11歩目 死地
コンクリートの壁を破壊して現れたオートマトンは、以前の街で朽ちていたものと同型のようだった。銃弾も弾き返す装甲、8本足による安定した機動、何より両腕に備わった爪の破壊力は破壊された壁を見れば明らかだ。
頭部につけられたカメラアイが収縮し、サクラを捉える。虫のように無感情でオートマチックな視線がサクラの頭から足元まで通り抜けた感覚がした。
「あなたは――」
都市の防衛用オートマトンか、それとも。誰何の声に帰ってきたのは、オートマトンからの攻撃だった。
「……っ!」
瞬きの間に眼前まで迫った巨体に、サクラは息を呑む間も惜しんで飛びのいていた。白兵戦用に作られた鋭い爪が空気を薙ぐ。一瞬前までサクラの頭があった空間を通り過ぎ、背後にあった壁を抉った。
壁に作られる曲線的な傷跡。コロニーの入り口で見た物と同じ。巨大な爪を突き刺す用途に用いれば、人体にだって大きな穴を空けられるだろう。
(つまり、このコロニーを壊滅させたのは――!)
サクラが感じたのは炎のような怒りだった。内側から体を炙り、思考を焼き焦がす赤い炎だ。住人を殺して都市を破壊したこの機械に燃え盛る怒りを感じていた。手足に熱い血液を送り込み、動き出すための準備が整った。
攻撃を外したオートマトンが再びサクラを狙って動く。彼は無駄な思考をしない。無駄な会話をしない。無駄な感情を持たない。目的のために最適な行動のみを行う。機械の戦い方だった。
八本の足が軋み、鋼鉄の巨体を回転させる。側面を通り抜けようとしていたサクラに向き直り、ついでとばかりに右の爪を薙いだ。サクラは咄嗟に上半身を逸らして回避する。爪が鼻先を掠めた。空気の焦げる匂いがする。
(落ち着かなきゃ。冷静さを失ったら終わりだ)
湧き上がった怒りに冷たいものが混じる。それは恐怖だ。サクラの知識、サクラの理性が目の前の脅威に警告を出していた。
人間の出力を超えた人工筋肉、精密に動作するマニピュレータ、文字通り雷の速度で行われる判断。戦闘のために作られた機械を相手にして、人間に勝ち目などない。2度も攻撃を避けることが出来たのは奇跡でしかないのだ。サクラはそのことをよく知っていた。
サクラは逸らした上半身の勢いのまま後ろに倒れ込む。体勢を整えている暇はない。ゴロゴロと転がりながら距離を取る。
(ええいっ。リュック邪魔!)
リュックの肩ひもを外す。こんなに重たいものを持ったまま戦えない。緊急時に使う装備は右ポケットにまとめてある。手を突っ込み、触れた物をとにかく引っ掴む。警棒、スモークグレネード。それから――。
そこで、時間が切れた。3度目の攻撃。サクラの心臓目掛けて突き出された爪が迫る。惚けていれば瞬きひとつの間に殺されているだろう。迷っている余裕は無かった。
「だっ!」
リュックを蹴り上げる。大きなリュックはオートマトンとの間に飛び上がり、サクラの姿を覆い隠した。中身が満載されているとはいえ布製のリュックだ。鋼鉄の爪を防ぐほどの強度は無い。リュックが貫かれ、中身が飛び散る。バーナーセット、テント、着替え、ウサギのぬいぐるみが地面に散らばっていく。
しかし、その先にサクラはいなかった。リュックが視界を塞いだ一瞬の間に、身を低くして爪をくぐり抜けていたのだ。頭上を通り過ぎる鋼鉄の腕に冷や汗をかきながら、サクラはオートマトンの懐に飛び込んだ。
長く鋭い爪。しかし武器であるからには死角が存在する。例えば腕の内側、手を伸ばせばハグだって出来そうな至近距離だ。ここなら、オートマトンが攻撃しようと思えば自分の胸ごと貫く羽目になる。
そして戦闘機械に比べてはるかに手足の短いサクラにとっては、自由に動き回れる領域だ。
サクラの右手に握られた警棒が閃き、オートマトンの胸に突き立てられる。警棒は硬質な音を立てて装甲に阻まれた。当然だ。銃弾だって弾き返す強化装甲を、警棒などで貫けるはずがない。動きの止まったサクラを、無感情なカメラアイが捉える。サクラは狂暴な笑みを返した。
警棒のスイッチを入れる。バチン、と鋭い音と共に、オートマトンの体を電流が走り抜けた。
スタンバトン。スイッチ一つで電流を流し、触れている者を感電させる。サクラが研究所から持ち出したとっておきだ。危険な人間に出会った時の護身武器であり、機械に対する切り札でもある。
機械は過電流に弱い。機械の頭脳であるCPUとメモリは繊細な電流で制御されている。そこに人間が気絶するほどの電流を流せばどうなるかは明白だ。機械にとっての脳を破壊されれば、動くことはない。
やった。そう考えたサクラは安堵の息を吐きだし……カメラアイが収縮するのを見た。
「っ!」
8本の足が軋む。オートマトンは懐に入ったサクラを排除するために体当たりを選択した。急加速した鋼鉄の塊がサクラに衝突する。加速距離が僅かだったため致命傷には至らなかったが、それでもサクラは数mほど吹き飛ばされてマンションの壁に叩きつけられた。
「……っ。そりゃそっか。白兵モデルは耐電流加工ぐらいされてるよね……!」
咳き込みながら体の状態を確認する。両腕は動く。足も問題ない。指先まで感覚があるので背骨も取り合えず無事。しかし全身に広がる痛みで筋肉が硬直している。今までのような機敏な動きは出来ない。着実に追い詰められている中で、サクラの頭は冷静に打開策を探していた。
(ああ。いつもの感じだ)
これまでの旅で危機に直面したことが何度かあった。命の危険を感じた時、特に明確な『敵』を目の前にした時、サクラの思考はいつも冷たく冴えわたる。無駄なく、最適化された機械のような思考が回り始める。目の前の『敵』を排除するために、自分が生き延びるために、いくつもの選択肢が浮かんでは消える。
選択肢のリスクとリターンを秤にかけ、最善の行動を導き出す。痛みに怯む心も、死に対する恐怖も、街の人々を殺した機械に対する怒りも、全てが遠くなる。今だけはノイズでしかないものだから。必要なのはリターンがリスクを上回ることだけ。
そうしてサクラが出した結論は一時撤退だった。少なくとも体の自由が回復しなければ次の攻撃で殺される。手に持っていたスモークグレネードのピンを抜く。投げる直前にコスモスのことが頭をよぎった。
(いや、あのポンコツは役に立たない)
荷物と一緒に転がっているぬいぐるみ。今はオートマトンの向こうにある彼を拾いに行く余裕などない。本人も気を引かないように声を出していない。オートマトンに壊される可能性は低いだろう。判断を下したサクラはスモークグレネードを投擲した。
瞬時に広がる煙。塞がれる視界。退路はスモークグレネードを投げる前に確認済みだ。音響センサーに拾われないよう出来る限り足音を殺して近くのマンションに駆け込んだ。
(痛ったぁ……。もう、なんだってこんなことに……!)
マンションに駆け込み、這うようにして階段を上る。オートマトンがマンション内でサクラを探す場合、機械的にしらみつぶしに探す方法を取ることが予想できる。戦闘用のオートマトンには賢いAIを載せないことが通例のため、馬鹿正直に下の階から探してくるだろう。そうであれば上の階に逃げれば時間を稼ぐことが出来る。
ひとまず3階まで上ったサクラは廊下の壁に背を預け息を整えた。アドレナリンのおかげか痛みは徐々に引いていく。悪態をつきたい衝動を抑え、手持ちの装備を確認する。
大したものは持っていない。元々着ていた耐環境コート、リュックから引っ張り出した警棒、それからコートの下に仕込んであるワイヤーアンカー。それだけだ。
耐環境コートはこの状況で役には立たない。厳しい環境には十分な機能を発揮してくれるが、物理的な防御力は期待できないだろう。警棒は先ほど効かないことを確認した。ワイヤーアンカーは高所から降りる際に使うもので、攻撃力はない。
(倒すのは無理。逃げるべきだよね)
オートマトンを倒す手段がない。そもそも軍事利用されていた戦闘機械を個人が倒せるはずがないのだ。となれば逃げるしかないのだが。
(物資は回収しなきゃならない)
サクラのリュックが破壊され、物資はマンション下の道に転がっている。逃げるにしても、コロニーを離れれば待っているのは砂と灰の大地だ。食料も水も装備もない状態で逃げても数日で野垂れ死ぬことになる。
物資の回収は今後サクラが旅を続けるために必須。しかし、散らばった物資を悠長に集めるのをオートマトンが見逃すはずはない。
(どうしよう……。とりあえずアイツは私のことを見失っているだろうし、諦めるまで隠れ続けるしか)
サクラは行動の方針を決め、オートマトンの様子を確認するために窓を覗いた。階下を見ればまだ煙が充満している。リュックの残骸も煙に包まれており、これは煙に紛れて回収するのもアリかとサクラが考えている瞬間だった。
ふ、と窓から差し込む光が遮られた。
奇妙に思ったサクラが視界を上げると、そこに奴がいた。
八本足で器用に外壁を掴み、無感情なカメラアイを収縮させ、その爪でサクラを貫こうとしているオートマトンがいた。
「―――――っ!」
サクラは声にならない悲鳴を上げ身を丸めた。致命傷を割けるべく頭を庇ったサクラに向かって、冷たい鋼鉄が振り下ろされる。
サクラにとっては何度目の幸運だったのか、爪はマンションの外壁ごとサクラを破壊しようと振りぬかれたため、サクラの胴体を両断することは無かった。その代わり、破壊されたコンクリートの破片が散弾銃のようにサクラの体を打ちのめした。
「……なる、ほどね」
サクラは全身に広がる鋭い痛みに息を詰まらせながら思考していた。煙幕で視界を遮っていたはず。音で逃げた方向位は推測できるだろうが、サクラが隠れている階まで特定するのが早すぎる。何より、オートマトンは最初からサクラが隠れている場所ごと攻撃するつもりだった。奴にはサクラの姿が見えていたのだ。
「内部構造の、スキャン。透過センサー……!」
コスモスにも搭載されているセンサー。物体を透過し、その内側の物を見る機能だった。
ここに至っても冷徹なサクラの思考が警告を鳴らし続けていた。壁越しでも対象を見つけるセンサーを持っているという事は、こいつから隠れる手段がないという事だ。運動能力でも負け、隠れることも出来ない。逃げる手段が、ない。
目の前の機械は文字通り死神だったのだ。人間であれば一人として逃げることも隠れることも出来ない。必ずその命を奪う死神だ。
死神の鎌がギラリと光る。太陽の光を反射する爪を視界に収めて、サクラはぼんやりと思った。このまま数呼吸の間動かないでいたら、その爪がサクラの首を撥ねてくれるだろうか。そうなったら痛い思いをしながら立ち上がる必要もない。破片が打ち付けた全身が痛くて、泣いてしまいそうなくらいなのだ。
それに、生きていてどうなるのだろう。こんな死に絶えた世界で、誰もいない孤独な場所で。希望を持ってやって来たコロニーだって全滅していて、これから先生き残っている人間に出会える可能性はどのくらいあるのだろう。
それはサクラの奥底に巣くっていた不安だった。普段の明るさは不安を抑え込むための仮面だった。終わってしまった世界で、少女が一人で生きていくために必要な仮面だったのだ。
仮面が外れてしまう。素のサクラが、弱い心が諦めを選ぼうとしていた。そんな時、いつも脳裏に浮かんでくるのはハカセの最期の言葉だった。
『しっかり生きなさいサクラ。少しでも長く生きて、そうして幸せに死になさい。自分が納得する命の使い方をするの。私は今、思っていたより幸せよ』
最期にはベッドから起き上がる力も無くなっていたハカセ。細くなってしまった手でサクラの頭を撫でてくれた感触を覚えている。自身の死を前に、サクラに向かって幸せそうに微笑んだ顔を覚えている。
(私は今、あんなふうに笑えない――!)
だからここはサクラの死ぬべき場所ではない。まだ旅を終える時間じゃない。
サクラは左腕を突き出す。コートの袖の下、緊急用のワイヤーアンカーの射出装置を起動させる。打ち出されるアンカー。射撃武器を警戒して退避行動に移るオートマトンの脇をすり抜けて、マンションの外にワイヤーが飛んでいく。向かいの建物にアンカーが突き刺さり固定される。
逃げようとするサクラに気づいたオートマトンが爪を振り下ろす。一瞬早くサクラがワイヤーの巻取りを開始させた。モーターが唸り、凄まじい勢いでワイヤーが巻き取られる。それに合わせ、サクラの体がアンカーに向かって引き寄せられマンションから飛び出した。
オートマタが破壊した穴から空中に飛び出す。勢いのまま向かいの建物の壁に叩きつけられる瞬間にワイヤーを外す。必死で壁を蹴り、ベランダに捕まって勢いを殺し、それでも殺しきれない勢いのまま下に落ちた。
「あぐっ……いったぁ……」
背中から地面に落ちて息が詰まる。肺から空気が追い出されて苦しい。目には涙が浮かんでいた。それでも、サクラは立ち上がった。止まったままではいられなかった。
戦場は振り出しに戻っていた。最初にオートマトンが襲い掛かって来た道路。少し離れた場所ではまだ煙幕が漂っている。サクラの荷物もあの煙の中にあるはずだ。地響きと共にオートマトンが降って来た。マンションの3階から飛び降りたのだ。衝撃を8本脚で吸収し、サクラをまっすぐに見据えた。
「あなたもしつこいね。しつこい男は嫌われるらしいよ」
軽口を叩いたのは委縮しそうになった心を奮い立たせるためだった。未だに恐怖はサクラの中にある。手足を縛って重くする感情を、冷静な思考で押し流す。右手の警棒を強く握りしめた。それがサクラに残された唯一の武器だった。
オートマトンはサクラの様子が変わったことに警戒をしているのか、その場で爪を構えてタイミングを伺っているようだ。窮鼠猫を噛む。ハカセが言っていたことわざを、この機械も知っているのかもしれない。そう思うとサクラは少しおかしくなった。
「ねえ、あなたはどうして人を殺すの?」
もしかしたら会話が出来るかもしれない。そんな期待の元かけた声に返答は無かった。反応もなく佇んでいるオートマトンに、やっぱりあのポンコツが特別だったのかと肩をすくめる。そこで余計な考えを打ち切った。
スタンバトンは効かなかった。しかしそれは、正面装甲に対電流加工がされていたからだ。他の部分は違うかもしれない。例えばカメラ部分、センサー、間接部分。コアに電流が流れる場所を見つけることが出来れば勝つ可能性はある。
問題は見つけるまでに奴の攻撃をかいくぐらなければならないという事だ。今まで無傷……とはとても言えないが、生き残っていたのは幸運の要素が強い。目で追い入れない攻撃は運任せで回避しているのだ。
私の運はまだ残っているかな? サクラはそんなことを考えた。それこそ神のみぞ知ることだろう。運に頼らないのであれば、もう一つ何か有利な条件が欲しいところだった。
突破口を探すサクラ。サクラを警戒するオートマトン。意図せずして生まれた硬直状態。両者とも、自ら動こうとはしなかった。サクラは無謀な突撃をするつもりはなかったし、相手はプログラムに忠実な機械だった。
だから、硬直状態を破るのは第三者の存在に他ならない。
不意に響いた声が最後の攻防の始まりを告げた。煙幕の中から響いた声。その場にいないはずの第三者。戦闘が始まってから、数少ない有利性を維持するために一言も発さなかった存在。
「PLR-02の準備完了。照準は背面部。発射します」
植物みたいに無感情な電子音。コスモスの声が響き、両者は動き出した。




