025_一人で立つ訓練場
翌朝、訓練場の入口で、ウィルはまた腰の鞘を押さえた。
昨夜、汚れを拭き取ってから収めたナイフだ。今朝も確かめた。それでも、手を離すとまた触りたくなる。隣のプリシラがこちらを見ていたので、ウィルは先に笑った。
「ちゃんとあるよ」
「知ってる。さっきから触ってるもん」
二人で笑い、入口をくぐった。赤い鎧に白い外套の教官が、ウィルの顔を見るなり笑った。
「やぁウィルくん。聞いたよ、昇格試験を受けにきたんだな!」
「はい。僕とプリシラ、二人ともお願いします」
「では、まずは君からだ。プリシラくんは、次に受けてもらおう」
「ちなみに、試験は一人ずつだ。プリシラくんも、手を貸してはいけないよ」
「分かってま~す!」
ウィルは空いている地面へ目を向けた。見慣れた場所なのに、今日は広く感じる。プリシラは柵の外で止まり、こちらへ手を振った。
「なぁに、実力を見せてもらうための試験だ。私は本気で打ち込むわけではないが、君には全力で挑んでもらうよ」
教官が柵の外へ目を向けた。プリシラは振っていた手を下ろし、その場に残った。
「準備ができたら声を掛けてくれたまえ。では、君の挑戦をまっているよ!」
教官は柵の内側の武器掛けへ向かった。長さの違う木剣が何本も並んでいる。その中から一本を取り、短い物の並んだ方をウィルへ示した。
「君は普段、ナイフを使っていたな。使い慣れた長さに近い物が良いと思うが、好きなモノを選びたまえ」
ウィルは木の短剣を一本取り、握ってみた。いつものナイフとは重さが違う。柄が掌に収まることを確かめ、使う一本を決めた。腰のナイフとポーチを外し、柵の外で待つプリシラに預けた。
教官は長い木剣を手に、中央へ進んだ。ウィルも木短剣を下げ、後に続いた。
土には、何人もの靴が同じところを踏んだ跡があった。普段の稽古でも、ここで何度も構えた。試験になったからといって足の置き場が変わるわけではない。ウィルは靴の裏を擦り、踏ん張った時の感触を確かめた。
教官が振り向く。広い肩が正面を向くと、後ろの景色が隠れた。長い木剣を持つ相手へ、こちらの木短剣が届くところまで近づかなければならない。隊長との稽古でも苦労した距離だった。
構える前に、プリシラを見た。彼女は胸の前で両手の拳を握ってみせた。
ウィルも頷く。
「準備はいいかね」
「はい!」
「もちろん君には全力をみせてもらうよ? 本気でかかって来たまえ!」
木剣の先が上がった。ウィルは木短剣を構える。先端だけを見つめず、教官の全身を視野に入れた。肩も、腕も、地面を踏む足も見える。副長との稽古では、相手の前から離れようとするたびに、視線まで逸らしてしまっていた。今は教官を見たまま、足を動かせる。
教官が一歩近づいた。長い木剣が、肩の高さから振り下ろされる。
ウィルは脇へ身をかわした。剣が通ったところを見ようとはせず、教官へ目を向けたまま距離を取る。避けて終わりではない。隊長との稽古では、こちらが安心したところへ次を打ってきた。
案の定、木剣が戻り、今度は横から来た。
ウィルは下がりながら木短剣を合わせた。教官の木剣を何とか受けて、木剣同士が打ち合う乾いた音が鳴る。腕で押し返そうとはせず、もう一歩下がった。教官の剣が体の前を通り過ぎる。
まだ、当たっていない。
息を止めていたことに気づき、吐き出した。円の中から出られなかった稽古とは違い、今日は後ろへ動く余地がある。けれど、いつまでも退いていては自分の短剣も届かない。ウィルは柵までの距離を確かめ、教官へ向き直った。
教官はすぐに追ってきた。木剣を上げる腕が見える。ウィルが横へ動くと、相手も向きを変えた。ゴブリンのように、空いた場所へそのまま打ち込んではくれない。
足を止めず、振り下ろされる剣を避けた。近づけそうだと思って木短剣を伸ばす。しかし、教官はすでに次を打てるところへ剣を戻していた。ウィルは踏み込むのをやめ、短剣を引いた。
届かなかったが、打たれもしなかった。以前なら、届くと思うと釣られて、体ごと突っ込んでいた。何度も隊長の鞘に叩かれたお陰で、”誘われている”というのが少しずつだけど判るようになってきた。
「ほう、ここ数日でめきめきと成長しているな! たった三日前とも見違える、いい動きだ」
教官が笑った。
「今のに飛びつかなかったのは良いぞ! 今日は次の一撃まで、よく見ている」
試験の前にも、教官にはここで動きを見てもらっていた。冒険から戻って少しだけ寄った日も、うまくできずに同じ動きを繰り返した日もあった。自分では間違えるたびにやり直しているつもりだった。その積み重ねを、この人は覚えていてくれたのだ。
「隊長殿に、教えていただきました」
「セレジア殿か。なるほど、よく身についている。では、後は私に一撃を入れるだけだな!それができれば、文句なしに合格だ!」
「はい!」
柵の向こうで、プリシラが心配そうな顔で両手を握り締めていた。ウィルが目を向けると、彼女も頷く。すぐに教官へ目を戻した。
今の動きを、もう一度。木剣が来るたびに慌てて退くのではなく、避けた後にどこへ動くかまで見る。
教官が間合いを詰めた。ウィルは一歩下がり、相手を追わせた。教官が剣を振り始めるのを見て、脇へ足を運ぶ。これは…概ね先ほどと同じ動きだ。後ろへ離れるばかりでは届かない。避けた後、踏み込めるところを探した。
木剣が横へ走った。ウィルは体を低くしてかわし、そのまま前へ出た。剣の長さを見ているだけなら、入れなかったところだ。今は、その剣を振った教官の腕と、次を打つために戻さなければならない手元が見えていた。
躱す動作を主体に木短剣を突き出し、すれ違いざまに教官の腹を撫で切る。
先端が赤い鎧の腹へ当たり、コンッ、と音がした。握った柄にも手応えが返る。教官の体は揺らがず、鎧にも傷はつかない。それでも、確かに届いた。
教官が空いている手を上げた。
「よし、ここまでだ。君の実力は十分に見せてもらったよ」
ウィルは止まった。
息をする音ばかりが耳についた。教官が手を上げている。木短剣を引き、二歩下がった。もう打ち返されない。試験が終わったのだと実感した。
教官が笑った。
「この実力ならば申し分ない、おめでとう、昇格試験は合格だ!」
「……合格?」
「後は受付に報告すれば君は晴れてEランクの冒険者だ! 今後も冒険者として、世界の平和に貢献してくれたまえ! はーっはっはっはっは!」
ウィルは柵へ顔を向けた。
「やったよ!」
「見てた! ちゃんと見てたよ!」
プリシラの尻尾が大きく揺れていた。ウィルも笑い、もう一度教官へ向き直る。
「教官殿! ありがとうございました!」
教官が大きく頷いた。それを見て、膝から力が抜けた。ウィルは慌てて踏ん張り、木短剣を下げる。もう避けなくていい。そう思っても、握っていた指にはまだ力がこもっていた。
武器掛けへ戻しに行くと、教官が木短剣を受け取ってくれた。柄を離して初めて、自分の手のひらが汗で濡れていることに気づいた。
教官は、まだ息も乱していなかった。
「教官殿。最後の動きは……」
「おっと、手加減ではないぞ?これは試験だからね。 私は君に課題を与え、君は気づき、そして実行する事ができた。だから、合格だ」
言いながら教官はニカッと笑う。
無骨だが、眩しいくらいの素敵な笑顔だった。
「……ありがとうございました!」
人は感情が溢れると、こうも言葉が出てこないものかと思う。ウィルは感謝の気持ちで言葉をつまらせながら、深々と頭を下げた。
ポーチを置いた柵へ戻ろうとして、ウィルは途中で屈んだ。足に力を入れ直すだけのつもりだったが、息がなかなか収まらない。プリシラが駆け寄り、そばへしゃがんだ。
「立てる?」
「うん。ちょっと待って」
差し出しかけた彼女の手が止まる。ウィルは膝へ手をつき、呼吸に合わせてゆっくり体を起こした。今度は立っていられた。
「……受かったんだよね」
「受かったよ!」
教官から合格だと聞いた。それでも、まだ信じきれずに尋ねた自分へ、プリシラは嬉しそうに答えてくれた。ウィルは笑い、預けていたナイフとポーチを受け取って腰へ戻した。
「次はプリシラだね。僕、ここで見てるから」
「うん! 待っててね!」
今度はウィルが柵の外へ下がり、プリシラを送り出した。自分は合格したのに、彼女の試験が終わるまでは落ち着けそうになかった。
プリシラが教官の前で拳を上げた。鎧を着た教官に比べると、革の服から腕や脚を出している彼女は、ずいぶん身軽に見える。剣を持たずにあの相手へ近づくのかと思うと、ウィルまで肩に力が入った。
教官が構え、開始を告げた。
先に間合いを詰めたのはプリシラだった。教官が木剣を振り下ろす。彼女は脇へ跳んで避け、足が地面につくなり、ガラ空きの脇腹へ右の拳を打ち込んだ。
鎧を打つ音が響いた。ウィルが木短剣を当てた時の小さな音とは違う。教官の体が揺れ、足が一歩下がった。
プリシラは、その一歩をすぐに追った。右拳を引くと同時に左拳が伸び、教官が木剣を引き戻す手にも一撃を加えて機先を制し、また鎧を打つ。打つたびに踏み込み、拳を引く間にも足を止めない。教官は続けざまに打たれて後ろへ下がり、反撃の木剣を振る余裕もなくなっていた。
ウィルは柵を握った。稽古で何度も打ち合っていたのに、こんな力で殴られたことはない。いつも受けていた拳と、鎧を響かせる今の一撃の差に、ウィルは言葉を失った。
教官が後ろへ退いて距離を取ろうとしても、プリシラは離れなかった。小さく跳ぶように足を運び、次の拳を打てるところまで追いついてしまう。木剣を長く使える距離へ戻せないまま、教官は再び拳を受け、足を踏ん張った。
「ま、参った!そこまでだ!」
教官が木剣を下ろした。プリシラは拳を引き、その場で止まる。
「やれやれ、君の”勝ち”だよ。 文句なしの合格だ!」
ウィルは息を吐いた。受かるかどうかを心配していたのに、彼女は教官に勝ってしまった。
こちらへ駆けてくる彼女に、ウィルは笑顔を向けた。
「おめでとう、プリシラ!」
「ウィルも! 二人とも受かったね!」
差し出された手を握る。昨日、受付で交わした約束が、早くも現実のものになってしまった。自分の合格を聞いた時は、まずほっとした。今は二人で受かったことが嬉しくて、ウィルは彼女と一緒に教官へ礼を言った。
*
訓練場からギルドまでの道では、プリシラの話が止まらなかった。
「あそこ! 足を止めずに、横に行ったところ。あれ、よかったよ!」
「うん。隊長さんとやった時は、避けて安心したところを何度も打たれたから」
「最後は思い切ったね!」
「自分でもビックリ。でも、1回見せてもらえたから、横薙ぎの振りに合わせて入ればイケるんじゃないかなって思ったんだ」
話しているうちに、歩く足も速くなっていた。けれど、訓練場から離れると、腿が重くなり、歩幅を広げるのがつらくなった。プリシラが先へ行きかけ、ウィルを振り返った。
教官は本気で打ち込んではいなかった。それでも、真剣な立ち会いというのはこんなに体に負荷がかかるのか。いや、恐らく緊張のせいというのが大きいのだろう。実力差は別にしても、現にプリシラはピンピンしている。
やはり慣れなのだろうかと考える。しかし、実戦経験でいえばプリシラとウィルに大きな差はない。だが実力の方には明確に差がでている。プリシラは”勝ち”で、ウィルは”合格”。同じ様に育って来たと思っていたけれど、いつの間にか大きな差がついてしまっていた。違いを考えているウチに、プリシラの耳と尻尾が目に入る。
「ノエルちゃんに報告したら、ねーねにも教えてあげようね!」
ウィルは歩幅を小さくし、プリシラも隣へ戻った。
その差は確かにあるのかもしれない。獣人は元来、肉体が強く丈夫で、戦闘向きだと習った事がある。でも、種族の違いなんて理由で、彼女の努力を否定したくないと思った。
いつでも一生懸命だった彼女との、懐かしい思い出が脳裏をよぎる。世話を焼きに来てくれていたあの頃、プリシラの指には毎日の様に絆創膏が増えていた。きっと彼女はいつだって、ウィルに心配をかけないように、陰ながら努力をしてきたに違いない。ならば自分がすべきは、生まれを僻むことではなく、同じ様に努力をする事だ。こうしていつまでも、彼女の隣を歩けるように。
「うん。 ありがとう、プリシラ」
「にゃ~?」
突然礼を言われて不思議そうな顔をするプリシラを横目に、たどり着いた受付でノエルが顔を上げた。ウィルが自分の結果を話し、プリシラも合格したと報告すると、ノエルは笑顔で頷いた。
「お二人とも、おめでとうございます。たった今からお二人はEランク冒険者です!」
ノエルさんは自分の事みたいに喜んで、準備していた手続きを進めてくれた。手続きを待つ間、プリシラがウィルの肘を軽くつついた。
「半人前だね」
「うん。半人前」
「二人合わせたら一人前だね!」
「半人前くらいの僕たちが二人でお料理しても、美味しいご飯はできなかったよ?」
「にゃぁ~? ……たしかに?」
昨日は、上がっても半分なのかと思った。その半分に二人でなれたことが、今日は嬉しかった。
ノエルから新しく受けられる依頼の案内を聞く。山の麓へも、行けるようになるという。
ウィルは顔を上げた。
まだ行ったことのない場所だ。
「プリシラ、次は――」
「その前に、ねーね!」
先回りされ、ウィルは笑った。
「分かってるよ。一休みしたら、一緒に行こうって言おうとしたんだ」
「それなら、いいよ!」
プリシラが先に扉を開けて待っていた。ウィルはノエルへ礼を言い、彼女の隣へ並んだ。山への道を尋ねるのは、ネージュへ報告して、一休みしてからにしよう。




