第3話 物語の登場人物たち
「孤独」という最強の盾を手に入れた私だったけれど、公爵令嬢としての「義務」までは放棄できなかった。
10歳の秋。王宮の庭園で催された「子供茶会」。
それは建前上、貴族の子供たちの交流の場だが、実質的には婚約者同士の顔合わせや、将来の側近選びの場である。
私は、会場の隅にある大きなガジュマルのような木陰に陣取り、扇子で顔を半分隠しながら、その「地獄絵図」を観察していた。
「――おい! 僕の紅茶がぬるいぞ! 淹れ直せ!」
鼓膜を劈くような怒声。
庭園の中央で、金髪の少年が侍従に向かって叫んでいる。
フレデリック第二王子。私の婚約者であり、この乙女ゲームのメインヒーローだ。
整った顔立ちだが、その眉間には常に深い皺が刻まれている。彼は自分の思い通りにならないことがあると、すぐに声を荒らげる。
前世の記憶がフラッシュバックする。
予備校の自習室で、貧乏ゆすりをしたり、舌打ちを繰り返していた隣の席の男子。
集中を乱すノイズ。精神を削る環境音。
(……うるさい)
私は眉をひそめた。
彼との恋愛イベント? 冗談じゃない。あんな騒音発生源と結婚したら、私の安眠と精神衛生は一生損なわれる。
彼が王位を継げるかどうかなんてどうでもいい。ただ、私の半径10メートル以内で大声を出さないでほしい。それだけだ。
視線をずらすと、噴水の近くで木剣を振り回している赤髪の少年がいた。
レオン・ヴァーミリオン。騎士団長の息子。
「くそッ、なんで上手くいかねえんだよ!」
彼は苛立ち紛れに、美しいバラの植え込みを木剣で叩き折った。
飛び散る花弁。暴力的な破壊衝動。
彼は「熱血キャラ」として描かれていたが、現実で見るとただの「危険人物」だ。
刃物を持たせてはいけないタイプ。感情の制御ができていない。
(あんなのが近くにいたら、いつ流れ弾が飛んでくるか分からない。物理的リスクが高すぎる)
私は扇子を持つ手に力を込めた。却下だ。彼もまた、私の平穏なスローライフには不要な因子だ。
そして、もう一人。
騒ぐ彼らから少し離れたベンチで、分厚い本を読んでいる少年がいる。
黒髪に眼鏡。ギルバート宰相令息。
彼は静かだ。叫びもしないし、暴れもしない。
けれど、時折眼鏡の奥から周囲を観察する視線が、酷く冷たい。
彼と目が合った瞬間、私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
まるで、私という存在のスペックを値踏みし、利用価値があるかどうかを計算しているような目。
(……嫌な感じ。あの子は、私の「嘘」を見抜くかもしれない)
本能的な警戒アラートが鳴る。彼には絶対に近づいてはいけない。
「……最悪のラインナップね」
私はため息をついた。
どいつもこいつも、情緒が不安定で、攻撃的で、他者への配慮がない。
ゲーム画面越しなら「キャラが立っている」で済んだかもしれないが、生身の人間として対峙すると、彼らはただの「ストレス要因」でしかなかった。
「おや、こんなところに隠れていたのか」
不意に、頭上から声が降ってきた。
ビクリと肩を震わせて見上げると、そこには不機嫌そうな顔をしたフレデリック王子が立っていた。
逃げ遅れた。
「……ごきげんよう、殿下」
私は立ち上がり、完璧だが心のこもっていないカーテシーをした。
「君はいつもそうだ。陰気な顔をして、隅っこでこそこそと。僕の婚約者なら、もっと堂々としたらどうなんだ」
王子は私の地味なドレス(わざと選んだ)と、飾らない髪を見て鼻を鳴らした。
「そんな地味な格好では、僕の隣に立つ資格なんてないな。もっと華やかに、僕を引き立てる努力をするべきだ」
――資格がない。努力しろ。
その言葉が、前世の記憶の棘を逆撫でする。
『判定D』『努力不足』『合格する資格がない』。
誰かに評価され、条件付きでしか認められない屈辱。
カッとなりかけた感情を、私は冷徹な理屈で押し込める。
いいえ、これはチャンスだ。
彼に嫌われれば、婚約破棄への道が開ける。
「申し訳ありません、殿下」
私は表情を凍らせ、淡々と告げた。
「ですが、私は静寂を好みます。殿下のように、大声で周囲を威圧し、自身の価値を誇示する必要を感じませんので」
「なっ……!?」
王子の顔がトマトのように赤くなる。
「お、お前……僕に向かって、なんて口を!」
「事実を申し上げたまでです。……失礼いたします」
私は踵を返し、その場を去った。
背後で「待て! 無礼だぞ!」と叫ぶ声が聞こえたが、私は二度と振り返らなかった。
◇
帰りの馬車の中。
私はクッションに深く沈み込み、長い長いため息をついた。
やってしまった。王族に対する不敬に近い態度。
でも、後悔はしていない。
あんな騒音と共に生きるくらいなら、北の最果てで一人、羊を飼って暮らす方がよほど豊かな人生だ。
「……お疲れのようですね、お嬢様」
向かいの席で、エルナが温かいブランケットを私の膝にかけてくれた。
「ええ。……物語の王子様なんて、現実はあんなものよ。ただのわがままな子供」
「お嬢様の仰る通りです。あの方々は、お嬢様の心の平穏を乱すだけの存在に見受けられました」
エルナは、王家批判とも取れる言葉を、天気の話でもするように肯定した。
「お嬢様は、何も間違っておりません。ご自身が『不快』と感じたものを遠ざける。それは生物として、とても正しい防衛本能です」
正しい。
その言葉が、私の強張った心を溶かしていく。
そうか。私は逃げているんじゃない。防衛しているんだ。
不快なもの、危険なもの、理解できないもの。それらを排除して、自分の周りを快適なものだけで満たすこと。
それは「わがまま」ではなく、「最適化」なのだ。
「……ねえ、エルナ。もし私が婚約破棄されて、公爵家を追い出されたら……ついてきてくれる?」
ふと漏れた弱音。
エルナは聖母のように微笑み、即答した。
「もちろんです。世界の果てまで、お嬢様の『快適』をお守りいたします」
その言葉に、私は心から安堵した。
王子も、騎士も、天才もいらない。
私を全肯定してくれるエルナと、静かな生活さえあればいい。
馬車の窓から見える王都の景色は美しい。
けれど私には、それが自分を閉じ込める巨大な舞台装置のように見えて、少しだけ寒気がした。
早く、ここから逃げ出さなければ。
追放されるその日のために、準備を始めなければ。
――こうして私は、誰にも愛されない道を選び、自ら孤立を深めていった。
それが、誰かの描いたシナリオ通りの「バグ排除」であるとも知らずに。
お読みいただき、ありがとうございます。
「不快なものを遠ざけるのは、正しい防衛本能です」
エルナにそう肯定され、ユイはますます自分自身の『殻』を強固にしていきます。
王子との婚約破棄を狙う彼女の行動は、一見すると悪役令嬢ものの王道ですが、その根底にあるのは「自由」ではなく「管理された安寧」への執着です。
次回、ユイは来るべき「追放ルート」の現実的な厳しさを知ることになります。
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引き続き、孤独を最適化するユイの物語をよろしくお願いいたします。




