↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未だ蕾の勇者様(ノベライズ版)  作者: さじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/74

038_ねーねとの約束

 翌日の午後、ウィルは訓練場の案山子に木短剣を打ち込んでいた。


 藁を束ねた胴には、打たれて擦り切れた跡がある。ウィルはそこを狙い、踏み込んでは木短剣を当て、構え直した。午前から繰り返してきた動きだ。昼に一度休んだが、今は肩も腕も重い。先ほどから切っ先が狙ったところを外れ、案山子の脇を叩くようになっていた。


 そろそろ終わりにしようと考えながら、もう一度だけ、と木短剣を握り直す。昨日、男の前で震えた膝を思い出すたび、もう少しだけと思い剣を振るった。


 打ち込んで元の位置へ戻ろうとした時、足がもつれた。よろめいたまま膝をつき、咄嗟に差し出した手のひらが地面を擦った。木短剣が砂の上へ転がる。


 立ち上がろうと手をつくと、擦れたところに痛みが走った。土を払うと、小さく血がにじんでいる。落とした木短剣を拾ったが、握り直しても腕に力が入らなかった。ウィルは道具置き場へそれを戻し、訓練場を出た。


 ネージュを驚かせたくはなかった。昨日はあんなに喜んでくれた。今日は大丈夫な顔で会いに行きたかったのに。


 治療院では、ネージュが手のひらに残った土を落とし、傷を診てくれた。何をしていたのか訊かれて、案山子への打ち込みを続けたことを話す。切っ先が狙いを外れるようになった時、やめていれば転ばずに済んだかもしれない。今ならそう思えるのに、あの時は次の一度のことしか考えていなかった。


「もう……また無茶をして」


「は、はい……ごめんなさい」


 手当てを終えたネージュが、こちらへ向き直った。いつものように笑って済ませてはくれなかった。


 先ほどまで傷を見ていた目が、今はウィルの返事を待っている。どこで何をしていたかは、手当てを受けながら話してしまっていた。転んだだけはもう通じない。


 ウィルは言い訳を飲み込み、顔を起こした。


「ねえ、ウィル。あなたが念願の冒険者になれて、気持ちが逸ってしまうのは分かるわ」


 ウィルは膝の上で手を揃えた。何か言おうとしたが、ネージュの声が続く。


「でもね。無茶をして、体に残るような怪我をしてしまったら、冒険者を続けることもできないの」


 当然の指摘を受けて、更に後ろめたい気持ちになる。


「それに、無理を続ければ……死んでしまうことだってあるのよ。ねーねは、そんなの絶対に嫌……」


 最後の声が小さくなった。


 昨日、抱き寄せてくれた時には、恥ずかしくて周りばかり気になったのに、今はその潤んだ瞳から目を逸らせなかった。守りたくて気が逸って、当の本人がこんな顔をさせてしまったらだめだ。


「ごめん。そうだよね。ねーねの言う通りだ」


 早く強くなりたいのは、今も変わらない。だが、稽古を続けられなくなったら、元も子もない。


「もう無茶はしないよ。ねーねを悲しませたりしたくない」


 ネージュはしばらくウィルを見ていた。それから、ゆっくり頷いた。


「分かってくれて嬉しいわ。お願いね、ウィル。ねーねと約束よ?」


「うん。約束」


 今度は急いで返事をしなかった。目を見て頷くと、ネージュの肩がわずかに下がった。


「焦らないで、ウィル。あなたは必ず、立派な冒険者になれる」


 責める時とは違う、柔らかい声だった。


「自分なりに鍛錬を続けてきたことも、戦う以外の勉強も怠らずに続けてきたことも、ねーねは全部知ってるわ。そんな勤勉な冒険者、ほかに見たことないもの」


 ウィルは少し気恥ずかしくなった。知られていたのだ。手当てを頼みに来る時、無茶をしているところばかりを見せていると思っていた。


「まだ、あなたの冒険は始まったばかりでしょう? ゆっくり楽しみながら、着実に進めばいいのよ」


「うん、ありがとう。ねーねにそう言ってもらえたら、少しだけ自信が出てきた」


 ネージュが微笑んだ。ウィルも息をつき、膝の上で握っていた手を緩める。


「ふふふ。それに、ウィルがそんなに早く立派な冒険者になって、村から飛び出していってしまったら、ねーねは退屈で……すぐおばあちゃんになっちゃうわ」


 前にも聞いた言葉だった。その時は、そんなにすぐ年を取るわけがないと笑えた。


 ネージュは頬へ指先を添え、少しだけ目を伏せた。


「一緒にいたいのは……単なる私のわがまま。だけど、少しだけ気にしてくれたら嬉しいわ」


「ぼ、僕だって、ねーねと一緒にいたいよ。ずっとだよ?」


 口にすると、花畑で同じように言った自分が浮かんだ。あの時より声は低くなったのに、顔が熱くなるのは変わらない。


 ネージュが顔を上げた。


「それなら、とっても嬉しいわ♪ これからも、たまにでいいから、私に元気を分けに来てね♪」


「うん!」


 返事をすると、ようやくいつもの笑顔が戻った。


 ウィルは立ち上がり、身支度を整えた。外はもう夕方だった。今からもう一度、とは思わなかった。


「今日は、ちゃんと休むよ」


 戸口で振り返って伝えると、ネージュが頷いた。


 帰ったら、まずは夕飯にしよう。ウィルは急がず、家へ向かって歩き出した。


     *


 翌日は、疲れを感じたところで打ち込みを切り上げた。午後にはエレノアと少し話したくて、村長の家へ向かった。授業はもう終わった頃だろうと思っていたが、戸口まで来ると、教室の方から声が聞こえた。


「明日までに用意しておいていただけますか」


 ウィルは歩みを緩めた。戸口の向こうに、エレノアが立っている。相手は村の先生だった。青い髪を左右へ分けた男で、眼鏡の奥からエレノアを見ている。子どもたちの声はなく、並んだ机には誰も座っていない。


「それは、ちょっと難しいです」


「明日の授業で使うんですよ。なぜ用意できないんです?」


 エレノアは左手を胸元へ添えた。


「この辺りでは珍しいものですから。行商の方が次に来るのは来月です。そこで注文して、届くのは再来月になります」


「それでは明日の授業ができないじゃないですか!」


 ウィルは戸口で足を止めた。先生はエレノアの返事を待たずに声を荒らげている。挨拶を差し挟める調子ではなかった。


「前もって言っていただければ、準備もできましたのに」


「私が以前いた学院では、そこら中にあったものですよ。この村にはそんなものもないんですか?」


「ないものはありません。授業を変更するしかないと思いますけれど」


 エレノアの返事は静かだった。だが、添えていた左手が服から離れず、指が少し握り込まれる。


「どうにか用意してください。授業の準備はチューターの役目でしょう!」


「エレノア」


 ウィルは教室へ入った。


「声が聞こえたんだけど、何か困ってる?」


 彼女が顔を上げるより先に、先生が振り向いた。


「部外者が勝手に入ってこないでください」


「ここは村長さんの家ですし、授業はもう終わっていますよね」


「授業の話をしているんです。それには部外者でしょう」


 ウィルは先生の前で止まった。エレノアを背中へ隠すような距離ではなく、三人で話せるところへ立つ。


「この村のチューターは、手伝いですよ。給金をもらっている先生の準備を、全部引き受ける役ではないと思います」


 先生が口を開いた。ウィルは、その言葉を待たずに続けた。


「喧嘩をしに来たわけじゃありません。何か手伝えないかと思って。それで、何が要るの?」


「凸レンズです、兄様。明日の授業で使いたいそうなのですが、備品にはなくて」


「集光の実験ですか?」


「そうですよ。科学の実験は、子どもたちの未来を作る大事な授業です。学のない方には分からないかもしれませんが」


 ウィルは言い返しかけた口を閉じた。先生の言い方より、明日の授業に何が足りないかの方が先だった。


「それなら、空き瓶に水を入れれば代わりになりませんか」


 先生からは返事がなかった。エレノアが瞬きをして、ウィルを見る。


「瓶、ですか」


「うん。水が入っている時と、空の時とで比べられるでしょう。どうして光が集まるのかも話しやすいと思います」


 答えは、考えるより先に口から出ていた。ネージュが知っていてくれた、戦う以外の勉強が、こんな所で役に立つ。


「ほかには何が要りますか。黒い紙とか?」


「……そうですね。できるだけ黒いものを用意していただきましょう」


 光を集めて紙を燃やす実験だ。白い紙の一部を黒く塗って比べれば、どちらが先に焦げるか、子どもたち自身の目で確かめられるはずだ。


「それも、白い紙に炭を塗るところから見せればいいんじゃないですか。子どもたちにも違いが分かるし」


 先生の顔を見て、ウィルは少しだけ顎を上げた。


「光が曲がる説明だけで、授業の時間を全部使うわけじゃないですよね」


「紙と炭で結構です!」


 先生の声が教室に響いた。机の上のものを乱暴にまとめる手を、ウィルは黙って見ていた。


「明日までに用意しておくように!」


 足音が戸口を抜ける。遠ざかるまで、ウィルは何も言わなかった。


 エレノアが、胸元の手を下ろした。


「兄様、ごめんなさい」


「エレノアが謝ることじゃないよ。僕の方こそ、勝手に首突っ込んじゃった。明日、やりにくくなったらごめん」


「いえ、ああいうことは、しょっちゅうですから」


「……しょっちゅうなの?」


 思わず戸口を振り返った。追いかけても仕方がないと分かって、ウィルはエレノアへ向き直る。


「つい口を挟んじゃうくらい理不尽だったけど……」


「助かりました。本当に」


 彼女は机へ手をついた。ようやく息をつけたように肩が下がる。


 ウィルは、その隣へ立った。さっきの先生の乱暴な手つきが、まだ目に残っていた。


「それに、用意しようと思えば、できなくもなかったんでしょう?」


「……え?」


「ケイトさん、装備の彫金もするでしょう。拡大鏡くらい持ってるの、エレノアなら思い出さないはずないもん。迷ってたのは、それを先生に貸すかどうかだよね」


 エレノアがウィルを見上げた。


「分かるよ。僕も、ケイトさんの大事な仕事道具を、あの人に貸したいとは思わないもん」


「あの先生、道具を大事に扱ってくださらないんです」


「それに、話を聞いたら授業も想像ついたし。あれなら代用品でいいよね」


「兄様!」


 勢いよく近づかれ、ウィルは机へ手をついた。エレノアの両手が、彼の服を掴む。


「エ……エレノア?」


「兄様はいつだって全部分かったうえで、私を助けに来てくださるんですね」


「大好きです、ウィル兄様」


 真正面から言われて、返そうとした言葉が詰まった。


「か、家族を助けるのは、当たり前だよ」


 エレノアが唇を結んだ。服を掴む手は離れない。ウィルが次の言葉を探すより先に、彼女が顔を覗き込んだ。


「私たち、もう大人ですよ?」


「そうだけど。僕はエレノアの兄様だし」


「……わかりました、呼び方を替えればよろしいんですね?」


 問い返す声は、さっき先生に向けていたものより、ずっと柔らかい。


 ウィルは目を逸らした先に、空いた机を見つけた。


「そ、それより、用意しよう。瓶と、紙と、炭!」


「兄様。お話はまだ終わっていませんよ」


「明日の分でしょう? 早い方がいいよ。紙と炭は、ここにある?」


「ええ。それは用意できますけれど」


「じゃあ、僕は瓶を探してくる。集まったら、水を入れて試してみよう。あれだけ言って、明日うまくいかなかったら困るし」


 服からそっと手を外してもらい、戸口へ向かう。背中に、小さな「いくじなし」が飛んできた。


 聞こえなかったことにして振り返ると、エレノアは笑っていた。


「ありがとうございます。私も行きます」


 ウィルは頷き、彼女が並ぶのを待った。瓶を探すついでに、授業で何をしているのか聞いてみよう。先生に無理を言われた話ばかりではなく、子どもたちとどんな時間を過ごしたのかも聞きたかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。