035_僕の姉に何か
ノンナに花を渡してギルドに向かう途中、村の道でネージュを見かけた時、ウィルは手を上げかけた。
昨日のことや、お礼を渡して喜んでもらえたことを、ネージュにも話したかった。
ネージュの前に男が立っていた。話し相手がいるのなら、挨拶だけにしようと思った。だが、ネージュが横へ動くと、相手の男も同じ方へ身を寄せた。
ウィルは上げかけた手を止めた。二人で道を譲り合っているのかと思ったのは、ほんの束の間だった。ネージュの足先は男の向こうへ向いている。男の方は、彼女の顔を覗くように身を屈めていた。
「お断りします。どいてください」
聞こえた声は静かだった。口元には微笑みがあったが、目の前の男に向けたまま、少しも変わらない。
「いいじゃねえか。こんな辺鄙な村で、寂しい思いをしてるんだろう? 俺が慰めてやるからよぉ」
男が顔を動かした。逆立った短い緑の髪が見えた。
昨日の男だ。
ウィルの手が下がった。訓練場で受けた一撃の重さが、腕に戻った気がした。けれど、ネージュはまだ道を塞がれている。
ウィルは足を速めた。呼びかければ、男はこちらを見る。昨日の顔だと気づけば、何を言われるかも分からない。けれどネージュは、もう断っている。
道の空いている方から近づき、男の腕が届かないだけの間を残して、二人の間へ声を入れた。
「すみません。僕の姉に、何か御用でしょうか?」
「ああ? てめえ、昨日のガキ……」
「御用がないなら、失礼します」
ネージュへ顔を向け、道の先を示した。彼女が頷いて歩き出そうとしたところへ、男がまた動く。
「おうおう、待て待て。お姉ちゃんは大人の御用の真っ最中だ。小僧はお呼びじゃあないぜ?」
「姉はギルドで大事な会議に呼ばれているんです。邪魔をされると、ギルドの評価も下がりますよ?」
冒険者なら、ギルドの名には逆らいにくいはずだ。そう思って口をついた言葉に、男の顔が険しくなった。
「おい、小僧。生意気を言うんじゃないぜ? ギルドで会議? 何の会議か言ってみろ、オラ!」
中身を問われれば、作り話は続かない。ウィルは話の向きを変えた。
「姉の格好を見て、職業も分からない? あなた、冒険者じゃないんですか?」
男が黙った。
青い長衣の上に羽織った金の縁取りの白いケープ、見慣れた装いだ。治療院で人を診る側だと、冒険者なら分かるはずだった。昨日、訓練場で「治療院送り」と言って刃を振り上げた男が、その治療院の人を道で塞いでいる。
背後で、ネージュの衣擦れがした。ウィルの横まで来ている。振り返って確かめたいが、目を外すのが怖かった。男の肩が動くたびに、次は腕が出るのではないかと思う。
ウィルは足を引かなかった。ここを空ければ、またネージュが正面に立つことになる。
ウィルはその顔を見返した。昨夜、酒場の前で隊長に言われたことが頭にある。男の腰にも刃はあるが、まだ抜かれてはいない。ウィルもナイフには触れなかった。
「あまり冒険者を舐めるなよ? 何も知らない小僧が、怪我したくなければ消え失せろ」
抜刀禁止の決まりなど知らない、と昨日この男は言った。教官からは、冒険者規範を読み直せと言われていた。
「僕も冒険者なんですけどね。規定では、冒険者同士の私闘はご法度。やるとなれば、支部長と教官殿に事情を説明しなければいけなくなりますね」
「ウィルくん?」
横から声がした。
男の目がそちらへ走った。教官がこちらを見て、足を止めている。昨日、訓練場で男の刃を引かせたのも、この人だった。ウィルは男から離れすぎないまま、顔を向けた。
「あ、教官殿」
「何か困り事かな?」
男は答えなかった。教官とウィルを見比べ、舌打ちする。
「チッ!」
肩がぶつかりそうな近さを通り、去っていった。
足音が遠ざかる。ウィルは、止めていた息をようやく吐いた。ナイフは鞘に入ったままだった。昨日に続いて今日も教官殿に助けられた。ネージュの前でコレを抜く様な事にならなくて、心底安堵した。
男が戻ってこないか、角を曲がるまで目で追った。そこでネージュに呼ばれ、初めて振り向く。すぐ隣にいるのに、その顔を確かめるのが遅くなってしまった。
「大丈夫かい?」
「はい。助かりました」
「遠目に絡まれているのが見えたのでね。おそらく流れの冒険者だろうが……」
教官がネージュへ向き直った。
「恥ずべきことだが、冒険者には稀に、ああいった手合いも存在します。ギルドを代表してお詫び申し上げる」
ギルドの評価が下がる、とさっきウィルは口から出まかせに言った。その評価を、教官は本当に背負って頭を下げている。
「いえ。大きな組織ですもの、一括りに考えたりいたしませんわ。お気になさらないでくださいませ」
「ご理解、痛み入ります。何せ、我が村の治癒師殿は、貴族のご婦人と見紛う美しさですからな。望まぬ厄介事も増えましょう」
先ほどまで強張っていた空気の中へ、教官のよく通る声が戻ってきた。
「何か困り事があれば、遠慮なく頼ってくだされ! はーっはっはっはっは!」
「頼りにさせていただきますわ」
「どうぞ気兼ねなく。では、私はこれで」
ウィルも頭を下げて見送った。教官の姿が離れてから、隣へ向き直る。
「はあ……ねーね、大丈夫だった?」
「私は大丈夫よ。ありがとう、ウィル。あんまりしつこいから、どうしようかと思っていたの。ウィルが来てくれてよかったわ」
「あの人、昨日も訓練場で騒動を起こした人なんだ。教官殿がきてくれてよかったよ」
ネージュの微笑みが、今度は動いた。こちらを見る目が細まり、ウィルもようやく肩の力を抜く。
「ウィルが割って入ってくれた時、とっても逞しくて、ねーねびっくりしちゃった」
「あはは……でも、実はまだ足が震えてる」
止まっているつもりの膝が、頼りなかった。少し位置を変えようとすると、靴の底が地面に引っかかる。さっきはあれだけ口が回ったのに、今になって何を言われたのか、一つずつ思い出していた。
顔だけで笑ってみせると、ネージュがこちらへ手を伸ばした。
「まあ、ふふふ。ウィル、おいで?」
ウィルは動けずにいた。道の上だ。ネージュは少し待ったが、やがて自分から近づき、その腕でウィルを包んだ。
「こんなに震えて……」
「格好悪いなあ」
「そんなことない。とっても格好よかったわ」
近くで言われると、うまく返事ができなかった。背中に添えられた手は温かい。さっきまでの震えとは別に、胸の辺りが落ち着かなくなってくる。
「ねーね、恥ずかしいよ……」
「知らないわ。何も恥ずかしいことなんてしていないもの」
「で、でも、僕ももう大人だよ。別の意味でドキドキしちゃうよ……」
言ってから口を閉じた。ネージュが顔を覗き込んでくる。
「ふふふ。ウィルもお年頃ね♥」
「仕方ないじゃないか。ねーねは綺麗だし、とってもいい匂いがするんだ。それに……」
最後まで言う前に、ネージュが少し身を離した。
「……エッチ♥」
「そ、そんなのずるいよ……」
「冗談よ。助けに来てくれて、本当にありがとう」
「う、うん」
離れたところへ風が通り、ウィルは息を整えた。まだ顔が熱い。けれど、立っていられないような膝の頼りなさは、もう薄れていた。
「そうだ。念のため、ギルドに報告に行こう?」
ネージュが頷くのを見て、ウィルは続けた。
「教官殿の言う通り、最近来たばかりの流れの冒険者だと思うけど、何かあると怖いしね」
昨日、訓練場で騒ぎを起こしたのと同じ男だということも、合わせて話しておきたかった。一回きりなら行き違いでも、二日連続となれば、要注意人物として報告したほうが良いだろう。
「うん、そうね。エスコートはお願いね」
ネージュの声が、少し弾んでいた。
「任せて」
ウィルはネージュと並んで歩き出した。今度は道を塞ぐ者はいなかった。
歩き始めてすぐ、隣からこちらを見られた。膝はまだ少し頼りなかったが、立ち止まるほどではない。ウィルが頷くと、ネージュも前を向いた。
「そうだ。あのね、ねーね」
「なあに?」
「僕、男友達ができたんだ」
「まぁ。それは良かったわね。 その方たちも冒険者?」
「うん。」
最初に話したかったことを、ようやく口にできた。ギルドまでの道すがら、昨日の出来事をネージュに話す。件の流れ者と、絡まれた二人と友達になったこと。村長の家で食事をごちそうになり、ノンナにお礼を渡してきた所だったこと。
「花を摘んできて、お礼をしたんだ。昨日、ご飯をごちそうになったから」
「まあ。喜んでくださった?」
「うん。ちょっと子供っぽいかなとも思ったけど、大げさにしても変かなって」
花を摘みながら、今朝の夢を思い出していた。小さな自分が、ネージュに好きな花を渡していた夢だ。そのことは、まだ話さずにおいた。
ネージュが微笑む。話しているうちに、少し緊張感の残っていた表情も和らいでいた。ウィルが身振り手振りを交えてノンナの様子を話すと、楽しそうにふふふと笑ってくれた。
ギルドへ着くまでは、こんな話をしていよう。ウィルは彼女の歩幅に合わせ、昨日の夕食のことから話し始めた。
*
流れの冒険者は、物陰から二人の背中を見ていた。
教官の姿はもうない。女は少年の隣を歩いている。
男はしばらく動かなかった。
「……」
二人が遠ざかっても、その目はまだ同じ方へ向いていた。




