Ex003_教室の本棚
明日は四人で山向の廃墟へ行く。
ウィルがネージュを誘いに行っている間、エレノアは村長の家で本を開いていた。行商人から買った魔法の専門書と、読み慣れた蔵書。新しい本には知らない古代語が多く、詠唱を覚えているだけでは読めないところもあった。
普段使っている呪文の項目から、注意書きを書き写す。実際に使ったことがある魔法なら、図の意味も掴みやすい。ウィルたちと冒険へ出るようになってから、本を読む時に思い浮かべるものが増えた。
窓の外でリッツとヘンリーの声がした。走っていく二人を何気なく目で追うと、窓の側にメルフィナが残っていた。
左右で結んだ灰茶色の髪を肩へ垂らし、窓からこちらを覗いている。青い目が向いている先は、エレノアではなく机の上だった。
「メルフィナちゃん、どうしたの?」
「それ、何の本ですか?」
「これは魔術の本ですよ。メルフィナちゃんは二人にはついていかないの?」
「男子ってホント子供っぽいわよね」
彼女は今すぐに追いかける気はなさそうだった。
「よかったら、こちらへどうぞ。本、見てみますか?」
「……入ってもいいの?」
「はい」
エレノアは書きかけの紙を脇へ置き、椅子を空けた。メルフィナが入ってくると、机の上の本を二人で見られる向きにする。
「お勉強?」
「はい」
「授業、もう終わってるのに」
「これは私の分ですから」
メルフィナは不思議そうに椅子へ座った。教える側が、授業の後にも勉強するとは思っていなかったらしい。
「何て書いてあるの?」
「魔法の詠唱の言葉だったり、それに関する事が書いてあったり。古代語なんですよ」
「エレノアさんが魔法を使う時も、これを使うの?」
「古代語を使うこともあるけれど、殆どは現代魔術って呼ばれてる方の魔法かな。古代語の魔法は扱うのが難しいの。だけど、今の魔法にできない事ができたりするから、お勉強してるの」
文字の並びを指すと、メルフィナは図よりもそちらを熱心に見た。
「……みんな、遊ぶ時にも言ってるわ」
「魔法ごっこですか?」
「リッツなんか、大声で。ヘンリーまで真似するの」
窓の外から、また声が聞こえた。メルフィナが呆れた顔をするので、エレノアは笑ってしまった。
「エレノアさんでも、お勉強しなきゃいけないの?」
「勿論です。まだ知らないことが沢山ありますから」
「でも、魔法、得意なんでしょ?」
天啓の儀で魔力を測った時にも、皆にそう言われた。ほかの子よりずっと大きな結果が出て、自分でも嬉しかった。けれど、初めて開いた魔法の本は、それだけで読めるようにはならなかった。
「得意でも、困ることはあるんですよ」
「たとえば?」
「今なら、魔法を使う威力とタイミングですね」
メルフィナが顔を上げた。
「自分の魔法で味方にケガをさせてしまっては、元も子もないでしょう?」
自分の魔法を避けるために、味方の動きを止めてしまっては困るし。狙っている魔物だけでなく、その周りを動く二人が巻き込まれる様な魔法を撃つわけにはいかない。最初に森へ入った頃には、唱えることだけで精いっぱいだった。
「二人とも、すぐ前へ行っちゃいそう」
「ちゃんと待ってくれますよ。私の魔法に合わせてもくれます」
兄たちを庇うような言い方になり、エレノアは少し笑った。
「だから、私ももっと上手になりたいんです」
メルフィナは本へ目を戻した。
「触ってもいい?」
「はい」
一枚めくったものの、細かな文字の並ぶ頁で止まってしまう。エレノアは先を急かさず、読み終えるのを待った。
「これ、私にも読めるようになる?」
「勉強すれば、ね。私も最初は、村長さんの本を借りて、単語を一つずつ読むところから始めたの」
「……魔法、使えるようになりたい」
聞こえるかどうかくらいの声だった。魔法ごっこをする男の子たちに呆れていたのに、自分も使ってみたかったのだ。
「じゃあ、ここから読んでみましょうか」
エレノアは、以前自分が使っていた本を手元へ寄せた。新しい専門書より説明が易しく、最初に知っておくべきことが概ね書いてある。
「使ってみるのは、ちゃんと準備をしてからにしましょうね。今は読むところから」
メルフィナは頷き、本へ身を寄せた。
難しい言葉で止まると、エレノアが意味を説明する。分かったと言っても、その先がすぐ読めるわけではなかった。何度か質問が返ってきて、自分が当たり前のように使っている言葉も、初めて聞く相手には説明が要るのだと気づいた。
兄たちと戦うために読んでいた本を、今はこの子に伝えるために読み直している。教え方に迷って頁へ戻るたびに、エレノア自身も勉強していた頃を思い出した。
*
「エレノア、いる?」
ウィルが戸口から覗いた。メルフィナに気づくと、入ってくる足を止める。
「二人で、本を読んでたんだね」
「はい。もう少しだけ、待って頂けますか?」
「うん。ゆっくりでいいよ」
メルフィナは読みかけの行を最後まで追った。エレノアが栞代わりの紙を挟もうとすると、その指が次の行を示す。
「ここから」
「はい。次はここからですね」
本を棚へ戻すと、メルフィナがその位置を覚えるように見上げた。エレノアは、彼女の手が届く所へ置き直した。
「また、見に来るわ」
「えぇ、いつでも」
女の子は廊下へ出てからも、本の方へ一度振り返った。エレノアは手を振り、自分の専門書を抱える。
「お待たせしました、兄様」
明日の冒険の話をしなければ。けれど、歩き出してからも、さっき説明に迷った箇所が気になっていた。今度メルフィナが来た時には、もう少し分かりやすく話してあげたかった。




