22歩目 目覚め
サクラの視界に映ったのは、灰色のコンクリートだった。
埃っぽい地面はお世辞にも柔らかいとは言えない。はて、何故自分はこんなに硬いベッドで寝ていたのだろう? 頭がガンガンと痛み、考えをまとめることすら苦痛だった。
全身が石になったみたいに重たい。上半身だけでも起こして周囲を見渡そうとすると、脇腹に鋭い痛みが走った。
「っ~~~~~!!!」
サクラは声にならない悲鳴を上げてのたうち回る。動いたことで更なる痛みに襲われ、これはマズいとじっと耐えることにした。おかげで徐々に痛みは落ち着いていき、鋭い激痛は鈍痛へと変わっていった。
周囲は薄暗い地下空間。瓦礫とサクラの荷物が散らばり、サクラが寝ていた場所は黒くなった血が広がっている。ぼんやり辺りを見渡すうちに、サクラは何が起こったのか思い出してきた。爆撃を受けて地面が崩落し、落ちた先で大怪我を負ったのだ。その後、意識が朦朧としながらコスモスの指示で応急手当をし、そのまま気絶した。
「いき、て……? ごほっ、ごほっ」
「おはようございます。7時間32分の昏睡でした」
カラカラに乾いた喉で話そうとしたせいで咳き込むサクラに、植物みたいに無感情な声がかけられた。少し離れた瓦礫の山、サクラの落下地点に放置されたコスモスだった。
サクラはすっかりいつもの調子なコスモスにムッとする。こっちは死にかけて、今も痛みに耐えているというのに心配の色が見えない。文句の一つも言ってやりたかったが、声を出すのも辛かった。目は回るし頭も痛いし、指先も震える。
「失った血液は造血剤で補いつつありますが、副作用で脱水症状が出ています。早急な水分補給を推奨します」
言われるまでもないとサクラは散らばった荷物を見渡す。幸いすぐ近くに水筒が落ちていた。水筒を見つけた途端、耐え難い喉の渇きを覚えたサクラは震える手でキャップを開けた。
「んっ、んぐっ……ごふっごほっ……! んぐっ……」
咳き込み、零しながら水を飲み込むと、重たい体に少し力が戻った。サクラは五臓六腑に染み渡るという慣用句を体感していた。
「凄まじい飲みっぷりですね」
「ごほっ、はあ……うるさい。あのさ、もうちょっと……心配してくれたっていいんじゃない?」
「サクラ様の状態は常にモニターしておりました。バイタルが乱れたのは2回のみで、それ以外は安定していることが分かっていました」
(つまり、目を覚ますまでずっと心配してくれてたってこと?)
そんな風に考えて、サクラは首を振った。流石に都合が良すぎる解釈だ。このポンコツにそんな感性は実装されていないだろう。死にかけたせいか、何にでも甘えたくなっている。弱っているのだ、とサクラは思った。
「それで……7時間って言った?」
「はい。正確には7時間32分54秒です」
「そんなに寝てたんだ。その間、オートマトンが襲ってきたりは……」
「1度もありませんでした」
妙な状況だった。
アクビィはサクラを殺そうとしていた。そしてそれはあと一歩のところまで迫ったのだ。サクラは大怪我を負い、7時間以上も意識不明になっていた。その間、サクラは完全に無防備になっていたのだ。追いかけてきてトドメを刺すのは簡単だったはず。
それなのにサクラは生きている。奇妙過ぎて、これもアクビィの作戦なのではと疑ってしまうくらいだ。
ただ、はっきりとしていることはある。この場所は比較的安全で、ある程度時間が稼げそうだということ。今のサクラには好都合な事実だ。
サクラは荷物の中を這いずり、造血剤の瓶と行動食を探し出した。瓶からカプセルを取り出して飲み込み、行動食の包装を破る。チョコレート風味のカロリーバーはパサパサしていて固いけれど、体を動かすための熱量が詰まっている。力の入らない顎を動かして行動食を齧った。
「サクラ様?」
コスモスが困惑したように問いかけてくるが、それには答えず無心で咀嚼する。甘くて美味しい行動食五番はサクラの好物だったが、味わって食べる精神状態ではなかった。
苦労して行動食を一本平らげると、「何か来たら教えて」とだけ呟いて膝を抱えるように座った。
体力を取り戻さなくてはならない。比較的安全とは言っても、ここは敵地である。出来るだけ早く体を動かせる状態に戻さなくてはならない。傷は治療用ナノマシンが塞いでくれている。あとは立ち上がり、歩き出すためにカロリーと休息が必要だった。
そう、サクラは自分で立ち上がらなければならない。自分を守るために、自力で歩かなくてはならない。怖いものからサクラを守ってくれるハカセはもういないのだから。
「うっ……ひっ、ぐす……」
だから休息が必要だった。体と、そして心を休める時間が。
様々な悲劇を目にしながら旅を続けてきたサクラの精神は頑強だ。同年代の子供とは比べものにならないだろう。
だがそれは、殺意と悪意と、それから痛みに対して何も感じないほど達観しているという意味ではない。サクラの心は傷つきやすい少女の心だった。ただ、心を守るために鎧を着こむ方法を知っているだけだ。
やるべきこと、必要なことに集中してなんとか保っていた精神は限界を迎えていた。
「ふ……ぅ……、ひっく……」
サクラは静かにコートの袖を濡らしていた。アクビィに声を聞かれる危険があるため、大声で泣きわめくことは出来ない。頭の隅に追いやった理性の警告に従い、押し殺したように泣くサクラを、コスモスは何も言わず見守っていた。
「ふう……お待たせ。休憩したら元気が戻ったよ」
サクラはしばらく啜り泣いた後、気絶するように短い眠りに落ちた。浅い眠りから覚めたサクラは顔を上げる。泣きはらした目元は赤くなっていたが、その奥にある目は生気を取り戻していた。
水分が足りていないのに泣いたから、また喉が渇いた。替えの水筒を見つけて一口飲んだサクラはコスモスの元まで歩いて行った。
「これからどうするか考えよう。いつまでもここにはいられないしね」
「複数の計画を策定済みです。しかし、もう少し休息をとってからでも構わないのでは?」
「何言ってるの。アクビィがずっと放っておいてくれる保証は無いでしょ。動けるようになったんだから、すぐにでも動かないと」
「それは、その通りですが」
「どうしたの? 言いたいことがあるなら言ってよ、コスモスらしくない。……それとも、私が気づいてないだけで体を動かせる状態じゃないとか?」
「いいえ。フィジカルスキャンは完了していますが、現状でもなんとか行動可能な状態です。激しい運動こそできませんが、素晴らしい回復力と言えます」
「自分でもびっくりしてる。こんな大怪我したのは初めてだけど、人間って意外と動けるもんだね」
「……それは」
「それじゃあ問題ないみたいだし、計画っていうのを聞かせてよ」
「はい……承知しました。まずはAcviについての分析です」
サクラは瓦礫に慎重に腰かけ、コスモスを拾い上げた。
「Acviの目的ですが、サクラ様との会話で『敵の全滅』と発言していました」
「確かに言ってたね」
「これは全く現実的とは言えない目的です。また、敵意の無いサクラ様を殺そうとしていることから、敵味方識別機能にも破綻が見られます。おそらくAIの基本設計理論を無視し、安全機能を排除したことによるエラーの蓄積を処理できていないのでしょう」
「むずかしい。もっと簡単に」
「Acviは狂っています。無差別に人間を殺すために動いている、非常に危険なAIということです」
「うん……」
サクラはコートの上から脇腹に触れた。医療用ナノマシンによって傷口は塞がっているものの、薄い膜で覆っているようなものだ。無理をすれば傷口が開くだろう。
「私を殺そうとしているのは確かだね。けどさ、なんで私がここで寝こけてる間に襲ってこなかったの?」
「仮説がひとつ存在します。敵の認識機能についてです」
「認識?」
「サクラ様を攻撃してきたオートマトンですが、あのタイプであれば透過センサーを搭載していると推測していました」
「そうだね。実際、壁越しでも狙って撃ってきたし」
「しかし、住居に逃げ込んだ際には精密な狙いをつけることが出来ませんでした」
そういえば、とサクラは思い返す。家の中に飛び込んで息を整えていた時、オートマトンは何度か射撃をしたがサクラには当たらなかった。あの時のサクラは疲労で回避行動も出来ていなかったのだ。透過センサーを持っている機械が止まっている的を外すはずがない。
「オートマトンには私が見えていなかったの?」
「条件付きで同意します。おそらく、敵は物体を透過する観測方法を持っていません」
「じゃあ壁越しに狙ったのはどう説明するの? あれは避けなきゃ頭に当たってたよ」
「壁越しの射撃はサクラ様が道路を走っていた時です。屋外でのみサクラ様の動きを把握しているのでしょう」
「……コロニーのドーム、鉄骨になにか光って見えるものがあったね」
「はい。都市監視用カメラを利用している可能性は高いです」
ドームの鉄骨に設置された監視カメラ。都市を上から見下ろせるそれがあれば、確かに壁越しに狙いをつけることは簡単だ。サクラが逃げようとも見失うことはないだろう。
「状況証拠から敵は透過センサーを使えず、その代替として上空からの映像をリンクしているのでしょう。逆に言えば、上から見えない場所では視覚的な優位性を失うことになります」
「だから地下には入って来たくないってこと? 有利な場所で戦いたいから、私が出てくるのを待ってるのかな」
「あくまで推測でしかありません。優位性を失うとはいえ、戦力ではオートマトンが圧倒的に上であることには変わらない。その状況で追撃をしないのは消極的に過ぎます」
「ああ見えて慎重派なんじゃない?」
「その可能性はあります。いずれにせよ体勢を立て直す時間が得られた事実が重要です。すでに脱出ルートの算出は終わっています」
「え?」
「地下空間を辿っていけばAcviに発見されずコロニーを脱出できるでしょう。速やかな撤退を提案します」
「……」
「サクラ様?」
「あのさ、アイツの弱点が分かったわけじゃない」
「弱点と呼べるか疑問が残るところです」
「とにかく、アクビィの手口が分かったなら……アクビィをやっつけられないかな?」




