027_薪の礼
夕方、おじいさんは炉の前へ膝をついた。そばに立てていた杖を、手の届く所へ倒しておく。
薪を一本、火の中へ入れた。昨日、ウィルが持ってきてくれた分だ。乾いた木の端を小さな炎が舐め、少しして、皮の隙間へ滑り込んでいく。腰を捻らずに立ち上がると、昨日までのように、椅子へ倒れ込まなくて済んだ。
ネージュには無理をしないように言われている。おじいさんは残りの薪へ手を伸ばしかけ、やめた。大きな束は隅に置いたまま、当分使う分だけを炉のそばへ寄せてある。
湯が沸くのを待つ間、おじいさんは戸を開けた。夕方の道には、仕事を終えて家へ向かう人たちがいる。その中にウィルを見つけ、声を掛けた。
「おぉ~い、ウィル。ちょいと寄っていかんか」
*
呼ばれて振り向くと、老人が戸口から手を上げていた。ウィルは道を渡り、そばへ行く。
「こんばんは、腰は大丈夫ですか?」
「昨日よりは、ず~っとな。ネージュさんのおかげじゃ」
「無理しないでって、言われてましたからね。何かお手伝いする事があれば言ってくださいね」
「分かっとるよ。今日は頼み事で声をかけた訳じゃないわい」
笑って中へ招かれた。炉のそばには椅子が寄せてあり、鍋から湯気が立っている。ウィルが腰を下ろすと、老人は卓の上の器へ茶を注いでくれた。昨日の頼み事が済んでも、こうして招いてくれる。ウィルは礼を言い、器を受け取った。
「これ、おぬしの薪で沸かした湯じゃよ」
ウィルは炉を見た。運んだ時には何本も重なって積み上がっていた。それが今は少し減って、炉の中で端から火へ変わっている。赤くなった木が、小さな音を立てて裂けた。
「ちゃんと使ってくれてるんですね」
「わざわざ持ってきてくれたのに、飾っておいても仕方あるまい」
茶を口へ近づけると、葉の匂いの後から温かさが来た。ここまで歩いてきた喉へ、ゆっくり落ちていく。この茶を淹れる湯も、自分が運んだ薪で沸かしたのだ。納めて終わりのつもりだった仕事の続きを、こうして味わえるとは思わなかった。
老人は椅子へ深く座り、両脚を少し伸ばす。背を反らせかけて、すぐにやめた。
「薪を使うたびに腰を痛めておっては、冬までもたんのぅ」
「まだ春先ですよ」
「春のうちにこうしておけば、冬に慌てずに済むわい。寒うなってからでは、濡れた木も乾きにくかろう」
ウィルは空いた手を膝へ置いた。昨日は、頼まれた数を届けられるかばかり気にしていた。老人には、寒くなる前に薪を揃えたいという理由があったのだ。冬にここへ来たら、またこの炉で温まらせてもらえるだろうか。その頃には、自分ももっと遠くまで仕事に行けるようになっていたい。
「そうじゃ。今日もギルドへ行ってきたのか?」
「はい。Eランクになったんです」
「ほぉ。もう一つ上がったか」
腰のポーチからカードを出して見せた。老人は、顔の前まで持ち上げるように手で示す。ウィルが近づけると、老人は目を細め、カードの字を追った。
「この前まで、冒険者になりたいと言うておったのにな」
「まだ、始めたばかりですよ。教官も、半人前の僕に合わせて訓練メニューを考えてくれてますし」
今朝の訓練場を思い出す。木短剣を届かせた時には、嬉しくてたまらなかった。だが、教官にはまだ余裕があった。試験に受かったといっても、教官の背中はまだまだ遠い。
カードをしまう間、炉からまた音がした。老人が、火を見るように顔を向ける。
「近所の森は弱い魔物ばかりだと思われておるが、極稀にそこいらの魔物とは比較にならない強力な木のモンスターや魔獣がでる事もあるんじゃ」
ウィルの手がポーチのフタで止まった。ノームのような相手だけを考えていたが、同じ森に、それほど強い魔物が現れることもあるのだ。
「この辺りにも、ですか?」
「ワシの曾祖父さんが実際に出くわしたと言っておった。冒険者を続けるならおぬしも気をつけるんじゃぞ」
老人の目は、火からウィルへ戻っていた。茶を飲む時のようには、笑っていない。
同じ道を歩くことに慣れると、曲がり角の先を見ずに足を出す。森でも、見知った場所だと思った途端、草の動きや枝の折れる音を聞き流してはいないだろうか。ウィルは、ポーチのフタを閉じてから頷いた。
「気をつけます。仲間を危険に晒すわけに行きませんからね」
「うむ。よいよい」
短く答え、老人は茶へ手を伸ばした。飲み干しかけたウィルの器へ、もう少し注ぐ。ウィルも口をつけると、さっきより飲みやすい温かさになっていた。
外から、挨拶する声が聞こえた。戸は少し開いたままだ。ウィルが振り向くと、昨日薬草を届けた青年が顔を覗かせていた。
「あれ、ウィルもいるんだ。いい匂いがすると思ったら」
「茶じゃ。飲むかね?」
青年は持っていた包みを戸口の横へ置き、空いている椅子へ腰を下ろした。ウィルは、昨日届けた分のことを尋ねた。
「昨日の薬草、使えましたか?」
青年は頷いた。
「うん。助かったよ。一人で集めるのは時間がかかるし、近所とはいえやっぱり危ないからね」
ウィルは、腰を曲げて葉を選んだ時を思い出した。自分が代わりに集めれば、青年はその時間を別の用事に使える。頼まれた数に気を取られていたが、受け取る人にはそれが助けになるのだ。
老人がEランクの話をすると、青年はウィルへ顔を向けた。
「今度は、どこへ行くの?」
「明日は山の麓へ。プリシラとエレノアも、一緒に」
「そうか。同じ森だけじゃなくなるんだね」
青年は茶を受け取り、一度匂いを嗅いでから口へ運んだ。
「でも、何度も同じ場所を探索する事で、探し方のコツを掴めたりもするらしいよ?」
「何度も?」
ウィルは聞き返した。木の生え方や川へ下りる場所なら、行き帰りするうちに少しずつ分かってくる。ただ、それだけで、まだ見つけていない物が見えるようになるのだろうか。
「どれくらい探索すれば身につくのかは知らないよ。なにせ単なる噂だし」
先にそう言われてしまい、ウィルは笑った。青年も肩を上げて、茶を飲む。
「でも、草を探して歩いてると、帰り道になってから見つけることはあるよ。同じ所を通ったはずなのにね」
「なるほど。僕も、見落としてるかもしれないな」
帰り道の薬草を思い浮かべて、ウィルは茶を飲んだ。足元ばかりを見て、老人の話にあった魔物に気づかないのも困る。明日、二人にも聞かせておこう。
戸口へまた影が差した。昨日、空き瓶を渡した娘が、籠を腕へ掛けて立っている。
「あら、なんだか珍しい組み合わせね。男ばっかりでお茶会?」
娘は卓を囲んだ三人を見て笑い、中へ入ってきた。ウィルが空いている椅子を引くと、その席に座り、卓へ籠を置いた。瓶を覆っていた布を持ち上げる。
「昨日の空き瓶、足りましたか?」
「ええ。あれだけあると、しばらく助かるわ」
籠には、薬を入れた瓶が並んでいた。昨日工房で用意した空き瓶も、こんなふうに薬を入れ、必要とする人へ届けられるのだろう。自分は届けて帰っただけだが、受け取った娘は、次の支度を進めていた。
「今日は、何をしてたの?」
老人が娘の茶も用意している間に、ウィルは試験のことを話した。教官の木剣を避け、一度だけ木短剣を届かせたこと。三日前よりよくなったと、言ってもらえたこと。話すうちに、試験の時とは別の嬉しさが込み上げた。教わったばかりの動きが、もう次の場所で役に立ったのだ。
「楽しそうでいいな~。私も冒険者登録してみようかしら?」
「試験は、楽しいだけじゃなかったよ」
「知ってるわ。今、聞いたもの」
娘が笑う。ウィルも笑ってから、試験が終わった時のことを話した。立ったまま教官の声を聞けたこと。ギルドで、今までとは違う依頼を受けられたこと。
「出来ることが増えたのは、嬉しかったな」
「うん。それは、楽しそう」
娘は受け取った茶を飲みながら、次はどんな仕事をするのか尋ねた。ウィルは明日の山の話をした。青年も、さっきより詳しく聞きたそうに椅子を寄せる。遠くへ行くなら気をつけろと、老人はもう一度念を押した。
戸の向こうの道が、少し暗くなった。娘が先に籠を持ち上げ、青年も包みを取りに立つ。ウィルは飲み終えた器を、鍋のそばへ戻した。
「ごちそうさまでした」
「また寄ればよい。お前さんが薪を持ってきてくれる間は、湯も沸かせるわい」
老人の声に、ウィルは炉を振り返った。木の形は半分ほど崩れ、赤い炭の上に、さっきより薄い炎が揺れている。
声をかけてもらえてよかった。ここへ寄っていなければ、届けた薬草や瓶が役に立ったか、ずっと聞かずにいたかもしれない。茶を飲ませてもらい、昇格を喜んでもらった。遠くで仕事が出来るようになっても、村へ帰った時には、また顔を見せに来ようと思った。
戸を出ると、春の空気が頬に涼しかった。青年と娘へ挨拶をして、ウィルは家への道を選ぶ。茶を飲んで温まった体は、まだ軽かった。ウィルは明日の山道を思い浮かべながら歩いた。
*
三人を見送った後、おじいさんは戸を閉めた。
椅子を一つずつ戻す。最後の椅子は、腰を曲げずに背を引いて寄せた。誰も座っていないのに、茶の匂いと笑う声が、まだ部屋へ残っているようだった。
薪の山へ目をやる。時期を見越して何の気なしに頼んだが、今日は人を招く湯になった。
おじいさんは杖を取り、炉の前の椅子へ座った。残った湯を自分の器へ注ぐ。戸の向こうへ遠ざかった少年の話を、また聞けると良いなと思った。
炉の奥で、木がひとつ、柔らかな音を立てて崩れた。




