第2章 薮の暮らし
第2章 薮の暮らし
暖かい見知らぬ世界で、少年は動き続けていた。自分の居場所をもっと良くしようと、あれこれ試みている。
まずは竹の部屋だ。
少年は壁にあたる並んだ竹を、拾ったロープで寄せ集めて縛ることにした。そうして部屋の上を閉じて屋根とするのだ。でも地面からの作業では上手く出来ない。低い位置で緩くまとまる程度だ。
それで近くの竹に登ろうと考えた。とはいえ、一本の竹をよじ登る力は少年には無く、工夫をしなければならない。
少年は数本の竹の間で足掛かりをつけ、無様にガサガサと上を目指した。二十回かそれ以上もがいた頃、竹のしなりにリズムをつけて上がれるようになった。
時間はいくらでもあるのだ。
やっと登れた時、高さに少年の体は縮み上がった。いちいち自分が情けない奴だと知る羽目になるが、それも最初だけだった。
「はは。気持ちいな」
少年は香りを吸い込んだ。そして周りを見渡し、いくつもある成長途中の低い竹に向かい、
「兵よ、陣形を整えよ! おい、右翼は何をしている」
と言った。
おそらくはオラシオン絡みの発想。自分の思考におそらくと前置きをする奇妙さにも慣れた少年は、勝手に遊び出す思考を好きにさせた。
そして、地上から一度緩く結んであったロープを根気強く調整すると、高い点に留める事ができ、部屋を閉じる形になった。
「小屋だ小屋だ。俺の小屋だ」
さらに少年は、結び目の周りに葉付きの枝を幾重にも括り付けた。屋根としての補強だ。
小屋は独特の形になっていく。
こうして小雨くらいなら避けてくれそうな、快適な住処が完成した。
簡単な石積み竈も造った。
社会の教科書の、縄文人のイラストを参考にやってみたのだ。
砂から土に変わる辺りに位置を決めると少し掘り下げ、周りを石で囲う。釜戸の上には、自転車の前カゴを横にして乗せて網代わりとした。
「異形の釜戸よ、呪いの、うぬう」
オラシオン風の台詞創作は上手くいかなかった。
作業の合間には、無数の緑色の小鳥達が少年の心を癒した。
「丸っこいな」
ある日は一羽だけ、小屋の近くまで来てしばらくそこにいた。
小屋の出入り口に腰掛けていた少年は、籠編みをしていた手を止めて小鳥を見つめた。楽な姿勢にと両足を伸ばしても小鳥は逃げなかった。
それで少年は、その小鳥と友達になろうと考えた。小鳥を獲って食べるというのは、気が進まなくて出来そうにないので、それならと思ったのだ。
「こんにちは。
あ、こんにちは鳥さん。
君元気? 君誰なの?
あ、元気だよ、僕、人だよ。中三です。
人くん、今日はカニを捕まえたの?
そうだよ鳥さん。小さいカニを、十二匹焼いて食べたんだよ。
よかったね。でも僕の事は食べちゃ駄目だよ。わかってるか?
ああもちろんさ。もちろんだともさ。鳥さんは今日何を食べたのかい?
筍、じゃね、えと、花の蕾だよ。
おお、それは素敵だねえ。
うんそうさ」
少年は声に出して、小鳥役と気さくな自分役をやってみた。オラシオンではなく童話調だった。
小鳥はちょこちょこと移動し、こちらに顔を向けたりしている。その様子を見ながら少年は、これからこういうのを習慣にしてはと検討する。
「いや違うな」
やりながら自分には向かないと気付いていた。
少年はブンブンと頭を振った。
小鳥は飛び立ち、少年は作業を再開した。
夕食後には楽しみがあった。
晴れの夜、寝る前に小屋を出て砂浜へ向かう。
途中、茂みの隙間には銀の空が。視界が開けた時の、宇宙に吸い込まれる錯覚に身構えながら少年は進んだ。
その日もいよいよそれは少年を包んだ。
怖いほど美しい空だ。
見える限りの隅まで、星で満たされている。無数の星が浮き出て見える。厚い空が少年へと迫る。
(記憶は相変わらず戻らない。でもきっと、こんな空を見たことは無かった)
少年は砂浜に寝転ぶと、両腕を広げて星空の一部になった。
すると体にも星が散りばめられる。額で、胸で、手で、腿で、星が瞬く。それは鼓動と重なった。
目を閉じれば今度は、波の音が少年を海の一部にした。大きな畝りの中に溶け込む感覚。その体で、やはり星は瞬く。
少年は、自分が光る荒波になって、空を進んで行くのを想像した。
それは強くて美しい幻想だった。すると何故か、そうしたい、荒波のように空を進みたいという欲求が、体の中で疼くのを感じた。
『本当の俺』
そんな不思議な思いが、目の裏を短く通る。
そうしていて、砂や風の冷たさが身に染みて来ると、心を鎮めて竹の小屋へと引き上げる。少年は暖かい苔の寝床にほっとして、眠りにつくのだった。
ある暑い昼間のことだった。
少年は小屋の周りの竹や篠や、大きな草を取り除いていた。虫が多くて困っていたのだ。
枯れた竹は、折ると鋭い棘になる。少年はそれを知らず一度痛い目にあったが、その後は怪我をせずにいられた。ただ作業を続けていると、手や脛からボロボロと何かが剥がれ落ち始めた。少年はそれを土の汚れが乾いたものだと思い、気にせず竹藪を整理した。
抜こうとした草に、綺麗な紫色の花が咲いていたので、どうするか迷った時だった。そこに蜜蜂が来た。運悪く、蜜蜂は少年がたまたま動かした手に当たってしまい、それから少年にまとわりつき始める。
強弱をつけて繰り返す羽音。少年は何度か蜜蜂を手で払ったが、背中に停られてしまった感じがした。
刺される、と思って、反射的に背中にぐっと力を入れる。
蜜蜂が去っていく。
刺されはしなかったようだ。その代わりに、痛みとは違う何か違和感が生じ、次いで耐え難い疲れに襲われた。
それでその日の作業は終わりにして、小屋に入った。
服の上から肩甲骨の辺りを触ってみる。異様に硬い感触があった。それを爪で掻くと、硬いものが砕けてボロボロと落ちた。これまで何度もあった感覚だと少年は思った。
少年は外に出て服を脱ぐとまた背中を掻いた。
「何なのこれ」
しゃがんで落ちたものをよく見ると、乾いた分厚い皮膚のようだった。
昨日体を拭いた時にはこんなものは無かった。蜂の所為でこうなったのか。でも刺された感じはなかった。考えても分からず、少年は背中の余計なものを入念に掻き落とした。大切な住処の、苔の絨毯を汚したくないのだ。
そして少年は、その日の夕食に竹を食べた。筍ではなく竹だ。昨日余計に焼いたカニもあるのに、無性に欲したものは硬い生の竹だった。細い青竹を歯で傷つけて切り出し、まるでパンダのようにかじって食べた。
(こんな人いる?)
疑問ではあったが、記憶がないと自信を持って断じることもできない。
(まあ、まあしょうがない)
少年は長く考えるのが苦手だった。そうしてとにかく腹が満たされて、健やかな眠気に飲み込まれた。
少年は、日々を夢中で暮らし続けた。
初めはすぐに疲れ切ってしまっていた体も心も、日に日に力を付けた。真っ黒に日焼けをし、朝から長い時間動き回れるようになっていった。
木にも竹にも登って作業をした。どうやら怪我をしそうになると硬くなる皮膚。その度に竹や木の枝を欲する。食べて一息つけば、また動けるようになるのだった。
汗をかいた後は遠浅の海で涼んだ。少年は初め泳げなかったが、自然と水を掻くようになり、浮いてくつろげるようにもなった。
いつでも、次に何をやるか、何を良くするかを探した。
どうしてこんなことになった? なぜ独りぼっちなの。そんな疑問は邪魔だった。
そうして少年は毎日、竹薮と砂浜と、海と空の間を行ったり来たりした。
時々は、社会の教科書もめくった。ひょっこりと中学生の自分が通り掛かるかもしれないと思って。
それだけだった。しばらくの間は、ただそうした。
†
繁は決めた。
———— 兄ちゃんがいなくなって何日も経つけれど、おれは昨日分かったことがあって、それをお母さんに話すことにした。
「あのさあ、あのさあ、おれ、兄ちゃんどっかにいると思う」
お母さんが履いているスリッパが、パタっと音を立てる。
「うん。そうだね、お母さんもそう思うよ。ね」
晩御飯の支度をしているお母さんが、間を置いて返事をする。
無理に元気を出して言った感じがした。でもきっとおれの言うことを解れば、お母さんはちゃんと元気になれると思うから、おれはもっとよく説明しようと思った。
「お母さん、おれ、兄ちゃんの気分が分かるんだよ」
今度はお母さんは返事をしなかった。鍋に水を入れいてる。
おれは続けた。
「兄ちゃんいなくなって、最初はびっくりして、怖いとか悲しいとかで分からなかったの。でも昨日、兄ちゃんの気分を分かったの。兄ちゃん今、何か一生懸命やってて、忙しい感じしてるの。あのね、寂しいかも知んないけど、泣いてないと思うよ」
お母さんは鍋をコンロに置いておれを見た。
「忙しい? なんで、そう思うの?」
やっと話を聞いて貰える。
「おれ分かるよ。うちで兄ちゃん、機嫌悪いことある。そういう時に遊ぼうとすると、蹴られるから、兄ちゃんの気分がいつも分かるようになったんだよ、おれは」
ちゃんと伝わるように、大人っぽっく言った。
そんなおれにお母さんは疑う顔を向けた。おれがしょっちゅう、兄ちゃんを怒らせていたからだと思う。確かにそれはそう。兄ちゃんの気分を分かるからと言って、全部合わせるつもりなんてない。おれはおれなのだ。
でもこの話は本当なのだから、信じてもらわないと困る。畳みかけなければならない。『畳みかける』はバトル漫画で出てきた言葉だ。
「それでさ、今も分かんの。兄ちゃんの気分が分かんの」
この真剣な顔を見ても、お母さんはまた黙ってしまった。ニラを洗っている。
駄目。信じてくれなければ駄目だ。もう自分だけが分かって暮らすなんてできない。おれは諦めずに話し続けた。
「兄ちゃん、うちのことを思って悲しくなってないよ。忘れちゃったみたいに。なんでかな」
そう言うとお母さんの表情がやっと動いた。目が光った感じがした。
「兄ちゃん、いい匂いを嗅いでる。お母さんの籠みたいなのね」
お母さんはおれの顔を見て、瞬きを沢山した ————
繁は、綾に「後で続き話そう」と言われ、壁際の二人掛けソファに寝転んだ。
†
その夜、繁の言うことが聞き捨てならないと、綾は明人と繁を茶の間に集めた。爆発事故から八日目のことだった。
まず綾は、事前に繁から聞いていた話を明人に伝え、
「ね、しいちゃん」
と確認するように繁の顔を見た。そして、
「それで、どう、その後は何か。どう」
と追加情報を求めた。
「前と同じ感じだよ。兄ちゃん忙しいと思う。なんか偉い感じ」
「偉い? 偉いって?」
すっかり生気を取り戻した綾に押された繁は言葉を探す。
「なんか、へこたれてない感じなの。兄ちゃんいつもへこたれて、すぐ泣くみたいな顔になる。でも今は偉いの。ああ、自分がへこたれ荒波だという事も、忘れてしまったのか、兄ちゃんは」
綾は、もっと具体的な話を聞きたかったが堪えた。繁はこれでも、年齢の割には話せる方なのだ。
そして明人に向かい真剣に言う。
「私、しいちゃんが言ってることは本当だと思うの」
するとすかさず繁が口を挟む。
「おれ本当のこと言ってるよ」
「だから分かってるってしいちゃん。ちょっと待ってて」
綾は再び明人に目を向ける。明人は、繁を見て口を開いた。
「お父さんも繁を信じるよ」
明人は以前から、思春期らしい不安定な荒波の気分に、繁は幼さに似合わない付き合いをやれていると感じることがあった。
それで明人は繁に質問した。
「いつも、例えば荒が学校行ってる間も、荒の気持ちが分かってたの?」
繁は首を横に振った。
「今は兄ちゃんのことをよく考えてるからだと思う。違う事を思ってると、兄ちゃんの気分知らないよ」
明人と綾は見合った。その間繁は「おれみたいな小さい子だって忙しいからな」と小声で続けていた。そして、
「うん。ちょっと俺の話も聞いてくれ。考えたんだ」
と明人は話し始めた。
事故現場の状態から、やはり荒波は自分と同じ能力を使い、どこかに避難したと考えていいと思うと。すると、帰って来ない、連絡も無いというのは何故か。警察の話を当てはめれば、そう遠くへは行っていないことになるのに。
「しいの、忘れちゃったみたいにうちのことを思ってないって言うのを聞いてさ、どっかで記憶喪失になってんじゃないかって、今思ったんだ」
ここまで明人の話を聞いて綾は少し考え、目を丸くして言った。
「爆発に遭ったんだもんね。うん、そうかも。家、わからないのかも」
「じゃあ何で忙しいの? 会社で働いてるの?」
繁の問いに、また明人と綾は考える。だが繁はすぐに自分で答えを出した。
「分かった。すっごく忙しいラーメン屋さんの、カウンターの中に瞬間移動しちゃったんだ」
綾は小さな繁に真向から反論する。
「中学の制服姿の子をいきなり働かせないでしょ。あ、帰りはジャージか。でも、いや、ううん」
荒波の中学校では運動着は指定されておらず、一般の物を使っている。だから中学生とは思われないのかと、この仮説を検討しそうになっている綾に構わず、繁はまた考えを述べた。
「じゃあ、ええと、すごく忙しい焼肉屋さんのカウンター」
綾は再び応じる。
「なんでいちいちカウンターよ。それに焼肉はテーブルでしょ。あとほら、荒は見るからに中学生なんだったら。背丈はあるけど細いもん。まだ髭生えて来てないし。でもそう言えば荒の担任の先生、見た目は生徒と同じくらい少年ぽいよね。ああそんなこと今はいいか」
「ねえカウンターの焼肉、東京にあんだよ。夕方のさあ、テレビでこないださあ、焼肉」
繁が食い下がるので、綾の代わりに明人が仕方無く頷く。すると今度は、
「おれも瞬間移動したいな」
と繁はどさくさ紛れに言った。
「やめてよ。やめて」
それを綾は、またも正面から受け止める。
「俺やり方分かんないって」
「でも試さないで。やれちゃったらどうすんのよ。今は駄目。せめて荒が帰ってからだよ」
揉める二人を前に、明人は家の空気が変わったと感じた。それは荒波がどこかに無事でいる事を前提にした、家族の話し合いの力だと明人は思った。
とそこでまた綾が言う。
「何にしたってさ、大人がいれば警察に伝わる筈だよねえ。ああ、ジャージに学校名くらいあればよかったのに。制服の学校章も、文字が入ってないデザインなんだから」
荒波に記憶が無くても、保護されれば警察のデータベースに載り、見逃されることはないはずだと明人も考えた。もう八日たっているのだ。
「やっぱり、外国ってのも除外できないのか」
だが繁は賛同しない。
「外国だったら兄ちゃんへこたれてると思うけどな。きよくそうしつなっても」
と、自分で脱線させた話を冒頭へと引き戻した。綾も「そうだよ」と弱々しく続いた。
するとまた繁が、何か思いついた顔をして口を開く。
「じゃあ、悪い人んとこで、色々用事を頼まれてるのかな。兄ちゃんは仕方なく、忙しく働いてるの。悪い人は大人だけど警察に言わないの。だって悪い人だから」
それを聞いて、もはや綾の顔は青白くなり始めた。
「ちょっとやだ、ほんとにもう、やめてよそんなこと言うの。怖かったらかわいそう」
そこで明人が慌てて入る。
「しい。でも兄ちゃん怖がってないんじゃないか」
「あ、そうだった。忙しくて偉いの。怖くない。夜は多分おれよりも早く、いい気持ちで眠ってるよ」
「え、それも分かるの? いい気持ちなの?」
繁はあっさりした顔で頷いて言った。
「夕方言ったでしょ。籠みたいな、いい匂い嗅いでる気持ちが来るんだよ、おれに。そんで、そんで早く眠ってるから」
少し間を置き、明人はボソッと呟いた。
「山ん中か。やっぱり記憶喪失の状態で」
綾は、じわじわと目を見開いてそれに加勢する。
「一人で忙しく動き回って、生き延びてるの? いい匂いって草木とか。あんまし危険じゃない場所なの?」
二人は、近辺の地形を頭の中で検索する。里山が連なる地域だ。繁の言う通り元気でいるなら、逞しいとは言えない荒波でも、人のいる所へ来られるだろうにと二人は思った。
「やっぱりここから遠いのかな」
綾は感情が暴走した。
「あの子、何にもできないじゃない」
泣きそうに続ける。
「もっと色々やらせとけばよかった。食べ物、何かあるのかな。好き嫌い多いのに。怪我だって大きいのは防げない。蛇や蛙は苦手だし。あと、寒くないのかな。しいちゃん、お兄ちゃん寒いのかな」
「寒く、ないと思う。だっていい気持ちで寝てるって言ったじゃん。食べ物も食べてるよ」
「ああ、あああ、うん。じゃあ、でも」
そこで明人が手を動かして、
「落ち着こう。な、落ち着こう」
と再び割って入る。綾が静かになると、明人は自分にも言い聞かせるように話した。
「今は繁の言葉が全てだ。荒波は忙しくて、寒くなくて、泣かずに気持ちよく眠れてる。腹も減ってない、痛くない。先ずはそう思おうよ」
明人は、綾が口をつぐんだのを見て続けた。
「寒くないなら山じゃ無いかもな。外国でもないなら、どっか、日本の、無人島とか」
終わりはぶつぶつと呟くようだった。
ここで、繁が大きな欠伸をして、会はお開きとなった。
翌日明人は、家族で話し合った内容を伝えに警察署へ出向いた。
応対には、綾が話したという田上が出てきた。
明人は、荒波が記憶を失くしている、そして人のいない自然の中にいるという推測を話した。次いでその根拠を。荒波の瞬間移動に加え、繁の感覚までまともに扱ってもらえるものかと、明人は体当たりの心持ちだった。
だが綾の時と同様に、田上の拒絶は無く、逆に意外な話をされたのだった。
「捜索の手法について、あまり詳しくは言えないのですが、その」
「はい。なんでしょう」
明人は、何か話そうとしている様子の田上の目を見て続けた。
「私には、息子の無事だけです」
田上は手で頬を擦り、息を吸ってから話し出した。
「ではその、少し。実は警察でも、特異能力による捜索もしております。今回の場合、なんて言うか、息子さんの心を追うというやり方があって。事故当日のうちにその能力を有する者が、中学校から現場までの間で、息子さんの意識の残像、ええと。ええ、すみません、私は詳しくなくて」
明人は小さく頷き、黙って次の言葉を待った。内心、想像していなかったこの展開に興奮していた。
田上は続けた。
「あくまでも今時点で特異能力は、警察にとって補助的なものです。人材も少ないのでなかなか。まあそれによりますと、今のところ見つからない。で、二つの可能性が検討されているところです。一つはその、もういないということ。もう一つは、お父さんのお考え通り、記憶障害等のケースです。思いが、事故前の息子さんと違っているために見つからない訳です」
そこまで聞いて、明人のか細い希望が力を増した。一つ目の『もういない』には証拠が無い。つまり警察は概ね、家族と同じ方向を向いていると思った。
それと、自分や家族が持つ変わった能力を、公然と語れることにおののいた。
帰宅した明人は綾をソファへ座らせ、田上と話した内容を伝えた。
「そういう訳で、警察は引き続き思いを追うのと並行して、あらゆる可能性を否定せずにやってくれるって。繁の能力みたいなもんも、参考にしたいって言ってくれたよ」
黙って聞いていた綾は、
「警察が、記憶がない荒波の心は追えないなら、繁のは違うやつなんだね」
と、希望を讃えた目で言った。
「きっと兄弟だから」
明人はかすれ声で呟き、鼻をすすった。
綾は敢えて明人の顔から目を逸らした。明人と自分はお互い、強いままでいなければならないからだ。だから空中を見つめて、ただ無言で何度も頷いた。鼻の奥が痛くなっていった。
二人とも次は何が出来るかを早く見つけたかった。
でも今、何処かにいる荒波に少しだけ近づけた心地がしていた。




