014_三人で行こう
ケイトから伝えられた用事を聞くため、ウィルは村長の家へ戻った。教室の扉を開けると、エレノアが棚の前で本を開いていた。窓から差す昼の光が、手元の本を照らしている。行商人が専門の本を運んでくるのは月に一度ほどだと聞いている。その合間にも、エレノアは村長の蔵書を借りて勉強を続けていた。ウィルも今朝、魔術を教わりたいと頼んだばかりだが、今はそのために来たのではない。ケイトが取り次いだ用事については、まだ何も聞いていなかった。
ウィルに気づいたエレノアが本を閉じ、顔を上げた。
「ぁ、ウィル兄様」
エレノアが微笑むと、窓から差す陽が赤い髪を淡く照らした。ケイトと同じ赤毛の長い髪は、顔の両脇を編み込み、背へゆるやかに流している。飾り立てずに艶を整えた髪の扱いは、ネージュによく似ていた。
青紫の上衣に白い前掛けを重ね、長い紫のスカートをまとった姿は、身近な女性たちの中で一番小柄だった。姉たちに比べて胸元が控えめなことを本人は気にしているが、ウィルの目には、華奢な姿に似合う柔らかなふくらみで、気にするほど小さいとは思えなかった。
整った顔に、大きな琥珀色の瞳がよく映えている。微笑みにはどこかあどけなさが残るが、こちらをまっすぐ見る眼差しは聡明だ。落ち着いた物腰も、実の姉のケイトより、手本にしてきたネージュに似ていた。身内の贔屓目を差し引いても、やはり可愛らしい少女だとウィルは思った。
エレノアの側まで来て足を止める。村長の家を訪ねるのは、今日これで二度目だ。先ほどもここで村長の話を聞き、自分が負っている借金のことを知った。今度はエレノアに呼ばれてここにいる。さきほどリリシラの家で会った時には、畑の仕事や訓練に協力してくれると言っていた。自分のお願いばかりを聞いてもらっては気が引けるし、何か頼み事なら理由がなくても、エレノアの頼みなら引き受けたいと思う。けれど彼女の前に立ってみると、普段なら顔を合わせれば話し始めるのに、今日はウィルが尋ねるのを待っている。
「エレノア、何か用事って聞いてきたんだけど……」
「呼びつけてしまってすみません。用事というか、実は聞いて欲しいお願いがあって…」
エレノアは用件を言いかけて視線を落とし、高鳴る鼓動を抑える様に、軽く握った左手を胸の前に添えた。エレノアが読んでいた本の表紙が見える。ウィルは閉じた魔術基礎の本から彼女の顔へ視線を戻す。誰かの伝言を預かっているわけでも、勉強で分からないところがあるわけでもなさそうだ。わざわざケイトを通して自分を呼んだお願いとは何だろう。答えを急かさないように、ウィルは笑顔で先を促した。
「エレノアからお願いなんて珍しいね。僕にできる事なら何でも言ってよ」
「本当ですか? 実は……」
ウィルが頷くと、エレノアは胸元の手を下ろした。改めてこちらに向き直り、両手を揃えて本を持ち直すと、ウィルの顔を見て口を開く。
「私も一緒に冒険に連れて行って欲しいんです」
「えぇ!?」
思わず声が出た。畑を耕すのを手伝って欲しいとか、魔術の勉強に付き合って欲しいとか、そういう頼みならお互い様の事だし、すぐに頷けた。だが、今朝の自分はプリシラにアシストして貰ったにも関わらずゴブリンにノされて、殴られた後の戦いの事さえ覚えていない。エレノアを連れて行くということは、彼女もそこへ入るということだ。以前に聞いた時には冒険者にはならないと言っていた彼女が、なぜ急に同行する気になったのか。何でも言って欲しいと答えたばかりの口から、今度は疑問が漏れ出した。
「でも、エレノアは冒険者にはならないって……」
「以前まではそう思っていました。けど、兄様もプリシラちゃんも冒険者になって、私だけ村で一人ぼっちは嫌だなって思ったんです」
ウィルは、入口からここまでの誰も使っていない席を振り返った。自分とプリシラは、これから森へ出かける約束をしている。帰ってからエレノアに話して聞かせればよいと思い、彼女を誘うことは考えなかった。村に残りたいのだと決めつけていたのだ。三人で同じ村に育ち、家事の手伝いや教室でも並んで過ごしてきた。大人になったらそれぞれの仕事があると、ウィルも思っていた。けれど、今日はプリシラと初めて冒険に出るのが嬉しくて、エレノアと過ごす時間がどう変わるかまでは考えていなかった。ウィルは彼女へ視線を戻す。一人になるのが嫌だという言葉を聞いても、今朝の棍棒のことは頭から離れない。すぐに連れて行くと答えられずにいると、彼女が続けた。
「それに、私は村の子で唯一の魔術適性者でしたから、せっかくの才能だし活用できたらなって……」
エレノアに魔術の適性があることは、幼い頃の天啓の儀から知っている。自分もプリシラも、同じようには魔法を使えない。ウィルはそこで初めて、立てかけてあった杖に気がついた。普段は村の才女として教壇にも立つ彼女を、これまで危険なところへ連れて行こうとは思わなかったが、彼女自身は一緒に行くことを望んでいる。村に残るよう勧めるだけでは、その願いには応えられない。それなら、自分たちより戦いを知っている仲間と一緒に出かける方がよいのではないか。魔術師を探す冒険者なら、酒場にもいる。ウィルはその顔ぶれを思い浮かべて尋ねた。
「でも、それなら酒場の冒険者さん達で魔術師を欲しがってるパーティも……」
「兄様とが良いんです!」
遮られて、ウィルは口を閉じた。彼女がこんなに強い声を出すとは思わなかった。経験のある冒険者と組めば、森での歩き方も、魔物に襲われた時の逃げ方も教えてもらえるだろう。自分には、まだどちらも教えてあげられない。今朝、プリシラが助けてくれなければ帰ってこられたかどうかも分からないのだ。彼女の魔術を頼りにする人がいるとしても、ウィルが同じ様に頼られる事はない。だから、もっと頼りになる相手を選んだほうが安全だと思った。けれどエレノアは、その相手を知りたいとは言わずに、ウィルと行きたいと言った。困って彼女を見ていると、エレノアも自分の声の大きさに気づいたように、言葉を継いだ。
「ぁ…その、よく知らない方とパーティを組むのは怖いので……」
ウィルは、酒場で騎士団の人に初めて挨拶した時を思い出した。世話役になったことを伝えるだけでも、声をかけるまでに少しためらった。気心しれた彼女たちに畑の手伝いを頼む時も、相手の顔を見て、申し出をどう受け取られたか気になった。エレノアが頼まなくてはならないのは、一緒に森へ入る相手だ。魔術が使えるから歓迎してもらえるとしても、誰に声をかけるか、その相手は信頼できるのかを考えなくてはならない。ウィルは自分ならどうするかを考えた。プリシラとなら、困ったら頼み事もできるし、何か分からなければその場で聞ける。よく知らない人と初めて出かけるなら、自分もそんなふうにはできないかもしれない。
「そっか。確かに、いきなり先輩パーティとじゃ気疲れしちゃうよね」
「は、はい、そうなんです! だから、”初めて”は兄様とがいいなって……」
エレノアは小さくなった声で、それでも最後まで言った。ウィルは、今度は相手を勧めずに聞いた。一緒に行きたいと頼んでいるのに、別の人を紹介されれば、断られたと思うだろう。自分は、エレノアに来て欲しくないわけではない。三人で森へ入れれば嬉しいし、魔術を使える彼女が来てくれるのは心強い。できないことを聞き合って、二人では無理だったことにも手を貸してもらえる。ただ、自分が守ってあげるつもりで話すことは、今朝の自分を思えばできなかった。初めてなのは彼女だけではない。それでもよいかと考えている彼の前で、エレノアはもう返事を待っていた。ウィルは頷いた。
「そういう事ならもちろんOKだよ! この後プリシラと冒険する約束だったし、ちょうど良いから3人パーティでいこう!」
答えた後で、ウィルは息をついた。この後の約束にエレノアも加わる。プリシラに話して、それから三人で行き先を決めればよい。魔術をどう使ってもらうかも、歩く順も、まだ話していない。自分だけで考えて決めてしまうより、二人に聞きながら決めたい。
「……この鈍感」
エレノアが小さく呟いた。ウィルは顔を向けたが、彼女は口を閉じてニコニコしている。声が小さく、言葉の全部は聞き取れなかった。彼女の視線が逸れたので、ウィルは聞き返した。
「ぇ? ごめん、ちょっと聞こえなかった」
「なんでもないです! ぜひパーティでいきましょう!」
今度の返事ははっきり聞こえた。断らずにすんだことに、ウィルも顔を緩めた。
「嬉しいなー! 大人になっても3人一緒に過ごせるなんて」
小さい頃の畑仕事なら、三人で手を動かしているうちに誰かが笑い出し、ウィルもつられて笑った。これからは、同じ森へ出かけて同じものを見られる。帰ってから自分だけが何を見たか話すのではなく、エレノアの見たものも聞けるだろう。今朝は木々の間で倒れてしまったが、この後はもっと先へ歩いてみたい。エレノアに答えているうちに、その楽しみが棍棒の記憶よりも先に出てきていた。
「……はぁ。まぁプリシラちゃんに抜け駆けされるよりはいっか」
エレノアは息をつくように呟き、それからウィルへ声を戻した。
「私は大抵ここにいますから、今後も都合の良いときにはお声がけ下さいね!」
ウィルは、彼女が開いていた本へ目をやった。
魔術基礎。読書家のエレノアが読みたがらなかった、初級の攻撃魔術なんかを学べる本だった。なによりも彼女の踏み出した一歩を、応援してあげたいと思った。
「じゃあ、プリシラに話してくるよ。 少しだけ待ってて?」
外へ出る前に振り返ると、エレノアが笑って手を振ってくれた。ウィルは戸口を通り、外へ向かった。プリシラにはまず、エレノアも一緒に冒険したいと伝えよう。畑や騎士団の用事については、その後でも話せる。まだ家にいるか分からないが、この後会う約束はしている。見つけたら、またこの教室へ迎えに来る。教室の扉を閉めたウィルは、プリシラを呼びに村の道へ出た。




