048b_花が咲いたら
次の年、花のそばにしゃがんでいるのは、子ども三人だけだった。
「ほんとにまた育てるの? ねーね、もう居ないんだよ?」
プリシラが覗き込んでくる。王都へ行ったねーねには、咲かせてもすぐには渡せない。ウィルもそれは分かっていた。
「……でも、約束したから」
「……兄様。僕、お花の育て方、ちょっとだけ調べてきたよ」
ウィルは顔を上げた。
「ほんと!? ありがとう! エレノア!」
エレノアに教わりながら、世話を続けた。渋っていたプリシラもちょくちょくと見に来ては、蕾が少し膨らんだと教えてくれる。今度こそ咲くかもしれない。三人で楽しみにしていた。
けれど、その年も花は開かなかった。
「またダメだったね。でも、今回は前よりお花開きそうだったよ」
プリシラが、ウィルの顔を窺った。
「……うん。来年はきっと咲かせてみせるよ」
「えー? 来年もやるのぉ?」
「勿論さ! おじさんも、『諦めたら終わりだけど、諦めなければ次がある』って言ってたよ」
シルトおじさんの言葉を口にすると、少し力が出た。前より咲きそうだったのなら、前より上手にはなっているはずだ。
そしてまた、花を育てる季節が来た。
「兄様。今年は肥料も作ってみない? 土のお手入れも大事って、本に書いてあったの」
「そっか! 野菜も土の質が大事って、農場のおっちゃん言ってた!」
「それでね、お花に良い肥料の作り方、調べてきたよ」
「ありがとう! 勉強家のエレノアがいると頼りになるね!」
エレノアは口を開きかけて、ちょっと目を伏せた。
「う……うん。僕も頑張るね」
二人で並び、調べてきた方法を確かめながら土の手入れをした。
葉が元気に伸びている間は、ここへ来るのが楽しみだった。今までで一番よく育っている。これなら、と何度も二人で頷き合った。
だから、その葉が衰え始めた時も、すぐには諦められなかった。
「今年は行けそうだと思ったんだけどなぁ」
結局、花びらを見ることはできなかった。ウィルがしゃがんだまま呟くと、隣でエレノアが肩を落とした。
「いっぱい調べたのに、何か間違ってたのかな……。兄様……ごめんね……」
「エレノアのせいじゃないよ!」
ウィルはすぐに首を振った。エレノアが調べてくれなかったら、ここまで育てられなかったはずだ。
「去年よりもずっと元気に育ってたもん、エレノアのお陰だよ! ねーねも言ってたでしょ? 特に難しいお花なんだよ! だから、エレノアが気にする事なんて全然ないよ! また来年頑張ればいいからさ!」
顔を覗き込むと、エレノアはようやく頷いた。
*
ねーねが村へ帰ってきた。
それだけで、村のどこかで声がするたび、ついそちらを見たくなった。会えたら話したいことはたくさんあった。花のことも、前よりうまくできるようになったことも。
けれど、昔のように呼べば一緒に来てくれるわけではなかった。
「ねーねが帰ってきたけど……治癒師のお仕事で全然遊べないや」
秘密基地で花を見ながら、ウィルは呟いた。あの席に座ってくれた時のネージュを思い浮かべる。
仕事の邪魔をしたいわけじゃない。ただ、一緒にいてほしかった。
「でも、ねーねが居てくれるなら、お花が育った時にプレゼントできる!」
王都まで持っていく方法を考えなくてもいい。咲いたら、すぐに会いに行ける。
「今年こそ頑張ってお花を育てるぞー!」
そうやって待っている間にも、ねーねの周りでは、ウィルの知らないことが決まっていった。
*
その日、花の前に立つウィルの表情は暗かった。
「ねーね……どうしてお嫁さんになっちゃったの? やっと再会できたばっかりなのに……」
花は、まだ咲かなかった。ウィルはそこにしゃがみ、土を見ていた。
「ベンおじさんは……確かにいい人だけどさ……」
悪い人なら嫌だと言えたかもしれない。ねーねを困らせるなら、文句を言いにも行ける。けれど、そんな理由は何も思いつかなかった。
鼻をすすった。誰かに聞かれたら、どうしたのと尋ねられる。答えようとすれば、もっと泣いてしまいそうだった。
*
木々の間を、冷たい風が抜けていく。
また違う日の花を、ウィルは見下ろしていた。
「ねーね、最近ずっと元気ないな……。お母さんの病気も王都で治療できるはずなのに……。どうしてあんなに辛そうなんだろう」
ネージュのお母さんがよくなれば、前のように笑ってくれるのだろうか。会った時の顔を思い出しても、ウィルには分からなかった。
「……ベンおじさんも、悪い人じゃないのに。結婚って幸せな事じゃなかったの?」
自分は寂しくても、ねーねは嬉しいのだと思っていた。だから、あんな顔をしていると、どうしていいか分からなくなる。
手を伸ばして、花のそばへ倒れた枯れ葉を除けた。
「頑張って……今年こそ花を咲かせたら、ねーね、喜んでくれるかな?」
花の世話は続けていたが、ネージュには会えない日が続いた。幼馴染の二人も、最近は秘密基地にくる事が少なくなっていた。心温まる思い出の詰まった場所に、冬の到来を予感させる冷たい風が吹き抜けていた。
*
ネージュの両親の葬式があった。
「ねーね……お父さんとお母さんのお葬式にも出てなかった……」
どれほど辛いか、分かる気がした。それでも、会えない相手に、どんな言葉を掛けたらいいのかは分からなかった。
「とっても苦しいよね……。僕も、とっても苦しかったもん……」
自分には、プリシラがいてくれた。食事も取れなかった頃のことはよく覚えていないが、ずっと世話をしてくれたと後から聞いた。
「大丈夫だよね……? ねーねには……ベンおじさんが居るもんね……?」
返事のない場所で、そう言ってみた。
そのベンおじさんも、村を出ていってしまった。
花が咲いたのは、そんな時だった。
蕾の先が開き、何年も待っていた花びらが見えていた。ウィルは膝をついて顔を寄せた。
ねーねに知らせなきゃ。そう思った途端、喉が詰まった。どこへ行けば会えるのか、もう分からなかった。
「ねーね……どうして居なくなっちゃうの? やっと……お花が咲いたんだよぉ……」
花の前に座り込んだまま、声が震えた。
「僕……ずっと……ずっと頑張ってきたんだよ……」
咲いたら渡すと約束した。何度も枯らして、そのたびに、次は咲かせようと思った。受け取って喜んでくれる顔を、何度だって思い浮かべてきたのに。
「ねーねぇ……、ねーねぇぇ……!」
呼んでも、木々の向こうから誰かが来ることはなかった。
*
ウィルは、ネージュの家の前に立っていた。
戸は閉まっている。中から声もしない。持ってきた花へ視線を落としてから、もう一度、家を見た。
「……居るはず無い。ベンおじさんは行っちゃったし、お家に明かりがつかなくなって四日だもん」
村を出たのなら、誰かが見送っているはずだ。けれど、そんな話は聞いていなかった。
「でも、お葬式の後から誰もねーねを見てないなんて、絶対変だよ」
「大好きな人が死んじゃうと……心が空っぽになっちゃうんだ。僕も……お父さんとお母さんが死んでから暫くのことは、ぼんやりとしか覚えてない。ご飯も食べないで死にそうだったって後で聞いたもん」
自分はプリシラがいなかったら死んでいたかも知れないという。ねーねも、この中で食事を取れずにいたら。ウィルは戸を見つめた。
「……居ないなら、居ないほうが良いんだ。確かめて居ないなら、それで良いんだよね」
ウィルは花を持ち直した。茎を握り潰さないように、震える指を少し緩める。
「でも居たら……。お花、喜んでくれるかな」
戸へ手を伸ばした。
*
目を開けると、自分の部屋だった。
伸ばしかけた手が、寝具の上にある。握っていたはずの花はなかった。ウィルは指を開き、天井を見上げたまま息を吐いた。
「……どうして、今更こんな夢みちゃったんだろ?」
目元を手で拭った。起きたばかりでまだ、頭が追いついていない。心だけまだ、あの戸の前に立っていた。
「やあだなぁまったく。今はもう、ねーねも元気なんだから。気にしない気にしない! これからは幸せになってもらうんだから!」
声に出してみると、昨夜の顔を思い出せた。家の前で、ちゃんと笑っていた。
「悲しい事は……」
もう終わったのだと続けかけて、止まった。
「……いや。能天気はダメだ。ケジメはつけないと」
ベンおじさんのことは、何も片付いていない。今は考えても仕方がないだけで、事実が消えてなくなるわけではなかった。
ウィルは上体を起こした。
「そうだよ、全部ちゃんと片付けなきゃ。本当に幸せにしてあげなきゃダメだもんな」
口づけが嬉しくて、昨夜はそればかり考えていた。ウィルは寝床の端へ足を下ろした。
「初心忘れるべからず。浮ついてた自分を諫めるにはいい夢だったと思う事にしよう」
枯れた花の前で、ネージュが教えてくれた言葉を思い出す。
「蕾は……必ず花開くとは限らない」
ウィルは立ち上がった。
「そうだ、僕も勇者候補のままじゃ居られない。もっともっと、頑張らないと」




