見てしまった
それは、本当に偶然だった。
放課後、紗季に頼まれてプリントを職員室まで取りに行った帰り。
いつもなら通らない、中庭の横を抜ける近道。
笑い声が聞こえた。
反射的に足を止めたのは、
その声が、聞き慣れすぎていたから。
悠人だった。
誰かと話している。
楽しそうに。
いつもより、少しだけ近い距離で。
視線を向けた瞬間、
胸の奥が、はっきりと冷えた。
女の子がいた。
同じ学年だと思う。
名前までは知らない。
悠人は、少しだけ身を屈めて、
相手の話を聞いていた。
あの、よく知っている姿勢。
優しくて、
無防備で、
誰にでも見せる顔。
なのに。
その光景が、
どうしようもなく、刺さった。
見なかったことにすればよかった。
今なら、まだ引き返せた。
でも、目が離れなかった。
女の子が笑って、
悠人がそれにつられて笑う。
距離が、近い。
触れてはいない。
何も越えていない。
それでも、
私の中では、何かが音を立てて崩れた。
……ああ。
これ、私が見てきたやつだ。
安心させる距離。
特別みたいな言葉。
でも、何も約束しない。
私だけのものじゃない。
最初から。
分かっていたはずなのに。
息が苦しくなって、
私は静かにその場を離れた。
職員室でプリントを受け取った時、
先生の言葉が、頭に入ってこなかった。
廊下を歩きながら、
何度も、自分に言い聞かせる。
違う。
勘違いしてるだけ。
深い意味はない。
そうやって、
自分の感情を、現実より軽く扱おうとした。
でも、
スマホが震えた瞬間、
全部、無駄だと分かった。
『今日、話せる?』
悠人から。
画面を見つめたまま、
指が動かない。
今、あの人と別れた直後に。
このメッセージ。
偶然かもしれない。
でも、
私の心は、もう追いつかなかった。
『今日は無理』
初めて、そう返した。
すぐに既読がつく。
少し間があって、返信。
『そっか。無理言ってごめん』
それだけ。
理由を聞かない。
引き止めない。
その優しさが、
今は、残酷だった。
ベッドに座り込んで、
私はスマホを伏せた。
胸の奥に広がるのは、
はっきりした感情。
嫉妬。
独占欲。
そして、自己嫌悪。
好きになってはいけない人を、
ちゃんと好きになってしまった。
それを、
否定しきれなくなった瞬間だった。
「……私、何してるんだろ」
答えは出ている。
でも、
終わらせる勇気がない。
私は、
見てしまった。
そして、
それでも、
離れられない自分も。




