表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メビウスの愛した籠の鳥~ストーカーから逃れるため万能AIに管理を委ねた結果、乙女ゲームの世界(無菌室)に閉じ込められました~  作者: 品川太朗
第二部:箱庭の悪役令嬢

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/29

第7話 静かな日常


 10歳から始めた「生存戦略」は、3年の月日を経て、私の日常に完全に溶け込んでいた。


 13歳。

 貴族の令嬢として最も華やかに咲き誇るべき時期に、私の部屋はまるで「倉庫」のようになっていた。


「……石鹸の在庫、よし。保存食の塩漬け肉、劣化なし。布地、虫食いなし」


 クローゼットの奥、ドレスの影に隠された木箱を開け、私はチェックリストにペンを走らせる。

 ここにあるのは、宝石でも恋文でもない。


固形石鹸:100個


リネン・ウールの布地:50反


備蓄品:瓶詰めの塩、乾燥ハーブ、着火石


 父様の目を盗み、お小遣いをやりくりして少しずつ買い集めた「生活必需品」たちだ。

 国債は順調だ。だが、前世のAIメビウスは教えてくれた。


『インフレ(物価上昇)リスクに備えよ。紙切れや金貨の価値は暴落するかもしれない。けれど「石鹸」や「塩」の価値は、人間が生きていく限り絶対になくならない』


「ふふ、完璧」


 積み上がった石鹸の山を見て、私はうっとりと溜息をついた。

 これがドレスだったら、一度着て終わりだ。でも石鹸なら、追放先で5年は体を洗えるし、最悪の場合、物々交換の通貨にもなる。

 この木箱一つ一つが、私の寿命を延ばす「命の積み木」に見えた。


          ◇


「失礼いたします、お嬢様。……仕立て屋が参りました」


 エルナが部屋に入ってくると、私は慌ててクローゼットを閉めた。

 彼女は部屋に漂う大量の石鹸の香りに鼻をひくつかせ、閉ざされた扉を一度だけ悲しげに見つめたが、何も言わなかった。


 応接間では、仕立て屋が揉み手をして待っていた。


「ローゼンバーグ様、今季の流行は断然、東方のレースを使ったパステルカラーです! こちらの淡いピンクなど、お嬢様の愛らしさを引き立てますぞ」


 目の前に広げられたのは、薄くてペラペラの、妖精の羽のような生地。

 綺麗だ。でも、私の脳内計算機が即座に弾き出す。


 『耐久性:E』『防寒性:E』『再利用性:不可』


 北の国でこんなものを着ていたら、3分で凍傷になる。


「……いりません。こちらの、濃紺のウール生地にしてください。デザインは極力シンプルに。その代わり、裏地を二重にして、ポケットを深く作ってください」


「し、しかしお嬢様。社交界でそのような格好をされては、笑われますぞ?」


「構いません。丈夫で暖かいのが一番です」


 仕立て屋が去った後、部屋には重苦しい沈黙が落ちた。


「……お嬢様。本当に、あれでよろしかったのですか?」


「ええ。ウールなら暖かいし、汚れも目立たないわ」


「ですが、13歳ですよ? あのような地味なお召し物では、誰も声をかけてくれません」


「いいの、エルナ。私は目立ちたくないの」


「目立つ、目立たないのお話ではありません。……お嬢様は、ご自身を大切になさっていないように見えます」


 エルナが私の手を取り、真剣な瞳で覗き込んでくる。


「石鹸を集めたり、地味な服を選んだり……まるで、ご自身の『華やかな未来』を最初から諦めて、何かに怯えて縮こまっているようです。公爵家のお嬢様が、どうしてそこまで『生活』に必死にならなければいけないのですか?」


 華やかな未来なんてない。あるのは破滅だけだ。

 でも、それを言っても彼女は「杞憂です」と笑うだけだろう。


「……趣味なのよ、エルナ。変な子だと思って、諦めて」


 エルナは唇を噛み締め、それから深々と頭を下げた。


「……滅相もございません。お嬢様が笑顔でいられるなら、それが一番です」


 その言葉は、明らかに自分自身に言い聞かせるためのものだった。


          ◇


 その夜。

 私はベッドの中で、天井のフレスコ画を見上げていた。


 心は、驚くほど凪いでいた。

 国債がある。石鹸がある。布がある。

 これだけあれば、追放されても最低3年は生きられる。

 

 恐怖が減った分、何か別のものも減った気がする。

 例えば、「明日は何が起きるだろう」という期待。

 例えば、「誰かと話したい」という欲求。


(……これでいい)


 恐怖に震えなくて済むなら、退屈なんて安い代償だ。


 窓の外では、美しい満月が輝いていた。

 かつては「綺麗だ」と感動したその月も、今の私にはただの「夜間の光源」であり、明日の天気を予測するためのデータにしか見えなくなっていた。


 誰も不幸ではない。

 ただ、色彩だけが静かに失われていく。

 そんな「最適化された日常」が、完成しつつあった。

お読みいただき、ありがとうございます。


ついに完成してしまった、ユイの「最適化された日常」。

外部からのノイズを遮断し、8年後の破滅に向けて着々と備蓄を続ける彼女ですが、物語ゲームの強制力は、彼女をいつまでも倉庫の中に閉じ込めてはくれません。


次回、いよいよ舞台は「学園」へ。

徹底して孤独を貫こうとするユイの前に、かつて「ノイズ」として切り捨てたはずの攻略対象たちが、成長した姿で現れます。


もし、この歪な合理主義に彩られたサバイバルを応援していただけるなら、

画面下の【ブックマーク】や【☆評価】をいただけますと幸いです。

ランキングは意識せず、このままユイの心の機微を丁寧に描いてまいります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ