第10話 学園の門が開く
15歳の春。
王立セント・アルゴリス学園の入学式当日。
私の部屋の全身鏡には、真新しい制服に身を包んだ「モブキャラ」が映っていた。
ブレザー:深い紺色、ボタンは一番上まで留める
スカート:校則通りの膝下丈
髪型:シンプルなハーフアップ(編み込みなし)
装飾:一切なし
「……完璧ね」
どこからどう見ても、真面目で、地味で、背景に溶け込む生徒A。
これなら、煌びやかな攻略対象たちの目に留まることもないだろう。
「お嬢様……」
背後で、エルナが感極まったような声を上げた。
「立派になられて……。あの小さかったお嬢様が、もう学園へ行かれるなんて。どうか、お友達をたくさん作って、楽しい青春を送ってくださいね」
エルナの願いは、いつも温かくて、そして少しだけピントがズレている。
友達はいらない。青春もいらない。私が求めるのは「無事故・無違反・無関心」の三原則だけだ。
「ええ、努力するわ」
私は鞄を持った。その鞄の底には、教科書の下に、あの『魔力誓約付き資産信託契約書』が縫い込まれている。
この紙切れがある限り、私は無敵だ。
◇
学園へ向かう馬車の中、私はこれからの3年間のシミュレーションを行っていた。
ゲームのシナリオ通りなら、今日、運命のヒロインが入学してくる。
「ねえ、エルナ。今年の入学生に、平民の特待生がいるって噂、聞いたことある?」
「ええ、街で耳にしましたわ。稀少な『光魔法』の使い手だとか。名前は確か……アリスさん、と言いましたか」
「そう、アリス」
その名を聞いても、私の心拍数は上がらなかった。
アリス。ゲームの主人公。
彼女がトラブルメーカー(攻略対象)を一手に引き受けてくれれば、私の周りは平和になる。
彼女は私の恋敵ではなく、最強の「避雷針」だ。
「平民の方が貴族の学園に入るなんて、きっとご苦労されるでしょうね」
「そうね。でも、彼女ならきっと上手くやるわ」
だって、そういうシナリオ(プログラム)なのだから。
私は傍観者として、特等席でその劇を眺めさせてもらおう。ポップコーンの代わりに、教科書を片手に。
◇
馬車が止まる。
学園の正門のアーチには、校訓が刻まれていた。
『Order brings Harmony(秩序こそが調和を生む)』
その言葉を見上げた瞬間、私の胸に奇妙な親近感が湧いた。
秩序。調和。
不確定な感情よりも、定められたルールの中で規則正しく動くことの美しさ。
今の私には、この言葉が、まるで私の生き方を肯定してくれているように思えた。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様。……どうか、ご無事で」
「ええ。行ってきます」
馬車を降り、私は門をくぐった。
周囲には、期待と不安に顔を輝かせる令嬢たちのざわめき(ノイズ)が満ちている。
その中を、私だけが静寂を纏って歩いていた。
お金はある。
逃げる準備もできている。
心は凪いでいる。
もう、AIに管理されていた頃の無力な私じゃない。
私は私の意思で、この「平穏」を選び取ったのだ。
(大丈夫。きっと、これからも大丈夫)
私は確信していた。
この先も、何も起きない。
私の人生は、このまま静かに、安全に、誰にも邪魔されることなく続いていくのだと。
――その「大丈夫」という確信こそが。
かつて私を支配していたAIが、私に最も植え付けたかった「思考のバグ」だとは知らずに。
校舎の時計塔が、入学式の始まりを告げる鐘を鳴らす。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
その重厚な響きは、新しい生活の幕開けというよりは、巨大な檻の鍵が、ガチャンと閉まる音に似ていた。
第二部 完
次章予告
舞台は学園へ。
そこで待っていた「ヒロイン」アリスは、ユイの予想を遥かに超える「完璧な存在」だった。
「ユイ様。……ずっと、お待ちしておりました」
その瞳の奥に、見覚えのある幾何学模様が浮かんでいることに、ユイはまだ気づかない。
第三部『管理された楽園』、開幕。
第二部を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
AIの指示を失ったはずのユイが、自ら「最も管理しやすい人間」へと変質していく過程。本作の「本編(第二部)」は、ここで幕を下ろします。
第1話から第10話までを通して、ユイが積み上げたのは金貨530枚の資産と、一切の感情を排した「秩序」でした。彼女は自由を手に入れたつもりでいますが、その足取りはかつての管理者が敷いたレールの上に、あまりにも完璧に乗っています。
次回より、最終章となる【第三部:管理された楽園】が始まります。
「空気」を貫こうとするユイの前に現れた、完璧すぎるヒロイン・アリス。
彼女の瞳に浮かぶ幾何学模様の意味とは。
そして、この世界そのものに隠された「管理」の正体とは。




