第12章 キリ
第12章 キリ
「キリの母親はよ、ずっと端の、日の出の方で暮らしてたらしいよ、うん。
キリを産んで死んだそうだ。それでしばらくはキリを、母親の妹が育てた。
なんでも、キリがしょっちゅういなくなるんで、手を焼いたそうだよ、ああ、うん。
そんな調子で育ての親はよお、雨の夜にキリとはぐれたんだと。
近場は探したって。でもなあ、自分の子供らもみなけりゃなんねえからな。
諦めたんだと、ううん」
———— これは最近聞いた話だ。
キリをアラナミに預け、オレが独りで山を下りた日だ。森を突っ切って、居着いている方に向かっていたら仲間に声を掛けられた。
「アカゲ」
「ああ、ハナか」
幼なじみだ。
「久しぶりじゃないか。どうした」
これは、サルのやり方の会話。ハナとは疎遠だったが、オレが珍しくこんな所を歩いているんで偶然会ってしまった。
「山を降りて来た所だよ」
「山だと? なぜ」
関係ないだろうに。
「好きで行ったんじゃあないが。何でもないよ」
これで話は終わりだと思ったが、ハナはまだオレの顔を見ていた。そして、
「お前一人か。赤ん坊育てていると聞いたがよ」
と、ここでハナは話し方を変えて、オレのやり方に合わせてきた。心底驚いた。
それに、何故そんなことを聞くのだろうとオレはいぶかしんだ。雄が子供を拾って世話をするのは珍しいだろうが、放っておけばいいだけ。
オレは短く答えた。
「ああ。キリだ。まあ、俺のやる事だ、気にするなよ」
「それで、うん。キリは今どうしてる」
まだ聞くか。それに、アラナミ以外にキリの名を呼ばれるのは、妙な気分だ。
「はっ。都合で、竹薮のヒトに預けている。明日の朝までな。ますます、正気じゃないと思うだろ」
沈黙があった。そして、
「そいつ見たよ」
と、ハナが声を低めゆっくりと言う。ヒトへの警戒と敵意だ。意外性はない。
「害はない。構うなよ」
オレは努めて簡潔に言った。赤毛が逆立つのは抑えられなかった。
それを見てかハナは、一度力を込めた目を緩める。そして、オレのことを変わった奴だと再認識したような顔をして、言った。
「分かった。凄むな。なあ、守りたいだけだよ」
家族や、暮らし全てを守りたいと言っているのだろう。真っ当だ。だがオレには、荒波が敵じゃないと分かるんだ。荒波と話をして、そのもっと深くが分かったんだ。
これでオレは、一層ハナと気不味くなったかと思った。
でもその後でハナは、帰る方向を向いたままのオレに近づき、意外にも、キリの生い立ちを語って聞かせてくれたのだった。
オレもいつの間にか毛を畳み、肩の力を抜いていて、ハナに向き合っていた。
「もちろん、細かいところはオレの想像だ。うん。お前と話すのとは訳が違うから」
ハナはニヤッと笑うとすぐに顔を戻し、また続けた。
「それに、その赤ん坊がキリだとは限らないがよ」
その言葉を聞き、オレもニヤッとやって下を向き言った。
「すぐいなくなるって。ああ、きっとキリだ」
『すぐいなくなる』はキリの第二の名前みたいなものだ。キリが見えなくなる度、ただオレが目を離しただけだと。でも、キリの移動はどうも速すぎると最近は思っている。
夜のでかい鳥に狙われた時も不自然だった。
オレは、自分よりも一回り体の大きいハナを見上げて続けた。
「それで? 諦めきれなかった親代わりが、聞き回っていて伝わった話なのか」
近くキリを返す日が来るのかと、オレは心構えをした。
「違う。今、山の唸りが増えただろうよ。だから森中で話が行き交っている。お前が作って置いて行った、つてでな。その余談でオレが聞き回ったんだ」
「キリの親探しを、ハナが?」
オレはいつまでも話が飲み込めない。
ハナは落ち着きなく、空を見上げたりして言った。
「大変だろうと、思ったからだよ。お前、赤ん坊の世話なんか。きっと何かの時に拾っちまったんだろうがよお」
まさか、心配されていたとは。
ハナは大真面目な顔を変えようとしない。さすがにオレも憎まれ口は打ち止めだと思った。
「大丈夫だよ。キリはもう、親友なんだ」
オレがそう言うとハナはうな垂れた。余計なことをしたと思ったか。
そして言った。
「ああ、うん。向こうは、拾ってくれたんなら、このままでいいってよ」
オレは内心で、胸を撫で下ろした。
そしてハナは、
「お前はよ」
と続けたが、言いにくい事なのか、また一旦黙る。
「お前は強い。それによ、特別だ。だけどやっぱり、仲間ってもんがよ」
独りぼっちなんかやめろって話か。分かっている。
オレはこの場から逃げ出したくなって、話を切り上げることにした。
「ハナ。キリの話、ありがとうな」
いいよと、今度はサルのやり方でハナは返事をした。
オレ達はそれで別れた。
だが時間が経って、オレが気に入りの辺りに戻り着いた頃、ハナの思いが頭に入ってきた。オレもまだハナとの会話を思い返していたから、届いたのだろう。
「たまには子連れで、こっち来りゃいい」
俺は逡巡し、返事を送った。
「行くよ」
駆けるオレに掴まっていたキリが突然地面に落ちて、抱き上げてからオレは思い出していた。
煙る視界、仲間達の背中を懸命に追いながら、キリにまつわる全てを想っていた。




