言わないまま
翌日、悠人はいつも通りだった。
教室に入ってきて、
誰かに声をかけて、
笑って。
私だけが、昨日を引きずっているみたいで、
それが一番、きつかった。
「おはよう」
声をかけられて、
一瞬、返事が遅れる。
「……おはよう」
それだけ。
それ以上、続かない。
悠人は少しだけ不思議そうな顔をしたけれど、
深くは聞いてこなかった。
聞かれなくて、ほっとした。
同時に、少しだけ寂しかった。
授業中、
ノートを取るふりをしながら、
昨日の光景が何度も浮かぶ。
笑っていた顔。
近かった距離。
私が知らなかったわけじゃない。
ただ、見ないふりをしていただけだ。
昼休み、
紗季が隣に座る。
「昨日、なんかあった?」
視線を合わせられなくて、
私は曖昧に肩をすくめた。
「別に」
その二文字が、
どれだけ便利か、私は知っている。
「……見たんでしょ」
低い声。
決めつけじゃない、確認。
私は、黙った。
それが答えだった。
「柚月」
紗季は、少しだけ言葉を選んでから続けた。
「今の関係、しんどくなるやつだよ」
分かってる。
分かってるから、
胸が痛い。
「でもさ」
小さく笑って、
私は言った。
「別に、何も言われてないし」
何も言われてない。
それが、すべて。
好きだとも、
特別だとも、
言われていない。
だから、傷つくのは私の問題で、
相手のせいじゃない。
そうやって、
自分を納得させる癖が、
ここでも出てきた。
放課後、
スマホが震える。
『さっき、元気なかったけど大丈夫?』
優しい言葉。
逃げ道のある言葉。
私はしばらく画面を見つめてから、
短く返した。
『大丈夫』
嘘。
でも、
本当のことを言ったら、
何が変わるんだろう。
「他の子とも、同じなんでしょ」
「私って、何?」
どれも、
言った瞬間に、
関係が終わりそうな言葉だった。
『無理しないでね』
返ってきたメッセージ。
心配される立場でいる限り、
この関係は続く。
それに、
終わらせたいわけじゃない自分がいる。
胸の奥で、
小さく、でもはっきりと、
認めてしまった。
私は、
好きだ。
言われていなくても。
選ばれていなくても。
だから、
言わない。
言えない、じゃなくて、
言わない。
この気持ちに名前をつけたまま、
何も変えないという選択。
それが一番、
自分を傷つけると分かっていても。
夜、ベッドに横になりながら、
私はスマホを胸に抱えた。
通知が来るたび、
少しだけ救われて、
少しだけ壊れる。
「私だけじゃない」
その事実を知ったまま、
この関係を続けることを、
私は選んでいる。
それが、
初恋のいちばん苦いところだと、
もう、気づいてしまっていた。




