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胡蝶の夢  作者: 夜半堂
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7/13

第五夜「白椿」

雪だった。


音のない夜。


白だけが、花街を埋めていく。


胡蝶は欄干にもたれ、ぼんやり空を見ていた。


白い息が溶ける。


「雪は好きでありんす」


胡蝶が言う。


獏は眉を寄せた。


「……意外だな」


胡蝶は降り続く白を見上げる。


「雪の日は、皆、静かになるので」


白い息が、夜へ消えていく。


「泣き声も、隠してくれんす」


獏が黙る。


胡蝶は小さく笑った。


「優しいのでありんすよ。雪は」


その横顔を見て、獏は目を細める。


優しいものほど、こいつを傷付けてきた。


雪も。


夢も。


人も。


獏は煙管を奪い、短く息を吐いた。


「……風邪引くぞ」


胡蝶がくすりと笑う。


けれどその目は、どこか遠かった。



その女が来たのは、

雪が深くなった頃だった。


足音がしない。


まるで亡霊みたいに、

女は立っていた。


深い白布。


俯いた顔。


けれど。


隠していても分かる。


昔、

相当美しかった女だ。


「……胡蝶花魁」


掠れた声。


「夢を喰うと聞きました」


獏が僅かに眉を寄せる。


胡蝶は女を見る。


「どんな夢でありんす?」


沈黙。


やがて女は、

細い声で言った。


「鏡の夢」


その瞬間。


獏の耳がぴくりと動く。


胡蝶だけが、

静かに微笑んでいた。


「お名前を」


女は少し迷ってから答える。


「……冬乃」


雪が、

しんしんと降っていた。



部屋へ通されたあとも、

冬乃は布を外さなかった。


細い指だけが見える。


白く、

傷だらけの指。


胡蝶は煙管を置く。


「顔を隠すのは、

恥じているからでありんすか」


冬乃の肩が揺れる。


「……見れば分かります」


静かな声だった。


「皆、

同じ顔をするので」


獏が黙る。


冬乃は、

ゆっくり白布へ触れた。


少しだけ覗く。


焼け爛れた皮膚。


潰れた片目。


火傷の痕。


けれど反対側だけは、

今も恐ろしいほど綺麗だった。


雪みたいに。


「昔は、

白椿太夫と呼ばれていました」


冬乃が笑う。


壊れたみたいに。


「綺麗だと、

皆が言いました」


「…………」


「でも、燃えたら終わりでした」


部屋が静まる。


遠くで三味線の音がした。


冬乃がぽつりと呟く。


「顔を焼いてから、

誰も名前を呼ばなくなった」


その声だけが、

やけに小さかった。



その夜。


冬乃は夢を見る。


暗い部屋。


大きな鏡。


そこには、

昔の冬乃がいた。


白い肌。


紅を引いた唇。


何も失っていない頃の顔。


鏡の中の女が笑う。


『――お前は誰?』


冬乃が震える。


『そんな顔で、

まだ生きているの?』


逃げようとしても、

身体が動かない。


鏡の女が近付く。


『醜い』


『可哀想』


『価値のない女』


冬乃が、

小さく息を漏らす。


その時。


鏡へ、

白い蝶が止まった。


ひびが入る。


ぱきり、と。


夢の奥で、

胡蝶が立っていた。


淡い灯りの中。


静かな顔で。


「それは、

あなたの声でありんせん」


冬乃が、

ゆっくり顔を上げる。


胡蝶は鏡へ触れる。


「傷より先に、

心を焼かれてしまったのでありんしょう」


鏡の中の女が嗤う。


けれど。


胡蝶は、

その顔を静かに見つめ返した。


「この街は、

美しい花しか愛しんせん」


白い蝶が舞う。


「散った花は、

土にもなれない」


冬乃の目から、

涙が落ちた。


夢の中なのに、

酷く熱かった。



朝。


雪はまだ降っていた。


冬乃は、

ぼんやり庭を見ている。


胡蝶が隣へ座る。


しばらく、

何も言わない。


やがて。


胡蝶が小さく呟く。


「白椿は、

花びらを散らしんせん」


冬乃が振り向く。


「首ごと落ちる花でありんす」


静かな声だった。


「美しいまま、

終わるために」


冬乃の唇が震える。


胡蝶は空を見る。


降り続く雪。


白い世界。


「……けれど」


白い蝶が舞った。


「落ちても尚、

花は花でありんすよ」

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