024_治療院の一日
ウィルが昇格試験の話を聞いた日の朝、ネージュは治療院の窓を開けた。
寝台の上掛けを伸ばし、端を内側へ折る。昨日も、その前の日も、横になる人は少なかった。村の人が怪我をせずに暮らしているなら、それでいい。ネージュは寝台を離れ、包帯を卓へ運んだ。棚に戻す前に、緩んだ巻きを直しておく。いざ傷の手当てをする時に、絡まった布をほどくことから始めなくて済むように。
端を揃えて巻き直していると、外で足音がした。つい戸口へ顔を向ける。誰かが桶を持って通り過ぎただけで、呼びかけはなかった。待っていたのは、手当てを求める声だろうか。それとも、今日はこんなことがあったと話してくれる、聞き慣れた声だろうか。
ウィルには、寂しいなどと口にしてしまった。あの子を困らせるつもりではなかったのに、冗談にして笑っても、ごまかしきれなかった。怪我をした時にはすぐに来てほしい。けれど、怪我をしなければ顔を見られないというのも、寂しいものだった。
ネージュは一本を巻き終えて棚へ戻し、残りの包帯は卓へ置いたまま、窓辺の薬草を裏返した。重なったままでは湿り気がこもって乾かない。葉を一枚ずつ離して並べ直すと、指へ青い匂いが残った。
*
午後、ウィルは薬草の包みを持って治療院へ向かった。薬を作る青年へ薬草を届け、ギルドで仕事を報告してきた。その時、プリシラと二人そろって昇格試験を受けられると聞いた。明日の受験のことを、ネージュにも聞いてほしかった。怪我をした時以外も話しに行こうと決めた日のことを思い出し、戸口から声をかけた。寝台は今日も空いていた。
「ねーね、今、大丈夫?」
「ええ。どうしたの? また怪我?」
「今日は薬草を持ってきたんだ。 ねーねが見分け方を教えてくれたお陰で、無事に依頼を果たせたよ。念のため余分に取っておいた薬草が余ったから、ねーねのところで使えるかなと思って」
ウィルが包みを開くと、ネージュは葉を一枚つまみ、軸を確かめてから戻した。ウィルが窓辺の薬草へ足そうとすると、彼女がその手を止めた。
「泥を落としてからね。このまま置くと、ほかの分まで汚れてしまうでしょう」
「あ。そうだね」
束にしたままでは見えなかった土が、葉の付け根に残っている。ウィルは包みを卓へ置き、水を張った器を受け取った。一枚ずつ洗うと、細かい土が器の底に沈んだ。採った時にはきれいなつもりだったのに、全部洗い終える頃には水が濁っていた。
「ギルドの方は、うまくいった?」
「うん。僕もプリシラも、昇格試験を受けられるようになったんだ。明日、一緒に行ってくるよ」
ネージュが驚いたようにウィルを見た。
「もう、そんなところまで進んだのね」
「まだ受かってないよ。プリシラにも少し見てもらったけど、教官が相手だから。試験は一人ずつなんだって」
「ふふ。ちゃんと寝てから行くのよ」
ウィルは頷き、洗った葉の水を切った。ネージュが窓辺に空いている布を示し、そこへ並べるよう教えてくれる。朝から干していた分とは場所を分け、重ならないよう一枚ずつ置いた。自分の届けた葉も、乾いたら手当てに使ってもらえる。そう思うと、土が残っていないか気になり、葉の裏まで確かめた。
卓へ戻ると、まだ巻き直していない包帯が残っていた。朝、ネージュが途中まで片づけたものだという。
「これも、手伝っていい?」
「お願いしようかしら。こっちへ座って」
ウィルは勧められた椅子へ座り、包帯を手に取った。布の端を揃え、両手で巻く。途中で片側だけせり出してきたので、押し込もうとした。
「少し戻して、曲がり始めた所から」
ネージュが指を添える。ウィルは二巻きほど戻し、今度は縁を見ながら進めた。左右の縁が揃うように巻くと、押し込まなくてもきれいな筒になった。
「できた」
「ええ。そこへ置いておいてね」
ウィルは棚を見た。大きな巻きも、小さな巻きも、取りやすい向きに並んでいる。これまでは、傷を手当てしてもらうところばかり見ていた。誰かが怪我をして訪ねてきた時、すぐに治療できるように。ネージュはこうして、包帯や薬を揃えていたのだ。
ウィルが巻いた包帯を棚へ戻して席につくと、卓に開いてあった本の頁が風でめくれた。ネージュが手で押さえた頁には、薬草の絵が描かれている。見覚えのある葉の形に、ウィルは身を乗り出した。
「それも、薬の本?」
「ええ。勉強したことでも、しばらく使わないと忘れてしまうもの」
絵のそばに細かな書き込みがある。ウィルには読み慣れない言葉もあった。ネージュはその絵と、窓辺に干した薬草を順に指した。
「この葉もね、採るだけならよく知っているでしょう。でも、人に使うためのことは、別に覚えないといけないわ」
「僕にも、分かるようになるかな」
「いっぺんには難しいけれど、一つずつなら。今日は、きれいにして干す所まで覚えられたもの」
ウィルは窓辺へ目をやった。自分には、どこに生えていて、どの葉を採ればよいかまでは分かる。でも、この本を読み、病人にどう使うかまで考えたことはなかった。依頼主へ届けた薬草も、こうして洗い、使うための支度をしているのだろう。
「怪我をした人が来た時も、今みたいに手伝える?」
「手を貸してもらえたら助かるわ。ただ、痛そうだからって、急いで触らないでね。先に、その人にお話を聞くの」
「どこが痛いのか?」
「それと、手を貸してほしいかどうか。自分で動いた方が楽なこともあるでしょう」
プリシラに手加減してもらっていた稽古でさえ、打たれた腕に触れると痛むことはあった。そこを親切のつもりで掴まれたら、手を振りほどいてしまうかもしれない。怪我を治す魔法は使えなくても、触れる前に聞いて、余計に痛くしないことなら出来そうだった。
片づけがひと段落すると、ネージュはお茶を淹れようと火のそばへ立った。ウィルも立ち上がる。
「何か運ぼうか」
「じゃあ、そこの器をお願い」
ウィルは棚から茶の器を運んだ。卓へ置いたところで、戸口の外から杖をつく音が聞こえた。ネージュも湯を沸かす手を止め、入口へ顔を向ける。
顔を出したのは、ウィルが薪を届けた老人だった。
「腰が、どうにもいかんでのぅ」
ウィルは空いた椅子を戸の近くへ寄せた。老人は戸枠へ手を当て、膝を曲げかける。途中で息を吸い、元の姿勢へ戻ってしまった。
「こっちまで来なくて大丈夫。そこへ座ってください」
ネージュが近づいた。ウィルは椅子の背を押さえ、老人が腰を下ろすのを待つ。
腰をさする手を見て、ウィルは薪を置いた場所を思い出した。
「僕たちが届けた薪、まさか、ご自分でまた運んだんですか?」
「全部ではないぞ。使う分を、ちょいと炉のそばへな」
老人が言うと、ネージュは顔を上げた。
「無理はダメですよ。治ったと思っても、暫くは安静にして下さいね」
ネージュは老人の背へ手を添え、短く癒やしの言葉を唱える。ウィルは話しかけるのをやめ、椅子の足元に置かれていた杖を傍らへ寄せた。老人が立つ時、踏んでしまわないように。
老人の肩がゆっくり下がった。椅子の縁を握っていた手が開き、膝へ移る。息を吐く音が、さっきより長かった。
「おぉ……。助かったわい」
「すぐには立たずに、少し座っていて下さいね」
ネージュが手を離した。卓へ戻ってきた彼女は一度大きく深呼吸をして、静かに息をついた。いつもなら、すぐに次の用事へ移るのに、今日は立ったまま少し休んでいた。手当てを受けた老人だけでなく、ねーねも疲れたのだと、ウィルはようやく気づいた。
「ねーねも、少し座る?」
「そうね。お願いしようかしら」
卓の椅子を引くと、ネージュが腰を下ろした。ウィルは火のそばへ行き、先ほど沸かしていた湯で茶を淹れた。老人の分もあるので、器をもう一つ棚から出す。
「法術の後は、疲れるんだね」
「沢山使えば魔法と同じ様に、頭が痛くなったりふらついたりもするけれど、ちょっと違うわ。少し応用的な事をして集中力を使ったから」
そう言って、ネージュはウィルがお茶を淹れるのを見守った。これまでは、自分の怪我が治ると安心してしまい、手当てを終えたネージュの様子には目を向けていなかった。目を合わせると、いつものように微笑んでくれる。今日は、笑った後も椅子に座っていてほしかった。
「お茶なら、僕が持っていくよ」
「ありがとう。熱いから、こぼさないようにね」
「うん」
ウィルはまず、ネージュの前に茶を置いた。それから老人のところへ運び、飲めそうか聞いて器を差し出す。老人が両手で受け取るまで支えていた。
思えばネージュはいつだってウィルを見て微笑んでいた。子どもの擦り傷程度だから平気だったのか、心配させないための彼女の気遣いの結果だったのか、確かめる術はない。気づいた今更にそんな事でお伺いを立てるよりは、今後は自分から気遣える様に心に留めておこう。
しばらくして立ち上がる時には、老人は戸枠へしがみつかずに済んだ。杖は使っている。ウィルが戸を開けると、老人はネージュへ礼を言い、来たときよりも軽やかな足取りで出ていった。
新しい患者は、その後も来なかった。
*
午後の光が窓辺の布を離れる頃、ウィルは朝から干してあった薬草を片づけた。ネージュに乾き具合を見てもらい、乾いた葉だけを保存用の器へ移す。今日持ってきた分はまだ湿っているので、布に並べたまま残した。
「乾いた分は、こっちの器だね。まだ湿ってるのは、明日?」
「そうね。分からなくなったら、次に来た時に聞いて」
「試験が終わったら、また報告に来るよ」
ネージュがこちらを見る。ウィルは、受かってからと言い直そうとしてやめた。
「受かっても、まだでも。僕がどうだったかも、プリシラの試験のことも、ねーねに聞いてほしいから」
「ええ。 是非、聞かせて頂戴」
ウィルは立ち上がり、棚へ目を向けた。巻き直した包帯が並んでいる。薬を選ぶことも法術も出来ないが、次の患者が来る前の支度なら手伝えた。ウィルは空いた包みを持ち、戸口で振り返った。
「ねーね、またね」
「気をつけて帰るのよ」
明日はプリシラと訓練場へ行く。彼女の番が来たら、自分が見守るのだ。二人そろって良い報告を持ってこられたら、ネージュも喜んでくれるだろう。ウィルは家への道を歩いた。
*
ウィルの足音が遠ざかってから、ネージュは戸を閉めた。
椅子を戻すと、いつもの広さになる。ウィルが巻いた包帯を手に取ると、少しきつくなっている所があった。指で緩め、端を内側へ入れる。
怪我をしていない手を、今日は何度も見た。器を持ち、葉を広げ、老人のために椅子を引いていた手だ。頭を撫でようとすると照れるのに、頼んだ仕事にはすぐ両手を出してくれた。
明日はプリシラと二人で試験を受けに行く。互いの番を待つ間、どんな言葉を掛け合うのだろう。ネージュは窓の外へ目を向けた。あの子が通い慣れた道の先には、ネージュの知らない場所が少しずつ増えていく。
ネージュは包帯を、すぐ取れるよう棚の手前へ戻した。次に戸が開いたら、まず顔を見よう。試験の話を始める前に、笑っているか、どこか痛そうか。
今日ウィルが持ってきた薬草は、まだ窓辺に残してある。明日ここへ来るのは、元気な試験の報告だけであってほしい。ネージュは湿り気の残る葉を裏返し、干し終えた分の入った器に蓋をした。




