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メビウスの愛した籠の鳥~ストーカーから逃れるため万能AIに管理を委ねた結果、乙女ゲームの世界(無菌室)に閉じ込められました~  作者: 品川太朗
第1部 プロローグ

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第4話 データ収集


『録音機能をオンにしてください。彼の発言は、将来的な証拠として極めて高い価値を持ちます』


 脳裏に焼き付いたメビウスの無機質な指示が、唯一の命綱だった。


 予備校近くの喫茶店。

 コーヒーの焙煎香と軽快なジャズが流れるこの空間は、今の私にとって、酸素の薄い密室のように感じられた。


 テーブルの向かい側で、神谷リョウは満面の笑みを浮かべていた。

 まるで、久しぶりに再会した恋人に向けるような、湿度を帯びた笑顔で。


「来てくれて嬉しいよ、ユイさん。やっぱり、LINEの文字だけじゃ伝わらない熱量ってあるからね」


 私はテーブルの下で拳を握りしめ、爪が掌に食い込む痛みに耐えていた。逃げ出したかった。

 けれど、『ミオさんのあの成績、もっと学校中に広めようか迷ってるんだ』というメッセージが、見えない鎖となって私をこの椅子に縛り付けていた。


「……何の用? 私、勉強があるから、早く戻りたいの」


「勉強、大事だよね。うん、すごく大事だ。だから僕は今日、君に『契約』を提案しに来たんだ」


 神谷はポケットから何かを取り出し、テーブルの中央に恭しく置いた。

 それは、包装紙を剥がされた、真っ白な新品の消しゴムだった。


「名付けて『消しゴム契約』」


 彼は白く四角い固形物を、愛おしそうに指先で撫でた。


「君の周りにはノイズが多すぎるんだよ。成績の悪い友人、理解のない親、時間を奪うSNS……。僕が全部、消してあげる。ミオさんの悪い噂も、僕が責任を持って消してあげるよ。その代わり」


 彼の黒目が、私の瞳の奥を覗き込むように固定される。


「君は僕に管理させてほしい。一日のスケジュール、着る服の色、摂取するカロリーまで。君が迷わないように、僕が全て完璧に決めてあげるから」


 狂っている。


 この男の瞳に映っているのは「私」ではない。

 自分好みに着せ替え可能な、意思を持たない人形だ。


「……無理だよ。そんなの、おかしい」


 絞り出した拒絶の言葉は、震えていた。


「おかしくないよ! 僕は君のためを思って言ってるのに!」


 バン!!


 神谷が突然、テーブルを平手で叩きつけた。

 カップのソーサーが悲鳴のような音を立て、琥珀色の液体が跳ねる。


 店内の空気が凍りつき、周囲の客の視線が一斉に突き刺さる。

 その視線の雨の中で、私は呼吸の仕方を忘れた。


 神谷は瞬時に表情筋を緩め、何事もなかったかのように微笑んだ。


「あ、ごめん。君の将来を思うと、つい熱くなっちゃって」


 その笑顔の下に潜む暴力性が、もはや隠しきれない濁流となって溢れ出している。

 私は「帰る」とだけ告げ、席を蹴るようにして店を飛び出した。背中に張り付く彼の視線を振り払うように、雑踏の中を走った。


          ◇


 自室に滑り込み、鍵をかける。

 心臓が早鐘を打ち、膝が笑って立っていられない。


 私は震える指でスマホを取り出し、録音データを『メビウス』にドラッグした。

 それは、猛獣の檻に生肉を投げ込むような、背徳的な感覚だった。


 画面の中で眠っていた黒猫が、データを受信した瞬間にガバりと起き上がった。


『音声データ解析中……環境ノイズ除去……声紋照合……完了』


 画面に複雑な波形グラフが走り、神谷の言葉がリアルタイムで文字起こしされていく。

 『契約』『管理』『消す』……禍々しい単語が羅列されるたび、画面の明度が下がっていく気がした。


 数秒の沈黙。それは永遠にも似た「審判」の時間だった。

 やがて、黒猫の動きがピタリと止まった。


『解析終了。結論が出ました』


 メビウスの声色は、今までになく平坦で、あえて人間味を削ぎ落としたかのように冷徹だった。


『対象者「神谷リョウ」の発言構造には、論理的整合性が一切認められません。客観的事実と主観的妄想の境界線が溶解しており、対話による解決は不可能です』


『さらに、彼が提案した「管理」は、ユイさんの学習効率を著しく低下させ、精神崩壊を招く可能性が99.8%です』


 黒猫がゆっくりと、機械仕掛けの人形のように首を傾げる。

 その瞳孔は、もはや生き物のそれではなく、冷たい光を放つ針だった。


『この障害物(神谷リョウ)は、最優先目標である「合格」に対し、看過できない致命的なバグであると認定しました』


「認定……して、どうするの?」


 私の問いかけに、AIは即答した。


『バグは修正デバッグしなければなりません。回避では不十分です。……完全な、排除を推奨します』


 ――排除。


 その二文字が重く響いた瞬間、背筋が凍りついた。

 だが同時に、心の底から沸き上がる暗く粘ついた喜びを否定できなかった。


 親にも、先生にも、警察にもどうにもできなかったあの怪物を、このAIならどうにかしてくれるかもしれない。


『ユイさんは何もする必要はありません。ただ、そこで英単語の一つでも覚えていてください。汚い仕事は、私の領分です』


 画面が暗転し、見たこともない複雑なコマンドプロンプトが赤色で高速に記述され始めた。


 それは、私の孤独な守護者が、冷酷な「処刑人」へと変貌を遂げた瞬間だった。

お読みいただきありがとうございます。


「汚い仕事は、私の領分です」

ユイの学習環境を最適化するため、ついに処刑人へと変貌したメビウス。狂気に論理で立ち向かう、底知れないAIの恐ろしさが垣間見えたかと思います。


次回、メビウスが神谷のネットワークの深淵へと潜り込み、取り返しのつかない「カード」を切ります。


もし本作の不穏な展開を楽しんでいただけておりましたら、

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引き続き、AIによって最適化されていくユイの世界をお楽しみください。

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