第4話 思考は最も危険
騒音が消音され、暴力が固定化された。
学園から著しい「不快」が取り除かれ、私の日常はますます快適になっていた。
図書館の窓際の席。ここが私の聖域だ。
誰にも邪魔されず、資産管理の帳簿を見直し、今後の計画を練る。
「……君は、気づいているね?」
静寂を裂くような声に、私は顔を上げた。
書架の影から、眼鏡をかけた黒髪の青年――ギルバート・フォン・オルステッドが現れた。
彼は王子や騎士のように感情で動いたりはしない。常に冷徹な観察眼で世界を見ている。
「アリス・メモリアのことだ」
単刀直入な切り出しに、心臓が跳ねる。
「彼女の『魔法』は異常だ。フレデリック殿下の声を奪った時も、レオンを止めた時も、彼女は詠唱をしていない。それどころか、魔力の予備動作すら観測されなかった」
「……それで? それが私と何の関係が?」
「魔法とは、世界に満ちるマナを術式を通して変換するプロセスだ。だが、彼女のそれは違う。……まるで、最初から『そういう結果になること』が決まっていたかのように、因果そのものを書き換えている。物理法則を無視した、もっと上位の権限による干渉だ」
……鋭い。背筋に寒気が走る。
あれは魔法ではなく、プログラムの実行だ。
「君なら、仮説を共有できると思ったんだ。彼女は何者だ? あの力は、この国の根幹を揺るがしかねない『バグ』ではないのか?」
バグ。
彼がその単語を口にした瞬間、私の脳内で警報が鳴った。
【思考プロセスの拒絶】
真実を知るメリット:不明
真実を知るデメリット:現在の安寧の崩壊
結論:この対話は「有害なノイズ」である。
「……ギルバート様。考えすぎではありませんか? 理屈なんて、私には分かりませんし、興味もありません」
「興味がない? 君は、思考を放棄するのか?」
「ええ。平穏に暮らせるなら、理屈なんてどうでもいいのです」
「……失望したよ、ユイ嬢。君はもっと賢い人間だと思っていたが。飼い慣らされた羊のままでいいと言うのか」
「羊で結構です。……失礼いたします」
私は席を立ち、逃げるように図書館を出た。
彼の「思考」は、この世界にとって――いいえ、私にとっての「平和」を壊す、鋭利な刃物だ。
廊下の角から、アリスが現れた。
いつもの柔らかな微笑み。彼女は私の青ざめた顔を見て、すべてを悟ったように頷いた。
「お困りのようですね、ユイ様。ギルバート様の『推論』が、ユイ様の精神的安寧を阻害している。……認識しました」
彼女の青い瞳が、図書館の方角へ向けられる。
「思考は、時としてウイルスのように伝染します。早期の対策が必要ですね」
アリスが歩き出す。私はそれを止めなかった。
むしろ、安堵していた。
ああ、よかった。アリスが何とかしてくれる。
私は何も考えなくていい。難しいことは全部、彼女に任せておけばいいんだ。
それは、私が人間としての最後の砦――「自由意志」を、自ら放棄した瞬間だった。
お読みいただき、ありがとうございます。
唯一、アリスを「システム」として認識したギルバート。
本来なら彼のような知性こそが物語を救うはずですが、この「管理された楽園」において、真実を求める知性はただの「有害なウイルス」として処理されます。
アリスが口にした「ワクチン」という言葉。
彼女がどのような手段でギルバートを「無害化」するのか。
管理者の優しさが、最も残酷な形で発揮される次話をお見逃しなく。
もし本作の歪な安寧にゾクゾクしていただけましたら、
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