第百十六段 山祇
八洲の山々にはそれぞれその力を司る山祇がいた。
山には地震や崖崩れ、噴火など様々な力が集まっており、途轍もない量の呪力が溜まっていた。
そのような山祇たちを統べるのが大山祇だった。
その大山祇がどうして熊襲にいるのか、瓊々杵と児屋根は不思議がった。
しかし、開耶の案内で彼女の家を訪ねると、そこで瓊々杵たちの歓迎したのはやはり大山祇だった。
相手の呪能を見抜ける児屋根は、自分たちを歓待する眼前の神女が尋常ならぬ神人でないことを即座に看破した。
「あらあら、これは珍しいお客様ねえ」
紫を基調とした衣をまとい、緑色の髪の毛を長く伸ばした大山祇は、両手を口の前で握ってほわわんと微笑んだ。
「突然の訪問を許してもらいたい」
児屋根が前に出て大山祇と交渉した。
流石に瓊々杵では大山祇に呑まれてしまいかねなかった。
それほどまでに大山祇の放つ力は、緩い見た目に反して強大なるもので、児屋根も慎重にならざるを得なかった。
そのような大山祇が何故に熊襲で瓊々杵たちも気付かぬほど細々と暮らしているのか。
彼女は葦原中国に天降った天津神に娶られたと聞いており、不審であったけれども問い質すことは出来なかった。
常世において相手の事情を詮索するのは御法度だった。
「構わないわあ。腰を低くすべきは寧ろこちらよ。娘を助けてもらったんですもの」
大山祇が視線を向けた先では開耶が瓊々杵に話し掛けていた。
「へえ、貴方が噂の天孫さんですか?」
開耶に接近されて瓊々杵はたじたじだった。
「あ、ありがとうございます……」
「そんなお母さんに畏まらなくてもため口で良いですよ」
年齢が近い見た目の女の子にくっつかれ、彼はどぎまぎしていた。
鈿女にからかわれたことは少なくなかったが、彼女は年上の女性であって開耶とはまた違った。
年が近しいからこその恥ずかしさが瓊々杵を赤面させた。
「赤くなっちゃって可愛いですね」
「可愛い!?」
「こらこら、瓊々杵くんを困らせたら駄目よお、開耶」
開耶の言葉にへこたれる瓊々杵を見て大山祇が娘を笑顔で窘めた。
「え~、私は瓊々杵を褒めてるだけですのに」
「瓊々杵、野暮なことをするのは、吾輩の信条に反するゆえ、自力で頑張ってくれ」
拇を上げてみせ、児屋根は瓊々杵に声援を送った。
◆
大山祇の屋敷を出て開耶は瓊々杵を近くの森に連れていった。
そこは天然の花畑になっており、南国の花が色取り取りに咲き誇っていた。
その一つ一つを開耶は瓊々杵に説明していった。
しかし、瓊々杵はその説明よりもそれを話す開耶そのものに注意を惹かれた。
深緑の長い髪を左だけ三つ編みにした開耶は、衣装を少し乱れた着こなしでまとっていた。
それでも、なよやかな柳を思わせる様は可憐だった。
そして、その姿にはどこか儚さも感じられた。
開耶は陽気であってのりが良く、気さくに話し掛けてくれる。
だからこそ、そのような印象を抱いたのを、瓊々杵は不思議に思った。
開耶を見詰める瓊々杵に彼女はにやりとしてみせた。
「どこを見てるんですか、やらしい」
「や、疚しいことはしてないよ!」
ため口でと言われて瓊々杵はその口調で答えた。
「綺麗な薔薇には棘があるって言いますけど、可愛い子も狼なんですね」
「うう~!」
否定すべきかどうかに迷って彼は呻いた。
破廉恥と見られるのは嫌だったが、開耶から一人前の男として扱われないのも避けたかった。
瓊々杵にとって開耶はこれまでに出会ったことのない神人だった。
瓊々杵のことを大事に思ってくれる神人は大勢いた。
しかし、対等な立場で接してくれるのは開耶が初めてだった。
無論、そうでないから悪いというのではない。
兄の饒速日や両親である忍穂耳や千々姫、高天原の主神である天照らはそれぞれに立場があり、それを引き受けた上で瓊々杵に接した。
たとえ対等でなくともその立場を放り投げるのは無責任というものだろう。
そうしたことが分かっているからこそ瓊々杵には開耶が稀有に感じられた。
「天孫どのを余り困らせちゃいけないってお母さんも言ってたじゃない、開耶ちゃん」
横合いから声を掛けられて開耶が唇を尖らせた。
「空気を読んでくださいよ、お姉ちゃん」
気が付けば直ぐ横に神女がもう一人いた。
◆
髪の色や顔立ちが大山祇と開耶に好く似ていた。
それ故に瓊々杵も彼女たちが家族であると直ぐ察せられた。
しかし、受ける印象はそれぞれに大きく異なっていた。
「初めまして、天孫どの。私は磐長姫」
「私のお姉ちゃんです」
やれやれといった様子で開耶が大山祇の長女を紹介した。
磐長は服と一体の頭巾を被っており、そこからは苔色の長髪が覗いていた。
背は高いけれどもその姿は気弱そうだった。
「あ、どうも。妹さんにはお世話になってます」
「いや、こちらこそ。あっ、私もため口で構わないから」
「何、瓊々杵くんと距離を詰めてるんですか、お姉ちゃん?」
瓊々杵と互いにお辞儀する磐長に開耶が不機嫌な声を発した。
「ええ……開耶ちゃんと仲が良い子とお姉ちゃんも仲良くしたいかなあって……」
「泥棒猫」
「そんな!?」
磐長と開耶の遣り取りに瓊々杵は苦笑いを浮かべた。
典拠は以下の通りです。
大山祇神が女神であって天津神に娶られる:『日本書紀』




