018_ゼペリの畑の仕事
麦米の袋は、まだ戸口の内側に置いてあった。森での探索や稽古を続ける一方で、種をまく支度は進んでいない。
持ち上げれば、中で種籾がさらさらと擦れる。これを植えるだけのはずなのに、家の前の土を見ると、どこから手をつければよいのか分からなくなった。
ゼペリの畑で働かせてもらう。そう話すと、プリシラもエレノアも、一緒に行くと言ってくれた。
後日、ウィルは二人を連れ、昼のうちに村の北側へ向かった。
畑に着くと、ウィルはこの前と同じ柵沿いを進んだ。ゼペリは畑のそばで屈み込み、手に取った土を指でほぐしている。二人を振り返ってから、ウィルは声をかけた。
「ゼペリさん。今日は、お仕事をさせてもらいに来ました」
「やあ、ウィルくん。みんなも一緒かい」
「はい。三人でも構いませんか?」
「助かるよ。手が多い分だけ、よく見られるからね」
そう言いながら、ゼペリは指についた土を口へ運んだ。
ウィルは挨拶の続きを飲み込んだ。エレノアも隣で足を止めている。プリシラだけが耳を立て、「あっ、食べた」と声を上げた。
「君たちもどうだい?」
「僕は遠慮します」
「そうかい。今日もいい土なんだが」
ゼペリは残念そうに掌を傾けた。こぼれた土を足元へ戻すと、何事もなかったように立ち上がる。
「では、こちらへ。まずは見てほしいものがある」
畑へ入るゼペリを追いかけながら、エレノアがウィルの袖を引いた。
「兄様。前にいらした時も……?」
「勧められたよ。断ったけど」
「そうでしたか」
それ以上は言わず、エレノアはそっと畑の土を見た。
*
ゼペリが止まった場所には、葉に小さな穴の空いた株があった。
ウィルは上から覗き込んだが、何も見つからない。ゼペリが葉をそっと持ち上げると、裏に虫がついていた。
「表だけ見て通り過ぎると、残ってしまう。特に、こういう食われた跡のあるところはね」
「こんなところにいたんだ」
プリシラも屈んだ。ゼペリは葉を支えたまま虫をつまみ取り、土へ落として踏み潰した。次の葉をウィルへ任せる。
教わった通りに持ち上げたつもりが、茎まで引かれて傾いた。
「根元を引っ張らないように。葉だけ、下から支えてごらん」
「はい」
手を添え直すと、葉の裏が見えた。こちらにもいた。畑を通りから眺めていた時には、全部同じ緑に見えていたのに、近くで見ると、食われて縁の欠けた葉がいくつもある。
「一つ見つけたら、その周りも頼むよ。分からない虫がいたら、私を呼んでくれればいい」
ゼペリは、今いる株から向こうの列の端までを指してみせた。三人でそこまで歩き、折り返して、どの範囲を任されたのか確かめる。広い畑の中では一部分だったが、一株を見るだけでも手間取ったのだ。葉は幾重にも重なって続いている。
「じゃあ、あたしは向こうから! エレノアはこっちね」
「はい。兄様は、間をお願いできますか」
ウィルが頷くと、二人は作物の間へ入った。彼もその隣にしゃがみ、最初の葉へ手を伸ばした。
初めは、食われた跡が目印になった。穴の空いた葉を返し、裏を見て、次へ進む。ところが、傷んでいない葉にも虫がついていると分かり、戻って見直すことになった。
「そっちはもう終わったの?」
隣から声がした。プリシラがウィルの進んできた方を見ている。
「見落としたかもしれないから、もう一度」
「あ、じゃあ、ここもお願い。さっき動いたんだけど、見えなくなっちゃった」
示された葉の陰を探す。枝分かれしたところに、小さな影があった。
「いたよ」
「ほんとだ!」
顔を近づけたプリシラの鼻先で、虫が跳ねた。彼女が声を上げて身を引く。逃げた先を二人で探していると、反対側からエレノアが葉を持ち上げた。
「こちらに来ましたよ」
「逃がさないからね!」
「プリシラちゃん、葉まで掴まないでください」
「分かってるー!」
今度は無事に退治できた。プリシラは得意そうに笑い、すぐに次の葉の裏を覗く。ウィルも自分の担当へ戻った。
しゃがんだまま少しずつ進むと、脚が窮屈になった。立ち上がって腰を伸ばし、残っている範囲を確かめる。思ったほど進んでいない。
土の上に片膝をつくと、今度は手が届きやすくなった。その代わり、服に土がついた。払おうとして、掌まで土だらけなのに気づく。
向こうでエレノアも膝を見ていた。目が合うと、彼女は困ったように笑った。
「お洗濯も、増えてしまいましたね」
「うん。でも、少しやりやすい」
「私もです」
作物の間からプリシラが顔を上げる。
「二人とも、あたしより泥だらけ!」
「プリシラちゃんも、お顔についていますよ」
「えっ、どこ?」
エレノアが自分の頬を指した。プリシラは手の甲で拭き、別のところにも土をつけた。ウィルが笑うと、今度は彼の顔をじっと見て、どこかついていないか探し始めた。
*
最後の列を終える頃には、日差しを受けた背中が汗ばんでいた。
ゼペリが三人の見たところを確かめて回る。ウィルは後について、彼が返す葉を一枚ずつ覗き込んだ。自分でも見たはずの葉なのに、裏が見えるたび、足が止まる。
一枚の葉を返したゼペリが、ウィルを呼ぶ。
「ここに一匹残っているね。色が似ているから、見つけにくかったかな」
指された場所をじっと見て、ようやく分かった。
「あ……。すみません」
「次に見つけられればいい。ほら、取ってごらん」
ウィルは屈み直した。今度は見失わずに済んだ。
残っていた虫を取り、ほかの葉も返して確かめる。ゼペリが最後の列まで見終えて頷いたので、ウィルは二人を呼んだ。畑の端へ揃って戻り、仕事の報酬を受け取る。
「ご苦労様。また宜しくね」
「ありがとうございます」
受け取った金をしまおうとして、腰を曲げるのが億劫になっていることに気づいた。三人で手分けしてもこれだけかかる。顔を上げれば、今日入らなかった列がまだ向こうまで続いていた。
「僕の畑に麦米を植える時のことも、少し聞いていいですか」
「もちろんだよ」
ゼペリはその場にしゃがみ、空いた土の上で説明してくれた。種を置く深さや間隔を、指で示してもらう。ウィルが真似をすると、そこはもう少し浅く、と手元へ返事が来た。
プリシラとエレノアも隣へ屈んだ。三人で指の跡をつけていると、ゼペリはその脇の土を手に取った。
よくほぐれる塊と、固く残る塊。指の間からこぼれるところを示され、ウィルもつまんでみる。植え方を尋ねていたはずが、いつの間にか三人とも、種のない土を触っていた。
「こうして手で触れるのもいいが、全身で感じると、また違うんだ。土風呂も試していくかい?」
「今日は、ここまでで大丈夫です」
「遠慮しなくていいのに」
「いえ。遠慮じゃないです、大丈夫です」
ウィルが言い直すと、隣でプリシラが笑いを噛み殺した。ゼペリは気にした様子もなく、またいつでも来なさいと言ってくれた。
畑を出たところで、プリシラが両腕を伸ばした。
「はあー、いっぱい探したねえ!」
「うん。手伝ってくれてありがとう」
「次は兄様のお家ですね」
エレノアの言葉に、ウィルは頷いた。さっき土につけた指の間隔を思い出し、手を少し開いてみる。
「ねーねにも、いつなら来られるか聞いてみるよ」
「あたしも行く! 今日のお話、しなくっちゃ!」
プリシラはまだ頬に土をつけていた。まず顔を洗ってからにしようとエレノアが言い、ウィルも賛成した。
*
顔を洗い、ネージュへ畑の相談をしに行った後で、ウィルは酒場へ寄った。今日はこちらから隊長さんに稽古を頼んだ。
「君はとても熱心だね」
隊長はウィルの話を聞くと、うんうん、素晴らしい、と頷く。
「今日は私が少し見てあげよう」
「あら隊長、珍しいですね」
副長がそばで言った。隊長は笑って広場へ向かい、ウィルにも来るように促した。
副長に習ったことを話すと、隊長は少し動いてみるように言った。ウィルはナイフを抜かずに、彼女と向き合う。
隊長が近づいてくる。ウィルは顔を上げたまま退き、肩へ伸びてきた手を払った。もう一方の手を出しかけたところで、隊長が動きを止めた。
「誰かと、素手で打ち合ったことがあるのかい?」
「幼馴染の拳闘士が、時々相手をしてくれます」
「なるほど。そういう動きだったね」
隊長は、ウィルの上げていた手へ目を向けた。
「君は、一度打ち合った後も、そのまま次のやり取りができるつもりで動いている。拳と武器では、その一度の重さが違うんだ」
ウィルは手を下ろした。
「武器なら、一撃で命を失うのが”前提”なんだ。棍棒だって、人の拳よりずっと硬くて重い。それを振り回す相手と、何度も打ち合えるつもりで近づいてはいけないよ」
「は、はい! でも、それじゃプリシラは……」
「その子は恐らく、それを分かった上で拳を選んでいる。並んで歩いているのを見かけた事があるよ。獣人の娘さんだろう?膂力も、自分の戦い方もあるからね。君を相手にする時は、力も動きもずいぶん加減しているはずだ」
プリシラとの訓練では、打ち返された後にも、次はどうしようと考えていた。彼女が相手をしてくれる限り、何度でも続けられた。
「モンスターは、君の練習につき合ってくれるわけではない。まずは、その癖を抜くところから始めよう」
隊長は靴の先で地面に円を描いた。端から端までは四メートルほど。二人で入ると、少し退くだけで線が近づく広さだった。
隊長は鞘に入れたままの剣を手に取り、ウィルにもナイフを鞘から抜かずに構えるように言った。
「どちらも円から出たら負け。私の剣が君の身体に当たっても、君の負けだ。君の短剣が私の身体に当たれば、君の勝ち」
「剣を短剣で弾いても、いいんですか?」
「もちろん。狙う場所にも制限はないよ。当たったらそこで止めて、元の位置からやり直す。最初は、ゆっくり動こう」
二人は円の中で向き合った。隊長が始めようと言うと、ウィルは先に踏み出してナイフを伸ばした。その先が彼女へ届く前に、剣の鞘がウィルの胸へ触れた。
軽く触れられただけだった。まだ手は伸ばせる。ウィルがそのままナイフを前へ出そうとすると、隊長が止めた。
「今の一回で、君の負けだよ」
「あ……。はい」
二人は元の位置へ戻った。
次は、向かってきた剣をナイフで弾いた。鞘同士がぶつかる音がする。これなら、と近づこうとした時、隊長の剣が戻ってきて、ウィルの腕に触れた。
また、元の位置へ戻る。今度は剣を避けようと後ろへ下がった。胸には当たらなかったが、ウィルの足は円の外へ出ていた。
「そこまで退いたら、この練習では負けだね」
ウィルは足元を見てから、顔を上げた。逃げ続けていればよいわけでもない。円の中に残り、こちらのナイフを当てなくてはいけないのだ。
円の中の元の位置へ戻って、また始めた。
その後も、隊長の鞘は胸や肩へ触れた。触れられるたびに攻防を止め、同じ場所へ戻った。動きはずっとゆっくりだった。速すぎて見えなかった、と言える一回はなかった。それでも、自分が攻撃しようとするたび、どこかに触れられていた。
何度目かの仕切り直しで、隊長が剣を下ろした。
「本物の刃だったら、今みたいに、当たった後も打ち返せるかな?」
ウィルは胸へ触れた鞘を思い出した。あの時、自分のナイフはまだ届いていなかった。
「……できないと思います」
「次の打ち合いが来る前に、命を失っていたかもしれない。今日は何度でもやり直せるけれど、本当の戦いで同じことを繰り返すわけにはいかないね」
ナイフを持つ手に力が入った。何度負けても、元の場所へ戻れば始められた。そのたびに、当てることばかり考えていた。
「……そうか。 これ、当てる練習じゃない。”死なないようにする練習”なんですね」
思い当たった事を口にすると、隊長はニコニコと笑いながら、嬉しそうに応える。
「よくできました」
そう言って、隊長は定位置に戻って、再度構える。
「もう一度、お願いします」
「うん。今度は私の動きをよく見てごらん」
ウィルは隊長へ顔を向けた。彼女の手と肩、その下の足も、視野の中に入れる。副長に教わった時と同じように、顔を上げたまま動こうとした。
その回も、当然勝てなかった。剣を避けているうちに線が近づき、向きを変えようとしたところで肩に鞘が触れた。隊長が剣を引くのを見て、ウィルもナイフを下ろした。
副長が酒場の戸口から呼びかけた。隊長は今日はここまでにしようと言い、また相手をしてあげよう、と笑った。
ウィルは礼を言って、ナイフをしまった。二人で何度も戻った場所には靴の跡が重なっている。だが、自分の足跡は乱雑に散らばっているのに対して、隊長の足跡は一定の法則をもって綺麗に並んでいる事に気がついた。
「隊長さんは足跡までお綺麗なんですね」
「へ?」
何気なくつぶやいた一言に返ってきた声は、先ほどまでの威厳を感じる凛々しい声ではなく、可愛らしい声だった。
少し驚いて隊長に視線を移すと、同時に向こうを向いてしまい表情を窺う事はできず、続いた声もいつも通りの凛とした声に戻っていた。
「ょ、よく気がついたね! 流派によっても違いはあるだろうが、上達すれば自ずと整ってくるものだよ。君もこれから自然とそうなってくるだろう」
そう言って隊長はハッハと笑いながら、振り向くこと無く中へ戻って行ってしまった。少しだけ様子が変ではあったが、機嫌を損ねてしまった雰囲気ではなかったし、大丈夫だろうか。とにかく、今日教わった事は心と頭に強く留めておく。踏み出す前に、相手の武器が自分へ届くことを、実戦で忘れてはいけないのだ。




