042a_成長と変化と…
「ねーね! 大変!」
戸が開いた途端、プリシラの声が治療院に響いた。
ネージュは手を止めた。駆け込んできたプリシラの髪から、床へ雫が落ちている。耳も尻尾も濡れ、服の裾は足に張りついていた。
「どうしたのプリシラ、びしょ濡れじゃない!?」
「ウィルが川で溺れてた子を助けたの! けど、流木が頭に当たって……。岸には上がったんだけど、その後倒れちゃったの!」
ネージュは入口へ向かいかけた足を止めた。プリシラの後ろには、まだ誰もいなかった。
「いま知り合いの冒険者に運んでもらってるから、ウィルを助けて!」
「わかったわ、すぐに治療の準備をするから」
流木が頭に当たったのなら、まず頭の傷を診る。川に浸かっていたのなら、体も冷えきっているはずだ。プリシラの言葉から用意する物を決め、寝台の上を空けて、乾いた布を重ねた。その手を止めずに、プリシラを見た。
「プリシラは大丈夫? 怪我してない?」
「あたしは引き上げる時に濡れただけ! 助けた子も元気で、もうお家に帰ったよ!」
よかった、と頷く。そうしている間にも、プリシラの足元には水が溜まっていく。本人もそれに気づいたらしく、耳を伏せた。
「ぁ……ねーねのお家濡らしちゃった……。ごめんなさい……」
「そんなこと気にしないの。そのままじゃ風邪を引くから、あなたはお家に帰って暖かくしてらっしゃい」
「でも……」
プリシラの視線が、開いたままの戸へ戻った。ここまで走ってきて、やっと任せられる相手を見つけたのだ。だからこそ、この場を離れられないのだろう。
ネージュは言葉を緩めなかった。
「ここに居たって仕方ないわ。治療もあるから、せめて着替えてらっしゃい」
プリシラが唇を結んだ。濡れた尻尾が足の後ろへ寄り、しばらく動かなくなる。
「……うん、わがまま言ってごめんなさい。ねーねなら大丈夫だもん。邪魔にならないようにねーねに任せる!」
最後の言葉を、プリシラは自分にも言い聞かせるように強く言った。
外から、ミーツの声が届いた。プリシラが運ぶのを頼んだ冒険者は、最近できたウィルの友達の彼だった。
「すみませーん! 患者を運んできましたー!」
「こっちでーす!」
プリシラが戸口へ駆け寄る。ネージュもそちらへ向かい、運び込む人が通れるように脇へ退いた。
ウィルは目を閉じていた。
まずその顔が見えた。濡れた髪と、力の抜けた口元。見慣れた顔なのに、いつもの笑顔を見ることはできない。寝台までの短い距離を、ネージュは黙って付き添った。
運ぶのを手伝ってくれたミーツに礼を言い、ウィルのそばへ膝を寄せる。プリシラは戸口に立ったまま、その手元を見ていた。
エレノアも、ミーツの後ろから付いてきていた。川辺でウィルに付き添っていたのだろう、袖も裾もすっかり濡れている。ネージュはプリシラと同じように、家へ帰って温まって休むよう言った。エレノアは寝台のウィルから目を離さず、すぐには動こうとしなかった。
「それじゃねーね、ウィルをお願いします!」
ネージュが頷くと、ようやくプリシラは、エレノアの手を引いて外へ出ていった。
部屋が静かになった。
ネージュは顔にかかった髪をよけ、頭の傷を確かめた。傷は浅く、濡れを拭き取りながらポーションを使用した形跡が窺えた。張り詰めていた息を少しだけ吐く。エレノアの処置は完璧だった。後は自分が傷口へ手をかざし、治癒魔法を施していく。手当てを終えても、ウィルは目を開けなかった。
「傷が大した事なくて良かった。でも、体温が下がり過ぎてる」
肌に触れた指先に、冷たさが残った。意識のないままでは温かいモノを口にする事もできないし、濡れた服のまま寝かせていては、部屋をいくら温めても体温は戻りはしない。先に、この冷えを何とかしなければならなかった。
「とにかく濡れた服を脱がせないと……」
水を吸った衣服は、思うように離れてくれなかった。片方の腕を抜くために体を支え、また横たえて、反対側へ回る。いつものウィルなら自分から腕を上げるところで、今日はネージュがその重みを引き受けなければならない。
「ふぅ。重たくなったわね、ウィル」
返事のない顔へ、つい話しかけた。
「冒険者を目指して沢山訓練していたものね……」
手足に筋肉もついて、胸板も厚く逞しくなっている。
(それに……下の方まで……。)
その変化に目を留めていたことに気づき、ネージュは唇を引き結んだ。
(……私ったら、何考えてるの!)
今はそんな事を考えている場合ではないと、自分に言い聞かせる。
「とにかく温めないと」
濡れたものを寝台から遠ざける。乾いた寝具にくるまれたウィルを見てから、ネージュは自分の衣服にも手をかけた。
同じ寝具の中へ入り、冷えた体に身を寄せる。
「これは医療行為だもの。やましい事なんてないのよ……」
誰に聞かせるともなく、小さく言った。
今は、この子を温める。治癒師として当然の事をするだけ。
ネージュは掛け物の端を引き寄せた。ウィルの顔はすぐそばにあった。目を覚ましたら、この子はどんな顔をするだろう。そんなことを考えられるようになってから、ようやく、自分がどれほど息を詰めていたかに気づいた。
*
「……温かい」
ウィルは目を閉じたまま呟いた。
どこかで水の音を聞いていた気がする。頭の芯まで響いていた大きな水音は、今はもうなかった。代わりに、自分とは別の、ゆっくりした息遣いが近くにある。
「……石鹸の……良い匂い」
瞼を開ける。見慣れた治療院だった。
「……ここは?」
そう口にしてから、隣にネージュが眠っていることに気づいた。
「……ぇ?」
ウィルは動きを止めた。
ここはネージュの治療院だ。それだけなら、まだ分かった。濡れた服がなくなっているのも、看病されたのなら分かる。けれど、ネージュが隣にねていて、掛け物からのぞくネージュの肩に、いつもの服はなかった。
どうしてこうなったのかを考えようとして、意識を失う前のことを思い出す。
「川で子供を助けて……」
小さな体を掴んだ。流れてくる木が見えて、とっさに庇った。その後の記憶が断片的だった。岸まで戻ったのだろうか。ここに寝かされているのだから、きっとプリシラたちが引き上げてくれたのだろう。
そして、ねーねが。
冷えきった体を温めてくれたのだと分かると、隣で眠っている理由もようやく腑に落ちた。看病しているうちに、ネージュまで眠ってしまったのだろう。
起こさないように、そっと顔を見る。
子供の頃、熱をだして看病された時や、村の祝い事で一緒に寝る様な機会があっても、いつだってネージュは先に起きて、寝ぼけたウィルに微笑みかけてくれたものだった。こうしてこちらから、眠っている顔を見ることは殆どない。世話をかけてしまったという申し訳なさと、そばにいてくれた嬉しさが、一緒に胸へ込み上げた。
ふわりと、髪の香りが届いた。目を覚ました時の石鹸の匂いは、ねーねの髪の匂いだった。
「んん」
寝返りを打ったネージュが、こちらへ寄りかかってきた。掛け物の下で、肩も腕も触れ合う。
「うぅ……」
心臓が早鐘のように鳴った。憧れのねーねが、何も着ないまま目の前で眠っている。助けてもらったのだと分かっているのに、近すぎる温もりを意識すると、どうにかなってしまいそうだった。
「離れなきゃ……」
既に下腹部は熱を帯び始めていて、ドクンドクンと血液が集中していくのを感じる。早く離れなければ、理性を保っていられる自信がない。ねーねを起こさないうちに、早く。
寝具を引っ張らないよう、少しずつ身を起こした。足を寝台の外へ下ろしかけたところで、視界が暗くなった。まだ体が戻りきっていなかったのか、寝起きに胸を騒がせたせいなのかは、分からない。
「うぅ……」
頭が揺れた。床がどこにあるのか、一瞬分からなくなる。とっさに壁へ手をつき、体を支えた。
「ん……ぁ、ウィル?」
背後で寝具が動いた。壁についた手の響きで、起こしてしまったらしい。
「ウィル? どこか痛むの? ウィル?」
名前を重ねる声が、すっかり目を覚ましていた。ウィルは壁へ手をついたまま、くらみが収まるのを待つ。少しずつ、輪郭が戻ってきた。
「ふぅ……、ごめんねーね。もう……大丈――」
「ウィル……」
目の焦点が合いネージュの姿をハッキリと捉えると同時に、言葉が途切れた。
想像の産物でしかなかった物が、そこにあった。
起き上がったネージュの肩から、掛け物が落ちていた。生まれたままの姿のネージュが、立ち上がったウィルの屹立した姿を、頬を染めながら……しかし真正面から見つめていた。半分は照れた様に、半分は心配そうに見つめるネージュの視線が、反り返るモノからウィル自身へと移ってくる。潤んだ瞳に射抜かれ、濡れた唇を直視した瞬間、年頃の少年の脳裏は、旺盛な好奇心と求めてやまなかった想像力の産物でいっぱいになる。
好きだった。ずっと、憧れていた。
眠っている彼女から離れようとしたのも、この気持ちのまま近くにいてはいけないと思ったからだった。
けれど、取り繕う余裕はもうなかった。
「ぅ…ぅぁ!」
「ぇ?」
触れられたわけでもない。それなのに、彼の想像力の賜物は、熱い塊となって彼女の体に降り注いだ。
「ぁ……っ」
ネージュは小さく声を漏らしたが、しかし怒るでも避けるでも無く、そのほとばしりを正面から受け止める。ウィルは顔を伏せた。助けてくれた人に、何をしているのだろう。ずっと隠してきた気持ちまで知られたようで、恥ずかしくて、情けなくて、顔を上げられなかった。
「いいのよウィル」
ネージュの声がした。その声には深い慈愛と、仄かな艶が宿っていた。
「いいの」
おそるおそる顔を上げると、ネージュはウィルを見て微笑んでいた。いつもよりも熱っぽい笑顔で、そびえ立つ姿に怯む様子もなく、熱い吐息のままウィルを見つめる。
胸元では、そこかしこに飛び散ったウィルの情熱を、ネージュの細くしなやかな指先が弄んでいる。ウィルを見上げていた視線はゆっくりと下がり、ひとしきりの律動を終えても未だ衰えない、ウィルの雄々しい姿に釘付けにされる。そしてネージュは、何も言わずに濡れた口を開き、赤く揺れる舌をゆっくりと差し出した。
もう、冷えた体を温めるための看病ではなかった。何をされているのか、ウィルにも分かっていた。憧れのねーねが、自分の気持ちを知っても離れていかない。それが嬉しくて、離れなければと思っていたことも忘れてしまった。
程なくして、二度目の律動が始まっても、ネージュが口を離す事は無かった。




