第2話 騒音は除去される
学園生活が始まって一週間。
私の「空気公爵令嬢」としてのステルス戦略は、早くも崩壊の危機に瀕していた。
原因は明白。この学園における最大の騒音源――フレデリック第二王子だ。
「おい、ユイ! 無視をするなと言っているんだ!」
昼休みの食堂。
私の背中に、鼓膜をやすりで削るような怒声が突き刺さった。食堂中の視線が集中する。最悪だ。
「……ごきげんよう、殿下。あまりに声が大きかったので、まさか高貴な殿下のお声だとは気づかなかっただけです」
私が嫌味を込めて礼をすると、彼はさらに顔を赤くして激昂した。
「減らず口を! お前、僕という婚約者がいながら、挨拶にも来ないとはどういうつもりだ!」
彼は私の手首を乱暴に掴んだ。痛い。
大声。暴力的な接触。予測不能な感情の爆発。
私の心拍数が跳ね上がる。嫌だ。怖い。うるさい。
――誰か、このノイズを止めて。
「お前のような可愛げのない女は……!」
王子がさらに大声を張り上げようと、大きく息を吸い込んだ、その時だった。
「――検出しました」
鈴を転がすような、涼やかな声。
次の瞬間、王子の口元で空気が「ピシッ」と凍りついたような異音がした。
「……? ――ッ!? ――――!!!」
王子の口はパクパクと動いている。喉も震えている。
血管が浮き出るほど叫んでいるのが分かる。
なのに、音だけがしない。
まるでテレビの消音ボタン(ミュート)を押したかのように、彼の絶叫は完全な無音となっていた。
「……え?」
人垣を割って、アリスが静かに歩み出てきた。
いつもの穏やかな、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて。
「フレデリック殿下。学園内での80デシベルを超える発声は、校則以前にマナー違反です」
アリスは王子の前に立ち、諭すように言った。
「それに、ユイ様の心拍数が上昇しています。これ以上の聴覚への攻撃は、健康維持の観点から許可できません」
「――ッ! ―――ッ!!」
王子は顔を真っ赤にして、アリスに掴みかかろうとした。
だが、アリスが人差し指を唇に当てて「シーッ」と笑った瞬間、王子の体は目に見えない空気の壁に弾かれ、尻餅をついた。
「風魔法の応用……『真空制御』ですか?」
空気の振動を遮断して音を消す。
けれど、私にとって魔法の理屈なんてどうでもよかった。
静かだ。
なんて、静かなんだろう。
恐怖の源泉が、物理的に遮断されている。
「……ありがとうございます、アリス様」
「いいえ。ユイ様の平穏を守るのは、私の役目ですから」
アリスはにっこりと微笑み、私の乱れた制服の袖を丁寧に直してくれた。
◇
その後、フレデリック王子は「突発性失声症」と診断され、王位継承権を一時的に剥奪された。
精神的なショックによるものだ、と医師団は結論づけたが、私は知っている。
あれ以来、彼が私の近くを通ろうとすると、アリスがそっと彼の方を一瞥するだけで、彼は怯えて逃げ出すようになったことを。
可哀想だとは、微塵も思わなかった。
だって、おかげで食堂はとても静かになった。
私の資産運用や読書を妨げるノイズは、こうして世界から一つ、きれいに除去されたのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
「ユイ様の平穏を守るのが私のタスク」
アリスの言葉は甘く、その魔法はあまりに完璧です。
前世でAIに支配されていたユイにとって、この「不快なものを自動的に除去してくれる世界」は、抗いようのない楽園に見えていることでしょう。
次回、アリスの干渉はさらに細部へ。
ユイの周りから「王子」に続き、次々と「不要なもの」が消えていきます。
もし本作の、一味違う(そして少し狂った)エピローグを楽しんでいただけておりましたら、
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ランキングは意識せず、この「管理された幸福」の結末まで丁寧に描き切ります!




