〈44〉 波乱は大きくなっていく
「どうか、力を貸して欲しい」
ジェンキンスがエリオットに向かって深々と頭を下げた。今のジェンキンスは“エリオットの兄”ではなく、ひとりの伯爵当主としてラファエ公爵に頼みに来たのだ。エリオットもそれがわかったのか小さく息を吐いてからジェンキンスに真っすぐに視線を向けた。
「力を貸せって……僕になにをさせたいのさ?」
「それはもちろん、メルキューレ侯爵家の立て直しだ。このまま放っておけばとんでもないことになる。……それと、個人的にもうひとつ頼まれてほしい。実は……」
そう言ってジェンキンスがポケットから取り出したのは1枚の紙だった。一度握りつぶされたのか皺の寄ったそれを破けないように広げると、私とエリオットの前にそっと差し出した。
「これは……なにこれ、密告文?」
「……これにはミリーナに他に婚約者がいたこと、エレナがミリーナを金で買って婚約破棄させたこと、それにエレナの欲を満たすために俺と無理矢理結婚させた。などと、あの時のことが面白可笑しく脚色されて書かれているんだ。事細かく書かれていることから、あの時あの場にいた誰か……たぶんキャサリンが書いたのだろうことは推測出来た。これが俺に対する嫌がらせだけならば何の問題も無かったんだが……」
ジェンキンスが悔しそうに唇を噛んだ。
「……レナードの事がミリーナの前の婚約者との子かもしれないとか、ミリーナが婚約者を裏切ってほかの男と不貞を働いていた不義の子の可能性があるとか……蔑んだ内容がビッシリと書いてあるんだ。ミリーナに聖女の称号は不当で、メルキューレ侯爵家の分家の妻には相応しくないので今すぐ離婚させるべきだと……。しかもこの文書がメルキューレ侯爵家からの正式な抗議文として教会に提出されていたんだ。“俺”をミリーナから解放するために聖女を罰せよってな」
「なにこのでっちあげ……。確かに上辺だけの話なら金で聖女を買ってジェンキンスと結婚させたってことになってるけど、あの時の使用人たちはみんなちゃんとわかってるはずだよ。犯人はたぶんじゃなくて絶対にキャサリンで決定じゃん。しかも勝手にメルキューレ侯爵家の名前を使ってるし、この“ジェンキンスはメルキューレ侯爵家に帰りたがっている”とかなんの妄想なわけ?」
エリオットがゴミでも見るかのように眉に皺を寄せてからその紙をジェンキンスに返した。私も見せてほしくて手を伸ばそうとしたのだが、エリオットに「こんなの見たら目が汚れちゃうよ」と言われてしまった。たぶん、今ジェンキンスが話した内容よりさらに酷いことも書かれているのだろう。
「それで、教会はなんて言ってきたの?聖女の称号を取り上げるって?」
「……とりあえず事実を調査すると連絡がきた。ミリーナに婚約者がいたのに俺と付き合っていたのは真実だし、聖女の称号はそこまで重要じゃないからそれは別にいいんだが……」
「これが真実として公表されたら、レナードの将来がめちゃくちゃにされるってことだね」
静かに頷くジェンキンスだったが、悔しさなのか肩が震えている。教会から調査されると言われた以上待つしかできないのだろう。でも寄付金の値段で聖女の称号を売っているような教会が侯爵家に逆らってまでミリーナさんたちを守ってくれるかと言われたらその答えは否だ。
「────で、ジェンキンスは本当にミリーナさんが不貞したとか思ってるわけ?婚約者がいるのに自分と付き合っていたような女だからやっぱりレナードは自分の子供じゃないかもしれないと疑ってるとか?例えばミリーナさんが離婚するのを嫌がっているけど僕に権力で脅して別れさせてほしいとか言いたいの?
まぁ、悪いのはミリーナさんだけでジェンキンスはおねーさまと聖女に弄ばれた可哀想な令息だったって同情されるだろうし、レナードは……子供には罪はないって押し通せば出生を隠して孤児院に引き取らせれば「そんなわけないだろう!!あっ……」……じゃあ、どうしてここへ来たの?」
ジェンキンスが勢いのままテーブルを拳で叩いた後、顔色を変えた。しかしエリオットは肩を竦めるだけだ。
「確かに今の僕はラファエ公爵だよ?しかも王家にツテもある。今のジェンキンスより金も権力も持ってるけどさ────それとも、誰かに何か言われてここへやってきたとか言わないよね?」
エリオットの冷たい雰囲気にジェンキンスがビクッと体を揺らしたが、私は意味がわからなくて思わず身を乗り出した。
「ど、どういうこと?」
「どうしたもなにも……よく考えてごらんよ?あの教会が審議やらなんやら面倒くさいことするわけないじゃん。聖女の称号なんてほんの数年しか効力がないし、教会からしたら聖女は吐いて捨てるほどいるわけ。ただの肩書なんだよ?高位貴族から抗議されたんならすぐにその聖女をクビにして新しい聖女を世に出すだけさ。まぁ、この抗議文は本当に書かれたものなんだろうけど……で?ミリーナさんやレナードのことを持ち出せば僕が動くって思ったんでしょ?ほんとはなにをさせたいのさ?」
「ハハハ…………やっぱり、バレるよな」
今度は乾いた笑いをしながら肩を落としたジェンキンスが、目の前に置かれたすっかり冷めた紅茶を一気に飲み干した。
「すまない。今言ったのは、そう言ってエリオットを誘い出せと脅されていたんだ。確かにその抗議文は教会に出されたが、教会からは聖女の称号を剥奪はするが離縁のことまでは関係ないと言われたらしい。まぁ、確かに教会にそこまでの権力はないからな。レナードのことも前の婚約者には清い関係だったと証言はとってあるし、俺がミリーナを疑うはずがないだろう?
まったく……嘘をつくのは案外キツイものだな。しかもこんな下手くそな台本だし、俺には演技なんて向かないよ。あの時のエレナの方がよっぽど上手かった」
そして、さっきまでの演技よりもよっぽど深刻な顔でこう言われたのだ。
「レナードがキャサリンに人質に取られているんだ」と。




