047b_守るための力
声を聞いた瞬間、ウィルは身を低くした。枝を払おうとしていた腕を止め、幹の陰へ滑り込む。荒い息を呑み、葉の隙間から奥を窺った。
ネージュがいた。口を塞がれ、身をよじっている。その前に立つ男の顔にも、見覚えがあった。
「この間はコケにしてくれたなぁ。その分、たっぷりとかわいがってやるからよぉ」
村でネージュに絡んでいた、流れの冒険者だった。
短剣を握る手が熱くなった。あいつが。ねーねを、あいつが。
男の手がネージュへ伸びる。ウィルは腰を浮かせかけ、歯を食いしばって止まった。
まだ遠い。
間には茂みがある。突っ切れば、飛び出す前に気づかれる。男の腰には剣があった。村で向き合った時、自分は睨まれただけで足が震え、教官に助けてもらった。あれから過剰なほどに訓練もした、震えてしまった弱い自分を痛めつけるように、何度も何度もカカシを叩いた。今震えているのは恐れではない、怒りの感情からだ。とはいえ、正面から行って勝てる保証が有るわけではなかった。
ここで自分が倒れたら、ネージュはどうなる。ネージュを人質にされたら、自分は動けない。今、気づかれる訳には行かない。
「ンン! ンンン~~~!!」
くぐもった声に、胸の奥を掻きむしられた。今すぐ駆け寄って、あの手を引き剥がしたかった。短剣の柄を握り潰しそうになり、ウィルは指の力を少し緩めた。このままでは腕まで固くなる。
男はネージュしか見ていない。
ウィルは幹の陰から足を出した。枯れ枝を避け、露出した土へ靴底をそっと下ろす。低い枝の下をくぐり、次の木へ移った。体に触れた葉を押さえ、揺らさないように手を離す。
一歩近づくたび、ネージュの息遣いがはっきり聞こえた。
男が笑う。何かを囁く。聞きたくもない声が聞こえるたびに、腹の底が焼けるようだった。殺してやりたい。今すぐ、その口を黙らせたい。
それでも、ウィルは足を止めた。男の顔がわずかに横を向いていた。
動くな。こっちを見るな。
幹に身を寄せたまま待つ。男の視線がネージュへ戻ってから、ようやく次の足を出した。
ネージュはまだ抵抗していた。男に押さえつけられながらも、顔を背け、身をよじっている。助けを呼びたくても、声にできない。その姿を目の前にしながら、自分は物陰に隠れている。
男の手がネージュの服の裾を捲りあげる。早く。急ぐな。音を立てるな。しかし、早く行かなければ。
焦る頭で、男の剣の位置を確かめた。右手は今、ネージュを押さえている。こちらへ向き直って剣を抜く、その間に届かなければならない。
ウィルは茂みの端へ膝を進めた。最後の枝を静かに押し上げる。その先には、踏み切れる地面があった。男の脇腹まで、遮るものはない。
「クックック、この瞬間が堪らねぇ。あのガキが悔しがる顔が目に浮かぶぜぇ」
男が衣服を緩めた。ネージュの抵抗が激しくなり、男は覆いかぶさるようにして彼女を押さえ込んだ。その両手が剣から離れ、顔が下を向く。
もう待てない。待てば、間に合わない。
ウィルは地面を蹴った。
声は上げなかった。顔を上げかけた男の顎へ、全体重を乗せた蹴りを叩き込む。短剣は自分の体へ引きつけ、ネージュに触れないようにした。
「ぐあぁっ!?」
男の手が離れた。その脇へ肩からぶつかり、ネージュから押し退ける。男が足を踏ん張るより早く、ウィルはさらに踏み込んだ。
「汚い手でねーねに触れるなぁっ!!」
抑え込んでいた声が噴き出した。
男の右手が剣へ走る。その手よりも早く、ウィルは駆け込んで男の脇腹を蹴り飛ばし、そのままの勢いで短剣の柄を再度顎に叩き込む。たまらず振り回した男の手を掴み、背中に回り込んで捻り上げる。それでも男は抵抗を止めない。力が強い。少しでも離れれば抜かれる。肘を突っ張り、体重をかけたまま押し込む。
「て……てめぇ、何故ここにいやがる!?」
「家族を守るためだ!」
「そういう意味じゃ……うぉっ!?」
言い終える前に、男の足が木の根に引っかかった。ウィルは止まらず、肩を押し込んだ。背中が幹にぶつかり、男の息が詰まる。
その顔へ、短剣を握った腕の肘を打ち込んだ。
男の膝が折れる。ウィルも一緒に体を沈め、掴んだ腕を引き倒した。地面へ転がった肩を膝で押さえ、剣へ伸びようとする手をねじ伏せる。
「く……そっ……」
ウィルは男の剣を鞘から引き抜き、遠くへ投げた。それでも膝を退けなかった。男が身じろぎするたびに押さえ直す。もう一度殴りたかった。まだ足りない。あれだけネージュを怖がらせて、こんなもので済ませるものか。
短剣を持つ手に力がこもった。
背後で、ネージュの息を吸う音がした。
ウィルは歯を食いしばり、刃を男から遠ざけた。ねーねを助けに来たんだ。まず、腕を縛っているロープを外さなければ。
「ねーね、手をだして」
男を押さえつけたまま、短剣でネージュの手を縛っていたロープを切断する。
「はぁ……はぁ……はぁ……。ねーね! 大丈夫!?」
自由になった自分の手で、口を塞いでいたものを外すと。
「ウィル!!」
ネージュが名を呼んだ。自分の名なのに、その声を聞くまで、間に合ったという実感がなかった。
「ウィル……。来てくれるって信じてた……」
「遅くなってごめん! どこも怪我してない!?」
「大丈夫、なんともないわ」
息の乱れたネージュの顔を見て、本当に怪我はないのか、もう一度聞きたくなった。
遠くから、別の声が届いた。
「エレノアこっち! 木に痕がついてる!」
プリシラだった。
「ウィル!! どこ!? 居たら返事して!?」
「プリシラ! こっち!」
ウィルは顔を上げて叫んだ。
「こっちだ! 先に行くよ!」
枝の揺れる音が近づいた。さっき自分が通ったところから、プリシラが飛び出してくる。
「いたー!! 大丈夫!?」
「プリシラ、ねーねをお願い。僕はそこの男をふん縛る!」
「わかった!」
プリシラがネージュのそばへ膝をついた。少し遅れて、エレノアも追いつく。
ネージュはプリシラに任せられた。ウィルは落ちた剣を男の手が届かないところへ寄せ、短剣をしまう。縄をかけている間も、男がまた暴れださないか気が気ではなかった。思わずきつく締め、結び目を作るのに手間取った。
「この間の流れの冒険者……」
「先日の件で逆恨みしたらしいわ。口ぶりからすると、これが初犯でも無さそうね」
ネージュの声を聞きながら、ウィルは縄を確かめた。
「こんなの……野盗と変わらない! 何が『冒険者を舐めるな』だよ。こっちのセリフだ!」
「ち……くそ……」
男が呻いても、ウィルは取り合わず、結び目を締めた。
「仕方ない。今日の依頼は諦めよう。こいつをギルドに突き出さなきゃ」
「そうですね。まだ村からそう遠くないですし、急いで戻りましょう」
エレノアが帰り道を見た。
「……大人しくついていくと思うか?」
「なら、あたしが担いで行くだけだよ。 人間なんて、大人のブタさんよりずっと軽いもん」
「……クソッ」
男が忌々しげに呟いた。
休憩場所へ引き返し、荷を回収する。お茶の道具は、広げたままだった。ウィルは荷を背負い直して、ネージュが歩き出すのを待った。
プリシラが隣につき、エレノアが後ろを確かめる。
ウィルは男を立たせ、縄を持って歩かせた。四人は男を連れて、村へ向かった。
*
ギルドでは、ノエルの上役にあたる支部長が報告を聞いてくれた。川辺の桶から森の奥で見たことまで、ウィルが順に話し、知らない部分はネージュが補った。話を聞き終えると、支部長は厳しい顔で頷いた。
「委細承知した……。余罪も追及して必ず厳重に処分させよう」
支部長の言葉で、ウィルはようやく肩の力を少し抜いた。
ノエルも、いつもの受付の時より硬い顔をしていた。
「先日の強引なナンパの件で本部に報告書を提出していたのですが、先ごろ本部からその件で返信が届いていました」
「あの男は以前から黒い噂の絶えない冒険者だった様で、最近本部からの出頭命令が出ていた様です。今回この辺りに流れてきた理由も、その出頭命令から逃げ回っての事だったのではないかと……」
ウィルは唇を結んだ。ネージュは黙って聞いていた。
「今回の件でヤツは少なくとも冒険者の資格を失い、罪人として投獄。犯罪奴隷になる可能性が高い」
支部長は、処分についてそう告げた。
「そうでなくとも、罪人を現行犯で捕らえてくれた事に対しては、ギルドからの報酬を用意できると思う。組織への貢献という意味でギルドポイントも考慮できるだろう」
報酬という言葉に、ウィルは一拍遅れて頷いた。森を走っている間は、そんなことを考える余地もなかった。
「ギルドには様々な人間が居るが、粗暴なイメージは払拭しきれん。君のような真っ当な冒険者がいると、今後も周囲に知らしめてくれるとありがたい」
「……はい」
その言葉は嬉しかった。けれど、今は胸を張るより、隣にネージュがいることを確かめたかった。
ノエルが、彼女へ頭を下げた。
「ネージュさん、この度はギルドの不始末で大変なご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ございません」
「ノエルさん達のせいではありませんわ。ウィルのお陰で何もありませんでしたから、気にしすぎないで下さいね」
何もなかった、とはウィルには思えなかった。けれどネージュは、頭を下げるノエルを気遣っている。口を挟まず、隣で聞いていた。
「ありがとうございます。私共と致しましては、治癒師の方とは今後とも懇意にさせて頂きたく思っております。何かあれば遠慮なくお申し付け下さい」
「はい。何かあれば頼らせて頂きますわ」
手続きが済むまで待ち、報奨金と評価についての説明を受けた。一万ゴールドと、五百のギルドポイント。受け取った金をしまってから、ウィルはネージュと外へ出た。
*
治療院までの道を、二人で歩いた。
森からの帰りには他の二人もいたし、ギルドでは説明することがいくつもあった。こうして並んで歩くと、何を話せばいいのか、かえって分からなくなる。
ウィルは歩幅を緩めた。ネージュも、急ごうとはしなかった。
家の前まで来て、彼女がこちらへ向き直る。
「送ってくれてありがとう」
「どういたしまして。通り道だから」
いつもなら、それで手を振って別れるところだった。
ネージュは、まだウィルを見ていた。
「……あなたに命を救われたのは二度目ね」
改まって言われると、ウィルは返事に困った。礼を言ってほしくて助けたわけではない。
「……仲間を助けるのは当然だよ」
「……それでも、よ。ありがとう、ウィル。あなたには幾ら感謝してもし足りないわ」
「……感謝は僕の方だよ。世話になりっぱなしだし、僕に出来ることをしてるだけだから……」
口を塞がれていたネージュの姿を思い出した。もしも間に合わなかったら。考えるだけで恐ろしく、ウィルは彼女を見つめた。
「それに……ねーねが居なくなるなんて、僕が嫌だ。だから、僕がねーねを守るんだ」
「ウィル……」
名前を呼ばれてから、自分が言ったことを意識した。
家族に戻るの。そう言われたばかりだった。
「ご、ごめん。その、家族……みたいなものでしょう? だから……」
「……ウィル、いいのよ。ありがとう」
ネージュが近づいた。
ウィルが次の言葉を探すより先に、唇へ柔らかな感触が触れた。
「へ……ぁ……?」
離れていく顔を、ただ見つめた。
「……おやすみなさい」
ネージュはそう言って、家へ入った。
戸が閉まっても、ウィルはしばらくその前を動けなかった。
「ねーね……」
お礼だったのだろうか。それとも。唇に触れてみても、答えなど分からなかった。
「か……帰って頭を冷やさなきゃ」
そう呟いて、ようやく歩き出した。




