043_土の匂いの夕食
その朝、治療院を出ようとしたウィルを、ネージュが呼び止めた。
「ねぇ、ウィル。私も、これからは冒険に連れて行ってくれないかしら」
戸へ伸ばしかけた手を止め、振り返る。
「ねーねも? でも、治療院は……」
「普段はそれほど忙しくないもの。少しくらい留守にしても大丈夫よ。実は少し前から考えていて……村長の許可も、もう取ってあるの」
「そうだったんだ」
怪我をすれば治療院へ来るものだと思っていたから、一緒に来てもらうことは考えていなかった。ネージュに手当てをしてもらえるなら、ウィルだけでなく、プリシラやエレノアも助かる。
「来てくれたら、すごく助かるよ。でも、どうして急に?」
「……あなたが担ぎ込まれて来た時、とても不安だったの」
ネージュは、ウィルの額へ目を向けた。
「私がそばにいれば、傷を負ってもすぐに癒やしてあげられるでしょう?」
あの時、意識を失った自分を、プリシラとエレノアがここまで運んでくれた。目を覚ますまで、三人ともどれほど心配しただろう。ウィルは、傷のあった場所に手を当てた。
「ごめんね、ねーね。心配かけて」
「謝ってほしいわけじゃないのよ。それに、借金のことも大変でしょう? 私、もっとあなたの助けになりたいの」
ただでさえ、治療院では世話になっている。討伐にまで付き合わせていいのか迷ったが、ネージュは返事を待っていた。
「……じゃあ、今度出かける時、誘いに来てもいい?」
「ええ。付いてきてほしい時は、声をかけてね」
「ありがとう、ねーね。プリシラとエレノアにも話しておくよ」
「でも、私がいるからって無茶をしては駄目よ?」
「分かってるよ。もう、あんなに心配かけたくないし」
そう答えると、ネージュはようやく笑ってくれた。
*
治療院から戻った日の夕方、ウィルはゼペリの家を訪ねた。
助けたリッツは元気だとプリシラから聞いていたが、自分の目でも確かめたかった。ゼペリたちにも、変に気負わない様に、元気な姿を見せて安心してもらいたい。家を出て村の反対側まで歩くうちに、見慣れた畑の柵が見えてきた。
クワの柄が、低くなった日の光を受けている。ゼペリはウネの端にしゃがみ、手に取った土を指の間から落としていた。こちらに気づくと、立ち上がるより先に手を振る。
「ウィル君!ケガはもういいのかい!?」
「こんにちは。リッツの顔を見に来たんです、元気になったって聞いたから」
ゼペリはそばまで来て、土まみれの手でウィルの色んなところをバンバンと叩いて確かめた。
「あぁ、よかった!意識が無いと聞いて心配していたんだ。息子のせいで大変な目に遭わせてしまったね」
「僕は大丈夫ですから……。リッツは、家にいますか?」
「あぁ居るとも!夕飯の支度を手伝ってる。もうすっかり元気さ」
畑の向こうの家から、器の触れ合う音がした。川で抱えていた体の重さを思い出し、ウィルはほっと息をついた。
ゼペリはクワを畑の外へ寄せると、帽子を取って胸の前へ抱えた。
「ありがとう、ウィル君。息子の命を救ってもらった。感謝してもしきれないよ」
「プリシラとエレノアも、一緒だったんです。二人がいなかったら、僕も戻れませんでした」
ゼペリは帽子を抱えたまま頷いたが、礼の言葉を引っ込めはしなかった。
「こんな些細なお礼しかできないが、受け取ってくれるかい?」
差し出されたのは、小さな種の包みだった。土のついた指が、紙を汚さないように端を持っている。ウィルも手を服で拭き、両手で受け取った。
「スクスクニンジンの種?」
「スクスクニンジンは生育が早く、手間もあまりかからない優秀な野菜なんだ」
包みを少し傾けると、中で種が動いた。ウィルは包みの口を開き、指先へ数粒だけ出してみた。
「冒険者として畑を離れる機会が多い君に最適だと思ってね」
「そこまで考えて下さるなんて、とってもありがたいです!」
ウィルは種を包みへ戻して口を折り直し、潰さないように腰のポーチへしまった。
「うんうん、喜んでもらえてよかったよ」
ゼペリの口元が、ようやくいつもの形に緩んだ。
「他にも困った事があったら何でも言っておくれ。これだけじゃ『息子の命はにんじんか!』って妻に怒られてしまう。できる限り恩人の力にならせておくれ」
「ありがとうございます!」
頭を下げると、ゼペリも帽子を下げた。二人とも同時に顔を上げてしまい、目が合う。先に笑ったゼペリが、畑の方へ手を広げた。
「土は良い……畑は良いぞ。大地は人間に必要なものを全て与えてくれる」
そこからは、ウィルも知っているゼペリだった。
ウネの間には、昼に歩いた足跡が残っている。家の近くに積んだ籠には、今日抜いたらしい野菜が、葉をつけたまま入っていた。大地が与えてくれるものと聞いて、ウィルにまず浮かんだのは、それを食べる所だった。
「自分で作ったものが食べられるのは、嬉しいですよね。僕も、畑仕事をするとお腹が空きますし」
口にしてから、土の素晴らしさを話していた人へ、食べることばかり返してしまったと思う。けれど、ゼペリは大きく頷いた。
「良い、ウィル君もとても良いよ。君はわかってるね」
「そこまでは、まだ……」
畑の方から草木の焦げる匂いが届いた。ウィルが目を向けると、ウネの間に置かれた素焼きの器から、細い煙が上がっている。
「ゼペリさん、あの煙は?」
「あぁ、殺虫剤だよ。虫の嫌う草や木を使っていてね。この煙で、葉についた虫を退治するんだ。虫系のモンスターにも、少しは効果があるらしいが」
ゼペリは器に蓋をして、畑の端へ寄せた。それから、ウィルへ向き直る。
「ウィル君、今夜は良かったらウチで夕食を一緒にどうかな?共に土について語り合おう」
家の窓から、何かを煮る匂いが届いた。ウィルの腹が小さく鳴る。返事の前に聞かれてしまったらしく、ゼペリが笑ってクワを担いだ。
「それじゃ、いただいてもいいですか」
家までの短い道を、二人で歩く。ゼペリが戸を開けると、中からリッツが顔を出した。
ウィルを見て、その足が止まる。
「……兄ちゃん」
全身びしょ濡れで怯えていた子が、今は血色もよく自分の足でシッカリと立っている。しかし、壮健な様子とは裏腹に、泣きそうな様子でウィルをみている。
「こんばんは、リッツ。元気そうで安心したよ。僕、夕ご飯に呼んでもらったんだ」
目の高さを合わせるように腰をかがめる。男の子は頷いたが、ウィルの額からなかなか目を離さなかった。
「もう、痛くない?」
ウィルは子供へ笑いかけ、自分の額へ指を当てた。
「うん。ネージュさんに手当てしてもらったから」
男の子も自分の頭へ手をやり、そっと下ろした。ウィルはその手が下りるのを待ってから、家の中を指した。
「どこへ座ればいいかな」
「こっち!」
小さな手が、空いた椅子を押さえた。ゼペリがクワを置いて戻る間に、男の子の母親が厨房から皿を運んでくる。ウィルを見ると、両手を拭いてから、深く頭を下げた。
「よく来てくれたねぇ。座って。温かいうちに」
「お邪魔します」
礼を受ける言葉を探していたウィルは、勧められた席へ腰を下ろした。向かいには男の子の器がある。隣へ皿を置きながら、母親が子供の肩へそっと手を添えた。
青菜を和えた皿、柔らかく煮た野菜、豆の入った汁。切ったパンが、卓の中央へ置かれる。ウィルは湯気を顔に受けて、ようやく肩の力を抜いた。
ゼペリも手を洗って席へつく。さっきまで土が入っていた爪の際を、布で念入りに拭いていた。その手で息子の皿へ野菜を取り分ける。
「それ、ちょっと大きいよ」
「そのためにここまで育ったんだよ」
「野菜が?」
「君も、野菜も」
母親が横から小さく切ってやった。ゼペリは残った大きな方を自分の皿へ移す。ウィルが笑うと、男の子も少し得意そうに匙を握った。
「いただきます」
スープを飲むと、豆の甘さが口に残った。煮た野菜は匙で押せば切れるのに、持ち上げる時は崩れない。ゼペリが、今日のこの葉はどうだった、と妻へ尋ねる。母親は味見を勧め、土の話より先に皿を空けてくれと笑った。
ウィルも青菜を取る。畑で虫を探した時、葉を持ち上げるつもりで茎まで引っ張り、株を傾けてしまった。ゼペリに、根元を引かずに葉だけを下から支えるよう教わったのだった。今、皿にある葉も、ああして一枚ずつ人の手を受けて育ったのだ。
「美味しいです」
「まだまだあるよ。遠慮しないで」
男の子がパンの皿をこちらへ押した。手伝いたくて急いだらしく、そばにあった水の杯が揺れる。
水面が縁へ寄った途端、男の子の手が止まった。
ウィルは皿を受け取り、杯を卓の奥へ動かした。母親が子供の手のそばを布で拭く。こぼれたのは指先を濡らすくらいの水で、誰も叱らなかった。
「ありがとう。ここなら取りやすいね」
パンを一切れ取って見せると、男の子が頷いた。母親の手が離れてから、また匙を動かす。ゼペリも何か言いかけた口を閉じ、息子の皿へ、今度は小さな野菜を置いた。
ウィルは自分の皿へ目を戻した。向かいの男の子は、食べながら時々こちらを見ている。何か聞きたいことがあるのに、言い出せずにいるらしい。
「あの、プリシラお姉ちゃんたちも、また来る?」
「うん。今度はエレノアにも声を掛けてみるよ」
「俺、二人にもありがとうって言いたい」
「きっと喜ぶよ。リッツが元気になったところ、見てもらおうね」
リッツは匙を握ったまま頷いた。ウィルも笑って、パンを割る。二人がここにいたら、食卓はもっと賑やかになりそうだった。
「じゃあ、今度はみんなの分も用意しよう」
ゼペリが自分の器を端へ寄せる。母親は人数を指で数えてから、彼の空になった皿を見た。
「良かったら日取りを決めましょうよ。お嬢さん達とはいえ年頃だもの、普段の倍じゃきっと足りないわね」
「俺、皿を並べるよ!」
男の子が両手を広げた。今は自分の分の器しか持たせてもらっていないらしく、母親の顔を覗き込む。普段からお手伝いをして慣れたら、と答えられると、早速今夜から手伝うと元気よく応えた。
ウィルはその話を聞きながら、ポーチの中の種を思い出した。明日になれば、畑へ持っていける。生育が早いというスクスクニンジンなら、皆で呼ばれる日に、自分の畑で採れた物を持ってこられるかもしれない。
母親がスープを気にして、ウィルの器を覗いた。
「もう少し、いただいてもいいですか」
頷いて鍋の底を掬ってくれる。その音に、男の子も器を差し出した。皿を運ぶ仕事は、もう暫く後になりそうだった。
*
食べ終わる頃には、窓の外が暗くなっていた。
ウィルも立って皿を重ねる。男の子が隣で一枚持ち上げ、厨房まで先導した。戻ってきたところで、ゼペリがすっかり満足した顔で席を立つ。
「その後はこの畑の土で土風呂なんてどうだい?男二人、大地のエネルギーを肌で感じ合うのは最高だよ?」
「それ、結局あとで水浴びするハメになりませんか?」
返事が、自分でも驚くほど早く出た。
「私はそのまま寝るがね」
「それは奥さんに感謝しないとダメですね」
母親が空の器を持ったまま笑い出した。男の子まで口元を押さえている。ゼペリは二人を見てから、不思議そうに窓の外へ目をやった。
「今度はみんなで来ます」
「いつでも歓迎するよ。気軽にお茶でも飲みながら、畑の話だけでも構わないから、顔を見せてくれたまえよ」
「それなら、ぜひ」
クワの使い方も、種を植えることも、まだ教わりたい。だが全身を土へ埋める約束までして帰ったら、プリシラたちに何を言われるか分からなかった。
戸口で礼を言うと、男の子が外まで出てきた。母親がお礼の野菜がたっぷり詰まった袋を渡してくれる。ゼペリは戸を広く開けたまま、二人の後ろから手を振った。
「また来てね」
「うん。また」
ウィルは畑の脇を戻った。夕方にはクワの影が落ちていた所へ、今は家の灯りが届いている。戸口の前で、男の子がもう一度こちらへ手を上げた。
こちらも手を振り、曲がり角まで歩く。腰のポーチへ触れると、種の包みの形が指に伝わった。ウィルは包みを押し潰さないよう手を離し、夕食の匂いの残る道を帰った。




