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未だ蕾の勇者様(ノベライズ版)  作者: さじ


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003b_女神との邂逅2

「愛です」


「……え?」


「愛を育みなさい」


 返事を待っても、それ以上は続かなかった。水路へ目を移すと、浮かんだ丸い葉が揺れていた。ここへ来てから、景色は何も変わっていない。女神も目の前にいる。言葉を聞き逃したのではなく、今の二言で話が終わったらしかった。


 ウィルは、何か聞き落としたのかと考えた。強くなれと言われ、その方法を尋ねていたはずだ。ゴブリンとの戦いを思い返していたところへ、まるで違う話を差し込まれた気がした。


 愛を育む。それがどうすれば、攻撃を受けても倒れずにいられることにつながるのだろう。


「……すみません。もう少し具体的にお願いします」


「女の子に愛されると強くなる能力をあげます。そのために必要な能力もあげます。できるだけたくさんの女の子に愛されなさい」


「すごく分かりやすくなりました。ありがとうございます」


 答えてから、いや、待てよと思った。


 言葉の意味は分かった。けれど、どうしてそれで強くなるのかは分からないし、愛されなさいと言われてすぐできることでもない。そもそも、誰かに好かれるために何をすればいいのだろう。


「ちなみに愛されるだけではいけません。愛された上で、きちんと努力もしないと能力はあがりませんよ」


 もう礼まで言ってしまったのに、話には続きがあった。ウィルは女神へ向き直る。聞き分けたつもりの方法が、また手の中からこぼれそうだった。


 聞くべきことが、一つ減るたび二つ増えていく。


 ただ、力をもらって終わりではないことだけは分かった。鍛えなくていいと言われなかったのは、少し安心もした。何をすればいいのか、それまで分からなくなるよりはいい。


「えっと……それって、どういう――」


『ウィル! 返事して! ウィル!』


 聞き慣れた声がした。


 プリシラだ。


 問いかけようとしていたことが、途中で止まった。先ほども、こんなふうに呼んでいた。返事をしようとしたのにできなくて、そのままになっていた。


 まだ呼んでいる。早く、大丈夫だと言わなければ。


 声のした方へ体をひねった。石畳と柱の間には誰もいない。もう一度名前を呼ばれると、水路の向こうへも目をやる。どこを向いて返事をすれば届くのかが分からず、声を出しかけて息を飲んだ。


 勇者の素質や、愛されるための能力。その説明よりも今は、自分の名前を呼ぶ声の方が気になった。プリシラは、ウィルが女神と話していることなど知らない。返事がないまま待たせているのだと思うと、聞こえていると伝えるだけでも、すぐにしたかった。


「あ、そろそろ時間ですね。最後に、今のままだと愛される前に死にかねないので、おまけの祝福も与えます」


「え!? あ、ちょっと!?」


 プリシラに返事をしたい。けれど、そんな大事なことを最後に言われては、女神の話も聞き終えられない。


 ウィルがどちらへ呼びかけるか迷う間にも、光の奔流に飲み込まれて意識が遠のいていく。

 それと反比例するように、プリシラの声は近づいてきた。


「大事なものを守るため、自らを鍛え上げ、勇者となるのです」


 何を聞かされたのか、何を授けられたのか。確かめる間もないまま、女神の声だけが遠くなる。

 やがてウィルの姿は包まれた光のなかで薄まって消えていった。


     *


「……いってらっしゃい。全てを内包する、無限の可能性。白紙の勇者さん」


     *


「ウィル、起きて! ねえ、ウィル!」


 呼ぶ声に、何かを探る音が重なった。


「ポーション……ママが渡してたよね。どこ……あった!」


 顔に冷たいものがぶちまけられた。


 ウィルは目を開けた。頬から液が伝い、耳の脇を濡らしていく。すぐ近くにプリシラの顔があった。片手には、口を下へ向けた空の瓶。自分の腰のポーチが開いている。


 反射的に顔を拭い、肘で体を支えて身を起こした。頭は痛くない。殴られたはずの場所へ手をやっても、あの衝撃は残っていなかった。


 掌に湿った土がついた。顔を拭った指にも土を重ねてしまい、ウィルは手を止める。鼻先に、葉と土の匂いが戻った。肘をついた所には小さな根が張り出し、体を起こすと、それが袖の下で擦れた。


 石畳はもう見えない。頭の上で枝葉が重なり、その間から日が差している。プリシラはそんな景色も彼の手元も見ずに、顔を覗き込んでいた。ウィルが身を起こす方へ一緒に動くので、彼女の顔だけがずっと同じ近さにあった。


「大丈夫!? 目を覚まさないかと思ったよ!」


「……戻ってきたのか?」


「戻ってきた? 何言ってるの!? ゴブリンに頭を殴られて、倒れちゃったんだよ!」


 プリシラが心配そうに顔を寄せたので、ウィルは慌てた。肩越しに森が見え、棍棒を持った相手の姿を探す。


「ゴブリンは……?」


「あたしが倒した。ウィルを殴ったから、すぐに」


 言いながら、プリシラの空いた手がきゅっと握られた。その先に、ゴブリンが倒れていた。もう動いていない。


 自分が倒れてから、彼女が倒してくれたのだ。ポーチから取り出した薬まで使って。ウィルは頬に残った液をもう一度拭った。


 彼女にしてみれば、自分はここに倒れていただけなのだ。戻ってきたと言っても通じない。それなのに、女神と話していた時間は、目を覚ました今も妙にはっきりしていた。


「……ごめん。夢を見てたみたいだ」


「もう! 心配したんだよ!?」


 叱る声を聞いて、やっと、自分が彼女に何をさせていたのかが分かった。


 ウィルは夢の中で返事をしていた。女神に問いかけ、分からないと文句を言っていた。その間、プリシラは何度呼んでも答えないウィルを見ていたのだ。


 プリシラはまだそばを離れなかった。ウィルが少し身じろぎするだけで、その肩へ手を伸ばしかける。もう平気だと頷くと、彼女は手を引いた。


「うぅ……ごめんね、ウィル。今日が初めての冒険だもんね。あたしがしっかりしてなきゃいけないのに……」


 今度は謝られて、ウィルは首を振った。


 謝らせるつもりはなかった。顔を伏せた彼女を見ていると、無事だったと喜ぶだけでは済まなくなった。


「プリシラのせいじゃないよ。僕の方こそ、油断してごめん。ちょっと浮かれてたみたいだ」


 冒険者になれたことが嬉しかった。隣にプリシラもいた。それで何でもうまくできるわけではないのに、依頼を受けた時には、無事に帰れないかもしれないとは考えていなかった。


 次は気をつける。それを口で言うのは簡単だ。まずは、今ここにいてくれた彼女へ、言っておきたいことがあった。


「プリシラがいなきゃ、今頃どうなってたか。ありがとう、プリシラ。一緒にいてくれて」


 伏せられていた目が、こちらを向いた。今度はウィルも目を逸らさず、返事を待った。


 プリシラは何か答えかけて、口をつぐんだ。頬が赤くなり、さっきまで寄せていた眉がほどける。


「……ふにゃ」


 思いがけない声だった。


 返事の続きはなかった。プリシラは口元を緩めたまま、こちらを見ている。さっきとは違うその顔に、今度はウィルの方が戸惑った。


「……どうかした?」


「はわわ! なんでもないよ! そんなことより、大丈夫そうでよかったよ!」


 急に言葉が戻ってきた。プリシラはウィルの返事を待たずに続けた。


「とにかく! 一旦ギルドに戻ろ! ゴブリンは倒したし、クエストの報告をしなきゃ!」


 そうだった。まだ、仕事は終わっていない。


「そうだね。一旦戻ろうか」


 ウィルはプリシラから空き瓶を受け取ってポーチへ戻し、口を閉じた。片膝を立てて立ち上がろうとすると、プリシラがすぐ脇へ寄ってくる。膝を伸ばしてみると、足は体を支えてくれた。彼女の顔を見て頷き、それから落ちていたナイフを拾った。


 帰る前に、倒したゴブリンの討伐証明を持っていかなければならない。プリシラに教わりながら耳を確保し、持ち帰れるように包む。相手が動かないと分かっていても、近づいて屈む時には、ナイフの柄を強く握っていた。


 包みをしまい、ウィルは帰り道へ体を向けた。


「うん! それじゃあたし、少し先を見てくるね! ちゃんとついてきてね!」


 ウィルが頷くより早く、プリシラは駆け出していた。


「すごい速さで行ってしまった……」


 先ほどの様子を、もう少し聞く間もなかった。ウィルも後を追おうとした。


 その時、体の奥に何か、今まで満たされなかった何かが注ぎ込まれる様な感覚がした。

 真夏に川に飛び込んだ時のような、瞬間的に世界が変わる感覚。


 足を止め、自分の手を見る。何かしたわけではない。プリシラに心配をかけた事を謝り、感謝の言葉を伝えただけだ。それなのに、つい先ほどまでと同じではないと分かった。


「……なんだ? 力が、湧いてくる……?」


 女の子に愛されると、強くなる。


 ついさっき聞いた言葉が、今度は別の意味を持って思い返された。あの時は、自分がどうすればいいのかばかり考えていた。誰に、ということまでは、まだ思い浮かべていなかった。


「さっきのは、夢じゃなかったのか……?」


 ウィルはプリシラの走っていった方を見た。


 一緒にいてくれて、ありがとう。そう言った時、彼女は顔を赤くした。何でもないと言って、急いで先へ行ってしまった。


 さっきは分からなかったその様子が、女神の言葉とつながりそうになる。


 けれど、そんなふうに受け取っていいのだろうか。


「ってことは……プリシラ?」


 答えを待つように森を見た。少し先から、枝を踏む音が近づいてくる。


「ウィル~!こっちこっち~♪早く戻ろ~?」


 木の間にプリシラの姿が見えた。こちらが歩き出すと、彼女も足を緩める。追いついたウィルは何か言おうとして、結局、先を見てきてくれた礼だけを口にした。


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