誰にも止められない。

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