Ex000_拾う人と落とす人
ウィルがミーツにカードを届けた日の夕方、酒場の窓から差す光が、卓の半分を赤く染めていた。
アイリーンは椅子を窓際へ寄せ、靴についた土を落とす。夕食の客が増える前に、もう少し足を休めておこうと思っていた。
「あの! こちらに、親切な盗賊さんがいらっしゃると伺いまして!」
入口の声に、手近な卓の客が顔を上げた。
立っていた青年も、それに気づいて口を閉じる。黒いフード、無駄によく通る声。朝、ウィルが教えてくれた通りだった。奥のマスターへ尋ねようとする青年に、アイリーンは手を上げた。
「ミーツ、だったかい?」
「はい! 僕の名前を……」
「カードに書いてあっただろ」
「あ、そうでした!」
ミーツは卓へ来るなり頭を下げた。背負った荷が少しずれ、椅子の背に当たる。慌てて引き寄せると、今度は挨拶の途中で手が塞がった。
「カードを拾っていただいて、ありがとうございました!」
「うん。顔を上げな。後ろを通れなくなってる」
ミーツが振り返り、料理を運ぶ給仕へ道を空けた。アイリーンは向かいの椅子を足で押し出す。
「座ったらどうだい?」
「失礼します!」
席を勧めたのに、まるで面接でも申し込まれたようだった。アイリーンは笑いを噛み、卓から器をどける。ミーツは荷を膝に抱えたまま、椅子の端へ腰を下ろした。
「ウィルから品物も伝言も受け取ったよ。わざわざ来るほどのことじゃなかったのに」
「それでも、助けていただいたのは僕ですから。ちゃんと顔を合わせてお礼を言いたかったんです」
今度は、隣の卓へ届くほどの声ではなかった。どうやら年中あの声の大きさって訳じゃないらしい。
森の片隅でカードを見つけた時は、持ち主のことなど大して気に留めていなかった。直接返してやれば、相手はギルドの罰金を払わずに済む。浮いた分からしばらくたかれるかな、というくらいの軽い気持ちだった。もともと依頼の報告に来たら、落とし主の居場所を聞いてこちらから出向いてやろうと思っていたくらいなのだ。なにせ、既に依頼料で小銭を出資している。
ところが、今回はうまく話が転がって、向こうから礼の品も本人もやってきた。
「じゃあ、そのうち何か奢ってもらおうかね」
「はい、ぜひ!」
「そんなに勢いよく返事していいのかい。アタシ、遠慮しないよ?」
「一か月もやしで暮らすより、ずっといいです!」
朝のウィルと同じ話に、とうとう笑いが漏れた。ミーツはきょとんとしている。
「はっはっは! それも聞いたよ。ウィルから」
「そうでしたか……。本当に、助かりました」
膝の荷を抱える指から力が抜けた。何を求められるかと身構える様子もない。取り分の算段ばかりしていた自分が、少しばかり悪い気になってくる。
「職業柄なのか、どうも妙な物を拾う事が多いんだよね。大抵アタシには役に立たない物なんだけど」
「僕には、本当に役に立ちました!」
「そりゃ、持ち主にはね」
「はい!」
軽口ではぐらかすつもりが、また真顔で頷かれてしまった。アイリーンは肘を卓へ置き、青年を見た。訓練場の近くを通る時、時折聞こえてきた雄叫びはたぶん、こいつなのだろう。密偵という割に自己主張の強い、この真っ直ぐな声には聞き覚えがあった。依頼を受けたウィルといい、この村にいる連中には、都会のスレた野郎共には無かった純朴さを感じる。以前なら『甘ちゃん』の一言で切り捨てていたかもしれないが、この村で暫く過ごした今は、悪い気はしなかった。
「アタシはアイリーン。今度拾った時は、依頼なんて無しに届けてやるよ」
「よろしくお願いします! あ……いえ、拾っていただかなくて済むようにします!」
言い直すところまで一息だった。
「そっちの方が助かるね」
ミーツは照れたように笑った。ようやく椅子へ深く腰を下ろし、訓練場でウィルにカードを見せられた時のことを話し始める。驚いて叫び、慌ててごまかしたくだりで、また声が大きくなった。
「それ以上デカい声だすと、みんなに知られちまうよ?」
ミーツの口がぴたりと閉じた。
アイリーンは笑いながら、空いた器を脇へ寄せた。しばらくたかるつもりだった相手と、何も頼まないまま、思いのほか長く話し込んでしまった。
*
それから幾日か後の夕方、稽古を終えたミーツがまた酒場に顔を出した。
今度は入口で叫ばずに、卓の間を見渡している。アイリーンが目を合わせると、ほっとした顔で近づいてきた。
「こんばんは、アイリーンさん。ご一緒してもいいですか?」
「アンタももの好きだね。今日は落とし物は拾ってないよ」
冗談のつもりだった。ミーツが椅子に手を掛けたまま止まったので、アイリーンも口を閉じる。
「おいおい……アンタまさか、また落としたのかい?」
「はい。でも今日、またウィルさんが見つけて、返してくださいました」
ミーツは座ると、声を落とした。
「それで、目の前でポケットにしまったら、そのまま下から落ちてしまって。入れてたポケットに穴が開いていたんですよ」
「あっはっは! なんで気づかないかねぇ……ウィルの前で?」
「はい……。原因が分かってよかったんですが」
ウィルがどんな顔をしたか、想像がついた。せっかく探して届けた物が、その場で足元へ落ちたのだ。アイリーンは口元を押さえる。
「今はカードは無事なのかい?」
「こ、ここにあります!」
荷の内側を開いて見せる。その奥にカードが収まっていた。アイリーンが頷くと、ミーツはすぐに閉じた。
「ふふふ、密偵が重要書類落としたら世話ないよ? 上着は直したのかい?」
「まだです!修行の後で縫おうと思って、今ちょうど針と糸を買ってきた所です!」
荷から取り出した布包みを、大事そうに卓へ置いた。何が嬉しいのか、ミーツはへへへと笑っている。
「アンタ、裁縫なんてできんのかい?」
「いえ、やったことはありません! でも、これくらい自分でやらないと、もやし生活一直線ですので!」
「まったく、世話が焼けるねぇ……。 どれ、見せてごらん」
「えぇ!?そんな、悪いですよ!」
「いーから出しなよ。見せてやるから、次からは自分でやんな?」
「は、はい!ありがとうございます!」
ミーツは上着を脱ぎ、残った物がないかポケットを確かめてから差し出した。裏返すと、底の縫い目が手先が通るほどポッカリと開いている。合わせた布の端が離れ、軽く広げるだけで向こうが見えた。
「アンタこんなんなっててどーして気づかないのさ。全くもう……布はまだ使えるから、ちょっと不格好だけど縫い合わせれば良さそうだね」
ミーツは包みを開いた。針を取ると、尖った方を自分へ向けて差し出す。アイリーンは受け取りながら、その指先を見た。自分の物はうっかり落とすのに、人への気遣いはシッカリしている。目の前の男の印象が少し変わった。
窓の方へ針を掲げ、糸を通した。布の端を揃え、ほつれたところより少し手前を押さえる。
「アタシだって服屋じゃないから、期待すんじゃないよ?初めはこう、裏で糸を留めて。それから、こう」
何度か針を通すと、ミーツが身を乗り出した。手元が暗くなる。
「ちょっと、見えないじゃないか。影になるから、見たいならこっちきな」
「ぁ、す、すみません!」
隣の席を指し示すと、ミーツが遠慮がちに席を移動してきた。
「お隣、失礼します!」
ミーツは妙にギクシャクした動きで椅子を引き、荷を足元へ移してから座り直す。アイリーンはその様子を横目に見て、「何照れてんだか」と内心で少し笑った。だが、冒険者として生活を始めて以降、男連中に見くびられないように、時には自分の女すら利用して生きてきた身としては、こういう反応は新鮮で、やはり悪い気はしなかった。
それからは顔を寄せ合い、糸を返す手順や縫い目の間隔などを教えつつ、穴の半ばを過ぎるくらいまでは繕ってやった。途中、マスクで顔を隠していても判るほど動揺して、視線をキョロキョロさせながら、それでもバカ真面目に教えた事を復唱するミーツを横目に見ながら、なんとも言えない充足感に満たされている自分に気づく。そんな自分を振り払う様に、針を布へ刺したまま上着を渡した。
「ほら、もう大体わかったろう?残りは自分でやってごらん。穴を塞ぐだけだから、きれいに揃わなくても構わないよ」
「は、はい!」
ミーツは慌てて針を持ち、先ほど言われた事を繰り返しながら、ゆっくりと糸を引いてく。指に引っ掛かった糸を外し、もう一度布を重ねる。その手つきはなかなか繊細で、訓練場や初対面の威勢のイメージしかない人間が聞いたら、こんなに慎重に手を動かす人だとは思わないだろう。
「こ、こんな感じでしょうか?」
「うん、そうだよ。糸を引きすぎないようにね。ポケットが縮むから」
いくつか針目が並ぶと、ミーツの肩が少し下がった。だが、次のひと針は布の端から外れた。本人も気づいて、針を戻す。
アイリーンは手を出さずに待った。窓からの光が弱くなってきたので、上着の端を持ち上げてやる。ミーツは短く礼を言い、明るい方へ縫い目を向けた。
「大体できました!これ、最後はどうすれば……?」
「最後はね、こうやって……糸を留めるんだ。ここがほどけたらやり直しになっちまうからね」
教えた通りに留め終えるまで見届け、二人で上着を裏返した。底へ指を入れても、もう出てこない。ミーツは表と裏を何度も確かめた。
「うん、上出来じゃないか」
「わぁ!すごい!ありがとうございます!」
いつもの声だった。アイリーンが顔を上げると、彼は慌てて声を落とす。
「助かりました。本当に」
「これで、何度も届けモノさせられたアイツも安心だね」
ミーツは頷き、袖を通した。余った糸と針を布に包み、荷の内側へしまう。カードを移す時には、縫ったばかりの底をもう一度、指で押した。
給仕が卓へ来た。食事をするかと尋ねられ、アイリーンが答える前に、ミーツが顔を上げる。
「今日も、僕に払わせてください」
「いいのかい?」
「はい。奢るとお約束しましたし、お裁縫のお礼もしたいです!」
そう言えば、そんな話をした。アイリーンは隣の青年を見てから、給仕へ二人分の食事を頼んだ。
「じゃあ、遠慮なく」
皿が届くと、ミーツは身を引いて給仕へ場所を空け、アイリーンの分を受け取った。汁物から上がる湯気が二人の間を通る。針仕事に寄せていた椅子をそのままに、アイリーンはパンを割った。
ミーツが卓の下へ目をやる。
「紐、踏まれるかもしれません」
アイリーンの荷の紐が、通り道へ出ていた。引き寄せようとすると、ミーツが先に椅子の脇へ寄せてくれる。
「ああ、ありがと」
礼を言われた青年が、少し笑った。アイリーンはパンを口へ運び、彼が匙を取るのを待った。
「それで、今日は何の修行をしてきたんだい?」
ミーツが顔を上げる。返事の前に一度、周りの卓を見た。
その気遣いに気づかないふりをして、アイリーンも食事を始めた。すぐ隣から聞こえる声は、今度はちょうどよい大きさだった。




