050a_冒険者になるために
酒場の前に馬車が停まっていた。
行商人が広げた荷の周りに、村人たちが集まっていた。布を見比べる人や塩を買い求める人で、道が半分ふさがっている。
塩の袋を抱え直す人とすれ違うと、馬車の陰からリッツが顔を出した。手を振りかけて、すぐに背後へ戻る。ヘンリーと二人で小さな包みを覗き込んでいた。
「まだ開けんなよ。俺にも見せろよ」
「見せていますよ。君の手が邪魔なんです」
甘味を買ったらしい。二人で一つの包みを取り合っている。ウィルが笑うと、リッツは慌てて背中へ隠した。
「落とさないようにね」
ヘンリーが頷く。その脇でリッツも、何も入っていない方の手だけを上げた。
ウィルは歩調を緩めた。馬車は村へ荷を運んでくる行商人のものだった。そういえば、しばらく顔を見ていない。酒場の中を覗くと、向こうもウィルに気づいて手を上げた。
「やぁウィルくん。お久しぶりだね」
「お久しぶりです! 二ヶ月ぶりくらいですかね?」
入口から相手のところへ歩いていき、空いた椅子に腰を下ろした。小さい頃から顔を知っている行商のおっちゃんの笑い方は、今日も変わらなかった。
「商売柄二週に一度くらいしか立ち寄れないし、タイミングが合わないとなかなか挨拶もできないねぇ」
「この村は大陸の端っこだから、往路復路もないですもんね」
「まぁその分はサービスしてるから、良かったら君も何か買ってってくれよ」
勧められて商品へ目を移しかけたところで、行商のおっちゃんが思い出したように声を上げた。
「あ、そういえば。ウィルくんそろそろ成人だっけ?」
「はい! 先日成人式を終えました!」
「おぉ~! それはおめでとう!」
「それじゃ~、成人祝いにコレをあげよう」
差し出されたものを受け取り、ウィルは礼を言おうとした。
何をもらったのか分かると、その口が止まった。
避妊薬だった。
「こ、これは……!」
「成人したなら必要だろう? それとも、ウィルくんには一つじゃ足りないかな? はっはっはっは」
からかう声は、少しも小さくならない。ウィルは思わず周囲へ目を走らせた。何と答えても、ますます面白がられそうだった。
「ぅぇぁ……ぁ、ぁりがとぅ……ございます」
ようやく礼だけを言うと、行商のおっちゃんは満足そうに頷いた。
「まぁめでたく成人した訳だし、これからは是非とも当店をご贔屓に。ウィルくんには特別に、村に卸してる以外の珍しい商品を特別価格で提供するよ」
話が商売へ戻ってくれて、ウィルはようやく顔を上げられた。受け取った薬は、落とさないようにしまう。
「表に馬車が停まっている時にはここにいるから、見かけたら是非立ち寄ってくれよ?」
「はい!」
今度の返事は、ちゃんと声になった。
次の客が来たので、ウィルは席を立った。外では、村人たちがまだ商品を選んでいる。
その輪の端に、エレノアがいた。
胸の前に本を開いて、頁を一枚ずつ送っている。こちらへ向いた表紙は擦れていたが、紙の端には折れも破れも少ない。ウィルが隣へ立っても、すぐには顔を上げなかった。
「エレノア。本を探してるの?」
「あ、兄様。はい。今日は魔法の専門書も持ってきて下さったんです」
ようやく目が合う。エレノアは栞代わりに指を挟み、表紙を見せてくれた。それから挟んだ指を頼りに本を開き直す。ウィルにも読める目次の下には細かな図が並んでいた。
「村長さんの家の本に、同じのはない?」
「これはありませんでした。最初はあそこの本を読ませて頂いていたんですけれど、続きを知りたくなると、持ってきて頂くのが楽しみになりますね」
話している間にも、エレノアの目は本へ戻っていた。ウィルは隣から、図の並ぶ頁を覗き込んだ。
酒場から出てきた行商のおっちゃんが、脇へ置かれた本の紐を解く。
「この辺りはエシュリアから来た本だよ。グランヴェルで荷を揃える時に、一緒に探しておいたんだ」
王都から城塞都市を経て、この村まで運んできた本だ。ウィルは積まれた品々を見渡した。
「道はどうでした?」
「乾いたところじゃ、車輪が埃を上げるねぇ。布は包みを開けずに持ってくるのが一番さ。埃まみれになる前に、君たちの顔もよく見ていかないと」
行商のおっちゃんは自分の頬を指で払ってみせた。布を広げていた人が笑い、埃を嫌がるように端をぱたぱたと振る。その横を、塩の袋を抱えた客が慎重に抜けていった。
エレノアは開いていた本を閉じ、別の一冊と並べた。二つの目次を見比べてから、初めの本を胸へ寄せる。
「こちらを頂きます」
代金を払ってからも、エレノアはもう一度本を開こうとした。行商のおっちゃんが包み紙を広げて待っている。
「続きはお家でね」
ウィルが言うと、彼女は少し照れたように笑った。受け取った本を大切そうに抱え直す。
リッツとヘンリーは、もう仲良く頬を膨らませていた。二人に手を振り、ウィルはエレノアと馬車の前を離れた。
*
その日の午後、ウィルが村長の家を訪ねると、入口まで子どもの声が聞こえていた。
「関係無いじゃん! 俺は将来冒険者になるんだ!」
ウィルは戸口で足を止めた。
教室代わりの一角に並んだ椅子の前で、リッツが先生を見上げている。その隣にヘンリー、少し離れて灰茶色の髪を左右で結んだメルフィナがいた。男の子たちが声を張る間も、彼女は青い目を先生へ向けたままだ。教える側にはエレノアもいた。授業が終わったら一緒に出かけるつもりで来たのだが、どうもまだ終わりそうになかった。
「そんな事はありません。冒険者といえど、最低限の学力は必要です」
「先生は冒険者ではありませんよね? なぜそんな事がわかるのですか?」
ヘンリーがすかさず尋ねた。先生は顎を上げた。
「大人だからです。大人の社会はどれだけ勉強をして来たかで、その人の価値が決まるのです」
「それじゃ何の説明にもなってないわ。どうして学問で人間の価値が決まるの?」
今度はメルフィナだった。二人の男の子ほど声は張らないが、先生から目を逸らすこともない。
「学問を修めたはずの先生が具体的なメリットを説明できないなら、学問を学ぶなんて時間の無駄としか思えないわ」
「なっ!?」
「今どきの子は辛辣だなぁ……」
ウィルは小さく呟いた。先生がたじろいだ隙間へ、エレノアが声を差し入れる。
「私は冒険者もしているけど、学問を学んでいて良かったって思いますよ」
「それってエレノアさんの感想ですよね? 何かそういう根拠あるんですか?」
「勿論ありますよ。まず第一に、算数ができないと報酬のお金が誤魔化されてもわからないですよね?」
「そりゃそうだけど、それくらいの算数なら俺でも出来るぜ!」
リッツが胸を張る。エレノアはその勢いに押されず、にこりとした。
「さぁ……どうでしょう? リッツくんに報酬の計算が出来るか、試してみますか?」
「それくらい! やってやるぜ!」
「では。一束五ゴールドの薬草を十束集める毎に二ゴールドのボーナス報酬が貰えます」
ウィルも耳を傾けた。薬草の束なら、この前自分たちで揃えたばかりだ。
「ただし、この薬草は一本六ゴールドの毒消し草と一緒に、薬草三束と毒消し草一本のセットでしか受け取って貰えません」
リッツの表情から、少しずつ勢いがなくなっていく。エレノアは三人の顔を見てから、最後の条件を告げた。
「今日の宿代と夕食に合計八十五ゴールド必要な場合、薬草と毒消し草は最低、何束・何本必要で、その時の報酬額は幾らになりますか?」
静かになった。
ウィルも頭の中で三束と一本を並べてみる。薬草だけを数えては駄目だ。ひと組でいくらになるかを先に考えた方が――。
「わかんねぇから薬草を十二束集めてくるぜ!」
リッツが顔を上げた。隣のヘンリーも、先生も、そちらを見る。
「それだと足りないし、報酬を貰えませんよ」
エレノアに言われ、リッツは口を尖らせた。今すぐ外へ出れば何とかなる問題ではなかった。
「薬草十五束と毒消し草五本で合計百五ゴールドですね」
ヘンリーが言った。先ほどとは反対に、いかにも余裕のある顔をしている。
「ヘンリーくんは今夜の宿とお食事の代金は払えそうですね」
「ふ、この程度の計算、この僕にかかれば三秒もあれば十分ですよ」
「でも不正解です」
「な!? なぜですか! 計算は合っているはずですよ!?」
持ち上がった顎が、がくりと下がった。エレノアは指を一本立てる。
「問題は『最低、何束・何本ずつ必要』で金額がいくらかです。それに実際の冒険で薬草十五束と毒消し草五本だと、お昼からやっても日が暮れちゃいます」
ウィルにも薬草を集める手間はよく分かる。葉を確かめて十枚ずつ束にするだけでも時間がかかる。必要な量が分かれば、余計に探し回らずに済む。
「ヘンリーくんは黄昏時を過ぎて街に帰ってくる事になりますから、宿を探すには遅すぎますね。ついでに金額も間違っています」
「僕が遅い? この僕がスロウリィ!?」
そこなのか、とウィルは思ったが、口には出さなかった。
「では先生、正解をお願いします」
「薬草十二束、毒消し草四本で金額は八十六ゴールドです」
「正解です」
「何故ですか!? それだと金額は八十四ゴールドです! 一ゴールド足りないじゃないですか!?」
ヘンリーが食い下がった。メルフィナはしばらくその顔を見ていた。
「あんた十束のボーナスを貰い忘れてるわよ」
ヘンリーの口が止まる。視線が一度下へ落ちて、それから大きく目を見開いた。
「ハッ!?」
「あんたらじゃ冒険者は無理そうね」
男の子二人が、揃ってむっとした顔になった。
「わかりましたか? 冒険者と言えど学問は必要なのです」
先生の声にはさっきより張りがあった。けれどメルフィナはまだ納得していなかった。
「……算数が大事なのはわかりました。けど、だったら算数だけ覚えればよいんじゃない?」
「そんな事はありません。算数以外にも様々な学問があらゆる事で役に立つでしょう」
「……だから具体的には何の役に立つんですか? 先生さっきから全然具体性が無いじゃない」
「キー! なんなんですかさっきから! 大人が役立つって言ってるんだから役に立つんです!」
先生の声が、教室いっぱいに響いた。
「先生、その言い方では何も……」
「不愉快です! だいたいもう授業の時間は終わってますよ! さっさと帰って宿題しなさい!」
エレノアの言葉も最後まで聞かず、先生は向きを変えた。椅子の間からリッツが声を飛ばす。
「なんだよそれ! そういうのオーボーっていうんだぜ!」
「都合が悪い事を怒鳴り散らして有耶無耶にするのは理性的な大人の発言とは思えませんね」
「私は帰ります! 明日も遅れず来るように!」
先生は戸口へ歩いてきた。ウィルが脇へよける。その背中へ、さらに声が追いかけた。
「オーボーだー!」
先生の肩が跳ねる。
「見苦しいですよ!」
先生は振り返らずに出ていった。




