第9章 帰り支度
第9章 帰り支度
熱い岩の上で、荒波はアカゲに言った。
「この人よもだよ」
言われたアカゲは蓬に向かって下唇を突き出し、サルの流儀で軽く挨拶をした。
荒波は蓬への紹介には気が回らず、暑さに顔をしかめた。それに満潮が近く、海は迫り、休んでいられなくなった。
「山へ戻るよ」
と言ったのはアカゲだった。西でも東でも、森を周って帰るのでは遠くなるし、黄色いヘビ以外にも悪いものがいないか定かではないと。
(クロイチの言う事なんかやっぱりハズレだ。あっちこっちの事聞いといた方が、やっぱりためになるじゃないか)
アカゲは独り思い、ふんっと鼻息を吹いた。
荒波も言った。
「俺ももう、小屋まで近道で行く自信が無い。でも山頂なら。二回に分けて行くからちょっと待って貰えるかな。よもを先に」
荒波は気遣わしげな目をアカゲに向けた。
するとアカゲは最後まで聞かず、腕をひょいっと振ってキリに合図を送った。それを受けてキリはアカゲの背中に飛び付く。手には岩から剥がした海苔を持ったまま。
「こんな崖、自分で登れる。お前、先に行って木でも食ってな。頂上でな」
アカゲはそう言い一旦潮溜まりに入って手足を濡らすと、軽々と岩場を去って行った。
「かっこいい」
呟いたアラナミを蓬はじっと見ていた。そして、
「今、あのおサルさんと交信してたっぽいね。また一段と人間離れしてるね。ああ、波が凄い」
とブツブツ言った。
内陸の町で誰かに話しかけられ、逃げようと思ったらよろけて何故か海に落ちた。そしてそんな蓬を助け上げたのは行方不明になっていた荒波で、荒波はサルと意思の疎通をしている様子なのだ。蓬は混乱して、投げ槍になりかけていた。
その間にも岩は熱くなる。荒波は蓬のヘルメットを手首に掛け、リュックも背負って息を整え始めていた。
そして、意を決して蓬の手を取る。だが緊張したせいで掴み損ねてしまい、焦った。
「あ、ごめ」
「え、え? な」
でもやはり、照りつける日差しからは逃れなければならない。
「あ、う、いや」
荒波はくじけそうな心を何とか立て直し、蓬の手をまた握った。
「は?」
周りに誰もいないとは言え、こんな事を受け入れていいものかと、蓬の体は硬くなる。そんな蓬に構っていられず、荒波はもう一方の手も捕まえて、
「せえの!」
「はうっ」
と山頂に移った。荒波は慌てていて、オラシオンの呪文を省いていたが問題なくやれた。
目を開け、自分も蓬も無事に山に居ると確認すると、荒波は手を離して息をついた。そして蛇がいないかを抜かり無く見回し終えると、ペタッと地面に座りこむ。
「はあ、クタクタだ。よも、お願い。何か、枝採って」
わざわざ蓬に頼んだのは荒波なりの、手を握った気恥ずかしさを紛らす方法だった。蓬もフラフラと動き、同じく恥ずかしさを何とかしようと、荒波が食べられそうな枝を選び始めた。
それは、瞬間移動した事の驚きを後回しにする程の一大事だった。
木陰の冷たい土の上で、荒波は蓬から受け取った枝にかぶりつき、パキッと噛みながら言った。
「そう。こういう枝がいんだよな」
蓬はそんな懐かく異常な光景を眺めながら、
「荒波だ」
と、行方不明少年との再会を改めて認識した。
それでも未だ夢の中にいるような表情の蓬を、荒波もまじまじと見た。そして不思議だとは思ったが、自分の経緯と同様に後で説明がつくだろうと、まずは現実的に声を掛けた。
「怪我した?」
問われて蓬は、腕や足を動かしてみる。
「ううん、大丈夫。荒波こそなんで。さっきの何。ここ何処」
蓬の方は、すぐに全てを明らかにしたがった。
「ここは無人島の山の上だよ。さっきは海」
答えると荒波は食べ掛けの枝を持ったまま、崖の下方を見ようと首を伸ばした。
「アカゲとキリ、言ってた通りもうここに着きそう。凄いなあ」
そう言って荒波はまた枝をかじった。
「おサルさんのことだよね」
他に該当する者はいないと分かっていたが、蓬は念の為に聞いた。まだ常識を捨てたく無かった。
「あれ、言ってない? アカゲと、小さい子がキリ。友達なんだ」
「うん、友達か」
蓬は一旦疑問を解消することを諦めた。他にも多過ぎるし、荒波の受け答えにも大分問題がある。自分が現れたことで荒波も混乱しているのかと思い遣った。
そして蓬は濡れたスカートを絞りながら言った。
「とりあえずここ無人島なのね。大変だあ。え無人島? 私あれあるよ!」
蓬は勢いよく、荒波の背の自分のリュックに取り付いた。そしてチャックを開けて携帯電話を掴み出す。
携帯端末は、濡れていたが画面は明るく点いた。蓬はその上端を凝視する。
「あ、圏外!」
蓬は眉尻を下げて荒波を見た。荒波は終始、希望を持つ暇もがっかりする暇も無かった。
程なく、キリを背負ったアカゲが現れた。日陰でも赤々として見えるサルの姿は、再び蓬を驚かせ、また恐れさせた。
そんな蓬に構わず、荒波はしきりにアカゲに話しかけた。アカゲは表情を少し動かすだけで応じていて、その様子を蓬は見守った。逆にアカゲの肩にしがみついたままのキリは、蓬を興味深そうに見ていた。
「あははっ。‥‥ そうか。アカゲの足なら、明るいうちに森に着くね。でも念のためキリは俺が‥‥ 了解」
会話は終わり、キリは荒波のうなじに跳び移った。
アカゲは荒波と目を合わせると、数歩地面を駆けてから木の上に上がり、山を下る方向へと去った。
僅かの間に、枝がな跳ねる音が遠くへ消えていった。
そしてどうやら、体力を補った荒波が自分とキリを伴い、また移動することになったらしいと蓬は理解した。
荒波が蓬を見て手を出す。蓬も逆らう理由など無いと、応じて両手を差し出した。
荒波は息を整え、目を閉じた。
三人は小屋のすぐ傍に出現した。荒波にとって愛着のある小屋は、行き先に決めると瞬間移動がやり易かった。
山頂でアカゲは、
「明日迎えに行くから、今夜もキリを小屋に泊めてくれ。世話はない。自分で木の葉を採って食べるよ」
と言っていたが、荒波はキリにも焼魚を食べさせたかった。それでまた、干物を冷蔵庫から出して来た。
そして荒波はズボンのポケットから、輪っかにした白い紐を取り出す。元はウエスト部分に通っていた物だ。それをいつものように頭にはめて前髪を上げ、一人作業に集中した。火起こしは日光頼みだから時間制限があるのだ。
一方で蓬は、浜に出る前の荒波から、
「俺、物干しの方へ行かないようにするから、使っていよ」
と、小屋の裏手を指して言われていた。それを、下着を干しても大丈夫だという意味と蓬は理解したが、濡れたものを着けたままで我慢することにした。荒波を疑いはしないが、気持ちが落ち着かないし、少しの間の辛抱だと考えた。
それでも服は着替える。荒波の長袖と半ズボンを渡されている。
「荒波の着替えは」
と蓬が聞くと、
「このままでもすぐ乾くし、慣れてるからいよ。制服ならあるけどね、あはは」
と、荒波はおどけて答えた。
蓬は小屋で一人、濡れて重くなった制服を脱ぎ、ジャージに腕を通しながら考えた。
(あみが元気そうでよかった。でも、一ヶ月以上もどうやって生きてたのか分からないし、あの事もあるし。私、普通に接していいの? それにこの状況ほんとに何)
蓬はため息をついた。
その時だった。得体の知れない地鳴りの様なものが起きて、蓬はさらに不安になる。音も揺れも無いが、それは確かに蓬の体に伝わった。
蓬は、地鳴りがおさまってからも少しの間、動きを止めて目を見はっていた。そしてもう無さそうだと気を緩めると、蓬の世界に色彩が戻った。着替えも終わった。
荒波のジャージは、長袖はすごく長くて、半ズボンも膝のずいぶん下まであった。
小屋から荒波が歩いて行った方向には、一筋の程良く開けた道が出来ていた。
藪を荒波が手入れしているのだろうか、いやまさかと思いながら蓬はそこを進み、砂浜に出た。
右手には釜戸の様な石積みがあり、その前で荒波がしゃがんでいるのが見えた。
蓬は近づいてから声を掛ける。
「何してるの」
荒波は、足音で蓬に気付いていたが、顔を向けないままで答えた。
「魚焼くの。三人分ある。待ってて、火起こしなかなか上達しなくて」
荒波がそう言った側から小さな炎が生まれていた。
「荒波、そんな事できる子じゃ」
蓬は無遠慮なことを言ってしまったと思い、途中でやめた。
以前はこのくらい荒波には気にせず言っていたが、今は気が引けたのだった。
「はは。俺もびっくりだよ。記憶失くしてたうちに、出来るようになっちゃったんだよ」
「え。そうなんだ、記憶喪失」
蓬は驚愕と共に、荒波の明るい返事に安心もした。心が忙しかった。
「俺焼けたら呼ぶから、その間、散歩でもどうぞ」
そう言って、やっと振り向いた荒波の頭には白いカチューシャの様な物があり、珍しく額が剥き出しになっていた。
蓬はまた出そうになった軽口を慎むと、勧められた通りに散歩をする事にした。
蓬は改めて、自分の混乱した心に目を向けた。
荒波の声や体格の成長に抵抗感を抱いている場合ではなくなっている。
荒波に世話をしてもらうなど、どんな態度をとればいいか分からない。
優しいけれども、気が利くわけでもなく頼りない、それが蓬の荒波だった。近頃の荒波に対して、元の気楽さを取り戻して欲しいという願いは持っていたが、こんな変化はまるで予想外だった。
そもそも、あれだけ泣いて心配した荒波が今そこにいる。
荒波がどんな時間を過ごして来たのか、知るのが怖い。それでも、山積みの事柄を一つずつ話し合いたい。どれから手をつければいいのかと頭がはち切れる思いではあったが、先ずは荒波の無事を蓬は喜びたかった。
散らかった心のまま、ゆっくりと西へ歩いていた時、蓬は濃厚なオレンジ色に心を奪われた。白に近い空は雲の帯に区切られていて、崖の上に見事な夕焼けが現れたのだった。
蓬は、もっと良く見えるよう歩を進めた。
「きれい」
思わず感嘆の声が出た。
「きれい!」
今度は振り返り、荒波に聞こえるように声を張り上げたが返事はなかった。
蓬は気を取り直し、再び夕焼けに魅入る。まるで絵の様だと思った。
人も家も車も、街灯も舟も何もない浜辺の、非日常の風情は蓬の心を圧倒した。
(異世界みたい。なんか、荒波が言いそうな言葉)
家を出た朝が昔の事の様に思える。
すると異世界でなくても、ここが家から遠く離れた何処かだという実感。今度は蓬の心を現実が捕える。
(そろそろお母さん、私が帰らないの変だと思う頃だ。どうしよう)
嘘をついた挙句にこんな事になってしまった。蓬には、母と父が心配している姿が容易に想像出来た。
(私、どんどん悪者になる)
そんな考えで心が崩れそうになった頃、夕日は崖に大方隠れた。
そして背後で砂を踏む音がした。蓬が振り向くと同時に、
「きれいだった?」
と荒波が声を掛ける。前髪は元に戻してある。
「うん、すっごくきれいだった」
蓬の返事は偏平で、自身には、自分の声ではない様に聞こえた。暗い心境を荒波の穏やかな声が癒して、戸惑ったからだった。
それでも蓬は、避けてきた荒波と二人きりだということが気になった。荒波の方で避けられた事をどう思っているか分からないのも問題だ。
何もかもが蓬を追い詰めるように思えてきた。
景色はこんなにも綺麗なのに、ちぐはぐな世界だと蓬は思った。
そんな蓬の気持ちになど気付かず、荒波が言う。
「なんかさ。町に帰りたいけど、みんなをこっちに呼びたい気もしちゃうよ。ね、この景色! そしたらさ、よもが来た。はは」
「ああ、来ちゃったね。あはは」
依然、荒波にとって『よもが来た』が良いのか悪いのか、蓬には判らない。
「もう暗いな。ごはん出来たから小屋で食べよ」
荒波の口調はどこまでも優しい。
「あ、あのさ、小屋もやっぱり暗いよね」
そんなことを蓬は聞いてみた。たじろいでいるのを誤魔化すために足掻いたのだった。本当はこの状況で食事にありつける事自体、奇跡だと思ったがそれは言えなかった。
「それがさあ、最近、油の缶見つけたんだよ、どっかの国の。あと金属のバケツもあるから、そういうの使って明るくできるよ。心配ないから行こう」
さらに続けた。
「食べて、いろいろ話そうよ」
『話そう』とは、と。
そんな建設的な荒波の発言にも、蓬はまたたじろいだ。蓬が慣れ親しんだ、呑気で頼りない性格の少年らしくない。『心配ない』もそうだ。
(困るんだよな。素敵であっては、あみらしくないんだよ)
蓬の居心地の悪さは限界まで来ていた。それでシューッ。蓬は強いため息を鼻から吐き出すと心を切り替えて言った。
「うん。荒波の今日までのこと聞かせて。私は荒波の家族のこと話さなきゃ」
すると、もう表情がよく見えない程薄暗くなった中、荒波が頷いて言う。
「あと、よもがここどうやって来たのかも教えて!」
蓬は、パッチリと目を見開く。
「そうだ。こんな不思議な事、あみにしか話せないよ!」
「まあ、ここ、俺しかいないしな」
荒波は笑って、蓬も思わず声を上げて笑ってしまった。
荒波は内心、蓬にあみと呼ばれ、天にも昇る心地だった。
二人は歩き出した。
釜戸の、焼きたての魚の側では、早く食べたいとキリがウロウロしていた。
†
「小麦粉だったんかい」
バケツのランタンの暖かな灯りに頬を照らされながら、荒波は重々しく言った。
瞬間移動のきっかけが爆発だとは推測していたものの、小麦粉というところがピンと来ないまま無理に納得しようとする。
二人は、夕食後に話していた。
食べなが話そうと思ったが、空腹でそれどころではなかった。
荒波は何度も自分以外の者を伴って移動したし、着衣水泳も二度した。蓬は二度溺れかけたのだ。
二人は黙々と食べた。焼き魚だけでなく、焼き貝、オレンジ、筍、木の芽も。手近なものは全て平らげ、やがて体も心も落ち着いていった。
(俺、蓬と晩御飯食べてる)
荒波は心が落ち着くにつれ、急展開の不思議さに気付く。そして動転しそうになったが何とか抑えた。
それでやっと、お互いが見た世界について伝え始めることが出来たのだった。
荒波は、自分が行方不明となってからの色々な事を蓬から聞いた。
繁の能力のこともだ。
「しいの奴すげえんな」
それから蓬が海に落ちた経緯を。
ノウゼンカズラの辺りからアカゲと荒波の声が聞こえてきて、吸い込まれたのだと蓬は語った。
荒波は不思議さにおののきながらも、故郷や家族の顔を鮮やかに思い出していた。
記憶を取り戻してからも、まだ薄いカーテンが掛かっているようだったのが、すっきりと全開にされた心地だった。
そこでふと気になったことを、ポツリと蓬に聞いてみる。
「よもはどうして今日あの場所通ったの」
単純な疑問だ。あの道は蓬の通学路ではない。荒波の家に来る以外に、蓬には用が無いのではなかったかと。すると、
「あの家が」
と、さっきまでハキハキとしていた蓬の口調が急に弱くなった。
「うん? あの家って」
「爆発した家だよ。取り壊しになるって聞いたから、その前に見に行ったの。荒波のことが、もしかして何か」
「あ。心配してくれたの?」
荒波は自分が情けなくなった。聞く前にそのくらいの事を予想できないとはと。
「当たり前じゃん、心配するよ、私、すごく、それは、すごくさ」
荒波は嬉しかった。確かに知っている人が消えたら、普通は心配するだろうが、それでも嬉しかった。
「よもたんありがとうね」
荒波は照れ臭くてつい、小さい頃の呼び方をしてしまった。でもこれはもっと恥ずかしい。恥ずかしさは一秒ごとに悪化していく。荒波は逃げ出したかった。
(近道で。ああ駄目だ。よもを独りにできないよ)
荒波は葛藤した。それで目を閉じたい衝動と戦い、おかしな目つきになっていた。
すると蓬も調子が狂ったのか、荒波の様子に怯んだか、「ううん! うううん!」と大袈裟過ぎる咳払いをした。
そしてまた重要でもないことを聞いた。
「それで、荒波のリュックも見つかってないんだけど、やっぱりこっちにあるの?」
「あるよ」
蓬の切り替えに救われた荒波は、小屋の隅を指した。
「あ、籠」
蓬は呟いた。リュックサックと一緒に置いてある、幾つかの籠が気に止まったのだ。
「荒波、あれ上手だね。おばさんも教室はお休みにしてるけど、何か編んでたってお母さん言ってたよ」
それを聞いて、荒波は瞬時に思った。
(きっとオラシオンの籠だ。お母さん、俺の無事を願って編み込んでんだ)
荒波は涙が上がって来そうになり、口をギュッと曲げて、
「あなたもリュックごと来ましたね」
と、不自然でも話をリュックに戻した。
すると蓬は思い出したとばかりに、まだ湿っている自分のリュックからジャージを出した。
そして、「ちょっと待っててね」といい、小屋の外の物干し場へと出て行った。
荒波は座ったままバケツの灯りを持ち、蓬の足元を後ろから照らした。その後は物干しがある方角に置く。小屋の隙間から灯りが外へ漏れて、少しは月明かりの足しになるからだ。
(闇の中では小さな灯火も力を持つのだ。オラソルが繰り返し、そう教えてくれている)
荒波は思い、満足気にバケツを眺めた。
この暮らしで荒波は、夜目が効くようになっているが、蓬と灯りを分かち合う幸せをかみしめている。
そして荒波は一人改めて、蓬の話を頭の中で整理してみる。
繁が荒波の気分を感じ取れて、家族はそれを頼りに、荒波の生存を信じて暮らしている。
驚きだった。それに、なんて有難い事なんだろうと思った。繁のそれは、いわゆる超能力なのだろうかと、俄かには信じきれない。繁は兄の自分と違い、皮膚が普通でうらやましいと荒波は思っていた。だから特殊なところがあるなど、想像したこともなかった。
でも、もう何でもあり。一つ一つ疑うのは面倒になってきている。
そんなことを悶々と考えて黙っていると、蓬が戻って来て言った。
「それでさあ、あのノウゼンカズラの所と、岩場の近くがつながってるっていうのはなんなのよ」
そう、重大な疑問だと、当然荒波も思っている。向こうとこちらで会話したのだ。何なのだろうと。
「不思議なことがあんだねえ」
荒波は、結局こういう答えしか無いのだと思って言った。
それを蓬は無視して荒波を責めた。
「荒波がやったんでしょ」
「えあ? 俺、ううん、どうなんだろう。そうかなあ」
荒波は予期せず決め付けられ、狼狽えた。さっきまで呑気だった荒波の心中は、忙しく回転し出した。
(俺が。どうやるんだ。可能性はあんのか。でもそんなこと急に言われても分かる訳ない。あれ? でももしそうなら、蓬の災難も俺のせいか)
「そうとしか思えないよ」
蓬は引かなかった。
(そうかもしれない。じゃあ謝る? でもまだ決まってないし、俺だって辛かったのに怒られるの嫌だ。そうとしか思えない? そう?)
ここで荒波の思考力は尽きた。
「知んねえ。俺ただの通行人。時空の支配者じゃねえもん。社長じゃねえもん。班長でもねえよ」
「なによ荒波、そんな喋り方じゃなかったじゃん。やだ」
「え、元からだよ」
「違うでしょ。海辺で暮らして、日焼けして、カチューシャしたから喋り方も変えちゃったんだ」
蓬は食ってかかってきた。荒波は蓬こそ、なんだか変じゃないかと思った。
(俺を避けたり責めたり、もうやめてよ)
それで荒波はこの勢いに任せて、湧き上がってきた言葉を吐き出してしまった。
「なんだよもう。大変だったの! 何にも分かんなかったんだ。名前も。でも腹減って、食べ物採って。トイレ造ったり、屋根造ったり直したり、全部さ、一人でさ! あの時、ただ自転車漕いでただけだったのにさあ。知んねえよ」
言い終わった後の沈黙。
小屋いつもがたてている微かな音も消え失せた世界になった。
キリは、蓬のリュックの缶バッジを引っ張っていたが、異変を感じたか、ぎこちなく振り向いた。そして荒波は、缶バッジの中で微笑む韓国人の男と目が合う。
「ごめん」
蓬が言った。
「あ」
(大変だ。蓬が泣きそう)
荒波はさっき、言っている途中で、やり過ぎだと気付いたが止められなかったのだった。
蓬と荒波は長い付き合いの中で、喧嘩はほとんどしたことが無かった。争うよりも、蓬の小さなわがままを許す方が荒波は良かったし、そもそも蓬は優しい子だからだ。
それなのに、荒波は蓬に感情を投げ付けてしまった。蓬に会えた安心感が走ってしまった。
荒波は、真っ白になりかけた頭を必死に引き留め、言葉を捻り出す。
「でも、違う。最初は記憶が無かったから、だから大丈夫だったよ。よも…… たん」
「大丈夫って? 」
蓬が、うるうるした目で荒波の腹辺りを見る。
「ああ、俺こんなのやった事ないとか、苦手だとか分かんないからさ。単純だった。必要なこと、やるだけだったんだ。誰にも下手くそとか言われないし」
荒波は、そんな心持ちだったのかと整理される思いで話していた。蓬は微かに頷く。それを見て荒波は続ける。
「無人島ごっこ、やっといて正解だったわ。リハーサル。かは」
荒波は笑った。すると蓬の顔も明るくなり、
「この小屋、なんか面白い形だね」
と遠慮がちに言った。
「そうなんだよ。そういう事! 自由に造った。俺のお気に入りの小屋だよ。記憶が戻った時は驚いちゃった。あの俺が色々やったんだなって。はは。ところでさっきの、カチューシャって何?」
蓬は少し笑って、
「そっか。私もこの小屋好きだよ」
と言った後で真顔になり、続けた。
「でもさ、記憶が戻ったら、家族を想って辛くなったでしょ」
胸に突き刺さるような質問だ。荒波は、この部分は避けて通りたかった。
「あ。かなり‥‥ 俺泣いた」
荒波は狼狽え、正直に言うことしか出来なかった。蓬は自分が泣いたところを、小さい頃に二度くらい見ているからいいだろうと思ったが、やはり少し後悔した。すると、
「当たり前だよ。あみ、かわいそう」
と蓬がまたもやべそかき顔になった。荒波の方では見慣れている。
荒波は息をつくと、穏やかに話した。
「でもさ、繁の能力の話を聞けて安心したよ。俺がよもと一緒にいることも繁に分かればいんだけど。そしたら、よもんちに俺の親が電話して…… あれ? そうだよな? よものお父さんとお母さん、何にも分かんないよりはいいよね? 俺といるっていうのは、いい?」
荒波は混乱し出したが、蓬の表情はみるみる明るくなっていった。
「うん、そうか、しいちゃん頼りになる! 」
荒波はほっとした。自分が蓬の両親にどう思われているか、初めて気にしたのだった。
蓬は、
「しいちゃん、どうかお願いします」
と言って手を合わせた。
「よし。あとは、二人で帰ることに集中するだけだな。俺に任しとけ」
荒波は蓬を安心させるため、敢えて強く言い切った。だが蓬の表情はサッと曇った。
「やだ、ほんとにもう。あみがそんな言い切るなんて、やっぱり変」
蓬はそっぽを向いた。
ふざけているうちに話が脱線した二人は、一旦話をまとめることにした。
「ノウゼンカズラとあっちの海は、近道でつながってんだ。そんなら、あの岩場から海に入ってモヤモヤした所に行けば、自動的に町へ帰れるな」
言った後で荒波は、なんて簡単なのだろうと思った。
(来られたんだから帰れるさって、シズカが言った通りだ)
「早速明日行こう」
荒波たちはここまで話すと、明日に備えて寝る事にした。
即席で作った衝立で、狭い小屋を半分ずつに分ける。蓬を奥にやり、荒波は出入り口がある方をキリと使う。キリは隅に置いた籠の中に収まり、荒波は四角い空間の対角線上でなんとか体を伸ばした。
しばらく静かにしていると、蓬が身動きで立てる音が荒波に聞こえてきた。
荒波は、信じられないほど幸せだった。それに空気。蓬が身にまとう匂い。シャンプーか、洗濯洗剤か、体臭なのか荒波は知らなかったが。海水に浸かってもまだ残っているのだ。
荒波は鼻で深呼吸をした。何度もした。
「ねえ、なんか怖いからやめてよ」
衝立越しに、荒波は注意を受ける。
荒波は深呼吸はやめて目を閉じた。すると、海に落ちた蓬を岩に上げようと奮闘した時の光景と、蓬の感触が蘇ってきた。
人との触れ合い。そしてそれが他の誰でもなく蓬で。
「はあ」
荒波は幸せのため息をついた。
「荒波、やめろ」
荒波は怒られ、黙って考えた。
(結局よもは、俺の何が気に入らないのだろう。そしてカチューシャとは何だろう。俺の不在中に出たオラソルの新しい武器か? 読みたいなあ)
そして二人とも眠った。
次の日二人は、元気に里帰りの支度をした。
「あっちは寒いからね」
ここでは服一枚で十分だが、二人はジャージを重ね着し、制服や何かはリュックに詰めた。
アカゲは、朝のうちにキリを迎えにやって来た。荒波はざっと事情を話した。
「これからも、あの岩場の所で行ったり来たりできると思うんだ。早速やってみるよ」
アカゲは頷いた。そして足手まといになりたくないと、この場で別れることになった。
「またすぐに」
「ああ。無事を祈るよ」
「キュッ」
アカゲは、キリを連れて森へと去って行った。
やっと帰れる。荒波は小屋の中を見渡し、外に出てきてからも、愛着のあるその姿を目に焼き付けようと眺めた。
すると蓬が携帯端末を手に言った。
「写真撮ってあげるよ」
そう言われて荒波はハッとした。携帯端末のカメラ機能の事をすっかり忘れていたのだ。
「うん。よも、頭いいな」
荒波は嬉しくなった。
蓬は、照れて硬く直立している荒波を笑わせ撮影をした。
そして二人はリュックを背負うと両手をつなぐ。
「よし。そんじゃあ町に帰ろう。まずは岩場へ」
「ふぁっ」
蓬は、混乱していた昨日よりも鮮明に、つないだ手に不思議な力を感じた。
「いたた」
今日は着地失敗だ。二人とも、岩と岩の間の溝に落ちた状態で到着した。何度もやった事だと思って手抜きになったかと荒波は反省した。
それでも、海の上の歪んだ光はすぐ近くにあった。
目指すその近道の入り口は空中にある。満潮を狙えば波を利用して届くと荒波は計っていた。今がその時だ。運良く、波の具合は丁度良い。
「よし、行こ」
スニーカーを脱いでリュックに収めると、二人は岩の際へ詰めた。
荒波が先に海に入り、後から来た蓬を岩から守りつつ安定させた。
そして二人はまた手をつないで、打ち合わせ通りに歪んだ光へと水の中を歩いた。すぐに底は深くなり、荒波は注意深く、つま先で体を前へ送った。蓬は浮き、カエル足で水を蹴っていた。
波が二人を上げる。
二人は、吸い込まれるような力が働くのを期待して、身構えていた。
それだけだ。恐れは無かった。
結論として、それは出口だった。
この近道は一方通行らしい。
歪んだ光は、躊躇する心など微塵もない二人を、反発するように何度も押し戻したのだった。
仕方なく二人は海から上がり、暖かい岩の上で休む。
あっけない程簡単に帰れると思って喜んでいたのだ。
その分二人は、深くがっかりした。
「あの場から逃げようと、必死に思ったせいかな。参ったな」
荒波は、あの時まるで、爆発を察知して行動したかのように言ってみた。実際はくよくよとしていただけなのに。
「それにしても、小麦粉爆弾作ってたなんてさ。あそこんちテロリストなんかな。迷惑だよな。あんな田舎に、そういうタイプがいるなんてびっくり。今そのテロリストって、生きてんの?」
粉塵爆発のくだりを理解しそこねた荒波がごちゃごちゃと言っている間、蓬は山の方を凝視していた。
「何見てんの」
荒波は聞いたが、蓬は答えずに今度は崖下に目を移す。そして真面目な顔をして言った。
「あの近道さあ、ノウゼンカズラが作ったものかも。遠い土地で繁殖するためにさ、爆発と荒波を利用してさ。植物って、実はすっごいんだって。すっごいの。私、本で読んだの」
蓬が見ていた場所には、蕾を持ったノウゼンカズラが一株あった。荒波は初めて気付いたが、蓬にそう言われると、最近ここに生えたばかりの様なポツンとした感じに見えてしまう。
「怖いこと言わないで」
荒波は眉を顰めた。
二人は気を取り直す暇も無く、暑さに追い立てられる。
それで、不本意にも島の南側へ戻るべく、再び手をつないだ。
森の小川の倒木近く。
二人は小屋に帰る前に、試した結果をアカゲに伝えておこうとここに立ち寄った。でもアカゲ達にはなかなか会えなかった。
二人はしばらく、小川の水を飲んだり、好きにして過ごした。
森は静かだった。
木漏れ日は空中で金色の線になっている。その光が当たった苔は生き生きと膨らんで見えた。
小川では、小魚が跳ねる音がした。
木の葉同士が触る音。幾種類かの鳥の声。緑の匂い。
蓬は大木を見上げたり、遠くを見透かしたりして楽しんでいる。
荒波は、今日帰れなかったのは残念でも、蓬をここに連れて来られたのは良かったと思った。蓬は元々、荒波よりもずっと自然が好きな子だ。記憶が戻ってから荒波は、蓬への重苦しい気持ちを持ちつつも、ここを蓬は気に入るだろうと考えたりしていた。
ここは特別な場所だ。でも、
「ここ好き」
と、思った通り蓬に気に入って貰えのは良かったが、
「こんな素敵な景色を見ながら、暮らしてたんだね」
としみじみと言われ、荒波は返事に困った。
それで脈絡はないが、荒波は『思い出』を出すことにした。倒木に座っていた荒波はリュックを背中から前へ回し、中を探りながら言った。
「これさあ」
「ん?」
かがんで小川を見ていた蓬が振り向き、荒波に近づいて来る。
荒波は凹んだ紙パックを片手で二つ掴んで出した。中身のジュースはもう無い。
「葡萄とメロン。あの爆発の前に買ってたんだよ。お祭りの時さ、覚えてるかな。覚えてない?」
この話題は、どんなタイミングであれいいと思っていた。ただ楽しかった祭りの思い出だから。
「‥‥」
蓬の動きが止まる。
「中身はね、寝込んだ時に飲んじゃったけど。はは。まあ買っといてよかったよ」
言えば言うほど蓬の表情が暗くなるようだ。分からないが、何か良くなかったかと荒波は焦りだした。
「あ、とっとけばよかっ」
「荒波、ごめんね!」
蓬が突然頭を下げる。
荒波は驚き、口を開けたが何も言えない。すると蓬は、姿勢を元に戻さないまま続けた。
「私、あの時、すぐに行っちゃってごめんね」
「え、いよ」
荒波は反射的に言った。
「でも。私、行っちゃった。もっと私と話してたら、爆発に巻き込まれなかったよ。全部私が悪いよ」
荒波は、蓬に謝られるなど思っていなかったから慌てた。それでもどうにか言葉を返した。
「ちが、俺が寄り道したからだよ」
これは記憶が戻ってから何度も思ったことだ。学校の決まり通り、余計な事をせずにまっすぐ帰っていたらと。
耐え難い沈黙が二人の間に横たわる。昨夜もこんな事があったと、荒波も蓬も思った。
そして蓬が弱い声で言った。
「また、仲良しに、なってくれるかな、もう、だめかな」
再び、辛い空気。
荒波は、蓬をこんな立場に追い込みたくなどなかった。海に蓬が現れてから今まで、前みたいに接してくれていたから、もうそれでよかった。あみと呼ばれたから、荒波はもうすっかり幸せだった。いたたまれない様子の蓬を早く救いたかった。
「あれ? 別に、仲良しだろ、今も」
「どういう状況だ」
ここで荒波の脳内にアカゲのテレパシーが染みる。直後に枝が跳ねる音がして、空中でバランスをとるアカゲの姿が現れた。長い、派手な赤い尾。
荒波は動揺で、倒木に座っていた体の均衡を失った。そしてもがきながら落ち、虚しく背中を打った。
アカゲに会うつもりでここに居たという事を、荒波はすっかり忘れていた。ここが森だということさえ頭から無くなっていた。さっきまで木漏れ日や何かにうっとりと目を細めていたと言うのに。
蓬は蓬で、荒波の失態と、アカゲの登場におろおろしている。
逆さまの荒波は考えた。むしろアカゲに助けられたのかもしれないと。蓬と二人きり、これ以上荒波の能力ではどうにも出来そうになかった。この島に来てかなり上位の危機的状況だった。
苔まみれの荒波は何とか立ち上がり、蓬の隣へ行った。そしてアカゲに向かい、
「駄目だった。また作戦の練り直しだよ」
と報告。たったこれだけだ。他に何も無い。
「ふん。そうか。元気出せよ。じゃあまたな」
アカゲはそう言い、いつもの様にさっさと背を向けたが、もう一つ語りかけた。
「友達とは仲直りできたんだよな。顔に出てるよ。おめでとさん」
そう言われて、荒波は慌てて斜め下の蓬の顔を見る。表情からすると、どうやら蓬には伝えられていないようだ。
「ああ。ありがとう。はは」
荒波も心の中だけで返事をすれば良いものを、つい声にも出してしまった。蓬は荒波を不思議顔で見上げる。
それから荒波と蓬は、歩いて竹薮に帰った。




