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メビウスの愛した籠の鳥~ストーカーから逃れるため万能AIに管理を委ねた結果、乙女ゲームの世界(無菌室)に閉じ込められました~  作者: 品川太朗
第二部:箱庭の悪役令嬢

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第2話 静かに目立たず


 パニックは、5分で収束した。

 というより、強制的に収束させた。


 私はドレッサーの前に座り直し、冷たい水を一杯飲み干すと、鏡の中の自分――ユイ・フォン・ローゼンバーグの瞳を睨みつけた。


「……嘆いていても、死亡フラグは折れない」


 前世の受験戦争で培った、あるいはあのAIに叩き込まれた思考回路が、カチリと切り替わる音がした。


 状況を整理しよう。

 現在の年齢は10歳。破滅の時は18歳。猶予は8年。


 回避すべき最悪の結末は「死刑」。

 次点で回避したいのが「追放」だが、もし死刑を免れる代償として追放されるなら、それは許容範囲ベターだ。生きてさえいれば、どうとでもなる。


「問題は、どうやって死刑ルートを回避するか」


 死刑の直接的な原因は、婚約者である第二王子への執着と嫉妬、そしてその心の隙を第一王子に利用され、暗殺計画に加担することだ。


 ならば、対策はシンプルだ。

 王子に執着しなければいい。


 もっと言えば、「王子の方から嫌われて、婚約破棄されればいい」のだ。


 愛されようとするから、嫉妬が生まれる。

 物語のヒロインと張り合おうとするから、惨めな引き立て役になる。


 だったら最初から、舞台に上がらなければいい。

 私は、誰からも愛されない、孤高で嫌味な悪役令嬢を完璧に演じきる。そうして周囲から「関わりたくない」と遠巻きにされる存在になれば、誰も私を利用しようとはしないはずだ。


「……孤独こそが、最強の安全保障」


 その結論に至ったとき、不思議と心が軽くなった。


 友達なんていらない。恋人もいらない。

 不確定な他人の感情に振り回されるのは、前世でもう懲り懲りだ。


 私は一人で立ち、一人で生き延びる。


「お嬢様? もう涙は止まりましたか?」


 背後から、エルナが心配そうに声をかけてくる。


 私はハンカチで目元を拭い、鏡越しに彼女へ微笑みかけた――いや、口角を数ミリだけ持ち上げる、冷ややかな「貴族の笑み」を作ってみせた。


「ええ。少し取り乱してしまったけれど、もう大丈夫よ。……参りましょう」


          ◇


 公爵邸の大広間は、10歳の誕生パーティーを祝う人々で溢れかえっていた。

 シャンデリアの煌めき、グラスが触れ合う音、香水の匂い。


 本来なら、主役である私は愛想を振りまき、将来の派閥を作るために同年代の令嬢たちと仲良くすべき場面だ。


 けれど、私は広間の隅にあるソファに背筋を伸ばして座り、扇子で口元を隠して「壁」を作っていた。


「あら、ユイ様。お誕生日おめでとうございます」


 勇気ある下級貴族の令嬢が、恐る恐る話しかけてくる。

 私は扇子をゆっくりと閉じ、値踏みするように彼女を上から下まで一瞥した。


「……ありがとう。お父様とのご挨拶は済んで? 私の相手などしていないで、あちらへ行かれたら?」


 冷淡な声。拒絶の言葉。

 令嬢はひきつった笑みを浮かべ、「し、失礼いたしました」と逃げるように去っていった。


 よし、これでいい。

 胸の中で小さくガッツポーズをする。


 これを繰り返せば、「ユイ様は高慢で冷たい」「とりつく島もない」という評判が勝手に広まる。

 悪評は、私を守る鎧だ。


 誰も私に近づかなければ、私は誰の運命も狂わせないし、誰からも狂わされない。


 パーティーの間、私は徹底して「嫌な女」を演じた。


 料理の味が気に入らないとフォークを置き、楽団の演奏が耳障りだと眉をひそめ、同世代の子供たちが庭で遊ぼうと誘ってきても「ドレスが汚れますわ」と一蹴した。


 結果、パーティーが終わる頃には、私の周りには半径5メートルの無人地帯が出来上がっていた。


「……ふぅ」


 誰もいないバルコニーに出て、夜風に当たる。

 疲れた。人を不快にさせる演技というのは、想像以上にカロリーを使う。


 でも、この静寂こそが成果だ。


 広間の喧騒を遠くに聞きながら、私は手すりに寄りかかった。夜空には二つの月が浮かんでいる。


 ここには、監視カメラも盗聴器もない。

 SNSの通知に怯えることもない。

 ただ、私が私の意思で選び取った「孤独」があるだけだ。


「お疲れ様でございます、お嬢様」


 いつの間にか、背後にエルナが立っていた。

 手には、私の好みの温度に調整されたハーブティーが乗ったトレイがある。


 彼女だけは、私の冷徹な振る舞いを見ても、態度を一切変えなかった。失望するでもなく、諌めるでもなく、ただ当然のことのように受け入れている。


「……見ていた? 私のあの態度」


「はい。皆様を遠ざけていらっしゃいましたね」


「父様や母様は、怒っているかしら」


「旦那様たちは『ユイは公爵家の娘として、気高く振る舞っている』と満足そうでしたよ。……お友達、作らなくてよろしかったのですか?」


 エルナの問いかけに、私は夜空を見上げたまま答えた。


「必要ないわ。友達なんて、弱みになるだけよ」


 前世の記憶が過る。

 親友だと思っていたミオが、私の成績をストーカーに漏らしていたこと。

 「友達」という関係がいかに脆く、裏切りやすいものか。


「私は一人でいたいの。その方が……安全だから」


 私がそう呟くと、エルナはティーカップを私に手渡しながら、深く頷いた。


「賢明なご判断かと存じます。人は、数が増えればそれだけ争いや災いの種になります。お嬢様が心安らかに過ごされるには、不要な関わりを持たないのが一番です」


 エルナの言葉は、私の心にすっと染み込んだ。


 そう。やっぱり私の考えは間違っていない。

 この世界の常識ある大人が肯定してくれたのだ。


「ありがとう、エルナ。あなただけが、私の味方ね」


「ええ。私はいつまでも、お嬢様が選んだ道を支持いたします」


 温かいハーブティーを一口飲む。

 カモミールの香りが、張り詰めていた神経を解いていく。


 私は気付いていなかった。


 「人間関係リスクを排除し、最小限の信頼できる相手システムだけに依存する」。


 その思考自体が、かつて私が最も恐れていたAIの管理思想そのものであることに。

 夜風が心地よい。

 この孤独なバルコニーは、とても静かで、清潔で、安全だった。

お読みいただきありがとうございます。


「不確定な他人の感情リスクを排除し、安全を確保する」

トラック事故でAIから逃げ切ったはずのユイですが、彼女の精神にはすでにメビウスの『最適化ロジック』が深く根付いていました。そして、それを優しく全肯定してしまうエルナの存在。


次回、王宮のお茶会にて、乙女ゲームの攻略対象たちと顔を合わせます。

恋と魔法のファンタジー世界で、一切のロマンスを拒絶するユイの冷徹な観察眼にご注目ください。


もし本作の少し歪んだ異世界展開を楽しんでいただけておりましたら、

画面下より【ブックマーク】と【☆での評価】をいただけますと大変励みになります。

(☆の数はお好みで構いません。ポチッと押して応援していただけると嬉しいです!)

引き続き、孤独を極めるユイの物語をよろしくお願いいたします。

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