002_最初の依頼
ギルドの入口で、ウィルは一度だけ足を止めた。これまでは遠巻きに眺めていたこの場所に、今日からは自らの脚で踏み込んでいく。今まで単に憧れの対象だったギルドの旗が、これからは別の意味を持つようになるのだ。そう考えると、改めて身の引き締まる思いがした。
そんな風に感慨に耽っている横を、プリシラが何の気なしに通り過ぎて遠慮なく扉を開け放つ。振り返ってウィルを見ると、一瞬だけ不思議そうな顔をして首を傾げるが、すぐに人懐こい笑顔に戻り手招きをした。ころころとよく変わる表情を見ると、声に出さなくても彼女の考えている事が伝わってくる。
『早くいこうよ♪』
彼女の抑えきれない気持ちに応える様に、頷いて扉をぬける。
二人の冒険が今、ここから始まるのだ。
プリシラについて入ると、木の床が奥へと続いていた。左右には長椅子が並び、その間に花を植えた鉢が置かれている。床に敷かれた赤い模様入りの敷物を目で辿ると、正面に横長の受付があった。台の上には書類と、小さな呼び鈴。インク壺からは青い羽根ペンが伸びていた。
受付の後ろには、本や書類の並ぶ棚が見える。ウィルは室内へ向けていた目を戻し、先に進むプリシラの隣へ並んだ。台の向こうにいた女性が、二人に気づいて顔を上げた。
「こんにちは。本日はクエストのご依頼でしょうか?」
ギルドで迎えてくれた女性の言葉に、ウィルは返事をしようとした。その横から、プリシラが手を上げる。
「おはよー、ノエルちゃん」
「あ、プリシラちゃん、おはよー」
受付の女性はプリシラを見ると、改まった口調を少し緩めた。それからウィルへ視線を戻す。
「あ~、ってことは、彼が昨日成人を迎えたっていうプリシラちゃんのお友達ね」
「うん! 今日から一緒に冒険する約束なんだ!」
自分が口を開く前に話が通じてしまって、ウィルは少し驚いた。プリシラと受付の女性は、もう気軽に挨拶を交わす仲なのだ。そのやり取りを見ていると、彼女が先に冒険者になっていたことを改めて感じる。
「冒険者登録をお願いします!」
「ふふふ、畏まりました。それでは、こちらが当ギルドの発行する冒険者カードになります」
ウィルは差し出されたカードを受け取った。
それから、顔を上げた。
「あれ? 書類とか手続きは……?」
「書類自体は代筆でも構わない物なので、昨日のうちにプリシラちゃんから頂いてます」
隣を見ると、プリシラが笑っていた。
「手続きとかカードを作るのにもちょっと時間がかかるから、あたしが全部やっといたよ!」
昨日のうちに。
ウィルが今日のことを楽しみにしていた間に、プリシラは今日すぐ出かけられるようにしてくれていたのだ。待っていてくれただけではなかった。
「本当はあまり良くないことなので、言いふらさないでくださいね?」
「わかりました。二人ともありがとう!」
カードを手にしたまま、ウィルは頭を下げた。時間がかかると思っていた登録が、もう済んでいる。自分が冒険者になったという実感は、少し遅れてついてきた。
「聞いていた通り、素直な良い方のようですね。安心しました」
「聞いていた?」
「えぇ。プリシラちゃんたら、最近はあなたの話ばっかりで……」
「にゃぁ~!?そ、そんなことより!」
プリシラが声を上げた。
「早く冒険に行こうよ! 最初のクエストはもう受けてあるから!」
書類だけでなく、依頼まで。プリシラは入口の方へ体を向けた。ウィルもつられて一歩引きかけ、受付に置いたままの手を戻した。どんな話をしていたのか聞いてみたかったが、入口から差す日差しへ目が向いてしまう。
「あら、ふふふ。本当はこの後、冒険者の仕組みを説明したりするんですけど、どうされます?」
ウィルは足を止めた。
「聞かせてください」
プリシラに準備してもらった分まで、何も知らずに出ていくわけにはいかない。カードを受け取ったばかりの自分に必要な話なら、今のうちに聞いておきたかった。
「それでは、説明させて頂きますね。まず、冒険者カードは大事に扱ってください。なくしても再発行はできますが、ペナルティが課せられます」
ウィルは手の中のカードを見た。名前を確かめるために顔へ近づけていたものを、今度は両手で持ち直す。
「なくすと、どうなるんですか?」
「既定の金額を、違約金として納めて頂きます。冒険者の証ですから、拾った人に悪用される恐れもありますからね」
ウィルは金額を聞いて思わず顔を上げた。これから依頼で稼いだお金も、落とし物一つで台無しになってしまうのだ。ノエルが話を続けている間に、ポーチを開けてカードを入れた。小瓶と一緒に取り出して落とさないよう、内ポケットに大切にしまい、ポーチを締めてなんとなく手をそえる。
このカードがあれば、全国のギルドで依頼を受けられるという。ただ、この村で受付をしているのは彼女だけなので、手続きに必要な時以外は見せなくていいそうだ。
「ここは大きな村でもないので、住民の皆さんはほとんど知り合いですから。本当は毎回提示するので、他の町のギルドではちゃんと提示して下さいね」
促す様にハイと返事をすると、ノエルさんは慣れた様子で説明を続ける。
「冒険者には、FからSまで七段階のランクがあります」
魔物を倒したり、依頼を果たしたりすると、ギルドの名義にポイントが溜まる。その累積が決められた数値に届くと、ランクが上がるという。上がれば、より難しく、報酬も良い仕事を受けられるようになる。
「今のFランクでは、主に近所の森で活動して頂く事になります。ランクに応じて、行ける場所も増えていきます」
「勝手に遠くへ行ったら、駄目なんですね」
「はい。無謀な冒険で怪我をされては困りますから、ギルドの規定としてはランクに応じた区域での活動をお願いしています」
「ちなみに、違反するとどうなるんですか?」
「ポイントがマイナスになったり、悪質と判断されると除名もありえます。勿論、その時々に応じて事情はお伺いしますよ」
もとより違反するつもりなどは無かったが、そういう事ならキチンとルールに従って、適正な場所で活動しようと心に留め置いておく。プリシラの選んだ依頼も、ちゃんと活動範囲内の森のものだった。ウィルは隣を見る。彼女は頷き、受付の台へ乗せていた手を引いた。早く出かけたそうな足が、まだここで待ってくれている。ウィルもノエルへ向き直った。
「村の住人から相談されて、依頼が発生することもあります。色々な人と交流するのも大事ですよ。それと、冒険者は基本的に、二人以上での活動が推奨されています」
プリシラがいるから、その点は大丈夫だ。そう思ったところで、受付の女性が理由を続けた。
「一人では、不意の事故に遭ったり、魔物に囲まれたりした時に、助けを呼びに行くこともできませんからね」
ウィルはプリシラに視線を移した。森で動けなくなったら、ここまで自分の足では戻れない。隣に立つプリシラの方へ肩が寄りかけ、慌ててまっすぐ立ち直った。
「義務ではありませんが、冒険に出る時はできるだけ、誰か他の冒険者を一人以上連れていってください」
「わかりました」
説明が終わると、女性は最後に名乗った。
「あ、最後になってしまいましたが、私はノエルと申します。以後よろしくお願いしますね」
プリシラが呼んでいたので一応覚えていたが、これからお世話になる人の名前だ、ちゃんと覚えておかなければ。
「色々ありがとうございました! ノエルさん、今後ともよろしくお願いします!」
「それじゃークエストにいってきます! ノエルちゃん、またね!」
「はい。お気をつけて、いってらっしゃい」
*
「今日のクエストは、ゴブリンの討伐だよ」
近所の森へ向かいながら、プリシラが依頼の内容を教えてくれた。
「ゴブリンを一匹でも倒せばいいから、簡単だね!」
ウィルは頷き、もらったナイフを確かめた。
手続きを済ませ、依頼の説明も聞いた。あとは実際に依頼を果たして、戻るだけだ。
家々を離れ、村の境界を表す申し訳程度の柵を越えると、道の両側に草が増えた。行く手に広がる木立を、ウィルは歩きながら眺めていた。幼少期から、大人に内緒で訪れた事は何度もある。
今日はその中へ、魔物を探しに入るのだ。
森の入口で、プリシラが歩みを緩めた。
「ここから少し入って行くと、その先はモンスターの縄張りだよ。見つけたら教えるね」
「うん」
木の影へ足を踏み入れる。日向にいた時より空気が冷たく、足元に積もった葉が踏むたびに鳴った。
幹の向こうで小さな鳥が飛び立った。ウィルはそちらを見る。だが、プリシラは進むのをやめなかった。森にいる生き物の全てが魔物ではない。魔石を持ち、人を襲うものが魔物だと、村で教わっている。
普通の獣と違って子を産んで増えるのではなく、魔物はダンジョンから生まれ出てくるという。鳥の飛び去った枝を見上げていたウィルは、葉を踏む足音に目を下ろした。プリシラが、足元に近い草の陰へ目を向けている。並んで歩いていたところから一歩引き、そちらを探した。
ウィルは幹の間へ目を凝らした。ゴブリンと聞けば、姿は思い浮かべられる。だが、実際にどこを見て探せばよいのかは分からない。背の低い草の陰を見て、少し先の木の根元へ視線を移す。何もいないと思っても、幹の向こう側までは見えていなかった。
先を歩くプリシラも、時々立ち止まった。耳が草の擦れる音の方へ向く。その横顔を見て、ウィルも口を閉じ、足音を小さくした。
しばらく進んだところで、右手の藪が揺れた。
プリシラが足を止める。もう一度、葉が鳴った。風で上の枝が揺れる音とは違い、地面に近いところを何かが動いている。
「プリシラ、あそこ……」
「うん、ゴブリンだよ。1匹だけで、他には居ないみたい」
指し示すより先に、低い影が藪から出てきた。ゴブリンだった。
こちらを見ると、相手も足を止めた。片手に棍棒を提げている。ウィルは腰からナイフを抜き、柄を握り直した。
「あたしがそっちに追い込むね。ウィルはそこで待ってて!」
返事をする間に、プリシラが横へ走った。ゴブリンもそちらを向く。振り回した棍棒の先を、彼女は身を引いてかわした。
そのまま回り込まれるのを嫌がったのか、ゴブリンが後ずさる。プリシラはすぐに間を詰めた。逃げる先に、ウィルがいる。
来る。
ウィルは足を開き、ゴブリンに向かってナイフを構えた。柄を握った指に汗が滲む。プリシラに背中を向けたゴブリンが、こちらへ駆けてくる。葉を蹴散らす足音が、まっすぐ近づいてくる。もう逃げ場はない。自分が止めればいい。
相手の口元が、にやりと歪んだ。
ウィルは地面を蹴った。順手にナイフを握り込んだまま、目の前のゴブリンへ突き出す。
届くはずだった。
けれど、刃先の向こうからゴブリンが消えた。ひらりと脇へ身をかわされ、ウィルの腕だけが空を突く。踏み出した足を止められない。
「ウィル!」
振り向こうとした瞬間、後頭部に激しい衝撃が走った。
目の前が白く弾けた。ナイフを握っていた指がほどけ、膝から力が抜ける。
地面に倒れるまでを、ウィルは覚えていなかった。




