第6話 増やさない選択
節約生活を始めて3ヶ月。
私は自室の床下収納(ただの板の隙間)を確認し、重い溜息をついた。
――金貨15枚。
10歳の子供にとっては大金だが、私が目指す「北の地での安住」に必要な3000枚には程遠い。
やはり、貯めるだけでは間に合わない。
投資だ。お金を働かせるしかない。
私は意を決して、父様の執務室へと向かった。
◇
「――投資を学びたい、だと?」
重厚なマホガニーの机越しに、ローゼンバーグ公爵の冷ややかな視線が突き刺さる。
私が申し出た瞬間、父様は書類から目を離さず、鼻で笑った。
「馬鹿を言うな。金勘定など、商人と執事にやらせておけばいい。公爵家の娘が、小銭を数えるような真似をするな。品位に関わる」
取り付く島もない拒絶。
これが普通の貴族の反応だ。労働や金銭管理を「下賎なこと」として忌避する価値観。
ここで引き下がれば、私の生存確率はゼロになる。私はスカートを握りしめ、前世のAIが教えてくれた「交渉術」のデータベースを検索した。
――相手が「品位」を重んじるなら、それを逆手に取る。
「お言葉ですが、お父様。領地の経営を『他人任せ』にすることこそ、無責任であり、品位を損なうのではありませんか?」
「……何?」
「我が家は広大な領地を持っています。ですが、もし執事が不正を働き、商人が嘘をついたら? 主人が数字に疎ければ、気づくことすらできません。私は将来、ローゼンバーグ家の名を汚さぬよう、騙されないための『眼』を養いたいのです」
父様は値踏みするように私を睨みつけ、やがてフン、と鼻を鳴らした。
「……口だけは達者になったな。いいだろう。だが、遊びではないぞ」
父様はベルを鳴らし、出入り商人を呼びつけた。
「お前の小遣いの範囲でやらせてやる。だが、もし無様な失敗をして金をドブに捨てるようなら、二度と金の話はさせん。大人しくピアノでも弾いていろ」
許可は出た。けれど、それは「失敗したら終わり」という最後通告付きだった。
◇
やってきた商人は、笑顔の裏に狡猾さを隠したような男だった。
10歳の子供が相手だと聞いて、明らかに侮っているのが分かる。彼は大げさな仕草で、三つの案件を提示した。
「お嬢様のような聡明な方には、こちらがよろしいでしょう!」
『東方貿易船への出資』
(ハイリスク・ハイリターン。利益3倍)
『新興貴族への貸付』
(ミドルリスク。高利回り&人脈作り)
『王国王道国債』
(ローリスク・ローリターン。年利2%)
「やはり一番人気は貿易船ですな! 成功すれば、お小遣いが一気に3倍です!」
横に控えていたエルナも、目を輝かせて小声で囁いた。
「お嬢様、素敵ですね。東方の絹なんて、次の夜会で皆様に自慢できますわ」
周囲の空気は完全に「1番」だ。貴族は派手な博打を好む。夢とロマンこそが価値だからだ。
だが、私の脳内では真逆のアラートが鳴り響いていた。
『警告:不確定要素過多』
海難事故、海賊、疫病。船が戻らない確率は統計的に30%もある。
30%の死。絶対に選べない。
私は感情を殺し、指を差した。
「……3番。国債にします」
その瞬間、部屋の空気が凍った。
「……おい、ユイ。本気か?」
父様の声には、怒りよりも失望が滲んでいた。
「国債など、引退した老人が余生のために買うものだ。年利2%? そんな端金のために、わざわざ私を説得したのか? ……つまらん」
商人も苦笑いしながら、馬鹿にしたように肩をすくめる。
「お嬢様、ご冗談を。子供の遊びにしては、夢がなさすぎますぞ」
違う。遊びじゃない。私は必死だった。
「……夢などいりません」
私は震える拳を隠し、冷徹な声を作った。
「貿易船は沈めばゼロです。貸付は相手が逃げればゼロです。ですが、国はなくなりません。私は『増やす』ことよりも、『絶対に減らさない』ことを選びます」
「……臆病者の理屈だな」
父様は冷たく言い放った。
「だが、まあいい。約束だ。好きにしろ。……下がっていいぞ」
追い払われるように、私は部屋を出た。
合格はした。でも、父様の目から私への興味が完全に消えたのが分かった。
◇
廊下を歩く私の背後で、エルナが悲しげな溜息をついた。
「……お嬢様。本当によろしかったのですか?」
「ええ。これでいいの。一番確実な方法だから」
エルナは立ち止まり、泣きそうな顔で私を見つめた。
「お嬢様は、まだ10歳なのですよ?」
その声は、叱責というよりも嘆きだった。
「どうして、そんなに急いで大人になろうとなさるのですか? 失敗したっていい、無駄遣いをしたっていい……それが子供の特権ではありませんか。お父様に怒られたって、私が守りますのに」
「エルナ……」
「そんな地味な紙切れ(証書)一枚を大事に抱えて……私には、お嬢様が自分自身を檻の中に閉じ込めているように見えて、悲しいのです」
エルナの言葉は正論だった。
でも、彼女の言う「幸福」の先には、断頭台か、極寒の地での死が待っているのだ。
「……ごめんね、エルナ。でも、私はこれが欲しいの」
私は証書を胸に抱きしめた。
この地味な紙切れだけが、私を裏切らない。
父様の愛情も、エルナの優しさも、破滅の運命の前では無力だ。
私は誰にも理解されないまま、孤独に歩き出した。
賢い選択をしたはずなのに、胸の中には冷たい風が吹き荒れているようだった。
誰も褒めてくれない。誰も分かってくれない。
それでも私は、この道を行くしかないのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
AIの監視がなくなった世界で、誰よりもAIらしく振る舞い、自らを最適化し続けるユイ。
父に失望され、エルナに嘆かれても、彼女は「数字」という唯一の味方を離そうとはしません。
合理的であればあるほど、彼女の人間らしさが削ぎ落とされていく。この歪な生存戦略の先に、果たして彼女が望む「安住」はあるのでしょうか。
次回、ユイは宝石を換金し、自らの手足となる「影の代理人」の選定に動きます。
もし本作の、一味違った(そして少し胃が痛くなるような)悪役令嬢物語を楽しんでいただけておりましたら、
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