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女も子供も家督不可? 追放先の自治領を立て直したら、いつの間にか天下を取っていました  作者:


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第29話:副璽局の不在

 空気が、変わった。


 たった一枚の羊皮紙で。


「――王命による後見人確認状である」


 第二宰相派勅使グレゴールの声が、広場に響き渡った。


 重い。低い。そして何より、権威に満ちている。


 鍛え上げた体躯(たいく)を黒地に金糸の勅使装束で包んだ壮年の男は、王璽を模した大判の封蝋(ふうろう)がぶら下がる羊皮紙を高々(たかだか)と掲げた。


「本状は、王命をもってヴァイスフェルト領の後見人をエルヴィン・ヴァイスフェルト本家当主と確認するものである。よって、この場で行われている私的審査なる茶番は即刻中止し、後見人の正当な権限行使に服すべし」


 ざわ、と。


 領民たちの間にさざ波が走った。


 王命。


 辺境の民にとって、それは遠い雷鳴のようなものだ。めったに聞こえない。だが鳴れば、逆らう術はない。


 ……と、考えるのが普通だ。


 私もそう思う。普通なら。


 ステータスオープン。


 グレゴールの頭上に浮かぶ数値を素早く読む。


 忠誠:対象なし。信条:派閥利益の最大化。現在の感情――優越感85、警戒12、焦り3。


 焦りが3ある。これは覚えておく。


 隣に目を向ける。第一宰相派の勅使ヴァルター。銀髪を後ろに()でつけた細身の男は、腕を組んだまま微動だにしない。


 ヴァルターのステータスを確認する。感情の最上位は「観察」。次いで「愉悦」。そして「計算」。


 つまりこの人、グレゴールが場を荒らすのを楽しんでいる。自分は動かず、状況を観察しながら。


 なるほど。


「ミチカ様……」


 隣でミナが小さく私の袖を(つか)んだ。その手が微かに震えている。


 大丈夫。まだ負けていない。


 むしろ、ここからだ。


 と言いたいところだが、まずは目の前の火消しから。


 ちょうどそのとき、レオンが背後からそっと耳打ちした。


「ミチカ様。カイが本家の宿舎周辺を探っています。何か……掴めるかもしれません」


 レオンの声は硬い。報告の形を取っているが、わずかに語尾が揺れた。カイの行動が危険であることを分かっている。でも、それ以上は言わない。この人はいつもそうだ。


 小さく(うなず)く。


「ユリウス」


「ああ、分かっている」


 私の法務代理人は、すでに確認状に目を通し終えていた。さすが仕事が速い。


 ユリウスが一歩前に出る。


「グレゴール勅使殿。確認状を拝見しました。一点、確認させていただきたい」


「何だ」


「この確認状には、王璽局の副署がありません」


 短い沈黙。


 広場の領民たちには、それが何を意味するか分からない。でもグレゴールの表情が一瞬だけ硬くなったのを、私は見逃さなかった。


「王命文書の正式な発行手続きでは、王璽局の副署が必須です」とユリウスが淡々(たんたん)と続ける。「これは王国法第十二章第三条に明記されている。副署のない文書は、たとえ王璽の封蝋があろうと、法的には『未完の草案』に過ぎない」


「辺境の審査会ごときで、王命の形式不備を問うか」


 グレゴールが声を低くした。


「王命は王命だ。形式の瑕疵(かし)は、辺境においては問われぬのが慣例である。そも、この辺境に王璽局の出張所があるとでも? 副署の有無を現地で検証する手段などない」


 これは実のところ、半分正しい。


 辺境では王都の公文書がそのまま通用するのが慣例で、いちいち副署を確認する文化がない。確認しようがないからだ。ユリウスの指摘は法的には完全に正しいが、「辺境の慣例」という壁がある。


 おそらく第二宰相派もそこを見越して副署を省略した。辺境では検証手段がない――その判断自体は合理的だ。ただし、ユリウスのような法務の専門家がこの場にいることまでは想定していなかったのだろう。


 領民たちの視線が揺れる。


 王命と言われれば従うしかない――そういう空気が、じわじわと広がっていく。


 本家当主エルヴィンの顔に、初めて余裕の色が戻った。


 ……ここだ。


 ここが勝負どころ。


 私はグレゴールのステータスをもう一度確認する。焦りの数値が跳ね上がっている。副署の欠如を自覚している。でも辺境の慣例で押し切れると踏んでいる。


 一方、ヴァルターの感情構成は「計算」の比率が上がっていた。


 この人は何かを待っている。


 第一宰相派の思惑。本家当主の失脚より、辺境に恩を売ることが目的。


 だとしたら――ヴァルターは、グレゴールが場を制圧するのを望んでいない。


 でも自分からは動かない。


 なぜか。


 自分から動けば、「第一宰相派が第二宰相派に敵対した」という構図になる。王都に帰ってから面倒なことになる。


 だから、誰かが「きっかけ」を作るのを待っている。


 ――なら、そのきっかけは私が作る。


「発言の許可を求めます」


 私は立ち上がった。


 十二歳の体は小さい。大人たちの視線が上から降ってくる。


 だが、声は通す。


「審査会主催者として、両勅使殿に提案があります」


 グレゴールが鼻で笑った。


「小娘が何を――」


「この審査会の記録に、勅使双方の署名をいただきたい」


 一瞬の静寂。


 ユリウスが眼鏡の奥でわずかに目を細めた。事前に打ち合わせたわけではない。だが、この人は私の意図を即座に読んだはずだ。


「……署名?」


 グレゴールが眉をひそめる。


「はい。王都から勅使がお二方もいらしてくださった。これほど権威ある立会人はありません。審査会の記録に勅使の署名があれば、この審理の正当性は辺境だけでなく王都においても担保されます」


 私は両手を広げた。


「王命の権威を重んじるからこそ、王の使者たるお二方に証人となっていただく。これ以上の敬意の示し方が、辺境にあるでしょうか」


 グレゴールの表情が固まった。


 気づいたはずだ。


 署名すれば、この審査会の正当性を勅使自身が認めたことになる。さっき「茶番」と呼んだ審査会に、王都の権威を自分で付与してしまう。


 では拒否すれば?


「王命の権威を重んじる」と私は言った。勅使が審査会への署名を拒否すれば、「王の使者が、王の権威を辺境の記録に残すことを拒んだ」という構図になる。


 署名しても地獄。しなくても地獄。


 二律背反。


 だが、グレゴールは簡単には崩れなかった。


「勅使の職務は王命文書の伝達である」


 低い声で、しかし明確に。


「辺境の私的審理に関与する義務はない。署名は職務の範囲外だ。拒否は王命の権威とは何ら関係がない」


 正論だ。少なくとも、形式上は。


 だが、私はそれを待っていた。


「おっしゃる通りです、勅使殿」


 即座に頷く。


「勅使の職務は王命の伝達。では伺います。王命の権威を辺境に届けることが職務であるならば――その権威を辺境の記録に刻むことを拒むのは、なぜでしょう」


 間を置く。


「届けるけれど、残さない。伝えるけれど、記録しない。それは『王命の権威は辺境に根を下ろすほどのものではない』と、勅使殿ご自身が宣言なさることになりませんか」


 グレゴールの喉が動いた。


 反論を探している。だが、この場で「辺境に権威を残す必要はない」と言えば、領民たちの心証は決定的に悪化する。王都の権威を(かさ)に着て来た人間が、その権威を辺境に残すことを拒む。矛盾だ。


「私は署名しよう」


 沈黙を破ったのは、ヴァルターだった。


 銀髪の勅使が、初めて腕組みを解いた。口元にかすかな笑みが浮かんでいる。楽しんでいるのが隠しきれていない。


「王の使者として、辺境の民の審理に立ち会うことは職務である。記録に署名を残すのは当然のこと」


 一拍の間。


「何か不都合でも?」


 最後の一言は、明らかにグレゴールに向けられていた。


 広場の空気が動いた。


 第一宰相派の勅使が署名すると言った。第二宰相派の勅使だけが拒否すれば、「第二宰相派は王命の権威を軽んじている」というメッセージになる。


 王都に帰ってからの政治的ダメージは計り知れない。


 ステータスを確認する。グレゴールの焦りが一気に跳ね上がっていた。怒りの数値も新たに出現している。


 怒り。これは後で面倒なことになるかもしれない。


 だが今は、ここを通すしかない。


「……よかろう」


 グレゴールの声は、低く、硬かった。


「署名する。ただし、これは審査会の内容を承認するものではなく、立会いの事実を記録するに過ぎぬ。その旨を明記せよ」


「もちろんです」


 私は即答した。


 明記して構わない。「立会いの事実の記録」であろうと、王都勅使の署名が辺境の審査会記録に残る。それだけで十分だ。


 前例になる。


 辺境の審査会に王都の勅使が署名した、という前例が。


 ……申し訳ないが、グレゴール殿。これが実務だ。


 ユリウスが素早く記録用の羊皮紙を広げ、署名欄を整えた。


 ヴァルターが先に署名する。流麗な筆跡。


 続いてグレゴール。ペンを握る手に力が入りすぎていて、羊皮紙が少しよれた。


 その瞬間――私は本家当主エルヴィンの顔を見た。


 崩れていた。


 あの慇懃(いんぎん)無礼な仮面が、初めて。


 ほんの一瞬だけ、目が泳いだ。唇が薄く開き、すぐに閉じられた。


 彼が呼んだのはグレゴールだけだ。第二宰相派の勅使が来て、王命で審査会を潰す。それが本家の筋書きだったはず。


 なのにヴァルターが来た。そしてグレゴールは署名させられた。


 筋書きが崩れた顔。


 ステータスを開く。エルヴィン。焦りと怒りが急騰し――そこに、初めて「恐怖」の数値が灯っていた。


 本家当主が、初めて怖がっている。


「審理を再開します」


 私の宣言に、領民たちの間からどよめきが上がった。


 さっきまでの不安な空気ではない。何かが動いている、という期待の空気。


 ミナが私の袖をそっと離した。小さく息を吐いて、それから顔を上げる。


「ミチカ様。……風が、変わりました」


 穏やかな声だった。でもその目は真っ直ぐで、私の顔をじっと見ていた。


「風ではありません。変えたんです」


 いつもの調子で返してから、ユリウスに視線を送る。


 ユリウスは眼鏡を押し上げ、不敵に笑った。


「さて、審理再開の第一議題だが」


 彼は新たな書類の束を手に取った。


「先ほど提出された『先代領主の真正遺言状』について、追加の証拠がある」


 本家当主の体が揺れた。


「当方は王都の錬金術師ギルドを通じ、偽遺言状の封蝋について鑑定を依頼した。錬金術師による素材鑑定は封蝋に使用された(ろう)の産地と調合比率を特定できる。結果は次回の審理で正式に提出する。予告しておこう」


 ユリウスの目がエルヴィンを射抜く。


「封蝋の調合が、王都の特定の工房のものと一致した。どの工房かは、まだ言わないでおくよ。……楽しみにしていてくれ」


 皮肉屋の刃が、静かに光った。


 エルヴィンが立ち上がりかけた。


 椅子が(きし)む音。


 広場の全員の視線が集まる。


 だが、本家当主は立ち上がらなかった。かろうじて腰を下ろし直す。拳が白くなるほど膝を握りしめていた。


 その時だった。


 広場の東端。日除け幕の影。


 人の気配。


 レオンが即座に反応し、腰の剣に手をかけた。


 だが――そこにいたのは、敵ではなかった。


 カイだ。


 フードを目深に被った細身の影が、人混みの隙間を縫うようにレオンの傍に近づいた。


 レオンの手に、一枚の紙片が渡される。


 一瞬の接触。声はない。カイの指の甲に、新しい擦り傷があった。壁か、窓枠か。どこかに忍び込んだ痕だ。カイはそのまま影に溶けるように消えた。


 レオンが紙片を一瞥(いちべつ)した。


 息を()む音が聞こえた。


 何か言いかけて――口を閉じた。唇が一文字に引き結ばれる。一度、深く息を吐く。感情を飲み込んでいる。それが分かった。


 そして、静かに私のもとへ歩いてきた。


「ミチカ様」


 低い声。周囲に聞こえないよう、最小限の音量。


「……お読みください」


 紙片を受け取る。


 折り畳まれた薄い紙。開く。


 三行の文。


 そして末尾に押された印。


 私印。


 見覚えがある。


 後見人指名状に押されていたのと同じ、エルヴィン・ヴァイスフェルトの私印。


 三行の文の内容は――


 指先が冷たくなった。


 視界が一瞬、ぐらりと揺れた。


 文字は読める。三行しかない。短い。簡潔だ。だからこそ逃げ場がない。


 暗殺指令書。


 領主排除の、直接的な指示。


 私の、殺害命令。


 思考が止まった。


 ほんの一瞬――だが確かに、頭の中が真っ白になった。


 十二歳だ。転生者であっても、この体は十二歳の少女のものだ。自分を殺せという命令書を、自分の手で読んでいる。その事実が、理屈より先に体を震わせようとした。


 ――実務に戻れ。


 自分を叱りつける。


 これは証拠だ。武器だ。震えている場合ではない。


 紙片を握る指の震えを、意志の力でねじ伏せた。爪が掌に食い込む。痛い。でもその痛みが、思考を引き戻してくれた。


「……ミチカ様?」


 ミナの声だった。何かを感じ取ったのだろう。不安そうに、でも踏み込みすぎないように、そっと名前を呼んでいた。


「大丈夫です」


 声が平坦(へいたん)に出たことに、自分で少し驚いた。


 顔を上げる。


 広場の向こう側で、本家当主エルヴィンが私を見ていた。


 目が合った。


 彼はまだ、この紙片の存在を知らない。


 だが何かを察したのか、その目が細くなった。


 紙片を握る手に、力がこもった。


 審査会の記録簿には、二人の勅使の署名が乾きかけている。


 辺境の風が、羊皮紙の端をかすかに揺らした。戦場が、変わる。

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