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胡蝶の夢  作者: 夜半堂
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第十夜「解放」

雨が止んでいた。


雨雪に、

初めて訪れた静寂だった。


誰も喋らない。


誰も泣かない。


ただ。


白い蝶だけが舞っている。



「……終わるのか」


獏が呟く。


胡蝶は答えない。


遠くを見ていた。


ずっと。


ずっと遠くを。



雨雪には、

多くの夢が眠っていた。


母になる夢。


鬼の涙。


忘れ雪。


白椿。


赤い傘。


人魚の声。


誰にも届かなかった願い。


誰にも言えなかった痛み。


その全てが、

静かに漂っていた。



胡蝶は歩く。


ひとりで。


夢の中を。


いや。


夢だった場所を。



そこにいた。


小さな少女。


雪の夜に捨てられた、

あの日の胡蝶。


痩せた身体。


震える指。


泣くことも許されなかった瞳。


第四夜で見た、

あの少女だった。



少女は顔を上げる。


「また来たの」


胡蝶は微笑む。


「ええ」


「迎えに」



少女は首を振った。


「帰れない」


「どうして」


「ここは痛いから」


静かな声だった。


「痛いから、

忘れたくない」



胡蝶の瞳が揺れる。


その言葉は。


ずっと。


自分が抱えていたものだった。



「忘れたら」


少女が言う。


「本当に、

何もなかったことになる」


白い雪が降る。


遠い日の雪。



胡蝶は、

ゆっくり膝をつく。


そして。


初めて。


その小さな身体を抱きしめた。



少女が息を呑む。


誰にも抱きしめられなかった。


誰にも見つけてもらえなかった。


誰にも。



胡蝶は震える声で言う。


「痛かったですね」


少女の肩が震える。


「寒かったですね」


涙が落ちる。


「寂しかったですね」



少女が泣いた。


初めて。


声を上げて。



雨雪が揺れる。


冬乃が顔を上げる。


紅が目を見開く。


暁が息を呑む。


夜叉が静かに目を閉じる。


獏だけが。


静かに笑った。



「やっとか」


小さな声だった。


誰にも聞こえないほどに。



少女の身体が、

白い蝶へ変わっていく。


ひとつ。


またひとつ。


夜空へ舞い上がる。



胡蝶は見上げる。


追いかけない。


引き留めない。


ただ見送る。



少女の声がする。


遠くで。


優しく。


『ありがとう』



その瞬間。


雨雪が崩れ始めた。


雨になる。


雪になる。


境界が消えていく。


夢の墓ではなく。


夢の終わる場所として。



夜叉が笑う。


獏が目を伏せる。


紅が傘を閉じる。


暁が空を見る。



胡蝶は。


静かに立っていた。


もう泣いていなかった。



白い蝶が舞う。


どこまでも。


どこまでも。


夜を越えて。


夢を越えて。


そして。


朝が来る。


胡蝶が初めて見た、


優しい朝だった。

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