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未だ蕾の勇者様(ノベライズ版)  作者: さじ


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009_三人の手を借りて

「この村だと患者さんなんて殆ど来ないから、治療院のお仕事はとっても時間が余っちゃうの。だから私は大丈夫よ」


 ネージュは、空いた棚の数でも数えるような軽さで言った。ウィルは、今朝の傷をネージュに診てもらった時のことを思い出した。


「私も、授業が終わってしまえば時間は有り余ってますから」


 エレノアが、指を折って一日の予定をたどりながら続けた。折った指が、授業の終わりのところで止まる。その先の何本かが、もう畑の分として空けられているらしかった。


 ウィルは二人の顔を見比べた。断る理由を探す前に、相手の方が先に、空いている時間を卓の上に並べてしまった。


 その隣で、プリシラが丸椅子ごと身を乗り出した。


「一緒に色んなところいきたいもん! 借金なんか早く返して、世界の果てまで冒険しよーよ!」


 世界の果て。


 村長の家を出てから、ウィルの頭にあったのは五十万Gと、一日ごとに増える利子と、六十万Gの線だけだった。その線の向こう側のことを、プリシラはもう話している。


 世界の果てがどこにあるのか、ウィルは知らない。どの道を行けば着くのかも知らない。それでも、柵の中の小さな畑から、その知らない場所まで、細い道が一本つながった気がした。今朝ギルドへ向かう時に胸の中で跳ねていたものが、まだそこにあった。


「まぁ、こういう事よね」


 リリシラが三人を順に見てから、ウィルへ向き直った。


「未来の妻がこう言ってるんです、素直に甘えなさいウィル」


 プリシラの顔がほころび、ネージュは何も言わずに瞬きをした。ウィルは杯を倒しかけて、慌てて両手で押さえた。エレノアだけが、なぜかすっと背筋を伸ばした。


「未来の……何ですって?」

 

 ウィルは口を開き、三人の方へ目をやった。誰とも目が合わないうちに、そのまま逸らした。何を言っても、この卓では自分の負けになる気がした。


「これは……妻の座を掛けた戦い? 負けられません……!」


 エレノアの唇が小さく動いた。ウィルの耳に届いたのは「妻の座」のところだけだった。そちらを見ると、エレノアは卓の木目をにらむように、妙に真剣な顔をしている。


「……私、人妻ですよ?」


 ネージュが頬に手を当てた。困っているというより、少し呆れた声だった。


「畑仕事も嫌いじゃないよ♪」


 プリシラはプリシラで、尻尾をゆらゆらさせている。


 三人の返事が、三つともばらばらの方を向いたまま出揃った。ウィルが何か言うより先に、リリシラが手を一つ叩いた。


「はい、そういう事だから。今後は村に居る娘達は畑でお仕事を担当するわ」


 卓の上の茶器が、手を叩いた音でかすかに鳴った。


「誰も畑仕事をしなくても種は育つけど、作業する人数が多いほうが時間も掛からないし良く育つわ。皆で協力して、返済の足しになるよう頑張りなさい。割振りくらいはウィルが決めてお願いするのよ?」


 冒険へ連れて行く人と、村に残って柵の中で土をいじる人。その日ごとに、自分が決める。ウィルは三人の顔を見た。プリシラは当然のように前者のつもりの顔をしていて、エレノアは何か言いたそうにそのプリシラを見ていた。


 朝、自分がギルドへ出かける。その間に、誰かが柵の切れ目から入って、土に水をやっている。帰ってきたら、その誰かに今日の芽の具合を聞く。そんな一日を、ウィルは初めて思い描いた。


「もちろん、作物は種がないと育てられないから、まずはコレを渡して置くわね」


 リリシラは台所の棚の引き出しを開け、小さな布袋を取り出してウィルの手に載せた。思ったより重い。口の紐をゆるめると、薄茶色の細長い粒がぎっしり詰まっていた。麦米の種籾だ。指を入れると、乾いた粒がさらさらと指の間を逃げた。一粒つまんで、窓の代わりに暖炉の火へかざしてみる。爪の先ほどの、軽くて硬い粒だった。これが土の中で割れて、芽になる。頭では分かっていても、手の中の粒とは、まだうまく結びつかなかった。


 村長の家で見た証書は、黄ばんだ一枚の紙だった。今、手の中にあるのは、これから土に埋めるものだ。重さの種類が違う、とウィルは思った。


「そういえば、家の前の作業台も長い間放置していたでしょう。このあと使うのだから、手入れしておきなさいね」


 リリシラはそこで少し肩をすくめた。


「ウチは畜産農家だから作物は専門外なの。これ以上の事が聞きたければ、村の北側にいる農場のゼペリさんに相談するといいわ」


 仕切りの向こうで、豚が返事のように鼻を鳴らした。何でも知っていると思っていたリリシラにも、専門外がある。その代わり、誰に聞けばいいかは知っている。


「わかりました。何から何までありがとうございます」


 頭を下げると、膝の上の袋の中で種籾がかさりと鳴った。


「ネージュちゃん、エレノアちゃん、急な呼び出しに応じてくれて二人ともありがとう」


「気になさらないで下さい」


 ネージュが微笑んだ。


「お声がけ頂いてありがとうございます。兄様、遠慮して絶対に声をかけてくれませんから」


 エレノアの目が、まっすぐウィルを向いた。責める色はない。ただ、逃がさない目だった。


「す、すみません。お世話になります」


 首の後ろが熱くなった。ネージュが、それを見て小さく笑った。


「はい♪」


 エレノアの声が弾んだ。ウィルは種籾の袋の口を縛り直し、膝の上に両手で置いた。


「ぁ、そうだ。ついでと言っては何なんだけど……」


 話がまとまったばかりなのに、と一瞬ためらう。けれど、ここで黙れば、今エレノアに言われたことをすぐに繰り返すことになる。


「良かったら時間のある時だけで構わないんだけど、僕の訓練にも協力して貰えるととっても助かります」


「それは構わないけれど。訓練ならプリシラが適任なんじゃないかしら?」


 ネージュが、隣のプリシラへ目をやった。プリシラが胸を張る。軽く握ってみせたその拳へ目を落とす。今朝、自分が倒れた後も戦ってくれたと、本人から聞いていた。戦い方なら、教わることはまだ山ほどある。けれど、ウィルが頼みたいのは、それだけではなかった。


「もちろん戦闘の訓練はそうなんだけど、医学・薬学とか、魔法についてもきちんと勉強しておきたいんだ」


 頭を打って倒れた時、自分の怪我がどれほどのものなのか、ウィルには分からなかった。分からないまま、平気だと言い張るところだった。ポーションの瓶を差し出したプリシラの手と、後頭部に触れたネージュの指を思い出す。次に誰かが倒れた時、ただ見ているだけではいたくなかった。


 魔法もそうだ。村の大人の多くは、かまどに火を点けるくらいの魔法なら使える。指先にともるほどの火、手で扇いだほどの風、ほんの少し力を足すくらいのもの。そういう暮らしの魔法と、魔物と戦うための魔法がまるで別物だということくらいしか、ウィルは知らなかった。


「専門家を目指さないにしても、冒険者として色々な役に立つでしょ?」


「なるほどね。そういう事なら、もちろん私はかまわないわ」


「私もです。ちょうど三人とも得意分野が違って良い感じですね」


 魔法、という言葉が出たところから、エレノアの頬にはうっすら赤みが差していた。人に教えられることがあるのが、嬉しくてたまらないという顔だった。


 エレノアが三人を指で順に数えた。拳と蹴りのプリシラ、治療院のネージュ、そして魔法の自分。指が三本、きれいに並んだ。


「それじゃあ話も纏まった様だし、解散でいいかしら」


「はい。みんな今後ともお世話になります。よろしくお願いします!」


「はーい」


 四人の声が、そろって返ってきた。リリシラまで一緒に返事をしたので、プリシラが笑い出した。つられてエレノアが口元を押さえ、ネージュも小さく肩を揺らす。仕切りの向こうで、豚まで鼻を鳴らした。


 リリシラは空いた皿と杯を集めて流し台へ運び、暖炉の火を火かき棒で寄せた。いつもの夕飯の仕込みに戻っていく背中を見ながら、ウィルは椅子から立ち、自分の丸椅子を卓の下へ押し込んだ。


 借金はまだ一Gも減っていない。それでも、この家へ入る前には一つもなかったものが、いくつも決まっていた。畑を使う。分からなければ聞きに行く。村に残る人の手を借りて、自分は仕事と訓練を続ける。


 ネージュとエレノアがそれぞれの用事へ戻っていき、プリシラにも後で声をかけると約束して、ウィルは種籾の袋を抱えて扉を出た。


 戸口まで見送りに来たプリシラが、袋を指先でつついた。


「おいしーお野菜作ろうね!」


 ウィルが頷くと、プリシラは満足そうに耳を揺らして、家の中へ引っ込んだ。


 水桶と薪の山の前を過ぎ、自分の家の方へ歩き出す。昼の光で白く乾いた土に、自分の影が短く落ちていた。背中で扉の閉まる音がして、すぐに家の中から、まだ笑っているプリシラの声が聞こえた。すぐ隣に、橙の瓦屋根と、その右隣の柵が見えた。


 何度も見てきたはずのその四角い土が、今日は少し違って見えた。袋を抱え直すと、中の粒がまた、かさりと鳴った。


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