001_冒険者になる朝
懐かしい夢を見ていた気がする。
目を覚ましたウィルは、しばらくその続きを思い出そうとしていた。けれど、何が懐かしかったのかさえ分からない。目を閉じ直してみても、夢は戻ってこなかった。
「……っと、感傷に浸ってる場合じゃないや」
起き上がると、あくびが出た。昨晩はなかなか寝つけなかったのだ。ようやく朝になったというのに、ここで二度寝をしてしまってはもったいない。
今日から、冒険者になれる。
誕生日を迎え、この村のギルドで登録できる年齢になった。昨日の成人式も終えた。あとは、ギルドにいって登録の手続きをするだけだ。
寝台から下ろした足を床につける。夜の冷たさがまだ残っていた。椅子に掛けておいた服を取り、袖へ腕を通す。昨日までは大人の指示に従うばかりだったが、今日からは、引き受けた仕事を自分の責任で果たしていくのだ。
いつも通り、ゆったり目に結びかけた服の紐を結ぶ手が止まった。子供の頃、村長の家の集会所で、皆と並んで天啓の儀を受けた時のことが浮かんだ。神に授けられた才能、スキルを確かめる儀式だ。小さな自分も、教わった通りに儀式をこなした。
頭の中に何か響きはしないかと待ったが、ウィルには何も聞こえなかった。プリシラも同じだった。子供の半分ほどは同じだったので、二人だけが取り残されたわけではない。それでも、魔力を測ると誰よりも優れた結果を出したエレノアが、羨ましかったことは覚えている。
これから魔物と戦うのに、自分にはそんな才能が一つもない。結びかけの紐を見下ろす。そこで、今日一緒に行くプリシラの顔が思い浮かんだ。彼女の方が先に成人したけれど、ギルドに登録だけしたまま、今日まで自分を待っていてくれた。
ウィルは紐を引き、ほどけないように結び直した。
ずっと、辛抱強く待っていてくれた彼女に報いるために、改めて入念に準備をする。冒険者として最初の依頼は、彼女と一緒に果たすのだ。恥ずかしいところは見せられない。
身支度をしながら、今日やることを順に思い浮かべる。まずは隣のおじさんとおばさんに挨拶。それからプリシラを誘って、二人でギルドへ。
そういえば、成人式のあと、村長にも話があると言われていた。そちらへ行くことも忘れないようにしなくては。
準備を終えると、ウィルは家を出た。
*
「おじさん、おはようございます!」
隣家に入り、顔を合わせるなり挨拶すると、シルトは笑った。
プリシラの父親で、ウィルが幼い頃から「おじさん」と呼んでいる人だ。
両親を亡くした直後のことは、記憶がぼんやりしていて抜け落ちている事も多い。
けれど物心を取り戻してからは、シルトたちには特に良くしてもらったのだと理解できた。
この人たちのお陰で自分はこの村の住人として受け入れられ、今日までなんとかやって来られたのだ。その日々と受けた恩は、決して忘れはしない。
今日は、そのおじさんに自分から働き始めるという報告ができる。
ウィルは万感の思いを胸に、シルトの前に立った。
「おぉウィル、おはよう。今日も元気そうだね」
「はい! おじさんのおかげで無事、成人を迎えることができました」
いつもの挨拶のあとに続けるには、少し改まった言葉だった。けれど、今日はきちんと伝えてから出かけたかった。
「今日から冒険者として働くつもりだから、お世話になったおじさんに報告しに来ました」
「そうかそうか、ウィルも立派な大人になったね」
そう言われると、自然に背筋が伸びた。シルトの方を見て、改めてお互いの目線の高さを意識する。昔からずっと見上げ続けていた顔が、今は自分の目線と同じ高さにある。
「色々と大変だと思うが、これからも何かあったら遠慮なく頼っておいで。ウィルも私達の大切な家族なんだからね」
ウィルは顔を上げた。働き始める報告をしに来た自分へ、おじさんはこれからも頼っていいと言ってくれる。
「ありがとう、おじさん。改めて、成人までお世話になりました! これからもよろしくお願いします!」
「うん、良い返事だ。これはおじさんから、成人と冒険者デビューのお祝いだよ」
差し出されたナイフを、ウィルは両手で受け取った。
「ありがとう、おじさん!」
「あまり高いものでなくて申し訳ないが、おじさん達はいつだってウィルを応援しているからね」
手元のナイフに目を落とす。鞘から少しだけ抜くと、窓からの光が刃に走った。握り直してみる。手に馴染む位置を探すうち、さっきまで借り物のようだった重さが、自分の持ち物の重さになった。
シルトの前でそっと鞘へ戻した。帰ってきたら、このナイフで何をしたかも話したい。
「絶対に立派な冒険者になるよ。大事に使わせてもらいます!」
「怪我にはくれぐれも気をつけてな。いっておいで」
頷いたところへ、シルトの妻、リリシラからも声がかかった。
プリシラの母親であり、ウィルにとっても、子供の頃から世話になってきた人だった。ナイフを見ていた顔を上げると、彼女はウィルの目元を覗きこんでくる。金色の美しい髪が揺れ、良い香りが鼻先をくすぐる。
年齢を感じさせない美しい顔立ちはシワ一つ無く、背筋を伸ばして大人らしく挨拶するつもりだったのに、美貌に押されてついついたじろいでしまう。
「おはようウィル。昨日はよく眠れた?」
「ぉ、おはようございます! 昨日の夜はワクワクして、ちょっと眠れなかったです」
「うふふ、やっぱりね。ちょっと寝不足っぽい目をしてた。でも、ずっと楽しみにしていたのだもの、仕方ないわよね」
ウィルは照れくさくなって笑った。自分ではいつもより元気なつもりだったのに、最初に聞かれるのがそれだった。
「寝不足で冒険は危ないわよ。怪我しないようにしてほしいけど、いざっていう時のために、これを渡しておくわね」
用意されていたのは、三つのポーションだった。小瓶の丸みを片手では支えきれず、ウィルはナイフを腰へ収めてから、両手で受け取った。瓶同士が軽く触れ合う。森で使うことになっても割らないよう、栓の向きを揃えた。
お礼を言おうとしたウィルへ、リリシラはさらにガードストーンを差し出した。
「それと、これは成人のお祝いと、大事な家族の無事を祈って、お守りの代わりね」
「えぇ! こんなに沢山!? しかも、こんな高価な物まで、受け取れないよ!」
ナイフをもらったばかりなのだ。その上、身を守るお守りまで。魔道具も、それを動かす魔石も、欲しいと思ってすぐ買える物ではない。ガードストーンも、自分がこれから稼いだ金で買うとしたら、いったいいつになるだろう。差し出された手を前にして、ウィルは小瓶を抱えたまま動けなかった。
「命はお金じゃ買えないのよ?」
ウィルは口を閉じた。
「私達にはこんな事しかできないから、受け取ってほしいな」
いざという時。その言葉を聞き流す事はできなかった。
リリシラの差し出したものへ手を伸ばす。
「……うん。ありがとう、リリおばさん!」
「……ちょっとウィル、いまなんて言ったのかしら?」
受け取ったばかりの手が止まった。
「よく聞こえなかったわ」
「あわわわ、なんでもないです! ありがとうございます! リリシラさん!」
「はい、よろしい」
慌てて言い直すと、リリシラは満足そうに頷いた。
「それじゃ元気で、いってらっしゃい」
「はい! いってきます!」
*
「おはよーウィル! 今日からやっと一緒に冒険できるね♪」
部屋で待っていたプリシラも、ウィルを見つけると明るい声を上げた。
好奇心旺盛で、昔から笑顔の絶えないプリシラだが、今朝はひときわ眩しかった。エメラルドの緑を湛えた瞳まで嬉しそうに輝いて、まるでお日様が降りてきたようだ。動きやすい長さに整えた白金の髪の上で、猫耳がぴこぴこと揺れる。リリシラの金とシルトの銀が混ざった毛並みには、淡い金色の艶があった。幼い頃から見慣れたはずなのに、ふと見とれてしまうことがある。そのことは、今も彼女には秘密にしていた。
跳ねるような足取りで準備をするたび、尻尾が機嫌よく揺れ、短い髪が頬をかすめた。以前より豊かになった胸元や、張りのある腰から伸びるしなやかな脚に、ウィルの目はつい引かれてしまう。子供の頃と同じつもりで見ていられなくなったことに、最近は少し困っていた。
体に沿う濃紺の服は、丈夫な革で作られていた。白く膨らんだ袖を合わせ、腰には幅広の茶色い帯を巻いている。肩や脇腹、太腿には肌がのぞく。獣人であるプリシラは生身でも頑丈で、体を覆いすぎて感覚を妨げられるのを嫌っていた。理屈はウィルにも分かるのだが、目のやり場には少々困ってしまう。
それでもプリシラは、一緒に本を読んでいた頃と変わらず、気軽に隣へ寄ってくる。歳を重ねるたびに戸惑いは増えたが、その距離を変えたいとは思わなかった。
準備をするプリシラの両手には、拳の先に棘のついた格闘用のグローブ、セスタスが着けられていた。彼女は拳と蹴りで戦う拳闘士だ。素早い身のこなしで相手の攻撃をかわし、懐へ踏み込んで次々と打ち込むのが、彼女の戦い方だった。
その彼女と、今日からは物語の冒険譚ではなく、実際に冒険に繰り出す。
「ずっと一緒」と言ってくれた約束の続きを、自分もようやく始められると思うと感慨深かった。
「おはよー、プリシラ。ごめんね、一年近くも待たせちゃった」
「ううん、冒険者登録は成人じゃないとできないんだもん。決まりごとは仕方がないよ!」
プリシラは、もう登録を済ませている。ウィルが今日ようやく立てる場所に、先に立っていたのだ。
「一緒に一流の冒険者になる約束だもん! ね♪」
「うん」
「それに、下調べでちょっとだけ活動してみたけど、一人じゃあんまり楽しくなかったよ……」
少し声を落としてから、プリシラはウィルの顔を見た。
「やっぱりウィルが一緒じゃないとね♪」
こちらを見る彼女の耳が、声に合わせて動いた。ウィルも口元が緩む。待たせたことをもう一度謝ろうとしていたが、代わりに、出発の挨拶をしたくなった。
「ありがとう、プリシラ。やっとスタートラインだね。これからも一緒に頑張ろう!」
「うん! ところで、ママたちにはもう挨拶した?」
「うん。お祝いも、こんなにもらっちゃった」
ウィルが贈り物を示すと、プリシラは笑顔でウンウンと頷いた。
「よーし、それじゃいよいよあたし達の冒険のはじまりだね! さっそく冒険者ギルドに登録にいこう!」
ウィルも頷き、出かけようとした。その前に、プリシラが付け加える。
「あ、武器や防具はちゃんと装備してね?」
「うん、分かってる」
言いながらも、ウィルは一度手元を確かめた。もらったことに気を取られて、大事に持っているだけではいけない。
支度を確かめた二人は、今度こそ家を出た。
隣を歩くプリシラに歩調を合わせる。牧場の柵の向こうで、豚が鼻を地面へ押しつけていた。家々の間を抜けてくる風に、海の匂いが混じる。畑にはもう人の姿があった。こちらに気づいて上がる手へ、ウィルも手を振り返した。
幼い頃から暮らしてきたここでは、挨拶する相手に事欠かない。けれど北東へ目を向けると、家も畑も途切れた先に山が見える。その向こうは、強い魔物が棲み、人の住めない未踏領域だった。
「最初は近所の森だよね」
「うん。まずはそこから!」
プリシラが先の道を指した。ウィルは頷き、腰のナイフへ手を添える。今朝の自分が歩いていく先は、地図で眺めた遠い町ではなく、村のすぐ外だ。
王都エシュリアへは馬車で一か月半ほど。いちばん近い城塞都市グランヴェルへさえ、一か月弱はかかると聞いている。時々来る行商人や運送屋が通らなければ、村の外の話を聞く機会も少ない。いつか自分たちも、そんな長い道を行くのだろうか。
道のくぼみをまたぐと、小瓶が腰のポーチの中で鳴った。ウィルは足を止め、ぶつかり合わないように収め直す。振り返ったプリシラへ、すぐ行くと手を上げた。ポーチのフタを閉じて追いつくと、彼女は今度も隣を歩いた。




