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女も子供も家督不可? 追放先の自治領を立て直したら、いつの間にか天下を取っていました  作者:


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第37話:封蝋の色

 眠い。


 圧倒的に、眠い。


 昨夜はベネディクト封書の処遇で議論が紛糾し、結局まともに寝られたのは二時間あるかないか。前日は領民顧問条例の徹夜起草。その前は教会査察使対応。


 ……私、いつ寝たっけ?


「ミチカ様、お顔色が」


「大丈夫です、ミナ。実務です」


 ミナが差し出してくれた白湯を一口。あったかい。ありがたい。指先がじんわり温まるのが分かるのに、頭の芯だけがぼんやり重い。でも今は眠気より優先すべきことがある。


 朝の鐘が鳴ると同時に、私は緊急会議を招集した。


 場所は領主館の小会議室。東向きの窓から差し込む朝日がまだ弱く、卓上の蝋燭(ろうそく)が二本、(だいだい)色の光を揺らしている。石壁に染みついた古い(ろう)の匂い。冬の朝特有の、吐く息がうっすら白くなる冷気。


 出席者はユリウス、リオ、カイ、レオン、ノア。マティアス司祭にも声をかけたが――


「マティアス殿には今回、欠席を進言した」


 ユリウスが先に口を開いた。


「ベネディクトの赴任直後にマティアスが領主側の密議に参加していたと知れれば、教会内での立場が危うくなる。領民顧問としての公的な役割と、非公式な会議への参加は分けておくべきだ」


 正しい判断だ。ユリウスの進言を受けて、私もそう決めた。


「さて」


 私は卓上に置かれた封書――管区本部の公印と第二宰相派の宛名が記された、あの厄介な代物を見下ろした。


「この封書の開封条件を、今日中に制度的に設計します。命令」


 ユリウスが手元の書類を広げた。


「結論から言う。先例としては『王都勅使の署名先例』が最も近い。公開審査会形式で複数の権威ある立会人を置き、合法的に開封する――という手順だ」


「それでいけるんですか?」


「いけない」


 即答。


 ユリウスは自分で提案しておいて自分で否定するという、相変わらずの一人芝居をやってのけた。もっとも本人に言わせれば「選択肢を潰すのも立派な法務作業」らしいが。


「現状、この領に王都勅使はいない。


 第一宰相派も第二宰相派も、勅使を引き上げた後だ。


 公開審査会を開いたところで、王都公印を持つ立会人がいなければ正当性が足りない。


 ――つまり、正面突破は封じられている。


 わざわざ勅使を引き上げた理由の一つが、おそらくこれだろうな」


「……最初から封書を開けさせないための布石だった、と?」


「さすがにそこまでは断言しないが、結果的にそうなっている。偶然にしては都合が良すぎる――というのが、私の皮肉屋としての見解だ」


 リオが小さく口笛を吹いた。「えげつないね、王都って」


「詰んでいるが、道がないわけじゃない」


 ユリウスが指を二本立てた。


「公的開封の条件は二つ。


 一つ、『被害当事者の申立て』。


 封書の内容によって直接の被害を受けた者が、自らの権利回復のために開封を申し立てる場合。


 もう一つ、『王都公印を持つ立会人の承認』。


 どちらかを満たせば、信書の権利を侵害せずに開封できる。


 王国法第七章第三十二条――正確には、その規定の趣旨を類推適用する形になる。


 条文そのものは王都間の信書を想定しているが、原理は同じだ」


 被害当事者の申立て、か。


 封書の中身は教会強硬派と第二宰相派の連絡文書だと推測される。つまり被害当事者は――この領の民であり、私自身だ。ただし、中身を確認するまで「被害」を立証できない。中身を確認するには開封が必要。


 ……立証と開封が互いを前提にしている。この堂々(どうどう)巡りを、どう崩すか。


「ユリウス、被害当事者の申立てって、被害の蓋然性でいけます? 確定じゃなくて」


「鋭いな。判例はない。だが、判例がないということは否定もされていないということだ。――作ればいい。前例がないなら、我々(われわれ)が前例になる。面倒だが、そういう仕事を選んだのは誰だったか」


 最後の一言は明らかに私に向けられた皮肉だったが、反論する気力がない。事実だし。


 ここでノアが口を開いた。短く、静かに。


封蝋(ふうろう)の件」


 全員の視線がノアに集まる。


「封書の封蝋を確認した。管区本部の公印は正規のものだが、蝋の色が通常の教会通信用と異なる。通常は深紅。この封書は暗褐色。非公式の特別便に使用される色だ」


「……それ、どこで知ったの?」 リオが目を丸くした。


「記録官補佐として教会の物資管理を手伝ったことがある。その際に封蝋の種類を記録した。色の違いは用途の違いを示す。暗褐色は――記録上、機密扱いの通信にのみ使用される」


 ユリウスが片眉を上げた。「……つまり、この封書が通常の教会内通信ではなく機密通信である物的証拠がある、と」


「そうなる」


「使えるな。被害の蓋然性を主張する際の傍証になる。通常の事務連絡をわざわざ機密扱いにする理由はない――よほど後ろ暗い内容でなければ」


 ノアは小さく(うなず)いて、それ以上は何も言わなかった。必要なことだけを、必要な分だけ。いつものノアだ。


「……この議論、後で詰めます。先にリオ、王都の動向」


 リオが片手を挙げた。


「はいはい、商人の出番ね。隣領のルートで仕入れた情報――王都の第二宰相派、動いてるよ。間違いなく」


 リオの表情がいつもの軽さを残しながらも、目だけが真剣だった。


「隣領の穀物商が言うには、三日前に王都から南街道を使って密使が出た。行き先は明言されてないけど、この方面に向かってるのは確実。しかも二名。一人は文官風、もう一人は護衛付き」


「裏付け」


 カイが短く言った。全員の視線が集まる。


「領境監視網。二日前夜、南街道分岐。早馬二騎。一騎は東、教会管区方面。もう一騎、直進。この領へ」


 リオの情報とカイの監視網が一致する。二つの独立した情報源が同じ結論を指している。


 第二宰相派が封書の存在を察知した。


 いや――「察知した可能性がある」じゃない。もう動いている。


「……早いですね」


「当然だろう。ベネディクトが入領した時点で、荷駄の中身に何が含まれているかは送り手が一番よく知っている」


 ユリウスの指摘に、私は奥歯を()んだ。


 そうだ。封書を発見したのは私たちだけど、封書を送ったのは管区本部だ。ベネディクトが予定通りに封書を届けられなければ、送り手は当然「何かあった」と判断する。


 考えている暇はなかった。


―――


 昼過ぎ。


 ベネディクトが領主館を訪れた。


 応接間の扉が開く前に、廊下を歩く足音が聞こえた。(つえ)をつく規則正しい音。ゆっくりと、しかし一歩も迷いのない歩調。


 扉が開き、冬の廊下の冷気が一瞬だけ室内に流れ込んだ。暖炉の火がわずかに揺れる。


「ミチカ殿。お忙しいところ恐縮ですが、一つお願いがございまして」


 穏やかな笑み。柔らかい物腰。後任司祭としての礼節を完璧に(まと)った老人。


 私はベネディクトの目を見た。笑っている。口元も、頬も、額の(しわ)も――すべてが穏やかだ。だが、その穏やかさには隙がない。まるで鋳型に流し込んだように完璧な笑顔。長年の交渉で身につけた仮面だと、直感が告げている。


 ――そして、その直感を裏付けるように。ベネディクトの右手が、杖の握りをほんの少しだけ強く握っていた。指の関節が白い。穏やかな人間は、杖をあんな握り方はしない。


 ステータスオープンを使いたい衝動を抑える。以前ユリウスに確認した通り、教会の高位聖職者は叙任時に神聖付与を受けている。ステータスの読み取りに干渉が入り、正確な判定ができない。下手に使えば、こちらの手札を(さら)すだけだ。


「私の荷駄に含まれておりました書簡の件でございます。あれは管区本部からの正式な教会内通信でして、信書の権利により、本来は私の管理下に置かれるべきものかと」


 来た。


 法的攻勢だ。


 ベネディクトの言い分は筋が通っている。信書の権利は王国法でも教会法でも保護されている。宛先人でも差出人でもない第三者が信書を保持する法的根拠は、通常ならない。


 思考を巡らせる。だが――一瞬、言葉が出てこなかった。疲労のせいだ。二時間の睡眠では、頭の回転が明らかに鈍い。普段なら即座に返せる応答が、半拍遅れる。


 その半拍を、ユリウスが埋めてくれた。


「ベネディクト殿。信書の権利について仰るのはごもっともです。――ただ、一点確認させていただきたい」


 ユリウスが穏やかに、しかし刃のような精度で言葉を差し込んだ。


「『正式な教会内通信』とのことですが、通常の教会内通信に使用される封蝋は深紅と承知しております。当該封書の封蝋は暗褐色――機密扱いの特別便に用いられる色ですね。正式な通信であれば、なぜ機密便の封蝋が?」


 ベネディクトの笑みが、ほんの一瞬だけ固まった。杖を握る指が、さらに強張る。すぐに笑顔が戻ったが――遅い。私でも気づくほどの、明確な動揺。


「……封蝋の色は、管区本部の事務的な判断でしょう。私が関知するところではありません」


「なるほど。では、中身もご存じない?」


「信書の秘密は、受取人にも保障されるものです」


 巧い返しだ。中身を知らないとも知っているとも言わず、制度の壁で遮断した。


 ユリウスが口を開きかけた。だが、その前に――私は自分の声を出した。半拍遅れでも、ここは私が言わなければならない。


「ベネディクト殿」


 丁寧に。感情的になったら負けだ。


「ご指摘はごもっともです。信書の権利は当然尊重いたします。――ただし」


 私はベネディクトの目をまっすぐ見た。


「当該封書は、領内の安全に関わる物証として、自治領の監査権に基づき一時保管しております。


 封蝋の種別が通常の教会内通信と異なる以上、『正式な教会内通信』という前提そのものに疑義がある。


 先例がないことは、違法であることとは異なりません。


 ――返還の可否については、公的な手続きを経て判断いたします」


 ユリウスの法理と、ノアの物証と、私自身の判断。三つを束ねて、一つの宣言にした。


 ベネディクトの笑みが、今度は固まらなかった。むしろ――深くなった。


「……なるほど。では、その蓋然性をどのように立証なさるおつもりで?」


「それは追って公的な場で申し上げます」


 会話を切った。今ここで手の内を全て見せる必要はない。


 ベネディクトは深く一礼して退出した。最後まで穏やかだった。杖の音が廊下に遠ざかり、完全に消えるまで、誰も口を開かなかった。


 ――その穏やかさが、逆に怖い。


 扉が閉まった後、ノアが静かに言った。


「退出時、ベネディクトの左手が法衣の内側に触れた。一瞬だけ。何かを確認する動作に見えた」


「……法衣の内側に何がある?」


「不明。だが、封書以外にも持ち込んでいるものがある可能性」


 ノアの観察眼。会議中も、対面中も、この人はずっと見ている。言葉にしないだけで、全てを。


「ノア、引き続きベネディクトの動きを注視して。些細(ささい)な変化でも報告を」


「了解」


―――


 深夜。


 執務室の蝋燭は残り二本。炎が小さく揺れるたびに、壁に私の影が大きく伸びたり縮んだりする。窓の外は月のない夜で、ガラス越しに見えるのは自分の顔だけだ。目の下の(くま)が、蝋燭の光でいっそう濃く見える。


 私は封書の開封手続きの条文案を練っていた。だが、文字が(にじ)む。ペンを持つ手が微かに震えている。寒さのせいか、疲労のせいか。たぶん、両方。


 ミナが毛布を肩にかけてくれて、「少しは寝てください」と言われたのが半刻前。「もう少しだけ」と答えたのも半刻前。もう少しがいつまでも終わらない。


 レオンが扉の前に立っている気配がする。いつもの同室警護。時折、革鎧(かわよろい)が微かに(きし)む音。それ以外は、沈黙。


 その静寂を破ったのは、カイだった。


「――捕縛した」


 執務室の高窓――通常の窓とは別に設けられた、カイ専用の連絡経路として私が使用を許可した通気窓から、カイが音もなく滑り込んだ。施錠は内側からのみ解除可能な特殊金具で、カイの出入りを前提に改修してある。


 レオンが反射的に剣の柄に手をかけ、半歩踏み出す――が、カイの姿を認めて止まった。握った柄をゆっくり離す。その手が、わずかに震えていた。通気窓からの侵入と分かっていても、深夜に人影が現れれば身体が反応する。レオンの練度が(うかが)える一瞬だった。


「封書保管庫。侵入者一名。拘束済み」


「詳細」


「男。元御用商会下請け。所持品、火打ち石と油壺(あぶらつぼ)。封書奪取と保管庫放火を企図」


 放火犯。


 御用商会の残党がまだ領内に潜んでいた――あの商会解体の時から懸念していたことが、最悪の形で的中した。


 しかも封書を奪うだけじゃない。保管庫ごと燃やすつもりだった。証拠隠滅。物理的な、最も原始的で確実な方法。


「カイ、よくやった。連れてきて」


 尋問は即座に行った。


 地下の拘留室。石壁に染みついた湿気と、松明一本分の薄明かり。男は三十代半ば。元御用商会の下請けで、商会解体後は領内を転々(てんてん)としていた。カイの情報網には引っかかっていたが、ここ数日は姿を消していた。


 男の手首には縄。その横に、カイが押収した所持品が並べてある。火打ち石、油壺、そして――小さな革袋。中身は銀貨。数えるまでもなく、日雇いの人間が持てる額ではない。


「誰の指示?」


「……知らねえ。金を渡されただけだ」


 私は男の目を見た。視線が泳いでいる。声は強がっているが、膝が小刻みに震えている。――(うそ)をついている。ステータスを開くまでもなく分かる。


 だが、ここで「嘘だ」と詰めても意味がない。この手の人間は、追い詰められると口を閉ざす。


 私は視線を男から外し、横に並んだ所持品に落とした。――落とした瞬間、意識がほんの一瞬だけ途切れかけた。瞬きの間に、視界の端が暗くなる。駄目だ。集中しろ。


「この銀貨、御用商会の刻印が入っていますね」


 カイが頷いた。「商会解体時の残存資金。流通経路、限定的」


「つまり、この銀貨を渡せる人間は限られる。御用商会の元締めか、その資金を引き継いだ誰か」


 男の肩が強張った。


「もう一つ」


 私は続けようとして――言葉の順序を間違えかけた。油壺の話を先にすべきか、男の立場を揺さぶる話を先にすべきか。普段なら迷わない組み立てが、頭の中で一瞬もつれる。


 ――油壺が先だ。物証で外堀を埋めてから、心理的に追い詰める。順番を間違えるな。


「油壺の中身、カイ」


「精製油。市場品ではない。教会灯明用の特注品」


「……教会ルートの精製油を、一般の下請け職人がどうやって手に入れたんでしょうね」


 男の顔色が変わった。


 銀貨の出所と油の入手経路。二つの物証が、この男の背後に「ただの金主」ではない組織的な存在がいることを示している。


「あなたに聞きたいのは、誰に雇われたかじゃありません」


 私は男の目を見据えた。見据えながら、自分の焦点が微かにぶれているのを自覚していた。目を開けているのに、視界の輪郭が甘い。


「聞きたいのは――あなたが捕まった今、雇い主があなたをどうするつもりか、あなた自身が分かっているかどうかです」


 沈黙。


 男の喉仏が上下した。


「放火未遂で捕まった下請け職人。雇い主にとっては、口を割られたら困る存在。口を割らなくても、捕まった時点で用済みです。――あなたを助けに来る人は、いません。来るとしたら、口を塞ぎに来る人です」


 男の目が揺れた。恐怖。それも、私の言葉に対する恐怖ではない。私が言語化したことで、男自身がずっと感じていた不安が形を持ってしまった――そういう種類の恐怖だった。


「……エルヴィン様だ」


 声が、搾り出すように小さかった。


「エルヴィン様の使いの者から、封書を取り戻せと」


 エルヴィン。


 その名前を聞いた瞬間、公開論破の日の記憶が鮮明に(よみがえ)った。


 大広間で、私の前に立ちはだかった男。


 教会査察使としての権威を盾に、この領の自治権を否定しようとした――あの男。


 最後に追い詰められた時の、血の気が引いた顔。


 歯を食いしばり、それでも笑みを崩すまいとして失敗した、あの(ゆが)んだ表情。



 あの場で公然と面目を潰された人間が、次にどう出るか。


 ――答えが、今ここにある。


「エルヴィンの使い。その使いの者は、エルヴィン個人の部下ですか? それとも、もっと上から来た人間ですか?」


「……」


「エルヴィンは公開論破でこの領に面目を潰された人間です。あの立場で、独断で放火工作を命じる? リスクに見合わない。――エルヴィンに指示を出している人間がいますね。王都に」


 男が唇を噛んだ。否定しない。


 ここで、初めてステータスを開いた。最終確認のために。


 嘘反応――なし。男は嘘をついていない。否定しなかったのではなく、否定できなかった。


 エルヴィンは単なる中間管理職。本当の指示は王都の第二宰相派から来ている。


 公開論破で面目を潰されたエルヴィンが、より過激な手段に走った――いや、走らされた。第二宰相派にとって、封書の存在は致命的だ。教会強硬派との共謀の物証。それが辺境の小領主の手にある。


 なりふり構ってられないわけだ。


「レオン」


「はい」


「この男を正式に拘留。明朝、侵入と放火未遂の事実を記録します。――それと、拘留中の安全を確保して。この人に何かあったら、証言が消えます」


「了解しました。命に代えても」


 レオンが男を引き立てていく。


 拘留室を出ると、階段の途中で視界が一瞬白く飛んだ。壁に手をついて、深呼吸。


 ――駄目だ。身体が限界に近い。


 足元がふわふわする。二時間の睡眠と、丸二日分の緊張。頭は動いているつもりでも、身体が追いついていない。


 執務室に戻ると、ミナが待っていた。毛布と、温め直した白湯と、怒った顔で。


「ミチカ様。寝てください。命令です」


「……ミナ、命令は私がする側では」


「今だけ逆です。二刻だけ。二刻寝なければ、明日の集会でミチカ様が倒れます。倒れたら全部終わりです」


 反論できなかった。正論だったから。


 執務机に突っ伏す形で、二刻だけ眠った。夢は見なかった。


―――


 翌朝。


 私は領主館前の広場に領民を集めた。


「皆さんに報告があります」


 朝の冷えた空気の中、私の声が広場に響く。


「昨夜、封書保管庫に侵入者がありました。目的は、当領が証拠として保管している文書の奪取と、保管庫の放火による証拠隠滅でした」


 領民たちがざわめく。


「侵入者は捕縛済みです。治安隊のカイの迅速な対応により、被害はありません」


 カイが広場の隅で微かに身じろぎした。名前を出されるのは苦手らしい。


「ここで、自治領領主として正式に宣言します」


 私は声を張った。


「当該封書は、本日をもって『証拠隠滅の対象となった物証』として公的記録に登録します。この記録は領民台帳に併記し、写しをマティアス領民顧問、ユリウス法務担当、リオ物流統括の三名がそれぞれ保管します」


 ユリウスが用意した宣言書を読み上げる。


「今後、いかなる手段によってこの封書が消失した場合、その消失自体が証拠隠滅行為の証拠となります。封書の中身が失われても、封書を消そうとした事実は消えません」


 これが、私の打てる手だ。


 封書そのものを守り切れるかどうかは分からない。相手は王都の権力者だ。物理的に奪われる可能性はゼロじゃない。


 でも、「奪おうとした」という事実を公的記録にしておけば、封書が消えても敵の有罪性は残る。制度で守る。記録で守る。それが仕組みの力だ。


 広場の領民たちが、静かに、しかし確かに頷いていた。


 ――ステータスで確認。領民信用値、微増。小さいけれど、確実な上昇。


 宣言が終わり、人々(ひとびと)が散り始めた頃。


 カイが近づいてきた。


「報告」


「何?」


「ベネディクトの随行者。一名、未明に領外へ。早馬」


 私の背筋が冷えた。


「方角は」


「南。王都方面」


「……追えた?」


「領境で確認。追跡は不可能。すでに隣領に入った」


 カイの報告は淡々(たんたん)としていた。でも、その短い言葉の中に「間に合わなかった」という悔しさが微かに滲んでいるのを、私は見逃さなかった。


 ベネディクトの随行者が逃げた。王都に向かって。


 つまり――封書の存在、侵入未遂の事実、そして私たちが証拠隠滅対象として公的記録したこと。全部、第二宰相派に伝わる。


 情報漏洩(ろうえい)、確定。


「カイ。ベネディクト本人は?」


「領内に残留。動く気配なし」


 逃げたのは随行者だけ。ベネディクト自身はまだここにいる。


 ……なるほど。伝書(はと)を飛ばしつつ、本人は内側に残って工作を続けるつもりか。


 私は広場を振り返った。


 朝日が領主館の壁を照らしている。穏やかな朝だ。でも、水面下では急流が渦を巻いている。


 第二宰相派は、もう動き始めている。


 封書という爆弾を抱えたまま、私たちは次の一手を待つことになる。


 ――いや。


 待つんじゃない。


「ユリウス」


「何だ」


「被害当事者の申立てによる開封手続き、今日中に条文案を仕上げてください」


「……やる気か」


「やります。待っていたら、次は放火じゃ済まないかもしれない」


 ユリウスが眼鏡の位置を直した。口元に、かすかな笑み。


「了解した。――まあ、暇よりはいい」


 嘘つけ。昨日も一昨日も徹夜だったくせに。


 でも、ありがとう。


 私は執務室に向かいながら、心の中で(つぶや)いた。


 封書は守った。記録も残した。でも、この胸騒ぎが消えない。


 執務室の扉を開けた瞬間、冷たい風が廊下を吹き抜けた。

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