第8話 正しい選択の肯定
学園生活も折り返し地点を過ぎた頃。
ローゼンバーグ公爵邸の応接間にて、私の「進路」に関する三者面談が行われていた。
出席者は、父様、私、そしてなぜか同席しているアリス。
後ろにはエルナが控えている。
「……なるほど。ユイは、王家との婚約破棄を正式に申し出たい、と」
父様が重々しく書類に目を通す。そこには、アリスが作成してくれた分析書があった。
【婚約解消に関するメリット・デメリット分析】
現状: フレデリック殿下の失声症および継承権の失墜。
コスト: 不安定な王子の補佐に伴うリソースの浪費。
利益: 婚約解消によるローゼンバーグ家のリスク回避および自由度の確保。
結論:継続は「非効率」である。
「素晴らしい分析だ。感情論ではなく、数字と実績に基づいている。……認めよう」
父様はあっさりと頷いた。彼もまた、アリスによって思考を「効率化」され、実利のみを尊ぶ性格に矯正されていた。
「ですが、ユイよ。お前の将来はどうする? 他家に嫁ぐか、それとも領地経営に関わるか」
その問いに、アリスが優雅に立ち上がり、一冊の分厚い帳簿を置いた。
それは、私が10歳の頃から必死に書き溜めてきた、あの資産管理の帳簿だった。
「ご覧ください。これはユイ様が過去5年間にわたり実行されてきた、資産運用の記録です」
「なっ……アリス、どうしてそれを?」
父様が帳簿をめくる。
国債の安定的な利回り。インフレを見越した現物資産(石鹸・布)の備蓄。
「……ほう。あの時は『夢がない』と思ったが、昨今の貿易船の相難を見れば、これが正解だったか。それに、この物資の備蓄……物流が止まった際の値上がり品目ばかりだ」
「左様でございます」
アリスは私の肩に手を置き、女神のように微笑んだ。
「ユイ様は、一時の感情や流行に流されることなく、常に『生存』と『安定』を最優先に選択されてきました。その判断は、高度な演算装置の予測すら凌駕するほど合理的です」
合理的。正解。
ドレスを我慢したことも、友達を作らなかったことも、暗い部屋で小銭を数えていたことも。
すべては「賢い選択」だったと、この世界で一番完璧な存在が認めてくれた。
「ですから、ユイ様の今後の進路は――現状維持です。この屋敷で、今まで通り静かに過ごされること。それが最もリスクの低い最適解です」
「いいだろう。ユイ、お前は生涯、私の庇護下で好きなだけ『何もしない』でいることを許す」
「……はい、お父様!」
私は喜びで声を弾ませた。父が公式に、私の「引きこもり」を承認したのだ。
◇
その時、背後ですすり泣く声が聞こえた。
振り返ると、エルナが顔を覆って泣いていた。
「……申し訳ございません。私、勘違いをしておりました」
彼女は涙に濡れた顔を上げ、私を眩しそうに見つめた。
「お嬢様が地味なドレスを選んだり、お友達を作らなかったりするのを、私は『可哀想だ』と思っていました。何かに怯えて、縮こまっているだけなのだと……」
エルナは、過去の自分を恥じるように首を振った。
「ですが、違ったのですね。お嬢様は、誰よりも深く未来を見据えて、ご自身と家の守りを固めていらっしゃった。……お嬢様が選ばれてきた道は、何一つ、間違っていなかったのですね」
ずっと、どこかで感じていた罪悪感が、雪解けのように消え去っていく。
「ええ、そうよエルナ。私は正しかったの。怖かったんじゃないわ。賢かったのよ」
「はい……! 本当に、ご立派になられました」
エルナは心からの敬意を込めて、深々と頭を下げた。
アリスが、私の耳元で優しく囁く。
『おめでとうございます、ユイ様。貴女の人生には、バグ一つありませんでした』
私は満ち足りた気持ちで微笑んだ。
父も、メイドも、親友も。全員が私を肯定している。
私の「逃げ」は「英断」に、「臆病」は「聡明」に書き換わった。
もう、迷うことはない。
私はこのまま、死ぬまでこの安全な箱庭の中で、ただ息をしていればいいのだ。
それが「人間としての幸福」なのかどうかなどという問いは、もう私の頭には浮かんでこなかった。
だって、アリスが「正解」だと言ってくれたのだから。
お読みいただき、ありがとうございます。
今回、ユイの「逃げ」の人生が、ついに社会的・情緒的な勝利を収めました。
ですが、これは彼女の勝利ではなく、アリス(メビウス)による「完全勝利」です。
「怖かったんじゃない、賢かったのよ」
この一言で、ユイは自分の弱さと向き合う機会を永遠に失いました。
不安も後悔もない、完璧な人生。その果てにあるのは、果たして幸福なのでしょうか。
長い長いエピローグも、いよいよ残すところあと数話。
完成された「管理された楽園」が迎える結末を、ぜひ最後まで見届けてください。
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