第百八段 出羽国
天津神は、八洲であればどこにいても一定の呪力を発揮できる。
一方、国魂から力を借りる国津神は、根付いた土地にいる限りは高天原の神人にも引けを取らない。
それくらい葦原中国の国魂は強力で、その土地には力が宿っていた。土地そのものを造り変える火山に至っては尚更だった。
ところが、第六天は火山の国魂が最も荒ぶる火口にいながら、その呪力を難なく塗り替えていた。
明るくて軽やかに熱いはずの火口は暗く重く冷たかった。
火山の国魂からその特性を抜き取るなど第六天にとっては朝飯前だった。
「それで、日孁の孫が何の用だ? 敷居は低くしてやったが、ずっと甘やかしてやるつもりはない。ご機嫌伺いに来ただけなら失せろ」
もう既に第六天は饒速日への対応を面倒がっているようだった。
天照から聞いた通りの人物であるなと饒速日は思った。
それが可愛いのだと天照は惚気ていたが、彼女ではない身として相対せねばならないのだから、堪ったものではなかった。
しかし、饒速日は天照から頼まれたことを粛々とこなした。
「貴方が俺の面倒を見る必要はない。天祖母上からは俺が面倒を見るよう仰せ付かっている。天祖母上と貴方の間に産まれた娘を」
「お父さま、お客さんですか?」
闇の奥から小さな女の子がひょこりと顔を出した。
◆
天照と第六天の間に娘がいる。
そのことを天降る前に饒速日は天照から聞かされた。
その娘は第六天のところにいた。
瀬織津姫命と名付けられた彼女は、天照が日高見にいる第六天の下へ通う中で産まれた。
天照は太郎王子なる他神にお供され、お忍びで日高見へ足繁く通い、瀬織津姫の面倒を見ていた。
しかし、天孫降臨の後まで天降っていては過干渉となってしまう。
それでも、他ならぬ第六天の間に産まれた娘を独り立ちできるまで放っておきたくはない。
我が侭と言えばそれまでだった。だから、多大なる自己嫌悪を伴って天照は饒速日に頼んだ。
瀬織津姫にどうか良くしてやってくれと。
持ち前の責任感から饒速日が断れないのは分かっていた。
そうであるからこそ饒速日に頼んだ。
その卑怯さを自覚しつつ、天照は娘が無事に成長できるであろう道を母親として選択した。
「饒速日兄さまは私の甥っ子さんなのですね!」
饒速日を紹介された瀬織津姫は、早川の瀬のように浄らかな笑みで喜んだ。
「甥を兄と言うのはおかしいだろう」
「でも、饒速日兄さまは年上の殿方なのですから兄さまです」
律儀に訂正する饒速日に瀬織津姫も主張して抱き付いた。
長い金髪の前を鉢巻きで押さえ、後ろを束ねた瀬織津姫は、おっとりとしていながらも物怖じしなかった。
第六天が父親であることが胆力を養ったのだろう。
また、何故に第六天が鳥海山の火口に暗黒を渦巻かしているのか。
それは呪力の荒ぶる火山に身を隠し、煩わしい接触を避ける目的もあったろう。
だが、その法力で熱すぎる火口を冷まし、曲がり形にも住めるようになった火山で瀬織津姫を手許に置いたのは、第六天なりに娘を守るという動機もあったのではないか。
「俺は天照大御神からこの日高見国を整序するよう勅命を受けた。騒がしいことになるかも知れないが、どうか許してほしい」
瀬織津姫に抱き付かれたまま饒速日は第六天に天降りの目的を告げて理解を求めた。
「……勝手にしろ」
娘が懐いた男の言葉に第六天は短い答えだけを返した。
◆
第六天が饒速日を認めたことは、日高見を整序する上で大きな追い風となった。
たとえ本人が外界との接触を嫌おうとも、第六天の強大な法力は日高見に知れ渡っていた。
そのような第六天に認められたのだから、日高見の者たちも饒速日に一目置かざるを得なかった。
天照が饒速日に瀬織津姫のことを頼んだのは、そのようなことも見越していたのかも知れなかった。
本当のところはどうあれ、ひとまずこれで高天原と縁の薄い日高見にも天孫の威光が少しは通用するようになった。
それを梃子にし、饒速日は人心を掌握すべく次の手を打った。
饒速日と彼に随伴する天津神たちは、出羽に拠点を構え、禁厭の術と医術を現地の者たちに教え授けた。
それらは高天原で研究されて開発された技術で、災害や病気を防ぐのに効果を上げた。
安定した生活を願うのは、どこにあっても大勢の者たちが望むことで、高天原の技術は他神たちのものにも劣らなかった。
そして、それを普及させるに際し、饒速日たちは高天原の祭祀もそこに盛り込んだ。
高天原の文化とその技術を不即不離の関係にし、技術を利用すればするほどその文化にも染まるよう仕向けた。
それはかつて穴牟遅がやったのと同じことで、彼に倣って饒速日は現地の者も召し抱えた。
鳥海山の大物忌神や出羽の伊氐波神だけではなく、日高見の各所から荒脛巾神や御白様、遠野三山の三姉妹といった者たちが集まり、饒速日へ仕えるようになった。
「大和への潜入でござるか?」
一言主が饒速日に聞き返した。
彼女も天孫に仕えており、間者として重宝された。
山に関係する力を神として祀る一言主は、山伝いに葦原中国と日高見の間を往来できた。
何者か分からない人物を間者として用いることに反対の声もあったが、饒速日は一言主が提示した宝鈴を見て彼女を信用した。
それは天璽の五十鈴で、饒速日も目にしたことがあった。
五十鈴は独股鈴・三股鈴・五股鈴・塔鈴・宝鈴・九股鈴・十六股鈴・十八股鈴・龍頭鈴・仏頭鈴という十種の赤玉と金の鈴からなり、その一部を一言主は所有していた。
「大物主の身辺を探ってほしい。あちらはお前の庭みたいなものだろう」
饒速日たちは葦原中国と陸続きの常世を整序していた。
それゆえ、他神の権利に敏感な大物主との衝突が懸念されていた。
大物主は大和にいたが、そこにある葛城山は一言主の故郷だった。
典拠は以下の通りです。
第六天魔王の娘が瀬織津姫命のこととされる:『祇園会細記』
天照大御神が太郎王子にお供されて天降る:「三国長吏由来記」
饒速日命たちが出羽国で神を祀り、禁厭の術と医術を人々に教え授ける:『物部文書』
荒脛巾神が日高見国の神人とされている:『東日流外三郡誌』
遠野三山に三姉妹の女神がいる:『遠野物語』
五十鈴の名が独股鈴・三股鈴・五股鈴・塔鈴・宝鈴・九股鈴・十六股鈴・十八股鈴・龍頭鈴・仏頭鈴という十種の鈴に由来し、それが赤玉と黄金からなる:『天地麗気府録』




