第15章 冒険の余韻
第15章 冒険の余韻
———— 冬だ。変な気分。自分の部屋だ ————
荒波はベッドに腰掛け、正面にある窓の外を眺めた。景色は、間近を渡る電線と、柿の木と、向かいの家の黒い屋根だ。
雀が電線にとまった。静かな時間が過ぎる。
島から戻った荒波は、日常を再開する前の、七日間の休日を過ごしていた。
その期間で、サルとの格闘で負った怪我は大体治った。
繁も疲れからか、微熱を発して家にいたが、気持ちは元気だったから、二人で一緒にゲームをしたりした。
中学の担任教師は、遠慮がちな様子で家を訪れた。そして、できる範囲でいいと言って、教科のプリントの束を置いていった。
荒波は明日学校に復帰するが、学生服は無い。それで綾は、吹雪の兄の物を譲り受けてきた。荒波には少し、丈が足りなかった。
南の島で、肌寒い時の掛け布団代わりだった学生服は、今も小屋の隅に丸まっているのか。リュックやヘルメットも。シズカが時折めくって、記憶の欠片を探していた社会の教科書。そして蓬の荷物も、全部一緒にまだ在るのか。それとも、小屋ごと燃えたか。
荒波は、ゲーム機を手に取ったものの、電源を入れずにいた。そして、勝手に頭に浮かんでくる場面を流し見した。
———— 熱い噴石が降り、焼ける森から逃げ出した俺達。そして降り立ったのは、縁もゆかりもない東京の消防署だった。
説明するにはあまりにも不思議な経緯。
消防や警察の中で、瞬間移動についてどう処理されるか知らない。だが、俺達が噴火した島から来たと言う事は、すぐに認められた。元々それ前提で動いてくれていたし、俺と蓬と、何より服に付いていた灰が雄弁に語った。
そこで、キリの存在は大きな問題となった。
日本で野生の猿は、ニホンザルだけの筈だったのに、キリは見るからに違う。長い尾も、顔の模様も何もかも。何という種類の猿かも、まだ判別できていない。そんなキリが、国内の無人島から来たのだ。
それでまずは検疫となったのだが、その三十日間の隔離計画はすぐに崩れた。ケージに入れられたキリが、ことごとく俺の肩に瞬間移動で戻って来たからだ。
俺は張り裂けそうになった胸が救われた思いだったが、検疫官もじゃあいいですよとはならない。仕方なく俺は、検疫官の指導の下、キリと自分を洗った。消毒の匂いのするシャンプーだった。そのときシャワー室の隅にキリが用を足したので、便の採取は容易になされた。
そしてキリを、俺たちのこの家へ連れ帰れることとなった。当然、いくつもの注意点や、役所の定期的な確認を条件にではある。
キリを拘束する術は無い。となれば、最悪の対応をと、ならなかったのは何故だろう。そう俺は後から思った。あの島が外国ではないからだろうか。新種発見の可能性からか。動物愛護か。
とにかく本当に良かった。
それで俺達は速やかに、みんな揃って家に帰らせてもらえた。
ただ、親は帰ってからも、電話連絡や書類や何やらに追われたらしい。俺はゆっくり風呂に入り、眠り、ゲームや好きなことをして、好きなものを食べていていたから、気が付かなかった。
俺達の顛末が消防署から外に漏れることは、ほぼ防がれた。
そして世間には公式に、
『ある経緯で行方不明となっていた十四歳の少年が、無人島で生存している事が分かった。少年は噴火の観測に伴い発見され、無事救出された』
とだけ伝えられた。
つまりキリと、瞬間移動と、蓬については一切触れられていない。
小麦粉テロとの関連もだ。どんな匙加減か知らないが、テロについては、国民のパニックを防ぐためか。それともテロ組織の中枢を押さえるまでの時間稼ぎか。
蓬については、単に足首の怪我で学校を休んでいたことになっている。行方不明の噂はすでに立ったし、日焼けしているのだから地元では無理があるのだけれど、一応、そうなっているのだ。
だが俺の事ではさすがに、あれっぽっちの公式報道では済まなかった。インターネットの界隈には、さざ波が立った。
俺は、このリハビリ期間にエゴサーチをした。
『爆発事故で消えた少年が、噴火の最中、無人島より帰還した。その際に、消防署所有の未公開の最新テクノロジーが活躍。とうとうワープ技術が実用化された』
まあ、事実からかけ離れてはいないか。
『下校途中の少年が、爆発により二ヶ月後にタイムスリップした』
これはひどい。俺の大切な島での時間が無しになる。
『噴火の爆風で少年が飛ばされ、東京に落ちたが無事だった』
ずいぶんと雑なフェイクニュースだ。
あと、こんなものもある。
『人見FUN FUN CLUBへようこそ。さて早速ですが、十月初旬にとある爆発事故で少年が行方不明となった件について。その発見に人見さんの大活躍が見え隠れしております。私も人見さんに発見されたい。私はここです』
人見さんとは、例の県警の超能力者だろうか?
それはともかくとして、超能力だなんて、今の所俺には手に余るものだ。それでも、家に戻ってからのある日、父と俺は近道について話し合った。
不思議な気持ちだった。特殊な皮膚の事では誰とも分かち合えなかったのが。
それで父と俺は考えが一致した。
それは、二つの思いが呼び合うと、道はその間をつなぐのではないかということ。もしそうなら父に竹薮が見える様になったのは、俺に記憶が戻って家族を想うようになったからだ。そして俺が帰れたのは、繁がキリを引いたお陰らしい。
『あんとき、最初は兄ちゃんこっちだよって思ったの。何でか知んないけど、足がグラグラなった。でもキリに会って分かった。おれキリとつながったんだわ。兄ちゃんはへこたれ気分だけ。兄ちゃんはそんだけ』
繁からそう聞かされた。
正直なところ、俺には意味が分からない。でもあいつそれで、後で熱出したのかな、悪かったな、と俺は、いつも真上から見下ろしている繁のつむじを想った。
しかしそう考えると今度は、キリは一人で島へ帰れるのだろうかという疑問が湧く。アカゲは繁の様には引っ張れないものか。
或いは、キリが気まぐれにどこかへ瞬間移動して、いなくなってしまったら。
考えても分からない。父は、
「行かないよなあ。うちがいいよな」
とキリに話しかけて、この問題を投げ出した。長く考えるのが苦手な俺の質は、父譲りなのだと思った。
俺もとにかく、今はこの暮らしをやっていこうと思った。そして先の自分に任せて、キリを必ずアカゲの元へ ————
荒波は愛しい場所へ思いを馳せた。
アカゲに会いたかった。
蓬にも会いたくなった。
ゲーム機はベッドに放り投げ、体も仰向けに放り出した。
†
翌日荒波は予定通りに登校した。そして久しぶりの、人間の親友との昼食だ。
吹雪は最初、以前の様に接していいかと荒波に気遣った。
無人島サバイバルなど、吹雪にとっては恐ろしいものだ。元の荒波のイメージからかけ離れてもいる。
そんな吹雪の心中を察した荒波は、
「日焼けしただけだよ。貝拾って食ってた」
そう言って上履きと靴下を脱いで、吹雪に足を見せた。
あの時、熱さで体中の皮膚は鎧のようになり、すでに剥けて新しくなってしまった。荒波は、東京の消防署でほとんど脱皮したのだ。それでスニーカーに守られていた足だけが、日焼けを残していた。
おかしなツートンカラーだが、吹雪は荒波の体質を知っているから、適当に受け入れる。
荒波は、吹雪にもまだ全部は話せない。色々と様子をみてからと、大人から止められている。だからどう加減すればいいか分からず、困りつつ言った。
「心配かけちゃった?」
すると、吹雪が目を見開いて顔を上げる。
「心配したよ。でも、生きてるって信じてた。繁くんがお前と交信してるって、噂になったんだ。妹からそれ聞いて、本当に信じたよ。お前の弟だからあると思った」
そこで荒波は、数日前に繁が言っていたことを思い出した。
「そだ、吹雪、君わざわざ繁に『信じる』って言いに来てくれたんだって。繁が『吹雪くんは俺の親友だ』って自慢げに言っちゃってたよ」
荒波は、数多の親切の中でも、このことを聞いた時、特に心を揺さぶられていた。
「あはは。心細かったら可哀想だと思ってさ。そんなの嘘だって言う人もいるから。俺だったらキツいよ」
荒波は吹雪の人柄を尊敬した。
するとまた吹雪は言った。
「荒波の瞬間移動の噂だけど、それも俺信じるよ」
荒波は何も言えずに、ただ口をパクパクさせた。吹雪は荒波に構わず、さらに続ける。
「小さいお猿が一緒に来たって」
荒波は口をパクパクさせ続けた。
(だいぶ知られてんだ)
だが蓬の話題に及ぶのは防ぎたい荒波は、開き直って言った。
「今度キリに会う?」
「キリ?」
「そのお猿だよ。ちっちゃいよ。可愛いよ」
動物好きの吹雪は目を輝かせた。




