011_世話役の挨拶
酒場の扉を開けると、話し声に食器の触れ合う音が重なった。石の通路を二歩ほど入り、赤い敷物の縁で足を止める。奥のカウンターと、壁際の暖炉くらいしか、最初は目に入らなかった。ランプの灯りが木の梁を淡く照らしている。知らない相手に声をかける場所へ、自分一人で来たのだという実感が、扉の向こうの空気より先に来た。今朝のギルドではプリシラが横にいた。村長に頼まれた世話役の挨拶は、今日が初めてに近い。
ウィルは卓の間に目を走らせた。見慣れた村人の顔のあいだに、装備を身につけた女性が二人、同じ卓についている。村長が言っていた調査隊だろう。扉を閉め、空いているところを通って二人へ近づいた。隣にはプリシラがいない。相手も、昔から知っている村人ではない。入口で感じた緊張が、卓へ近づくほどはっきりする。声のかけ方を、頭の中でやり直す。
「こんにちは。すみません、調査隊の方でしょうか?」
声をかけると、赤い髪を片側で編んだ女性の騎士が顔を向けた。もう一人は、橙がかった髪を高く束ね、腰に桃色の蝶型の飾りをつけている。
卓の脚元には革の鞄が一つ置かれ、帯から剣の柄が覗いている。村の冒険者が持つナイフより、手入れの行き届いた金属の色だった。
「そうだが、君は?」
「はじめまして、僕はウィルと申します。村長より世話役を仰せつかって参りました」
用意してきた言葉を、どうにか言えた。喉の奥が、少し乾いている。さっき村長の家で、借金の話の後に世話役を頼まれた。その場で引き受けると答えた。騎士団とのつながりは将来に役立つ、と村長は言っていた。今朝プリシラと登録を済ませ、酒場に隊長さんがいると聞いて、手が空いた今、一人でここへ来た。今になって分かったのは、知っている顔をつなぐ前に、知らない相手へ名乗らなければならないということだった。
「あぁ、お願いしていた件だね。もっとお年を召した方がこられるかと思っていたよ」
相手が頷くのを見て、ウィルは少しだけ背筋を伸ばした。卓の上には杯が二つと、半ば食べかけの料理が残っている。香ばしい肉の匂いが立ち、カウンター奥の焼く音とつながっている。
「私が調査隊の隊長で、そちらが副長だ。これから世話になると思うが、よろしく頼む」
紹介されて、ウィルはもう一人の女性にも目を向けた。二人とも、村長から話を聞いた時に想像した相手とは違っていた。王都から来た騎士団の人、とだけ聞いていた。団の名も、正式な肩書きも、まだ知らされていない。肩当てに映るランプの灯りだけが、村の革鎧とは違う金属の色をしている。
「騎士団の方としか聞いていなかったので、若くてきれいなお姉さんでビックリしました」
「あら、お上手ですこと」
副長に笑みを向けられ、ウィルは口をつぐんだ。用意していた挨拶が終わった途端、余計なことまで言ってしまった。
「ぇ、あ……す、すみません」
「彼は純朴そうだ。素直に喜んだ方が可愛げがあるというものだぞ?」
隊長が副長へ言った。怒っている様子ではない。杯を持つ手が、ゆっくりと卓に戻る。
「……そうですね。ガッツイてるその辺の冒険者よりは大分マシかな」
「なにぶん田舎者でして……。気の利いたご挨拶ができなくてすみません」
「あぁ、これは確かに純朴青年です」
副長は隊長を見てから、ウィルへ笑みを戻した。
「知らない女性と話す機会ってあんまり無くて……。僕は格好つけるのに向いてないみたいです」
「はっはっは。いやいや、君はそのままで居て欲しいものだな」
「素直な男性は私達には新鮮ですね。むしろ好印象なので安心して下さい」
副長にもそう言われ、ウィルはようやく息をついた。用意してきた名乗りは通った。それでも、次に何を訊かれるかが分からず、帯の端を指で確かめる。
「あの……お手柔らかにお願いします」
「良い子そうで私は安心したよ。改めて、今後とも宜しく」
「よろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
挨拶をやり直すと、隊長が隣の丸椅子を示した。木の脚が床を擦る音が、思ったより大きく聞こえた。
「まぁとりあえず座りなさい。早速だが頼みたい事もあるのでね」
「はい。お、お隣、失礼します」
勧められた丸椅子を引き、腰を下ろす。立っていた時より二人の顔が近くなった。ウィルは膝の上で手を揃えた。指先が、さっき畑の土で少しざらついたままになっている。
「そう緊張しなくていい。なにか飲むかい?」
「い、いえ。大丈夫です」
「そうか。……その、私はそんなに威圧感があるかな?」
「い、いえ!? そういうんじゃないです」
慌てて首を振る。その理由を説明しようとして、今度は言葉に詰まった。知らない大人二人の前で、自分の年と格好だけが妙に浮いて感じられた。世話役だと名乗った以上、ここで黙って引き下がるわけにもいかない。
副長が、何かに気づいたように声を上げた。
「あ~。ひょっとして、美人のお姉さんに囲まれて?」
「……そりゃ緊張しますよ」
否定できなかった。副長の目が細くなり、隊長へ視線を送る。
「……なるほど。私も捨てたものでは無いのかな?」
隊長は自分の装飾された軽鎧へ目を落とし、それからウィルを見た。答えを待たれていると気づき、ウィルはますます背筋を伸ばした。
「お二人ともお話に出てくるお姫様みたいにお綺麗です……。すみません、暫くしたら慣れてくると思いますので」
「……隊長。この子、可愛いかもです」
副長が隊長へ顔を寄せ、小声で言った。ウィルには「可愛い」というところだけ聞こえた。
「こらこら、からかうモノではないよ。男性に可愛いなどと、すまないね」
「ぁ、いえ全然。すみません、お仕事はちゃんとしますので!」
そこだけは、はっきり伝えたかった。自分の声が、少しだけ大きすぎた気がする。
「ふふふ。よろしく頼むよ」
「頑張って下さいね♪」
「はい!」
ようやく話が仕事に戻り、ウィルは今度こそ聞き落とさないようにした。隊長が杯を卓の中央へ寄せ、指で縁をなぞる。
「うむ。では、早速なんだが世話役の君にお願いしたい事があるんだ」
「はい、なんでしょうか?」
「なに、大した事では無いんだ。我々の部隊は湿った洞窟の奥で発見された遺跡の調査で、この近くに駐留していてね。部隊は洞窟の近くに基地を仮設してあるので、こちらには補給品の手配なんかで立ち寄らせて貰っているんだ」
ウィルは頷いた。村長から聞いたのは、近くにいるというところまでだった。湿った洞窟、遺跡、仮設の基地。知らない言葉が、卓の上に並んでいく。
「それで、この村では食料と装備品の整備や調達。それと、少し長期間の駐留になりそうなので、都度必要そうな道具や家財に関する相談をしたいのだけど……。それぞれをアテにできそうな方と、顔つなぎをお願いできるかい?」
肩に入っていた力が少し抜けた。調査について詳しく話せと言われたら困っただろう。騎士団の仕事の進め方も、遺跡の中がどんな場所かも、まだ知らない。けれど、村の誰に聞けばよいかという話なら、何も分からないわけではない。食料ならマスター、木工ならおっちゃん、装備なら鍛冶屋のケイトさん。頭の中で、村の道が一本ずつつながっていく。
ウィルは酒場の中へ目を向けた。カウンターで皿をふくマスター。壁際の卓で杯を傾けている、工房のおっちゃん。どちらも、子供の頃から知っている顔だ。おっちゃんの腕には、木工の削り屑がまだ少し付いている。
「わかりました。それでしたら、取り急ぎこの場で2つお繋ぎできそうです」
「おぉ。心強いね」
隊長の声が、初めて仕事の相手へ向けた弾みを帯びた。ウィルも、椅子の縁を握る指をゆるめた。
「ちょっとまってて下さいね」
ウィルは椅子を戻して立ち上がった。丸椅子の脚が床を叩く。初めに声をかけた時の足取りとは違う。今度は迷わず、見知った相手へ声をかける。
「おっちゃん!」
「お? どうしたウィル」
返ってきた声を聞いて、いつもの調子が少し戻った。おっちゃんは杯を卓に置き、こちらへ顔を上げる。
「マスター!」
「なんだい?」
マスターも手を止め、カウンターから身を乗り出した。
「実は……」
調査隊の用件を簡単に伝えると、二人とも隊長たちの卓へ目を向ける。おっちゃんは杯を持ったまま立ち上がり、マスターは手ぬぐいをカウンターに置いた。ウィルは二人を案内して卓へ戻り、隊長たちのそばで足を止めた。空いている椅子を二人へ示してから、隊長たちへ向き直った。これから話すのは、知っている人の仕事のことだ。一人で名乗る時の硬さは、まだ肩に残っている。けれど、呼ぶ相手の顔が見えているだけでも、胸の奥が少し軽かった。
世話役としての顔つなぎは、もう始まっている。次は、知っている相手の腕を、知らない相手へ正しく伝える番だ。うまく話せなければ、マスターもおっちゃんも、ただの村人に見えてしまう。村長が自分を選んだ意味を、ここで落とすわけにはいかなかった。




