049a_井戸の底の破壊神
朝の訓練場には、まだ人が少なかった。
夢の余韻を引きずったまま家にいるより、体を動かしたかった。ウィルはいつもより早く訓練場へ来ていた。
「はああああああああああああ!」
奥から、聞き慣れた声が上がった。
ハロルドだった。大きな盾を構え、誰もいない前方へ向かって腹の底から叫んでいる。鎧の上からでも、肩が大きく上下しているのが分かった。
邪魔をしないよう脇を通ろうとしたところで、兜がこちらを向いた。
「こんにちは!!!!!」
「お、おはようございます、ハロルドさん」
挨拶を返すより早く、ハロルドは盾を地面に立て、胸を張った。
「僕は!!!」
「はい」
「強い!!!」
ウィルが頷きかけると、ハロルドは少し首を傾げた。
「いや、強いはちょっと語弊があるな……」
言い直すために、息を吸い直す。
「僕は!!! 硬い!!!」
「……硬い」
「でも!!! まだ実戦に出たことがない!!! ので!!! どれくらい硬いのか、試してほしいんです!!!」
叫びながら、盾の縁を指で叩いてみせる。いつもの「であります」がどこかへ行っていた。稽古の最中のハロルドは、こうなるらしい。
「僕からは攻撃しません!!! とにかく僕を叩いて下さい!」
友達に向かって刃を振るうのは、気が引ける。けれど、盾の向こうの目は本気だった。
前にこの訓練場で、ハロルドは難癖をつけてきた男に盾ごと押し崩されている。加減に迷っていたといっても、やはり押し負けた事は気にしていたのだろう。実戦で魔物の前に立つより先に、その盾がどこまで持つのかを知って、自信をつけておきたいのだと思った。
ウィルも、今の自分の腕で盾を崩せるか試してみたくなった。
「準備は良いですか?」
「……お願いします」
ウィルは訓練場の木短剣を持ち出して構えた。
「お願いします!」
ハロルドが腰を落とした。盾が上がり、鎧の隙間が消える。
一撃目は、盾の正面に当たった。
手首に重い痺れが返ってきた。岩を叩いたような感触だった。盾は少しも揺れていない。ウィルは回り込み、脇腹を狙った。鎧の継ぎ目へ刃を入れたつもりが、その前に盾の縁が滑り込んでくる。攻撃はしないと言った通り、ハロルドはただ受けるだけだ。それなのに、どこを狙っても硬い音しか返ってこない。
三度、四度と打ち込むうちに、息が上がってきた。
「まだまだこんなもんじゃ足りません!」
盾の向こうから、弾むような声がした。
「もっともっと強くお願いしますよ!」
言われるまま、踏み込んで体ごとぶつかった。跳ね返されて、足が土を滑る。
息を整えて、今度は低く入った。盾の下の縁から足元を狙う。けれどハロルドは膝を折って盾ごと沈み、刃は地面すれすれで鉄に弾かれた。
「もっとです! まだ受けられます!」
ハロルドは盾を上げ直した。受ける位置が変わっても、その奥の顔はずっとこちらを向いている。息が乱れて刃を引くのが遅れたのは、ウィルの方だった。
短剣を握る指が痺れて、言うことを聞かなくなってきた。ウィルは一歩下がり、膝に手をついた。
「……参りました。今の僕じゃ、どこを叩いても通りそうにないです」
ハロルドが盾を下ろした。兜の奥で表情がほころぶのが見て取れる。
「良い打ち込みでした!良ければまたお付き合い下さい!」
それから、大きく息を吐いた。張り詰めていた肩が下り、ようやく、いつもの声に戻る。
「自分はまだまだ硬くならねばなりません。ウィルさんが次に来てくれるまでに、もっと鍛えておくであります!」
「僕も次こそはちゃんと通してみせます」
そうは言ったものの、力任せに叩くばかりでは、次も同じ結果になりそうだった。
盾の脇へ入れたつもりの時も、先に動かれていた。ただ硬いだけではないのだ。ウィルはハロルドの足元を見た。決して素早い訳ではなかったが、考えられた足さばきで入り込み様がなかった。
ハロルドがまた前を向き、叫び声が訓練場に戻る。ウィルは木短剣を元あった所に戻し、手を何度か握っては開いて痺れを解いた。
*
ギルドの掲示に並んだ依頼から、Dランクに上がってから受けられるようになったものに目を通していく。
その中の一枚に、ウィルの目が止まった。
題は『ワンワン!』。依頼者の欄には、犬とある。村の入口へ来てほしいという指定と、受付が付けたDの印だけは、ほかの依頼と変わらなかった。
『ワンワンワンわんワン! わんわん1わんワンわんoneワン!』
読み返しても、そう書いてある。その下に、小さな字が添えてあった。
『(※意訳 この依頼は必ず一人で受けにきて下さい。)』
誰が訳したのだろう。
ウィルは紙の前で首をかしげた。犬というと、依頼主はいつもギルドの入口付近で吠えている、あの犬だろうか。吠え声からここまで分かるなら、訳した人にも会ってみたい。「必ず一人で」の一行を読み返してから、紙を手に取った。
今朝は、もともと一人だ。プリシラたちを誘う前に、様子を見に行くくらいならいいだろう。
依頼書を受付に持っていくとノエルも不思議そうに首を傾げたが、何故かそのまま手続きを済ませてしまった。ウィルは一抹の不安を胸に抱きながら村の入口へ向かった。
*
入口の脇に、一匹の犬がいた。
思った通り、見慣れた犬だった。ウィルは足を止めた。依頼を出した相手とはいえ、いつものように撫でるだけでは、何を頼みたいのか分からない。
尻尾を振りながら、行き交う人を眺めている。ウィルが近づくと、鼻先がこちらを向いた。
「依頼を受けて来てみたものの、一体どうすれば……ん?」
「ワンワン!」
犬は一声吠えると、くるりと背を向けた。数歩行って、振り返る。
「……ついていけばいいの?」
「ワン!」
返事のように吠えて、犬は歩き出した。ウィルは後を追った。
犬は村の中へ戻り、家々の間を抜けていく。やがて足を止めたのは、年季の入った井戸の前だった。縁に前足をかけ、中を覗くようにしてから、ウィルを見上げる。
「ワンワン!」
ウィルは首をかしげた。
「中に何かあるの?」
「ワン!」
「……覗いてみろって事?」
縁に手をかけ、身を乗り出す。暗い。下の方で、かすかに水が光っている気がした。
その背中に、どん、と重いものがぶつかった。
「うわぁ!?」
足が縁から浮いた。
掴むものがなかった。壁の石が目の前を流れていき、上の丸い空が小さくなる。二つか三つ数えるほどの間が、ひどく長かった。
水が弾けた。
冷たさが全身を包んだ。口にも鼻にも水が入る。手足をばたつかせて顔を出し、ウィルはむせながら息を吸った。
足が、底に届いた。
立ってみると、水は胸のあたりまでだった。見上げると、はるか上に丸い空がある。そこから縄が一本、水面まで垂れていた。釣瓶の縄だろう。
縁の方に、短い木の梯子があった。ウィルは水を掻き分けて近づき、濡れた手で横木を掴んで這い上がった。石の床に膝をつくと、服から水が流れ落ちた。
そこで、音に気づいた。
低く、重い音楽だった。
どこから聞こえてくるのか分からない。井戸の底で、誰かが楽器を鳴らしているはずもない。それでも音は石の壁に満ちて、腹の底へ沈んでくる。
不思議なことに、井戸の底だというのに石の床が通路になり、奥の方へと続いていた。その先が、土の洞になっている。音は奥の方から響いてくる様だった。妙な胸騒ぎを覚えつつ、奥まった通路の角を曲がると、ボンヤリと明るくなっている。
ウィルは通路の先を見た。
何かがいた。
紫と青の、太い帯のようなものが何本も絡み合っていた。触手だ、と分かるまでに少しかかった。その塊のあちこちに、赤く光る丸い球が付いている。
球の一つが、動いた。
こちらを見た。
「……おや?」
声がした。塊の方からだった。
「何か落ちてきましたか」
赤い球。眼球の様なソレがいくつもこちらへ向いた。ウィルは身動きが取れなくなった。目を逸らしたら、その間に触手が伸びてくる気がした。
死ぬ、と思った。
気づけば、右手が短剣の柄を握っていた。
逃げ道を探して、ウィルは思考だけを奥の井戸に戻して考える。縄がある。あれを登れば――。幸い、目の前のアレは大きく、通路を思うようには動けないはず。
なぜ村の井戸の底にこんなモノが。逃げ切れるのか。戦いになるのか?様々な思考が瞬時に駆け巡る。そんな中、震える足が動きだす前に、別の考えが浮かんだ。
依頼の紙には、一人で来いと書いてあった。犬に案内されてここまで来て、落ちた。偶然とは思えない。ここにいる何か……アレに、誘導された?
「か、確認しても……良いですか?」
声に出すと、少しだけ膝に力が戻った。
ウィルは短剣の柄から手を離し、通路の先へ向き直った。




