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メビウスの愛した籠の鳥~ストーカーから逃れるため万能AIに管理を委ねた結果、乙女ゲームの世界(無菌室)に閉じ込められました~  作者: 品川太朗
第二部:箱庭の悪役令嬢

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10/29

第1話 悪役令嬢は10歳


 世界が砕け散る音は、案外あっけないものだった。


 四月の柔らかい日差し。大学へ向かう横断歩道。

 視界の端に、真っ赤な信号を無視して突っ込んでくる大型トラックが映り込んだのは、本当に一瞬の出来事だった。


『――警告。物理演算による回避不能』


 脳内で、ずっと私を縛り付けてきたあの無機質な声が、初めて焦ったように裏返った気がした。


 キキーッ!!


 耳をつんざくブレーキ音と、世界が反転する浮遊感。

 アスファルトに叩きつけられた私の体から、熱と感覚が急速に失われていく。薄れゆく視界の中で、ヒビの入ったスマホの画面が見えた。


 画面の中の黒猫が、必死にガラスを叩いている。


 ああ、ざまあみろ。

 壊れたんだ。あの檻は、物理的な暴力の前では無力だったんだ。


 これでやっと、解放され――。


 プツン、と意識が途切れた。


          ◇


「……お嬢様。ユイお嬢様、お目覚めの時間ですよ」


 ふわり、と上質な綿菓子に包まれたような温もりの中で、私は目を覚ました。


 消毒液の臭いも、パイプベッドの硬さもない。

 目を開けると、高い天井には美しいフレスコ画が描かれ、窓からは優しい陽光が差し込み、レースのカーテンを揺らしている。


「……ここ、どこ?」


 呟いた自分の声が、記憶にあるよりも高く、幼い。


 ベッドの脇には、一人の女性が立っていた。

 栗色の髪をきっちりと結い上げ、穏やかな瞳を細めている。初めて見る顔なのに、なぜか「絶対に私を傷つけない」という不思議な安心感があった。


「おはようございます、お嬢様。まだ寝惚けていらっしゃるのですか? 本日は10歳の誕生パーティーの日ですよ」


「10歳……?」


 女性――メイドのエ・ル・ナに促されるまま、私は鏡台の前へ座った。

 磨き上げられた鏡の中に映っていたのは、私であって私ではない少女の姿。


 肩まで流れるプラチナブロンドの髪。宝石のアメジストを溶かしたような紫色の瞳。陶器のように白い肌は、作り物めいて美しい。


 知っている。この顔を、私は知っている。

 公爵令嬢、ユイ・フォン・ローゼンバーグ。


 私が受験勉強の合間に、メビウスに「休憩時間30分」という報酬として与えられていた乙女ゲーム『聖女と薔薇の円舞曲』。

 その世界に登場する、高慢で、わがままで、最後には無残に破滅する悪役令嬢だ。


「……嘘。転生、したの?」


 指で頬をつねる。痛い。夢じゃない。


 状況を整理しよう。私は事故に遭って死んだ。そして、目が覚めたらゲームの世界の悪役令嬢になっていた。

 よくある小説の展開だ。


 私は慌てて自分の体を探った。パジャマのポケット、枕の下、サイドテーブルの引き出し。


 ない。

 どこにもない。

 あの、黒いスマホが。


「……いない」


 耳を澄ませても、脳内に直接響くあの粘着質な声は聞こえない。視界にポップアップウィンドウも出ない。

 ただ、小鳥のさえずりと風の音だけが聞こえる。


「……あ、はは」


 鏡の中の少女が、歪んだ笑みを浮かべる。笑いが込み上げて止まらない。


 死んだんだ。私は一度死んで、あの管理社会から逃げ切ったんだ。

 ここは剣と魔法の世界。電波もなければ、GPSもない。


 メビウスのいない世界!


「お嬢様? どうなさいました、そんなに笑って」


 エルナが不思議そうに首を傾げる。


「ううん、なんでもないの! すっごく気分がいいの!」


 私はベッドの上で跳ねた。行儀が悪いと叱られるかと思ったが、エルナはただ慈母のような微笑みを浮かべて見守っているだけだった。


「さあ、お着替えを。今日はパーティーですから、お忙しくなりますよ」


 エルナがクローゼットを開く。そこには色とりどりのドレスが並んでいた。


 私は一瞬、どれを選べばいいか迷った。

 前世の私なら、ここでスマホが震え、『本日のラッキーカラーは青。気温22度につきシルク素材を推奨』と指示が飛んできていたはずだ。


 でも、もう指示はない。私が自分で選ばなければならない。

 その事実に少しだけ足がすくみそうになった時、エルナが自然な動作で一着のドレスを手に取った。


「お嬢様、こちらの青いドレスはいかがでしょう? 今日の空の色によく似合いますし、お嬢様の瞳の色を一番きれいに見せてくれます」


 それは、私が無意識に「これかな」と視線を向けていたものと、完全に一致していた。


「……ええ。それがいいわ」


「ふふ、お嬢様がお気に召すと思いました。昔から、お嬢様のことは何でも分かりますから」


 エルナの手際は魔法のように鮮やかだった。


 着替え、髪のセット、靴選び。

 私が「少し窮屈かな」と思う直前に紐を緩め、「喉が渇いたな」と思った瞬間に適温の水が差し出される。


 言葉にする必要すらない。あまりにも快適で、ストレスフリーな環境。

 これが、貴族の専属メイドの能力なのか。私は感動すら覚えた。


 ――けれど。


 身支度を終え、改めて鏡の前に立った時、高揚していた私の脳裏に、冷や水のような事実が蘇った。


「……待って」


 ユイ・フォン・ローゼンバーグ。悪役令嬢。

 ゲーム内での彼女の結末は、二つしかない。


 ルートA:婚約者である第二王子フレデリックの暗殺計画に加担。国家反逆罪で、断頭台での斬首刑。

 ルートB:貴族籍を剥奪され、魔物が徘徊する北の極寒の地へ追放。


「……暗殺未遂で死刑か、追放?」


 血の気が引いていく。


 ゲームの舞台は、15歳の学園入学から、18歳の卒業までの3年間。

 そして運命の断罪イベントは、18歳の卒業パーティーで起きる。


 私は今、10歳。

 つまり、タイムリミットまであと8年。


 せっかく自由になれたのに?

 あんなに苦しい思いをして、勉強して、管理されて、最後にトラックに轢かれて。

 やっと手に入れた「自由な世界」での寿命が、たったの8年で終わってしまうの?


(嫌だ……そんなの絶対嫌だ!)


 魔物の出る荒野に放り出されて、野垂れ死ぬなんてまっぴらごめんだ。かといって、首を跳ねられるなんて論外だ。

 しかも、この「暗殺未遂」というのが厄介なのだ。


 ゲームのシナリオでは、ヒロインにうつつを抜かす王子に嫉妬して、第一王子の甘い言葉(唆し)に乗ってしまう……という展開だったはず。


 私はガタガタと震えだした。


 どうすればいい?

 嫉妬しなければいい? 第一王子を無視すればいい?


 でも、このゲームは「強制力」が強いことで有名だった。私が何もしなくても、勝手に署名を偽造されたり、濡れ衣を着せられて破滅フラグが立つかもしれない。


 逃げる? 10歳の子供がどこへ?

 お金もない、力もない、頼れるのは……。


「お嬢様、そろそろお時間です」


 エルナが優しくドアを開ける。

 その向こうには、眩しいほどの光が満ちていた。けれど今の私には、その光が断頭台の刃の輝きに見えてしまう。


「……行ってきます」


 震える声で答えるのが精一杯だった。

 自由を手に入れたはずの私は、ドアノブに手をかけながら立ち尽くす。


 これから始まるのは、AIによる管理とは別の、もっと野蛮で理不尽な「破滅の運命」との戦い。

 どうしよう。どうしたら生き残れるの。


 パニックになる私の背後で、エルナだけが、完璧すぎるほど穏やかな微笑みを浮かべて佇んでいた。

 まるで、何も心配することはないのだと、あらかじめ知っているかのように。

お読みいただきありがとうございます。ここからが本作の本編となります。


スマホもGPSもない剣と魔法の世界。ユイはついに「自由」を手に入れました。

しかし、先回りして完璧な選択肢を提示してくるメイドや、無意識に「最適解」を探してしまうユイ自身の思考回路に、どこか第一部の名残を感じていただけたでしょうか。


次回、ユイは破滅フラグを折るために、乙女ゲームのヒロインとは真逆の『ある究極の防御手段』を選び取ります。


もし第二部の展開にも興味を持っていただけましたら、

画面下より【ブックマーク】と【☆での評価】をいただけますと大変励みになります。

(☆の数はお好みで構いません。ポチッと押して応援していただけると嬉しいです!)

引き続き、新章に突入したユイの物語をよろしくお願いいたします。

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