第3章 森へ
第3章 森へ
風と雨の夜に、少年は小屋で、不安な気持ちで座っていた。
普段は、まるでマントの様に海風を避けている蔓の群落も、今夜は押されていた。
雨は和らぐことなく小屋に届き、室内を濡らす。
頭上で竹をまとめているロープが、揺れ動く稈と擦れて音をたてた。それは少年の気に触った。
気温も下がって寒かった。少年は、長袖ジャージの上に学生服を着た。さらに水を弾く大きな里芋の葉を頭に乗せ、体にも蔓で巻きつけて座っていた。そしてまんじりと、竹の壁を見ていた。
「いつかは止む。眠れなくても、明日学校行く訳じゃなし。気楽なもんだ」
少年は自分を励ました。
すると、風雨と小屋がたてる音の隙間に、獣の声が入った。
かなり遠くからのものだ。
少年は耳を澄ませる。こういうものに気付くのは初めてだった。数頭が話をするように声を交差させている。
それは少し続いた後、風に押しやられた様に終わった。
少年は怖くなったが、もっと別の感情も湧いて来ていた。
「家族かな。友達かな」
無意識に言った。
芋の葉の笠から、大きな水玉が転がり落ちた。
次の朝は晴天だったが、少年の心は曇っていた。
乾いてきた砂浜で、寝不足を解消した後も気分はそのままだった。
少年は岩場の潮溜まりの淵にしゃがみ込み、膝と膝の間に顎を挟んで、籠に魚が入るのを待った。そして波のきらめきに目を細めながら、記憶が横ぎらないかと注意した。籠は、しなやかな蔓を茂みで集めてきて作ったものだが、なぜ自分はその作り方を知っているのかも考えた。
長く考えるのが苦手な少年の頭の中が、ただの白い靄になりかけた時に『オラシオンの籠』という言葉がよぎった。
すっかり軽んじるようになっていた『オラシオン』とは、不思議と重みが違う気がした。
少年はこの言葉で、もっと記憶を手繰り寄せられないものかと声にした。
「オラシオンの籠」
でもやはり誰も何も、顔を見せに来てはくれなかった。
その時は一旦それで終わりになった。岩間に沈ませた浅い籠に、小魚が次々と入ってきたからだ。
少年は抜かりなく籠を上げた。
さらに次の日、少年は朝のうちに小屋を出た。
弁当にと、大きなオレンジ一つをリュックサックに入れて背負い、森へ向かって歩き出す。これまでは、足を踏み入れなかった領域だ。
一昨日の嵐で、あちらこちらの竹が折れていた。それを横目に進むと竹薮はすぐに終わり、徐々に景色が変わっていく。
立ち並ぶ木々は太く、空気の匂いや色も変わっていった。
森には、見えない門が有る様だった。他所者を拒む雰囲気だ。
食べ物が無くなってしまったら、こちらへも探しに来なければと少年は思っていたのだが、その必要に迫られずに暮らしてこられた。
だがあの獣達が交わす声を聞いて、食べ物だけでは暮らせなくなった。
声の主の獣に出くわすのは怖い。でも少年は、恐怖に構っていられない程の強烈な寂しさに襲われていた。
どこかに誰か人がいるかもしれない。誰もいないかもしれない。どうでも、探さずにはいられない。落胆を恐れる余裕も失っていた。
行くしか無かった。
「オラシオンの戦士よ。闇如きに怯むな。止まるな行け。おおお」
少年は弱々しく呟き、進んだ。
森の見えない門を過ぎても、少年が異世界の洗礼を受ける様なことはなかった。
相変わらず怖さはある。でも、不思議と足は前へ前へと出た。
少年は、もしかしたらこういう場所に馴染みがあるのかもしれないと思った。
黙々と奥へ進む。少年は見通しの悪い木立の中に入る前にと、来た方を振り向いたが、竹薮はすでに見えなくなっていた。もうどちらを向いても森だ。
少年は時々、影の向きを見て計算しながら北を目指した。帰りに迷わないためだ。或いは帰れなくてもいい、そんな気持ちもあった。
またこれからも変わらず、あの小屋で暮らし続けるなどできない。例え森の中を彷徨い続けることになったとしても、独りぼっちなら同じことだと思った。森で木を食べて生きていく。美味しくなくてもいい。そんな投げやりな気持ちが少年の背中を押した。
「筍。あんなのもう」
筍の悪口を推進力に変えて、さらに行く。
しかし、それほど奥まで進む事なく世界は変わった。
少年は独りぼっちではなくなった。
景色が変わった気がして、速度を落とした時だ。木が少なめで日の光がよく届く場所。そこで視線を感じたのだった。
少年は立ち止まり辺りを見回す。
視線の主を見付けようと、目を凝らし耳を澄ますが何もない。初めて来た場所だからか、動くものでもいなければ、何もうまく見分けられない。
次に少年は、恐る恐る顔を上方へ向けた。大きな猛禽類にでも狙われていたらと、一人でに首が縮こまる。
すると少し先の木の高い枝から、炎が立ち昇っていると錯覚した。
それは、一頭のサルだった。
じっと少年を見下ろしている。
(赤い。サル。なんて綺麗な)
少年は目を見はった。
(でも怖い。俺を敵だと思っちゃうか)
するとサルはスルスルッと木を下りた。
(こっち来る)
そしてあっという間に少年の足元まで来ると、踵を返し、また元の木へと戻って行った。
(本当に、真っ赤)
怖かったが、同時に少年はサルに見惚れた。そして短く思考する。
(全く動けなかったけど、正解だった? 何? 俺への威嚇か)
しかしよく見ると、サルは今は、茶色の子ザルを抱えている。
全く気付かなかったが、さっきまで子ザルが自分の近くに居たのだろうか、そうならきっと赤いサルはその子を助けに来たらしいと、少年は急いで見当をつける。
「ヒトだな。何をしている」
突然の少年への問いかけだった。
(誰。近くに人もいるの?)
少年は目を見開き、声の主を探した。まだ恐れで動けず、声も出せない。
木の上のサル以外に誰も見付けられない。そもそも声の主と言っても、耳で聞いた気もしない。その言葉は、頭の中にぽっと放り込まれたようなものだった。だから方角も距離も計れなかった。
少年は焦った。でもこの状況で誰かに会えるなら、最高のタイミングかもしれないと思った。すると再び頭の中に言葉が鳴った。
「今お前の近くに行った、このオレだよ」
少年には分かった。これは人間のものではない。
(じゃあ、あの赤いサル? そんなこと)
少年は混乱極まりない気持ちで再び樹上のサルを見る。
サルは怖いし、子ザルが足元にいたのは驚きだし、頭に入ってくる語りかけが何なのか分からないし。それで、ただ体を硬くして立っていた。小さな動きさえどんな悶着のきっかけになるかと不安だった。
するとサルは、子ザルを背に乗せ長い尾を伸ばし、再び風のように地上に下りた。
そして今度は、少年の近くの大きめの石の上に立った。
思わず後退りする少年に、再び言葉が入り込む。
それはさっきよりもはっきりと伝わる。
「オレが話してる。まあ、こういうのは初めてなんだろうな。それでお前どこから来た。ヒトのやり方でいいから、話してみろよ」
サルは、黒い目で少年の顔を見ていた。
少年は束の間考えた。そして自信はないものの、サルに話しかけられている事は、妄想ではないと判断する。
いくら寂しさに追い詰められていても、この状況で、サルの言葉をここまで無意識に創れるほど、自分は別物になってはいないだろうと思ったのだ。そういう事は、小鳥を相手にして向いていないと分かったのだから。
それでサルに敵意は無いと見てとった少年は、恐る恐る声で答えてみることにした。
「た、竹薮、から来た。少し前、から住ん、でる」
独り言でなく相手に問われて答えるのは、記憶の限りでは初めてなのでぎこちなくなった。それに、腹にうまく力を込められない。
「背中の物は」
サルは身じろぎもせずに聞く。
「食べ、物」
少年はサルにリュックを取られると思った。それならなるべく怖い思いをせずに済むように、自分から差し出そうとも。だが、サルはふんっと鼻を鳴らすと、
「悪い物じゃないなら、いい」
と言い、ついて来いという仕草で歩き出した。
怖かった。でも少年には、ついて行きたいという気持ちも確かにあった。念願の話し相手なのだ。
(俺寂しいんだ。もう、行くよ)
サルが振り向いたのを契機に、金縛りを解いたように少年も足を前へ出した。
サルは小川のほとりへ少年を導いた。近くには苔に覆われた太い倒木が、小川に沿って横たわっている。
少年は、サルの仲間に取り囲まれたりしていないかと警戒した。だがそれは無かった。
サルは抱いていた子ザルを下ろした。子ザルは河原で遊び始め、サルは少年に向き直って言った。
「竹薮から、今日は何しに森へ」
少年は森に来たことを咎められるかと不安になりつつも、正直に答えた。
「一人っきり、で、さ、寂しくなった。誰かいないかと思って、来ました。まさか話せるだなんて。その‥‥ あなたと」
少年はくちごもる。
「サルに話しかけられるとはな。まあ、オレは特殊だ。ほとんどこんなのいないよ。ならお前、運がいいよ」
サルはそう言うと、笑顔のように口の端を上げてシュッと音を出した。
少年は安堵した。サルは襲ってこなさそうだし、何故か話が通じる。だからもう驚くのをやめようと思った。
この土地のことをあれこれと聞ければ、道が開けるかもしれない。これは突然訪れた好機だ。そう思った少年は、
「ここのこと、聞いてもいいですか」
と率直に尋ねた。それに対しいいよと返したサルの顔は、いかにも優しげだった。
少年とサルは倒木に腰を下ろした。
そして少年は、サルの言葉を頭の中で聞き、自分の言葉を声で話すというやり取りを続けた。
「この小川、魚いますか?」
「ああいるよ」
「水、きれいですね」
「そうか。オレはいつも居るから、思わなかったよ」
サルは時々、少年が話し終える前から分かった様な顔をする事もあった。
サルは少年が声で話す言葉を理解しているのではなく、それと同時に発せられた思いを受け取っているらしかった。
そして少年は意を決し、
「ここは島ですか」
と、一番知りたかったことを聞いた。人の立ち入りが全くない砂浜など、無人島なのではないかと危ぶんでいる。
でも知りたいが、望まない返答を恐れている。
「シマって」
サルが思案顔で聞き返す。島を知らないのだ。
(いや、それともやっぱり異世界? 洗剤のゴミも時空を超えて)
少年は顔から血の気が引くのを感じた。
だが諦めずに聞き方を変えた。
「島、島、そのつまり、周りは全部海かな」
少年は、青の中に緑色の丸を思い浮かべながら言った。
するとサルは立ち所に表情を変えた。今の少年のやり方で理解したのだ。
サルは、顔と右手を北東へ向けて言った。
「その山の周りがこの森で、森の周りが砂と岩。砂と岩の周りがぐるっと海だよ。これはシマか」
木々の隙間から確かに山が見えた。それは砂浜からも見えていた山だった。
「島、ですね」
異世界かどうかは変わらず分からないが、どうやら島らしいと、少年はがっかりした。
でも今はその気持ちを傍へ押しやり、次の質問をする。
「俺以外の人は」
「ああ、前に見た」
「前? 見た? 前って」
少年は思わず身を乗り出す。
「今はいないよ。でも見たことはある。殆どの奴が、毛も皮もお前と同じ色だったな。ヒトはそういうもんか? 何人かでしばらく居た後、海から仲間が迎えに来て、出てった」
少年はまた、深くがっかりした。
今日まで希望を持っていたのだ。それを今、ここが一番恐れていた無人島だと聞いたのだ。面倒だから、異世界という発想はもうやめることにした。
サルは続けた。
「そいつら、鳥の死骸を拾ったり、生きてるのを数えたり、何かしてたよ。とにかく鳥をな、食う訳でも無くよ。ヒトって変わってる」
少年は打ちひしがれながらも、何とかサルの話を頭の中に描こうと、無意識に口をぽかんと開けていた。するとサルは、
「あ、お前は違うか。ごめんな」
と言って片手で首を掻いた。
「ははっ。いいよ。その人達、鳥の学者か何かなのかな。もう、いないんだね」
少年は暗くなりそうな気持ちを飲み込んだ。
せっかくの機会なのだ。もっといろいろ知りたいと、気を取り直してまた質問をする。
「この島には、俺を喰おうと狙う生き物はいる?」
「いないと思うな。オレも狙わないよ」
言ってからサルは、おどけたように歯茎を見せた。
この返答は少年にとって大きな収穫だった。孤独だということ以外には、呑気に暮らしてきた少年だが、多少は気にかけていた事柄だ。
サルは気軽な調子で続けた。
「死肉を喰うやつはいるが、死んだ後なら構わないだろ」
「‥‥うん」
ここで死ぬなど、少年が一番避けてきた考え。
「そう、黄色いヘビには近づくなよ。喰われはしなくても、怒ると毒を掛けてきやがる」
少年は頷き「黄色いヘビ」と念を押すと、悪寒がした。
まだまだ聞きたいことはあった。
「この前の雨の夜より寒い日、あるかな」
「寒かったか。年中暖かいか暑いよ」
「この島は広い?」
「広いな。岩だらけの場所もあるよ。山のてっぺんから反対側に見えるとさ」
サルはまた北東を指した。
続けて、反対側の岩場を、自分が見たわけではないとサルは語った。サルと同じ特殊なカラスがいて、何度か交わした会話の中で知った事なのだった。
するとその景色を想像した少年の胸に、モヤモヤとしたものが湧いてくる感じがあった。それは何となく、不安な気持ちをまとっていた。
不思議な感覚を得て、少年が自分の内側にこもりそうになった時、どこからか子ザルが戻ってきた。
子ザルはサルの側から少年を見上げる。その顔の可愛いこと。
そして子ザルは自分の背中に両手を回してモゾモゾと動かしだした。どうやら、背中の毛に絡みついてしまった小枝を気にしているらしかった。
少年は、はっきりしない心を放り投げて子ザルの背中に手を伸ばした。子ザルが逃げずに動きを止めたので、注意深く小枝を取り除く。それを赤いサルも黙って見守っていた。
少年とサルはその後も話し続けた。
サルからも、少年がどんな暮らし方をしているかを聞いたりした。
少年は、今日まで自分だけで営んできた生活の諸々を話したが、それをサルにどう思われるかと今更ながら身構えた。自分が島の部外者であると思うからだった。
でもサルは、ただ興味深げに少年の話を聞いていた。
不思議だった。同時に笑ったりして、いつの間にか心から会話を楽しんでいるのが互いにわかった。
子ザルは時々姿が見えなくなった。それに気付き、サルがウッと低く短い声を発すると、子ザルは姿を見せる。そしてサルは、父親か兄のように安心した顔をした後で短く叱る。サル同士のやり取りは少年にはわからないが、そう感じた。
少年は、きっと自分にも家族か誰かがいて、同じ様なのに違いないと思った。
子ザルとの短いやり取りが済むと、サルはまた少年が他にも何か話せるようにと、静かに小川に顔を向けて待つような表情をした。
だが程なくして、子ザルは飽きてしまったようにサルに纏わりつき出した。何かこういう時は、自分の用事を切り上げなければならない気がして、少年は落ち着かない。
だから少年は小屋に帰ることにした。
「ありがとうございました。あなたと話せて本当によかったです」
聞きたいことは後からいくらでも出て来るだろうし、会話自体が楽しかったから惜しい。また会いたいと、口に出さずともサルに伝わってしまったかもしないと少年は思った。
それでか、サルは唇を尖らせて、ククッと笑うような仕草をしてから言った。
「名前を教えような。アカゲだ。この通り毛が赤いから。あっちはキリ」
木の根元の苔に寝転び、自分の足指をいじくっている可愛い子ザルの方に、アカゲは顎をしゃくった。
「雨だった日に、水溜りでしゃがんでたのを拾ったんだ。後で近くを見て回ったが、誰も探してないようだから、親は何かで死んだんだな。独りもいいが、こいつとは気が合うんで、一緒もいいよ」
アカゲは、なんて事ないといった調子で話した。
「まあそれで、毛が霧の様に柔らかなんでキリと呼んでる」
少年は無邪気なキリを目で追った。
名前を知ることで、こんなにも心が動くものかと感じ入る。
「お前は。名前」
次に問われて少年は、少し間を置いて答える。
「無いよ。ていうか、憶えてないんだ」
「そうなのか」
アカゲは頭を掻いた。
寂しいから森に来たと話したこの少年が抱える問題に、面食らったのだ。
そして、少し考えてから言った。
「だったらオレが、今つけてやるよ。名前、シズカだ。話し方が静かだから。いいか」
「うん」
少年は、願いもしなかった贈り物を受け取った気持ちになり、
「うん、いいよ、うん」
と心から言った。
少年は『シズカ』になった。
シズカ達は、これで別れることにした。
キリを抱いたアカゲは背を向ける間際に言った。
「シズカ、また話そうな」
キリはアカゲの肩越しに、クリクリした目でシズカを見た。
「アカゲ。キリ。またね」
言うとシズカは、来た時の方角へ三歩進み、また振り返った。
するともうアカゲとキリは見えなくなっていた。
今からなら日暮れ前に小屋へ戻れる。シズカは自分の影に目を落とし、南の方角を確認して再び歩き出した。
シズカの足取りは軽い。
来た時とは木々の色が違って見えた。
日差しでこんなに輝くものかと目を疑う程だった。
シズカは、アカゲが付けてくれたこの名前をすぐに気に入った。
そして、アカゲのことをまるで親友のように思えた。出会ったばかりなのだからと、心を抑えたいのだが出来ない。
アカゲと、キリと、シズカ。三つの大切な名前を、心の中で噛みしめる。
シズカは駆け出した。
早く小屋に落ち着きたかった。もう戻りたくないと思った数時間前の気持ちなど、すっかり打ち消されている。
そして、今日のこと全てを思い出したかった。胸でモヤモヤした、島の反対側にあるという岩場のことも考えたかった。
森を抜けたシズカはそのまま海まで行った。
夕食の前に海に浸かって体をきれいにする。暗くなってからでは怖いから、いつもそうしていた。
そして小屋に帰ると、清々しい空腹感が訪れた。
「いただきます」
作り置きの焼き筍は、いつもの味でシズカの心を落ち着かせた。
「本当にごめん」
まだ話し足りない気持ちで筍に謝る。罰当たりなことを言ってしまったと、心から悔やんでいる。
夕食の後には、眠気が洪水のようにシズカの思考を襲ってきた。もっと起きていたいと、口をすすいだり、顔をさすったりして抵抗したが効かなかった。
(ああ駄目だ。明日ひとつも忘れていませんように)
シズカは寝転んだ。
寝床はいつもより何倍も心地良く感じた。
そして、森へ行って良かったという思いが閉じた目の奥で広がり、ゆっくりとシズカを包み込んだ。
竹の葉のサワサワという音だけの中、眠りに落ちる瞬間はあまりにも気持ち良かった。
†
友達と一日中遊んで帰ってきた時の、兄の高揚した気分。それに似たものに繁は包まれていた。
「兄ちゃん、お喋り、いっぱいしたかな」
夕食の席での繁の言葉を、綾は慎重に受け取る。
繁がもう少し詳しく教えてくれるまで、我慢だと綾は思った。荒波の居場所が人のいる所となれば、警察にまた伝えなければならないが、残業中の明人には、すぐにメールを送ろうと綾は思った。
一方で繁も、無邪気に何でも話している訳ではなかった。胸に仕舞ったものもある。
背中に付いたゴミか何かを、荒波に取ってもらった感じがしたことだ。
なぜそれを荒波の手だと思うのか、繁自身にもわからなかった。




