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女も子供も家督不可? 追放先の自治領を立て直したら、いつの間にか天下を取っていました  作者:


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第38話:領主不在の合議

 意識が、落ちた。


 正確に言うと――会議の途中で、視界がぐにゃりと(ゆが)んで、机の上に広げた書類の文字が全部溶けた。


 会議室には全員がいた。ユリウス、リオ、レオン、カイ、ミナ。ノアだけは衛生検査の報告書を届けに来た帰りで、まだ扉の近くに立っていた。


 あれ、おかしいな。


 インクが(にじ)んでるのかな、と思った次の瞬間、世界が横に倒れた。


「ミチカ様っ!!!」


 ミナの悲鳴が、水の底から聞こえるみたいにぼやけて響いた。


 椅子から崩れ落ちる感覚。でも地面にぶつかる衝撃は来なかった。


 代わりに、硬い腕が背中と膝の裏に差し込まれて、ふわっと持ち上げられる。


「――レオン、そのまま寝台へ」


 ノアの声だ。低くて、いつもより少しだけ速い。


「了解しました」


 短い返事。レオンの声が胸の振動で伝わってくる。


 ああ、お姫様抱っこだ。これ、少女漫画のやつだ。


 ……いや、今そういう感想言ってる場合じゃないんだけど。体が動かない。目も開かない。意識だけがぼんやり残ってて、でもそれすら遠くなっていく。


「脈は安定してる。だが――」


 ノアが何か言ってる。


「過労だ。睡眠不足、栄養不足、精神的負荷。全部が限界を超えてる。最低二日、絶対安静」


 二日。


 だめだ、二日も寝てられない。ベネディクトの封書の件がまだ――


「ミチカ様、ミチカ様……!」


 ミナが泣いてる。


 ごめんね、ミナ。大丈夫だから。


 大丈夫、だから――


 そこで、意識が完全に途切れた。


―――


「……で、どうする」


 沈黙を破ったのは、ユリウスだった。


 ミチカが寝台に運ばれた後、ノアはそのまま寝室で診察に入った。レオンは搬送を終えてすぐ会議室に戻り、ミナはノアから「容態は安定している、戻って」と告げられて会議室に合流した。


 残ったのは五人。ユリウス、リオ、レオン、カイ、そしてミナ。


 机の上には、ミチカが倒れる直前まで書き込んでいた今週の業務一覧表が広がっている。びっしりと埋まった項目。その半分以上に「ミチカ確認」の印がついていた。


「……多すぎるだろ、これ」


 リオが(つぶや)いた。いつもの軽い口調は消えている。


「物流ギルドの日次報告、治安隊の巡回計画承認、上水管理の検査記録確認、監査対応書類の最終チェック、情報班からの報告受理。全部一人で見てたのか、あの子」


「毎晩。明け方まで」


 カイが短く答えた。


「灯り、ずっとついてた」


 全員が黙った。


 ユリウスが眼鏡の位置を直す。その手が、ほんの少しだけ震えていた。ミナだけがそれに気づいて、唇を()んだ。


「……泣いてる暇はない。指揮系統が空白になった。これは制度の欠陥だ」


 ユリウスの声が、いつもの皮肉の(とげ)を脱ぎ捨てて、ただ冷静だった。


「五制度起草の際、ミチカは各制度に責任者を置いた。治安隊はレオン、物流ギルドはリオ、上水管理と衛生はノア、情報班はカイ、法務と監査対応は俺だ。つまり――」


 机の上の書類を五つに分ける。


「各自の制度領域については、自律判断の権限がある。


 ミチカが倒れた今、臨時代行として五人が各自の領域を回す。


 法的根拠は自治領令第七条――ミチカ自身が起草段階で『自分が動けなくなった場合』を想定して設けた条文だ。


『領主不在時の制度運営は各制度責任者の合議による』。


 あの子は最初から、自分が倒れる可能性を織り込んで制度を書いてた」


「……あの子、自分が倒れる前提で制度を組んでたのか」


 リオが苦笑した。


「想定してたんじゃない。制度を作る人間は、自分がいなくても回る仕組みを作るのが仕事だと――そう言ってた」


 ミナが静かに言った。涙の跡が頬に残っている。でも、声は震えていなかった。


「ミチカ様は、いつもそう仰ってました」


 レオンが立ち上がる。拳を一度きつく握り、それからゆっくり開いた。守れなかった悔しさを飲み込むように。


「治安隊は俺が回します。巡回を通常の一・五倍に増やし、ベネディクトの動きを封じます」


「物流は俺が見る。今日の配給と明日の仕入れ、止めたら民が困る」


 リオも椅子を引いた。立ち上がりざま、業務一覧表の「物流ギルド」の項目に視線が落ちる。ミチカが毎日確認していた数字の群れ。リオは一瞬だけ唇を引き結んでから、表を手に取った。止めるわけにはいかない。


「監視。継続」


 カイが立つ。短く(うなず)き、それだけだった。


「俺は監査対応書類の整理と、万が一の法的問題への対処を引き受ける。ミナ」


 ユリウスがミナを見た。


「あなたにはミチカの傍にいてもらう。目が覚めたら、状況を正確に伝えてほしい。それが今、一番大事な役割だ」


「……はい」


 ミナが頷いた。


 五人が、それぞれの持ち場へ散っていく。


 誰も迷わなかった。


 制度が、人を動かしていた。


―――


 ベネディクトが動いたのは、その日の午後だった。


 広場の井戸端に人が集まる時間を狙い、穏やかな笑顔で領民に語りかけ始めた。


「皆さん、お聞きになりましたか。領主様が倒れられたそうです」


 (ささや)くような声。だが、よく通る。


「幼い少女に、大人でも耐えられぬ重荷を背負わせた結果です。これは神の御心に反している。本来、統治とは――」


 井戸端の空気が揺れた。


 年配の女が隣の者の袖を引き、「やっぱり、あんな小さな子に……」と声を落とす。若い男が腕を組み、黙ったまま頷いた。不安は伝染する。ベネディクトの言葉は、種を()くように静かに、しかし確実に広がっていった。


「ベネディクト殿」


 割って入ったのは、マティアス司祭だった。


 レオンが巡回を一・五倍に増やした直後だった。広場を通った隊士がベネディクトの演説を察知し、詰所経由でマティアスに急報を入れた。マティアスは教会から走ってきたらしく、法衣の裾がわずかに乱れている。


 質素な法衣。穏やかな目。だが、その声には芯がある。


「領民顧問祭司として、一つ申し上げてよろしいですかな」


 ベネディクトの目が、ほんの一瞬だけ細くなった。


 領民顧問祭司。世俗法上の保護を受ける聖職者の立場。教会法の管轄外で、しかし領民の精神的福祉を担う制度上の存在。


 つまり――ベネディクトが教会の権威で黙らせることができない相手。


「領主様は倒れられました。それは事実です」


 マティアスが領民たちに向き直る。


「ですが、皆さんの暮らしは今日も回っています。配給所には朝から穀物が届きました。巡回の隊士たちが通りを歩いています。井戸の水は、今朝も検査済みです」


 先ほど不安を口にした年配の女が、はっとした顔で配給所の方を見た。確かに、今朝も並んで穀物を受け取った。いつもと変わらず。


「これは偶然ではありません。領主様が作った制度が、領主様がいなくても民を守るように設計されているからです。一人の少女の献身に頼るのではなく、仕組みで皆さんの生活を支える――それが、この領の統治です」


「しかし、それは――」


 ベネディクトが口を挟もうとした。


「神の御心に反する、と仰りたいのですかな」


 マティアスが穏やかに、しかし確実に遮った。


「では問います。民が飢えず、水が清く、夜道が安全であること。これが神の御心に反すると、どの聖典の何章何節に書いてありますか」


 沈黙。


 領民たちの視線が、ベネディクトに集まる。腕を組んでいた若い男が、ゆっくりとその腕を解いた。


「……ふむ。マティアス殿のお言葉、なるほど道理ですな」


 ベネディクトは笑顔を崩さなかった。穏やかに頷いてみせてから、背を向ける。


 だが、去り際に――振り返りもせず、独り言のように呟いた。


「制度が万能であるかどうか。それを証す機会は、遠からず訪れましょう」


 聞こえるか聞こえないかの声。だが、マティアスの耳には届いていた。


 広場に残った領民たちは、やがて日常の会話に戻っていく。配給の量が安定していること、巡回の隊士が今日も通りを歩いていたこと――制度が作った日常が、言葉よりも確かに不安を溶かしていた。


―――


 翌朝。ミチカの寝室。


 ノアは夜通し二刻おきに寝室を巡回し、脈と呼吸を確認していた。明け方、容態が完全に安定したのを見届けてから、ミナに申し送りを済ませた。


「熱が下がった。脈も整っている。目が覚めたらすぐ呼べ。薬湯を調合してくる」


 それだけ言い残して、ノアは隣室の調合室に入った。扉は開けたままだ。


 枕元の椅子には、ノアの記録帳が残されていた。


 ――ステータスを開けるのはミチカ本人だけだ。ノアが普段参照しているのは、ミチカが以前、健康管理用に自分のステータスの一部を書き写した記録帳。


 だが、今回はノアの手元にもう一つの数値があった。


 ミチカが倒れる直前、意識が途切れかける数秒間――ステータス画面は開いたままだった。完全に意識を失えば画面は閉じる。だが、あの数秒、崩れ落ちながらもまだ意識の残滓(ざんし)がある間、画面は宙に浮いていた。


 ノアは医師だ。患者の容態が急変した瞬間、目の前に浮かぶ数値を読まない医師はいない。レオンがミチカを抱き上げるまでの二、三秒。ノアの目は、訓練された反射で画面の数字を拾っていた。


 記録帳に、ノアの筆跡で数値が書き加えられている。


『ストレス値:87』


 通常の人間の危険域は七十。それを大幅に超えている。


 そしてノアは、その数値が示すものを――ミチカの身体に刻まれた痕跡として、すでに確認していた。


 診察の際に見た、以前より明らかに光沢を失った髪。唇から退いた血色。目の下に沈んだ深い(くま)。十代の少女の体が、限界を超えて摩耗している証拠だった。


 記録帳を遡る。一ヶ月前は四十二。二週間前は六十一。そして昨日、八十七。


 上昇曲線が急すぎる。


 制度を作り、人を動かし、敵を退け、領民を守る。その全てを、十代の少女の心身が一手に引き受けていた。


「……統治者の健康管理が、制度に組み込まれていない」


 ノアは記録帳に新しい項目を書き加えた。


『要検討:領主の稼働限界値を制度的に管理する仕組みの構築』


 これは医療の問題じゃない。制度の問題だ。


 一人に依存する統治は、その一人が倒れた瞬間に止まる。今回は五人がいたから回った。だが、この脆弱(ぜいじゃく)性を放置すれば――


 ノアはペンを置き、調合室の棚から薬草を取り出した。


 ミチカの寝顔を扉越しに見る。普段の鋭さが(うそ)のように、ただの子供の顔だった。


「……まず、寝ろ」


 ノアが小さく言った。


 それは診断であり、祈りだった。


―――


 ――丸一日後。


 どれくらい眠っただろう。


 最初に戻ってきたのは、体の重さだった。まるで全身に()れた毛布を巻きつけられたみたいに、指一本動かすのがひどく億劫(おっくう)だ。


 目を開けると、天井が見えた。自分の部屋の天井だ。


「……あれ」


 声がかすれてる。喉がからからで、頭の奥がずきずきと鈍く痛む。


「ミチカ様!」


 ミナが飛び起きた。椅子で寝ていたらしい。目が真っ赤だ。


「お水、お水持ってきますね……!」


「ミナ、待って」


 右手を上げようとしたけど、指先がしびれていてうまく力が入らない。仕方なく、声だけで呼び止める。


「……今、何日?」


「倒れてから丸一日です。まだ一日しか経ってません」


 一日。ということは、まだ安静期間の半分も終わってない。


 体を少し動かしてみる。背中が寝台に張りついたように重い。腕も脚も、自分のものじゃないみたいだ。


「みんなは」


「はい、あの――」


 ミナが、少し誇らしそうに笑った。


「ユリウス様が法的根拠を整理して、五人で制度を回す体制を作りました。リオ様が物流ギルドを回して、今日の配給も滞りなく。レオン様が巡回を強化して、ベネディクト様の扇動を――」


「扇動?」


「はい。でも、マティアス様が領民顧問祭司として公開反論されて、領民の皆さんは落ち着いています。レオン様が増やした巡回の隊士が、ベネディクト様の動きを察知してマティアス様に急報を入れたそうです」


 ……マティアスさん。巡回強化がそこに(つな)がったか。


 あの制度を作っておいてよかった。本当に。


「カイ様は監視を続けていて、ノア様は――夜通し二刻おきにミチカ様の容態を確認されてました。明け方に容態が安定したので、わたくしに申し送りをして、今は隣の調合室で薬湯を――」


「制度で、回ってるんだ」


「はい」


 ミナが頷く。


「ミチカ様が作った制度が、ミチカ様がいなくても、ちゃんと」


 ――ああ。


 これだ。


 これが欲しかった。


 私一人が頑張って回す統治じゃない。仕組みが人を動かして、人が仕組みを守る。誰か一人が倒れても、止まらない。


 ……泣きそう。いや、泣いてるかも。視界がぼやけてる。頭痛のせいか、涙のせいか、もうよくわからない。


「ミチカ様、お水――」


「ありがとう、ミナ」


 水を受け取ろうとして、指がうまく杯を(つか)めなかった。ミナが支えてくれて、やっと一口飲んだ。体に()みる。喉の奥が、じんと熱くなった。


「もう少しだけ、寝るね」


「はい。ゆっくり――」


 その時だった。


 廊下を走る足音。速い。


 扉が開く。


「――カイ?」


 カイが立っていた。息が荒い。カイが息を切らしているのを見るのは、初めてかもしれない。


「早馬。王都から」


 短い言葉。だが、その目が全てを語っていた。


「第二宰相派。正式な監査団。出発した」


 空気が凍る。


「到着予測は」


「五日」


 五日。


 ノアが命じた絶対安静は最低二日。回復に必要な時間を考えれば、まともに動けるのは三日後がいいところ。


 つまり――準備期間は、実質二日。


 体を起こそうとした。腕に力を込めた瞬間、視界がぐらりと傾いて、背中が寝台に引き戻される。腕が震えて、そのまま力が抜けた。頭痛が鋭く跳ねる。


「……監査団の規模は」


 それでも、声だけは出した。


「書記官四。護衛十二。団長、グレゴール(きょう)の名代」


 グレゴール。あの第二宰相派勅使。署名を強いられた屈辱の報復。来た。予想はしてたけど、このタイミングで来るか。


 あの監査対応標準化の枠組み。それが本格的に試される。


「カイ、ユリウスに伝えて。全員を――」


「ミチカ様」


 ミナが、静かに、でもはっきりと遮った。


「今は、寝てください」


「でも――」


「制度で回ります。ミチカ様が作った仕組みが。だから――今だけは、制度を信じてください」


 ……ミナに言われちゃった。


 自分で作った制度を、自分が信じないでどうする。


「……わかった」


 枕に頭を沈める。


 体が重い。指先はまだしびれている。でも、頭の中はぐるぐる回ってる。


 五日後に来る監査団。回復が間に合うかどうかわからない私。制度で回る領。でも、王都の権威による正式な審問は、制度の正当性そのものを問うてくる。


 仲間たちだけで、迎え撃てるのか。


 いや――迎え撃てるように制度を作ったはずだ。


 信じろ、自分。信じろ、仲間を。信じろ、制度を。


 目を閉じる。


 このときの私はまだ知らなかった。


 五日後に到着する監査団が携えているものが、単なる監査令状ではなく――自治領宣言そのものを無効化しうる、王璽局の公印付き特別勅令であることを。

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