第7章 小屋で
第7章 小屋で
ある朝アカゲは目覚めると、鼻息を吹き、思った。
———— 強風と雨が続いた。オレは自分とキリの食べ物探しやら、諸々に忙しくしていた。
命を狙う者はいないと荒波には言ったが、キリはまだ危うい。キリと出会った日の、水溜りにいたあの儚げな姿を思い出すと、雨の夜は特に神経質になる。
それなのに。
昨夜、ほんの一瞬、ほんの少し、キリと離れた時にあいつが来た。オレを掠めてキリに向かって行った、小さい生き物を捕食するあいつ。夜のでかい鳥だ。
オレは体を捻って飛び上がり、鳥を掴もうとした。でも空振りになった。
あんなに近くを通ったんだ。いつものオレなら羽を一掴み抜くぐらいのこと、いや地面にねじ伏せた筈。
でも実際には、キリを獲られると思ってオレは、一瞬弱くなった。
そんなの意味があるか。あの時以外の強さなど何の意味が。
今ごろ虚勢を張ったところで。
そして、鳥の羽ばたきが起こした強い風が、虚しく顔に当たった。
キリがいた筈の辺りには、向こう側が冷たく見えるばかりだった。
もうダメだと思った。
鳥は少し飛翔を乱し、木々の向こうに消えた。静けさが戻り、オレの毛は恐怖で全て逆立った。すると、
「アカゲ」
とキリが呼びかけてきた。
「キリ、何とか逃れろ、追いかけるよ」
オレは、自分を殴りたいばかりの怒りを足に込め、鳥が去って行った方に飛び出した。だが思いがけず、すぐ近くから声がする。
「キュイイ(アカゲ、ここ)」
キリは、まるでオレの見当違いの木の根に隠れるようにしていて、ゆっくりと頭を出した。黒い目は見開かれていた。毛は乱れ、幾らか抜けていた。
オレはキリに駆け寄り、抱いて覆い被さり、自分の震えが収まるまでそのまま過ごした。
今朝は雨がやんで、夜に縮み上がってしまった心も日差しにほぐされるようだ。
やっとぬかるみも落ち着き出した頃、オレは芋がまとまって出来ている場所を見つけて、アラナミを思い出した。
「ゆとりが出たから、分けてやるか」
キリは元気に頷いた。あの後、オレほど動揺した様でも無かった。
オレ達は竹薮に向かった。
キリは教えた通りに枝を選びながら、自力で空中を進んでいく。オレは、肩から下げている蔓付きの芋が引っかからないよう地面を駆けた。
森が終わって、一本の竹に取り付いたキリはスルッと下へ滑り降りてきた。
「さて、アラナミはどこにいるかな」
小屋の中や付近には気配がない。それでオレとキリは砂浜に出た。
普段は用のない場所だ。同族には海を見たことがない者も多い。でも、好奇心旺盛な子ザルを連れて来るにはいいかもしれない。
キリは楽しそうに、波打際を散策し始めた。
「フォーン(おーいアラナミ)」
オレは声と思いで、あてもなく呼びかけた。
実際、この頭の中で語りかけるやり方が、どのくらい離れたところまで通用するものか知らない。何も、誰からも教えられていない。だからオレには、自分でやったことが理解の全てだ。
それで以前、目の前に仲間がいた時に、五頭全員に同時に伝えられたというのはある。それで、すぐ近くだが死角にいた六頭目の奴だけ駄目だった。オレがそいつを見落としていたせいだろう。つまり伝わるのは、オレが伝えると決めた相手だけなんだ。なら、内緒話もやり易いもんだ。はぐれ者にはそんなものも無いが。
そして、受け取るにもオレの意思がいる。オレが気を向けた相手が思いを投げてくれたら、やっと成立だ。
「アカゲか。どこにいるの」
アラナミから応答ありだ。だが思いだけ。いつも同時に発している声は聞こえない。オレは荒波の気配を探しながら言った。
「小屋の近くの砂浜だよ。で、お前は」
「東を見て」
「ヒガシってなんだ」
「日の出の方だよ。崖の下にいるんだ」
オレはぐるりと首をひねり、言われた方を見た。すると遠い崖下で手を振る、豆粒程の影が見えた。そして荒波の思いが言った。
「すぐ行くよ」
すぐ? あいつのすぐはオレのと大分違うだろうに。それなら持ってきた芋を置きに行こうかと、小屋の方に目をやった時だった。
トサッ。
「くあ、いてぇ」
まさか。
アラナミの声が耳に聞こえてきた。つい今しがた、本当に豆粒にしか見えない程に遠くにいた筈の。だがアラナミは、濡れた砂を掘って遊んでいたキリの目の前に、不格好な姿勢で現れたのだ。
キリは、オレが見たこともない跳躍で退いた。
「やった! でき、痛、キリ痛いよ、あはは」
「ギャギャ」
怒ったキリはアラナミの元に戻り、脛を滅多打ちにした。
数日ぶりに顔を合わせたオレ達は、アラナミのコヤに落ち着いた。
アラナミは三つのザブトンを用意していた。蔓で作った袋に枯れ草を入れ込んだ物を、アラナミがそう呼んだのだ。オレもキリもわざわざ寝床を作るくらいだから、この場所を居心地良く思った。
その他にも、すぐに目についたものがあった。
「なんなんだ、それは」
切り出された数本の細い竹が、コヤを斜めに突っ切っている。
そしてアラナミはそのうちの一本を手に取り、かぶりついた。
「ヒトはみんなか。それとも、お前だけか」
「俺だけだよ。ここでは怪我なんか気にしてらんない。それで前に説明した通りにさ、硬いものが食べたくなんだよ。芋は後で頂くね」
アラナミは、食べながら口では言うことができず、意志だけで話している。オレの能力を便利に使われていい気分だ。
ボリボリ、バリンという音がコヤに響く。するとキリも、小さな頬袋に入れてあった食べ物を口に移してもぐもぐし始めた。
「歯茎と顎が強くなったよ。ただ、ここまで硬いもんじゃなくてもいいんだよな」
荒波は両手で竹を支えて節と格闘していた。オレは不満を漏らすアラナミに、
「皮が硬いんじゃないのか」
と、純粋な疑問を投げた。
「皮?」
バリバリ、バリバリ。
「中の白いところだけ喰うとかよ」
アラナミは食べかけの竹をじっと見ると、歯で緑の皮を剥いて、白い部分だけを食べた。
ゴリ、ゴリ。
「ほんとだ。ずっといい」
キリが小さい手で竹の残骸を拾い、匂いを嗅いでから投げる。
そして口が疲れたのか、アラナミは食べるのをやめると、
「あれから記憶、毎日増えてるよ。細かいこともさ。なかなか整理がつかなくて、頭ん中で行ったり来たりしているけどさ」
と声で話し始めた。
そして、ヒトだらけの暮らしのことを、ぽつりぽつりと聞かせてくれた。
アラナミは毎日、座って何かしら学ぶという生活をしていたのだと言う。
日々食べる物は、全て親が用意してくれるのだとか。
水を飲むにも雨水や川からじゃない。一度洗ってから、と言ったか? よく分からなかった。水を洗うなんて、ないか。
驚いたのは、暑さも寒さも夜の暗さも、ヒトの都合で変えているということ。そして、そのせいで大きな嵐が増えたから、今は焦って改善に取り組んでいるんだとか何とか。
ヒトは、そんな大掛かりなしくじりをする生き物だったのか。発想が、まともとは思えない。
オレは呆れる一方で、その力の規模に感心もしてしまった。
でも確かに嵐が増えるのは迷惑だから、せいぜい反省して励んでもらいたいと思った。
遠くの相手と話せる道具があると聞いた時は、
「それは俺には不要だな」
とオレは口を挟んだ。
アラナミは目をか輝かせて頷いた。
オレにとってアラナミの記憶は、何もかもがでたらめの世界だった。話を楽しむ一方でオレには、その森とかけ離れた世界を受け入れきれない心もあった。まあ何にしろキリには後で、いつもの様にオレから話してやろうと思った。
直接話は通じなくても、キリはアラナミの穏やかな話し声が好きだと言うし、アラナミは、キリの様子をいつも気に掛けているらしかった。
今もアラナミはオレと話しながらも、コヤの隅にあったカゴをキリに渡した。キリがそれで遊びたがっていると分かるのだろう。そしてキリは当然の様にそれを受け取り、ザブトンと自分の体を入れ込んだ。
そしてアラナミが言った。
「なんか行動が似てる」
「キリが。誰に」
問い返すとアラナミは「弟」と早口で言い、足裏なんかを見だした。
どうやら泣きそうになったようだ。するとキリも、そんなアラナミの気持ちを察してかどうか知らないが、カゴから這い出て、一緒にアラナミの足裏を見た。
「そうか」
オレはアラナミの顔をこっそりと覗く。なんとか大丈夫そうだ。
「それはそうとお前、感じが変わったよ」
話題を変えようと、オレは感じていたことを言ってみた。
「え、そう? どんなふうに」
オレは逡巡して答えた。
「よく言えば元気になったな。前よりも表情があるよ。悪く言やあ、いかにもヒトらしくな」
間違えた。ヒトの暮らしへの反感からだ。オレは言い終わる前に後悔していた。
「いや、ヒトなんだから当然だよな。アラナミの頭ん中、オレのと違うもんが山程戻って来たってだけか。悪いことないな」
オレは無様に付け加えをして、再びアラナミの顔を覗き見る。
アラナミは怒りとは違う真顔でいて、ぽつりと言った。
「シズカはどんな奴だったかな」
シズカは、か。真っ直ぐな質問が来た。失言を取り繕う様な返事は意味を持たない。でも簡単だ。元々思っていたことを言うだけ。
オレは、気恥ずかしさを切り捨てて言った。
「シズカはさ、シマに染み込もうとする、透明な水の玉みたいだった。余計なもんが無くて静かに澄んでた。弱そうで強いんだよ」
自分の言葉が、まるで体の中でこだまする様に感じた。
でもアラナミの表情は変わらない。オレは続けた。
「今もだよ。シズカと言ったって、アラナミなんだから」
今この質問をしたアラナミの瞳がシズカそのままなのだから、そうなのだ。
オレは軽く咳払いをすると、もう一言足した。
「シズカとアラナミは、一人だよ」
「一人?」
「ああ。どっちもお前だ。そうだろ」
アラナミは何とも言えない表情をしていた。オレは変な事を言ったつもりはないのだが。
キリが荒波の方からこちらに来る。
「それにしても、『静か』だったのは、記憶がなかったせいか」
見るともう、アラナミの表情は少しほどけていた。
「ああ確かにな。記憶がないせいで、いつもうっすらと不安だったから。でもそれだけじゃなくて」
オレは背中に取り付いたキリを胸の方にまわしながら、言葉を探しているアラナミを待った。
「前は、この変わった皮膚のたちを隠したくて、静かに静かにしてたんだ。だって気持ち悪いだろ。汚いし」
「でも、怪我をしなくて良いじゃないか。それが一番だろうに」
「そうだけど。周りと違うって、なんか難しいよ。目立つの苦手だからさ」
「弱い奴に合わせたいのか」
アラナミは苦笑いをして胡座を組み直した。そして懐かしむように続けた。
「アカゲがシズカと名付けてくれたのは。ははっ。あっちのみんなに話したらシズカに改名しろって言われる。絶対言われる」
オレ達は一緒に笑った。
しかしオレは内心で唸った。アラナミが静かにしていたと話した部分だ。
オレが森の端にいる理由がそれ。そのうちに時間があったら、この想いをアラナミに話せるだろうか。
そう考え込んでいると、アラナミがまた話し出した。
「それがさ、今はこの自分をぜーんぶ活かしたい。こんなの初めて。隠さないって気持ちいんだな。だから俺、今はちょっとはしゃいでるのかもな」
「そうか。うん、そりゃあそうかもな」
言いながらオレは何故か、心がムズムズとした。
「アカゲはどうなの? あの日俺に話しかけてくれたのは、能力を隠さないで生きてるからでしょ。かっこいいよ。仲間はなんて言ってんの?」
これだ。アラナミはオレのことを聞いてくれる奴なんだ。オレが聞いて欲しいと思ってすぐにだ。でも、だからと言ってすぐに話せるオレではない。格好付けか意地っ張りか。
オレはコヤの出入り口から外に目をやった。竹の影がヒガシの方に伸びている。じきに日暮れだ。
「なあ、今日オレとキリ、ここに泊まってもいいかな」
「ん、ああいよ。急にどうしたの」
「お前の話、もっと聞きたいし。さっきのヒト離れした動きの訳もな」
「なんだっけ。これ?」
アラナミは食べかけの竹を持ち上げた。
「違う。食うのはお前だけだって分かった。緑の皮は剥けよな。それじゃなくて、遠い崖からすぐに来たじゃないか」
するとアラナミは口を開け、大きく頷いて言った。
「ああ説明するよ。俺もアカゲのこともっと聞きたいな」
「そうか? ああ」
俺は嬉しさを隠した。
「ただ悪いがその前に飯。キリが」
キリはオレの尾を甘噛みしながら吸っていた。
晩の飯の後、オレ達はコヤに戻った。
ここはいい。夜のでかい鳥は来ない。奴が賢いか知らないが、赤毛のオレとチビは一緒にいる、と覚えられてしまったら危険が増す。キリはまだ当分の間小さいのだから、一晩気が休まるのは助かる。
そんなことを考えていると、アラナミが切り出した。
「俺は、一瞬で移動ができるんだよ」
オレは黙ったまま驚いた。
あれはオレの途方もない思い違いではなかった。今日砂浜で不思議だと思った、そのままのことをこれからアラナミは説明するのかと、改めてオレは身構えた。そして『一瞬で移動』と反芻してオレは、アラナミの胡座にすっぽりと収まっているキリを見た。
アラナミは、その能力は父親譲りなのだと話し始めた。
「思った場所に一歩で行く感じなんだよ。ううん。でもそれが逆に、ゆっくりに思えたりもして不思議なんだ。それでまあ、お父さんは近道という言い方をしてたな」
そしてアラナミは無意識に近道を使い、島の北側の海に投げ出されたのだと思うと言った。何故なら、ガッコウからイエに帰る途中で爆発のような音と衝撃に遭い、一瞬後には遠い筈の海だったからだ。おそらくそうやって身を守ったのだと。
ちなみにガッコウとは学ぶためにヒトが集まる所。イエはアラナミの住処で、コヤよりも強いのだそうだ。ヒトのすることはいちいち面倒臭い。
ただなぜ、アラナミは身を守るのに遠い海へ。それについても、アラナミの中では一応の答えが見つかっていた。
「俺は友達に避けられて落ち込んでたんだ。まあ今もなんだけど。はあ」
アラナミは肩を落として続ける。
「はあ。それで、どっか遠くに逃げたいって思ってたんだ。惨めで。だからある意味、半分は自分の意思でここに来たことになるんかな」
聞き入っていたオレは、ここでスーッと鼻から息を吐いた。アラナミも一呼吸入れ、胡座をほどいて座り直す。すると乗っていたキリが、空いているザブトンの方へノロノロと移動しだした。もう眠いようだ。
アラナミは、自分の手をキリの足場にさせながら続けた。
「北で溺れそうになった後、俺砂浜にいたんだ。それも瞬間移動だわ。だって俺泳げなかったもん」
荒波は何故か自慢げに言った。とにかくオレも想像してみる。確かにかなり遠いだろう。海など知らないが、砂浜に寄せる波を見た感じでは、流れが島に沿うとも思えない。
「そうかもな」
オレは片手でアゴを触りながら、視線を落として続けた。
「それにその、落ち込んでいたのか。友達に、その」
「うん。理由が知りたいのに今も解んない」
「あ、もしかして女?」
するとアラナミが目を丸くした。
「ああ。それが? 女なら仕方がないとアカゲも思うの?」
「あ、いや。そういうこともあるんじゃないかって」
まずい。アラナミはやはり澄んだ水の玉なんだ。オレは目を合わせられずに言った。
「大切なんだな」
これがアラナミに相応しい返答だった。さっきアラナミは、アカゲもそう思うのかと言った。俺は、誰か程度の低い奴と一緒だと見なされたのだ。言い訳は間に合わない。
「はは。うん、そうかな。どうかな。は」
アラナミは静かに笑った。
オレは反省ついでに、アラナミが他の記憶と共に、重苦しい物も取り戻していたのかと同情した。そして、
「なんだかオレもつらいよ」
と思わず顔をしかめ、胸を指で突き刺す動作をしてしまった。サルの表現だ。それでアラナミがオレの顔を覗き込んできて、今度はオレが話す番となった。
オレと仲間の、面白くない物語だ。
オレは、家族とは早くに死に別れた。親は年がいっていたから仕方がない。兄や姉はオレが生まれる前の若死にだ。オレと同じ毛色だったのだから、一日生き延びるだけでご苦労様の一生だった筈。
近くに、赤茶色の叔父はいた。生前の親の話では、その叔父もオレと同じことをやれた様だ。つまり、話す。でもその気は無かったらしく、オレのことも遠ざけた。オレは、自身を偽る様な生き方をする叔父を快く思えなかった。
そんな血縁の後ろ盾こそ無いオレだが、子供の頃は、仲間とありのまま無邪気に関わり合っていた。オレが何か言えば、仲間はサルのやり方ではあるが返してくれた。
でもずっとそれでいいと思っていたのは、オレだけだったようだ。仲間はオレを嫌がりだした。
元から不気味だったか。それとも、オレが気を向けた時にだけ通じるという立ち位置が気に入らなかったか。
顔や体の動き、音。それで伝えるのがサルの全てで、サルの最良だというなら、オレの存在に意味は。
オレは、生まれ持ったこの能力を使えば、仲間の役に立てると思ったんだ。だからやめなかったし、むしろ張り切った。
細かな情報の流通は有益だと思った。縄張りの際で隣の奴らから話を聞ければ、世界は広がるとも思った。もっとお互い分かり合えるかもしれない、もっと楽しくなれるかもしれないと思った。
仲間の気持ちは違うのに。
ある日、仲間で一番器用なクロイチが、ヤシの実を投げ付けてオレを振り向かせ、
「お前、他所の奴と話すなら、もう仲間じゃねえよ」
と言ってきた。
オレに合わせた話し方に一旦は喜んだが、言われた事は気に食わず、複雑な気持ちになった。きつい冗談ならいいがと思ったが、遠くの枝にいたクロイチの表情は見えなかった。
クロイチは続けた。
「お前のせいで災難が増たじゃねえか」
意味がわからなかった。
「災難が増えた? なんだよそれ」
「自分が感じなかった災難の話を、あっちこっちからかき集めてきやがった。知らなきゃ、無いのと同じだったのによお」
クロイチは、いや、みんなはそう思ったのか。
「違う。集めたかったのは、身を守る知恵だ。そのためにオレは方々で話を」
「余計だね」
その言葉を最後にクロイチは去り、オレも黙った。
その頃からオレは、他の仲間からも距離を取られるようになった。
カラスにオレの同類がいると知った時は嬉しかった。でもそのうちにオレは、そのカラスにも相手にされなくなった。調子に乗って会話を持ちかけ過ぎたんだと思う。カラスはオレみたいに孤立していなかったのか。
カラスはともかくとして、オレが仲間を思ってした事を、悪かったとは思わない。
「話さなくたって生きられるよ。
でも話さないのは、この赤毛を泥で茶色に塗り変えるのと同じで。
本当ではないんだ。
本当は話す。
最初から話すのがオレ。
オレがオレじゃなく生きるのは、生きている事になるか。
命。体。頭。全部を誰かに貸しているみたいだ。
自分だけでは本当でいられないなんてこと」
アラナミは、口は黙っていたが、時々オレに同情する気持ちを漏らしていた。
そして余りにも熱心に聞いてくれるものだから、オレは夢中になって話した。まるで夕立の様に、過去の出来事と想いをぶちまけたていた。
「そしてオレはへそを曲げて、森の端っこだ」
結末まで語り終わったオレは、アラナミを見やった。アラナミは眉尻を下げ、悲痛な面持ちになっていた。
切り替え時だと悟った。
「でもさ、お前や叔父さんみたいに、周りに合わせるような考え方もあるなって、やっと思えたよ。まあ、少しな」
歯切れが悪くなってしまった。でも、意地っ張りのオレにしては上出来だろう。もしかしたらオレはどこか、仲間のやり方を否定した様な格好になっていたのかもしれないと、アラナミを見ていたら思えてきたのだ。不思議だし、悔しいが。
そのアラナミはと言えば、まだオレの心配から解放されていない顔をしている。何とかしなければならない。
「でもお前さっき、隠さないのは気持ちがいいって言ったな。あの顔良かった」
アラナミは、ぱっと目を見開いた。
「そうなんだよ。俺はアカゲみたいに堂々としたいよ。誰にも遠慮したくない」
「おう」
オレは、こんな日が来るとは、と内心感動した。
「その俺の友達、よもの前ではさ、何も気にしないで隠さずにいられたからさ。そうか、そう思ってたのは俺だけだったのかな。でもよもは」
アラナミは何かブツブツと言い、少し考えてから続けた。
「とにかく。あの時は避けられたのがすごく、何と言うか、世界が全部終わっちゃったと思って。それで消えたいって。はは。でも違ったな。俺、アカゲに初めて会った日、アカゲのことを親友みたいに思っちゃってさ。心を抑えようと苦労したよ。出会ってすぐなのに変だろ。ええと。はは」
アラナミは、ザブトンの上で丸くなっているキリにも目を向けて続ける。
「キリもだよ。最高に可愛いよな」
オレは言葉に詰まった。アラナミはさらに言う。
「終わってなかった。俺、今幸せだ」
またこいつはこんな顔をしやがる。オレは頷く事しか出来ない。
オレが森の端にいたのは、仲間との不和だけが理由ではなかった。どこか外から、オレと会話をしてくれる誰かが来るのを心待ちにしていた。
だからオレも今幸せなんだ。そう密かに思った。
するとアラナミはオレから目を逸らし、またソワソワと足裏を見出した。なんだ、これはただの癖なのか。
そうしてからアラナミは、また話を続けた。
「たださ、こんなふうに正直に話せるなんて俺らしくない。きっとシズカが言ってんだ」
困ったものだ。どうやらアラナミは記憶が戻ってからこっち、自我について考えをこじらせているらしい。
「だから、お前はお前だと言っただろうがよ。言ったこと聞けよ」
オレは偉そうに言った。そしてまた、言い過ぎではなかったかと気にしている。ちょっと待て。オレこんな奴だったか。
そもそも、このやり方でこんなに誰かと話したことなど無いのだから、うまく出来なくて当然か。話すことを切望していたけれど、案外難しいものだと分かった。
そんなオレの気持ちなど気付くことなく、すっかり呑気な顔に戻ったアラナミはまた竹をかじった。
「それで、話を元に戻すけど、東の崖からの移動はね」
「ああ。近道だったんだな。つまり意のままにできるように練習してる訳か」
この前言っていたのは、このことだったのだ。
「アカゲは話が早い。そうなんだよ」
オレは話が早いか。サルの会話ならいろいろ省いて、こんなものではないが。
アラナミは続けた。
「生まれ付きのものだからかな、その気になれば出来るもんだわ。俺お父さんよりも進化してるな、多分。こういう事言うと、お父さんの方が先なんだぞって言われるかな。いやその前にお母さんが怒るな。この小僧っつって。はは」
アラナミは家族を話に出したが、もう泣きそうな顔にはならなかった。逆に楽しそうだ。そしてまた続ける。
「とにかくコツを掴めてきたんだ。前ほど疲れなくなったし」
アラナミの軽快な話に、
「ふうん。そういうものかい」
と、オレも軽い調子で合いの手を入れた。そしてその裏で、もう親友とお別れかよ、と思った。
練習が終わったら、アラナミは地元に帰ってしまう。がっかりだ。今よりも明日あたりにもっと落ち込みそうだ。
すると、
「でも海を越えるのは」
と、アラナミが急に弱く言ったので、
「遠くは、難しいのか」
とオレは慌てて聞いた。自分勝手にがっかりなどしてしまった事を詫びる気持ちだった。
アラナミは顔を上げ、大きく息を吸ってから答えた。
「距離が問題なのかは分かんないんだ。でもしくじったら。海で溺れるとか色々。怖がる気持ちが邪魔してんのか、家を目指してやると近道から弾き返される。俺、何でもそうなんだよ。失敗が怖い」
ここでアラナミは息継ぎをする。
「学校に跳び箱ってのがあってさ。ここで言うと高い岩。飛び越えろってさ。アカゲは簡単にやっちゃうよね。俺は出来ないんだよ。怖いの。股が突っかかるかとか、顔打つとか、手首捻るとかあんでしょ。心配だらけだね。皮が分厚くなったって損するだけよ。で、それが得意な奴にコツを聞いたことあんの。跳んで手をついたら、腕の力で体を上げれば越えられるってさ。これどういうこと?」
オレはこの辺りで何か口を挟もうとしたが、アラナミはまた熱い口調で続けた。
「どういうことって聞いたの。そしたら短くしてくれたよ。あいつ頭いいんだ。つまり、飛んだ後のことは次の自分に任せるんだってさ。そんなの怖いもん無理だわ。…… あれ? …… シズカは吉川の言う通り山に登…… 」
終わりの方は独り言のように小声になっていた。思考もごちゃごちゃだった。でもまた回復した。
「跳び箱な、向こう側に瞬間移動するのでよけりゃ、やるよ、もう。それでいいんならさ。ふ、ふふ」
今度こそと、オレは思いを投げ込もうとしたが、アラナミはなおも続ける。
「よもの待ち伏せも俺にしては頑張ったんだから。でもその結果、俺は時空を捻じ曲げる程無理をしちゃったんだ。はっ。慣れないことしたもんでね。はあーあ。ふふ」
やっとのことで一段落ついたようだ。オレは一言「随分とまあ」とねじ込む。
実は飯の後、アラナミの匂いが気になっていた。
オレとキリが美味そうな木の葉を採っていた間に、アラナミは熟し過ぎた果実を拾い食いしたのかもしれない。正直に話すのはシズカだアラナミだと言っても、酔っ払っているだけだ。
「ごめん。ふふ」
「まあみんな、出っ張り引っ込みはあるだろ。ちなみにだが、オレは跳び越えられる方だな」
「かっこいよな」
アラナミは目を輝かせる。
「ありがとうよ。こんな目立つ毛色だからな。そうでもなきゃ生き残れないんだよ。まあいい。お前はへこたれぶりが正直で、それがオレから見たら大したもんだわ」
「いつもは正直じゃないって。正直じゃないへこたれ野郎だもん」
アラナミは口を曲げて言う。
「はは。また愚痴か、いいよ。ずっと静かだったんだからな、アラナミ」
ここでオレは一旦考える。これでは駄目だ。。
「いや。違うな」
「え、何」
「荒ぶる波なんだろ。名前を無駄にしやがって。怖がってないで強く進めよ、アラナミ」
「でも、言い忘れてたけど、跳び箱は奥行きも」
腹立たしいほどに情けない顔で言い訳をしてくる。
「おい。トビバコはいいって。イエに帰れよ。じゃないとお前の名前、アラナミは無しだ。うう、スナだ」
最後の部分は上手くなかった。アラナミがぐずぐず言うからだ。
「す、す、砂?」
「自分じゃあどこにも行かないだろうが」
「あアカゲ、急に、厳しいよ」
「厳しくないね。頑張りやがれよ」
言ってオレは、またチラッとアラナミの顔を見た。アラナミは赤い顔で、前にも増して情けない表情をしている。
オレはたまらず吹き出した。
そして、アラナミも腹を抱えて笑い出した。
ザブトンの上で眠っていたキリは、うるさそうに顔をしかめて、寝返りを打った。
翌日の遅い朝。
夜通し話したオレ達は、少し眠ったところでキリに起こされた。オレもアラナミものそりと動き出し、みんなして芋で腹ごしらえをした。
昨夜は心をさらけ出した。その反動は大きかった。
聞いて欲しかった事なのに、もう戻せないという事実にオレはたじろぐ。話すとはこういう事か。でもオレとアラナミお互い様、引き分けだ、とオレは情けなく自分に言い訳をした。
そんなふうに、どんよりと黙っているオレ達の間を、キリはお構いなしに行ったり来たりして遊んでいた。
葬式みたいな飯の後、オレとキリはアラナミの練習に付き合うことになった。
アラナミは、数をこなして自信を付けたいのだと言った。
「前までは、何かから逃げたいと思った時に無意識で近道を使ってた」
記憶を取り戻すきっかけになった瞬間移動も無意識。黄色いヘビを見たからだと聞いてオレは言った。
「ヘビも役に立つんだな。今度褒めてやろうかな」
「う、うん。アカゲ、ヘビとも話せるのか」
アラナミは目を丸くする。
「さあ、やったことないね」
アラナミに触発されたようだと、言った後で思う。ヘビ相手になど考えたこともなかったが、オレの能力だって、どこまでいけるかやってみるのも面白いかもしれない。
アラナミは、膝の関節を曲げ伸ばしした後で呼吸を整えだした。
近道には、心を前に踏み出すと行けるらしい。目を閉じて、今だと思った時にやるのだと。どういうことだ。とにかく、コツは躊躇しないこと。思い切らなければ門前払いとなるのだそうだ。トビバコと同じか。
「いい、行くよ」
アラナミは目を閉じた。
「オラシオン、オラシオン‥‥ 」
コヤを背にしてぶつぶつと何かを唱えたアラナミは、オレの前からじわりと消えた。
予告されていたとはいえ、それを目の当たりにしてオレは狼狽えた。まるで不思議な現象だ。
何にしてもアラナミは、竹林から一瞬で森の洞穴に行った筈だ。
洞穴はあの馴染みの倒木よりも遠い。そしてすぐに戻ることになっているが、どうなったか。アラナミが消えてから、打ち寄せる波三回分位の時間が経ったが大丈夫だろうかと、オレは耳を澄ませた。キリも、竹の枝に手をかけたままじっとしていた。
笹の葉の擦れる音ばかり。
すると唐突に近くで気配が湧き、同時に何者かが地面を踏んだ。
「ただいまあ」
アラナミの声がする。オレは、
「お帰り。行けたのか」
と、何とも思っていない振りで言った。本当は動揺している。
「行けた!」
アラナミは興奮気味にコヤの裏手からガサガサと近づいてくる。手には丸い葉と濃い黄色の花を持っていた。それは確かに、洞穴辺りでよく見掛けるやつだ。
アラナミはそれをキリに渡そうとしたが、キリは興味を示さないまま、アラナミの背中によじ登った。こんな得体の知れない事をする奴に触って大丈夫かと、オレは少しキリが心配になった。
「よし。寝不足でも出来たぞ」
アラナミは嬉しそうだ。
でもコツを掴んできたとは言っても、気も体も強張り、やはり疲れるらしい。アラナミは花を持ったままで深く息をした。
それでオレ達は、一度砂浜で座ることにした。
茂みの中を進む時に、アラナミの腕にしがみついていたキリが、近くにぶら下がっていた蔓を掴んで引いた。ただの遊びだ。するとアラナミはビクッとして、キリと共に消えた。
オレの視界は、茂みとその向こうに覗く砂浜だけになる。そして、
「おお」
と言う声が、砂浜の方から聞こえてきた。きっとアラナミは、動いた蔓をヘビだと勘違いして瞬間移動をしたのだ。でも、自分以外の生き物、キリを伴っても無事に出来るのか。
「キリ、大丈夫なのか」
おれは焦った。だが砂浜へ走り出て行くと、
「キョアッ(やったあ)」
「キリ、わっ、これおしっこ? 漏らした?」
「キュイッ(ごめん)」
と言い合う二人の姿があった ————




